父と行く最後のお祭り

ペーンネームはまだ無い

第1話:父と行く最後のお祭り

 東京都江東区こうとうく富岡とみおか門前仲町もんぜんなかちょう駅から外へ出ると、夏の日差しが私の体を照りつけた。

 私は眩しさに目を細めながら辺りを見渡す。人情にんじょう深川ふかがわ利益りやくどおり。三十年前とはすっかりと町並みが変わってしまったが、どこか昭和の匂いを残す風景に懐かしさを感じた。

 幼少期を過ごしたこの町に戻ってきた。その気持ちが私を感慨かんがい深くさせる。


 江戸勧進かんじん相撲発祥の地となった富岡とみおか八幡宮はちまんぐうや、成田山なりたさん東京別院べついんである深川ふかがわ不動尊ふどうそんなど、富岡は神仏に深い関わりを持つ建造物がある。しかし、私にはあまり興味のないことで、富岡八幡宮も深川不動尊も慣れ親しんだ遊び場という印象が強かった。

 参拝さんぱいおとずれた富岡八幡宮の境内けいだいで遊んでいる子供達を見かけた。職員の方には悪いと思いつつも思わずほおゆるんでしまう。


 参道さんどうを通って永代えいたいどおりへ出ると、屋台やたいが立ち並んでいた。深川ふかがわ縁日えんにち。富岡八幡宮と深川不動堂にえんの深い日には屋台が立ち並ぶのだ。

 さっそくたこ焼きを購入すると口へひとつ放り込む。うん、美味しい。他には何を食べようか? そう思いながら屋台を眺めつつぶらぶらと歩く。

 定番ていばんの焼きそばやわたあめ。大好きだったベビーカステラやカルメ焼き。味噌みそ田楽でんがくあゆの塩焼きもある。残念ながら今日はあめ細工の屋台は出ていない。柔らかくした飴を目の前で次々とうさぎや馬の形にしていく技を見たかった。


 屋台を眺めながら、ふと父の事を思う。私の父はお祭りが好きな人で、近所でお祭りがある度に幼少の私を連れて出かけた。父に連れられる度に、私は立ち並ぶ屋台を見比べながら何を買ってもらおうか頭を悩ませたのだ。

 しかし、そんな日々はある日をさかいに終わってしまった。父の体にがんが見つかったのだ。まだ父は30歳なかばで、私は幼稚園ようちえんへ通う年頃の出来事だった。

 父は治療のため入院を余儀よぎなくされたが、その甲斐かいもなく医者からは余命1年だと宣告された。


「そうかい。まぁ、しょうがねぇな」


 余命宣告を他人事ひとごとのように受け入れた父だが、体の方はそうもいかないらしく日に日におとろえていった。

 父は1日で数箱のタバコを消費するヘビースモーカーだったが、「家族との時間を少しでも長く作れるように酒とタバコは止めること」という医者からの忠告に従って、次の日からぴたりとタバコを止めた。

 酒についてはまるでひかえる様子がなく、毎日どこかから手に入れた清酒せいしゅ一升いっしょうびんを空にしてみせては医者や看護師を困らせた。父いわく「これだけは止めらんねぇ。諦めてくんな」だそうだ。


 父が余命宣告された日から、母と私は参拝を日課とした。

 幼稚園が終わる時刻になると自転車に乗った母が私を迎えに来るのだが、家へと帰る途中、富岡八幡宮と深川不動尊へ寄って参拝するのだ。真剣な表情で手を合わせる母を横目に、私も真似するように手を合わせて目をつぶる。

 参拝は曜日も天気も関係なく毎日欠かさずに続けた。たとえ幼稚園の降園後に私が友達の家へ遊びに行くとしても、必ず母と参拝してから友達の家へと向かった。

 いつも必ず何処かへ寄り道してから現れる私を不思議に思った友達に「いつも何処に寄っているの?」と問われた。


「お父さんの病気が治りますようにって神様にお願いしにいってるの」


 私が答えると友達は何を思ったのか「だったら一緒に行く」と言い出し、実際に翌日から友達とその母親が参拝に加わった。

 「辛い時や大変な時はお互い様でしょ」と言いながら参拝後にも色々と世話を焼いてくれる友達の母親にはどれだけ助けられたか判らない。

 その後も、また1人、また2人と同行する友達が増えていき、最終的には20人を超える人数で参拝する日々になった。そして、そんな人数で病院へお見舞いに行くものだから、父は「ずかしくていけねぇ」とお見舞いに来た人から逃げ隠れしていた。


 神様が私達の願いをみ取ってくれたのか、はたまた父の言う「百薬ひゃくやくちょう」がこうそうしたのかは判らないが、父の容体ようだいは外出を許可される程に回復した。

 一時退院した父は、さっそく私を連れてお祭りへと出かけた。


「俺はこの祭りが見たかったのよ。なんてったってぇ今年はほんまつりだからな」


 そう言う父が私を連れて行ったのは、江戸三大祭のひとつにも数えられる「深川祭り」。

 3年に1度おこなわれる本祭りでは、大小100以上の神輿みこしかつがれ、中でも50基にもおよぶ大神輿はこの日を待ちわびた様にあばくるう。観客は神輿を静めるがごとく大量の水を浴びせるため別名「水かけ祭」とも呼ばれている。

 とても人気があるお祭りで、おとずれる人々のあまりの多さに永代橋えいたいばしが耐え切れず崩落ほうらくしてしまった逸話は落語として残されている程である。


「やっぱりこういうのは特等席とくとうせきじゃねぇとな」


 父は私を担ぎ上げると、人ごみをき分けて観客の最前列まで移動した。

 そして私は、神輿の迫力はくりょくや人々の熱気ねっきおびえ、頭から何度も水をかぶせられ、「もうこんなところ来たくない」と大泣きしてしまうのだ。

 しくも、その時に私の言葉の通り「深川祭り」が、私が父に連れて行ってもらった富岡での最後の祭りとなった。家庭の事情から他の地へ引っ越すことになったのだ。以来、私はこの地に足を踏み入れていなかった。


 幼少期の思い出にふけていると、ふと手を引っ張られた。


「ねぇ、あれ食べたい」


 そう言って屋台のわたあめを指さしたのは私の息子だ。購入したわたあめを手渡すと、息子は幸せそうに頬張った。

 思わず我が子の姿に昔の自分を重ねる。

 今のこの子は、あの頃の私のような気持ちなのだろうか?

 今の私は、あの頃の父のような気持ちなのだろうか?

 ……だったら良いな。

 いまや祭りよりも孫に夢中な父の姿を思い浮かべる。もうすぐ父は70歳になる。


「それじゃ、そろそろ行こうか。やっぱりお祭りは特等席じゃないとね」


 私は息子を抱え上げると人ごみを掻き分けた。

 さて、この子にはこの町がどういう思い出として残るのだろうか?

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