第14話 護衛の少年

 サクライ最大の使われない場所デッドスペース、通称『巨大地下空洞』。

 入り組んだ迷路のようなこの空間は、時に信じられない形状になっている場所がある。例えば金属で作られた崖は、五メートル下ったかと思えば10メートルはあろうかという鉄の壁に突き当たる。ちょっとした川幅くらいある水路には海水が流れ込み、渓谷さながらの地形をつくりだしていたりもする。

 もはや空いたスペースなどというレベルではなく迷宮だ。


 危険という言葉が形を成したようなこの場所は、公的私的問わず立ち入りが禁止されており、全ての出入口には厳しい監視の目が付けられている。

 しかしそれでも、毎年のように新たな侵入経路を発見し、こっそりと入る人間は後を絶たない。

 もし入ったことがばれれば罪に問われることになるため、仮に事故が起きても正式に救助を要請することはできず、公表されていないだけで死者がダース人単位でいるとも言われている危険な空洞だった。


雨露木あまろぎ征爾せいじもなに考えてこんな構造にした……んっだか、ねっと!」

「大伯父さんは子供の頃から変人扱いされていたみたいだし、思考回路は凡人には分かって貰えなかったみたい。今でも理解するのは難しいけど。ってねぇ、ちょ、ちょっと、もう少し丁寧にあげられないかしら。凄く揺れて恐いんだけど」


 俺たちが今いる場所は、うっかり足を滑らせれば背後の奈落に落ち、ロープを持つ手を滑らせれば雨宮が吸い込まれる。そんな危険な崖だ。

 持ってきたロープを引っ掛け、後ろからついてくる雨宮を引っ張り上げる。


「おい、えーっとカグヤだっけ? ちょっとこっちをひっぱっててくれ」

「ノーだよ。その指示は受け入れられない。ボクが契約しているのは雨宮るりかであって、お兄さんじゃない。あとボクの名前はカグヤじゃない鹿倉かぐらかなめだ」


 俺の隣に立つ少年が淡々と答えた。

 ショートカットに銀髪。切れ目の瞳。ショートパンツから出た足はすらりと長い。大人への過渡期かときにいたる独特な中性的雰囲気を纏っており、もし誰かに問うたとしたら『美少年――ただし女の子であれば超美少女』という感想が返ってくるに違いない。


 正直に言おう。初見は俺も見惚れて言葉を失ったほどだ。

 幸い雨宮るりかというこれまた超がつく美少女で耐性ができてたから、見惚れたのはほんの一瞬で済んだ。


「ええっとじゃあ鹿倉。仕事熱心なのはいいが、手を貸してくれないとその契約者が若干危ないんだが」

「聞こえなかったのか。ボクは契約主の言葉しか聞かない」


 鹿倉は背筋をスッと伸ばしたまま、高くも低くもない声であっさりと返した。


「その契約者さまは今それどころじゃなくてな。今このロープの手を離すと契約者さまが奈落にまっさかさまに落ちてしまうわけ。ちなみにもしそうなると、お前は『契約違反』になっちまうと思うんだがどうだ?」

「……む」


 契約という言葉をことさら強調すると、鹿倉要は顎に手を当て、


「一理ある。ビジネスは契約。ボクには契約を遵守そんしゅする義務がある」


 そう言って純白に近い銀色の前髪を払うと、躊躇ためらいもなく鉄の崖から飛び降りた。

 あっと声をあげそうになったが、彼は奈落に落ちていく身体をくるりと回転させ、壁の隙間にナイフを突き立て身体を固定する。呆気にとられた雨宮を片腕で抱き抱え、「お兄さん受け止めてよ」と言うがいなや頭上へ放り投げた。


