私の下北沢

@5656marlyn

第1話

 「このあたりはね、昔はペンペン草がはえていたんだよ」と父がよく言っていたっけ。そう、この表現は昭和初期を生きた人たちが、田舎を表して使う言葉だ。ペンペン草とは、ナズナのこと。空き地などに生えている雑草で、ハート型の実をちぎれない程度に引っ張って、でんでん太鼓のように回して遊ぶとペンペンという音がするのでペンペン草と呼ぶ。

 戦後、焼野原に祖母が家を建て、女中さん(今は死語?!)をつけて3人の息子たちを大学に通わせていた。父は、3人兄弟の真ん中。マントを着て下駄をはいて町中を闊歩していたと得意げに話していた。


 その町が下北沢である。父は学生時代に見合いをさせられ、その相手にぞっこんほれこんで結婚した。その相手が母である。母はその下北沢の家に嫁に来た。

私が生まれたのは、父の友人たちに母もまざって麻雀に興じていたとき。「勝っていたので、お産したくなかった」と今でも、笑いながら話をする。


 私が小さい頃、父と共に散歩に出かけると、近所の人はもとより、商店街の人や町の人たちが父の名前を呼んで声をかけてきた。それが当たり前だと思っていた。私にも、「これから、どこに行くの」「学校に行ってきたの~」「おかえりなさい」とよく声をかけられた。私の言動はすべて家につつぬけで、本屋さんで立ち読みをしていたり道草を食っていると、「お嬢さん、あそこにいましたよ」と家族に知られていた。うっとおしい反面、安心感のようなものがそこにはあった。それも、これも、今は昔のことである。

 下北沢には、映画館が何軒もあった。娯楽が「映画」だった時代のことである。私はこの映画館で、「モスラ対ゴジラ」を見た。両親は無類の映画好きだったのである。


 その町に私は今でも住み続けている。商店街からは、お肉屋さんや八百屋さんが消え、しゃれたカフェやバーになった。よく出前をとっていた中華飯店はジェラート屋さんになり、お風呂屋さんは古着屋さんになり、うどん屋さんはカップケーキ屋さんに変身した。すごいのは、寂れた商店街にならなかったことである。ちょっと変わったお店や専門店が登場し、町はそれを受け入れ、活気づく。下北沢で生き残るためには、独自性のあるものを妥当な価格で、地元民を意識して営業しないとやっていけない。住んでいる人たちの目や舌が肥え、その人たちのお眼鏡にかなわなければ、すぐにほかの店にとってかわられるのだ。

 大きく変わったのは、町が再開発をしていることだろう。ある意味魅力だった魔境のような路地は防災によくないと、大きな道を通すらしい。そのため踏切だったところは道路になり、その分、住民にとっては踏切待ちがなくなったのでストレスが軽減された。もちろん、南から北に抜けるのに時間も早くなり、町が一つになった感がある。狭いようで下北沢には6つの商店街があり、それぞれが別の組織で別の活動をしているためイベントもバラバラに開催している。それが踏切がなくなることで一つになるかもしれないと、私は密かに期待したのだが、そういうわけにはいかないようだ。

 ただひとつ、外部からの力で町がひとつになるイベントがある。町おこしを目指すWEBサイトの企画で、カレーフェスが年に一度開催され、その時ばかりはすべてがひとつになって盛り上がる。特に地域的にカレーと縁があったわけではないが、その期間、町がカレーの香りで満たされるのは、なんだかほほえましく応援したくなる。


 そして、今も当時も変わらないのは、時間に縛られない自由度の高い人たちが多く住んでいることだ。役者さんが犬を連れて散歩しカフェでお茶を飲み、ミュージシャンがベビーカーを押し、ライター、編集者、小説家が集まっている。アーティストとかクリエーターと言われ成功した人たちは、青山や麻布、白金に引っ越すのであろうが、この下町風で、自由闊達な町の空気を愛する人たちは離れたがらない。

 この町には、発見があり、安心感がある。いつものあの店もあり、突然現れた変わった店もあれば、びっくりするほど美味しいレストランが住宅街の中にまで広がっている。知らないと入れないところ、行ったことがないと気後れする店、路地の奥の2階や3階の店を知っていると、いかにも通になったようでかっこいい下北沢。

 

他では味わえない空気感のある「下北沢」は、誰もが「私の町」と言いたくなる所なのだ。


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