「っと⁉」「きゃっ⁉」


 飛んできた雨宮を抱き抱えるようにキャッチすると、自然とお姫様抱っこの状態になった。

 雨宮の体重は(ふくよかな胸部を考慮しても)50kgはないだろう。

 だからといって両手で抱きかかえるだけならともかく片腕、しかも不安定な体勢で投げられるほど軽くもないわけで。

 それを放り投げた鹿倉の膂力りょりょくは、細い腕からは到底考えられないほどのものだった。

 いつの間にか上がってきていた鹿倉は、何食わぬ顔で袖から伸びた糸を手繰り寄せ、やがて三本のナイフがその手に収まった。


「無茶苦茶だな……」

「ボクはエージェントとしてずっと訓練してきた 。これくらい造作ぞうさもない」

「ほーん。その運動能力で毎回助けてくれると助かるんだが」

「それはボクと契約したいということか? だがあいにく今は埋まっている。それでも契約したいのなら組織を通して欲しい」


 エージェントとか組織とか中二病真っ盛りの単語がでてくるとちょいちょい頬が緩むわ?

 けどあの力とか身体の使い方はとても高校生とは思えない……雨宮は一体どんなルートで雨宮はこいつと接触したんだろうか? 謎だ。


「ちょっと? いつまで抱き抱えてるの変態」

「はい変態です。それはいいから動くな、あぶねっつの。分った、分ったから!」


 雨宮が頬を膨らませ腕の中で足をバタつかせ抗議してきたので、ゆっくり降ろす。やれやれ。


「む。ナイフを一本無くした。これは経費として請求してもいいか?」

「ああ、別にいいんじゃないか」

「彼の住所は×××―××××―×××303号室よ」

「なんの迷いもなく俺の住所を教えてるけど請求先はそこじゃないし、そもそもなぜ俺の住所知っているのか」

「あら聞きたい?」

「いやいい」


 住所はおろか俺のベッド下にあるコレクションの情報までバラされそうなのでやめておく。

 

 崖を越え、最下層へと向けて歩き出した。

 下っては登り、登っては下る。どれくらい降りて来ただろうか。頭上を見上げても天井が見えないほどの深さとなっていた。心なしか空気も冷たくなっており肌寒さを感じる。


「思ったより寒くなってきたわね……」

「単純な深さならここはもう海抜マイナス70mを越えてるからな。非公式情報じゃ146mまであるって話だし、まだまだ潜るかもな」

「最下層に行くまでに体調を悪くしそうね」


 悪くなるくらいでバッジが見つかればもうけものだ、という言葉は飲み込んだ。

 実はこの広大な空間のどこにバッジが落ちているか、正直分かっていない。

 阿賀山先輩が生徒会データベースをハッキングして得られた情報の中に、最深部という単語があったからそれを手がかりにしているだけだ。

 もちろんそこらの通路の隅に落ちてる可能性もあるだろうが、なんの手がかりもなく砂漠でダイヤを探すよりは、少しでも目的を持っていた方がマシというだけだった。


「しかし色々良く知ってるわねあなた。意外と……はっ……きゅしゅんっ」


 後ろから雨宮の可愛いクシャミが響く。

 こんな寒くなるとは思ってもいなかったのか、雨宮は薄手のカーディガンにジーパンという格好である。ん、まあ春先に着るような服じゃそうなるわな。

 俺はなにも言わず着ていた厚手のジャケットを脱ぎ、彼女に差し出した。


「……なに」

「ご主人様の体温管理も道具の仕事、とか言い出しそうだからな。ちなみに、それには色々と小道具を入れてるから、変に取りだしたりしないでくれよ」


 彼女は意外そうな顔をして俺とジャケットを交互に見直していたが、苦虫を噛み潰したような表情でそれを羽織った。


「童貞の匂いがするわ」

「そんなん存在すんの?」

「八坂浩一郎こういちろうの匂いと言った方がよかったかしら」

「童貞の匂いと一緒だと遠回しに言うのはやめろ? ……って待てよ」

「?」

「仮にその謎のフローラルが存在していたとして、お前が判断できるってことは童貞と非童貞の違いが分かるってことで、それってつまりくっそ多くの童貞を食ってないと分からないのでは……」

「………………八坂。それは私がクソビッチだと遠回しに言っていると判断していいのかしら」

「いや遠回しじゃなくてめっちゃ直接的だぞ」

「そう。じゃあ外に出たらあなたの人生は終りね」

「すみませんでした。本当はちょっと言ってみたかっただけなんです。すみませんでした。例の画像は流さないでください」

「今回は許してあげる。でも次はないわよ」

「はい!」

「……というか私はまだしてないし」


 最後の小さな声は、遠くで鳴り響いたぐわんという大きな機械音にかき消されたので、聞き取ることはできなかった。


「ま、悪いがしばらくそれで我慢してくれ。風邪ひかれても困るし」

「ん、大丈夫。野暮ったい匂いもたまになら悪くないわ」


 そう言って彼女はジャケットの裾をぎゅっと握りすたすたと歩き始めた。

 後ろを歩いていた鹿倉が近づき警告したのはその時だった。


「お兄さん。前を見たまま聞いてくれ。誰かがついて来ている」


 この巨大空間に入ってから三時間ほど経過している。だがこれまで俺たち以外の人影を見かけたことはない。一応背伸びをしたり靴紐を結ぶふりをしてそれとなく周囲を見回してみるが、やはり変わった様子は見当たらなかった。


「俺には誰か隠れているようには見えないが」

「相手もボクと同じプロのようだ。お兄さんが気付けないのは無理もない」


 ほーん。くそ真顔で言われるとこう、茶化す気も起きなくなるけど、そもそもプロって何のプロなん? 高度な芸人かなんかなん?

 やっぱり茶化すかと思ったが、鹿倉かぐらの体術や武器取り扱い能力が、俺の知見を遥かに凌駕りょうがしているのは事実だ。彼が手足のように扱っているナイフは、普通の人が思っているよりも扱いにくいもので、素人が使ってもちゃんとした効力を発揮することはできないものなのである。

 なおこれは余談だが、スパイものに憧れた俺が小さなナイフを懐に入れ「ちっ……奴らが来たか」とか同級生の前で呟きこれ見よがしに勢いよく抜きはらったまではいいが、滑って指を思いっきり切って先生を呼ばれて血だまりの中でこっぴどく叱られたとかいう中二的黒歴史が俺にはある。どうでもいいけど。


 さて鹿倉要がいうプロというのはともかく、何らかの経験を経て今に至っているのは、その動きからして確かと言えそうだった。

 尾けてきてるとしたら、狙いはやはりバッジか……?


「けどバッジが鍵だということは、俺たち以外知らないはずだ。俺たちを追ってくるってのはおかしいと思わないか」

「お兄さん。ボクは雨宮るりかの護衛にすぎない。そして疑問に答えるのは今回の契約に入っていない」

「……さいでっか。お前、なんでそんなに契約が好きなの?」

「別に好きだからじゃない。契約は縛りであると同時にボクの道標みちしるべだ。道を歩くのは普通のことだろう」


 よく分からん。人生を歩く道なんていくらでもあると思うが。


「難儀な生き方だな。つかその若さで縛りプレイが好きとかどんだけ。いま何歳?」

「13歳、ということになっている」


 自分の年齢を語るのに仮定形。組織に拉致されて本当の年齢は分からないという設定かな? その徹底っぷりは嫌いじゃないぞ。ま、実際の見た目も中学生くらいだし本当かもしれないけどさ。


「けど安心するといい。もし邪魔が入ったらボクがちゃんと排除する。雨宮るりかに危害を加えようとする者は全て排除する。それがボクの交わした契約だから」

「オーケー頼りにしてる了解だ分った少年。で、つけてきてるってヤツはどうなった?」

「今は気配を感じない。恐らく少し距離を取ったんだと思う。ただ相手は一人じゃない。最後に複数の足音がわずかに聞こえた。警戒は怠らないべきだ」


 手持無沙汰にナイフをくるくると回していた鹿倉は、器用に腰のホルダーに収めた。

 本当に誰かが尾行してきているのか。俺には分からない。

 護衛とうそぶくこいつが結構イカれてるっていうのは分かったけどさ。

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