火の用心

まさりん

火の用心

 夜の石畳の参道。まっすぐ伸びるその先に、ライトアップされた朱塗りの大門が浮かんでいる。参道に沿って、黄色く染まった公孫樹並木が続く。公孫樹の足元は黄色い絨毯が拡がる。

 鳴り出した京成線の踏切を背に、松丸、石井、山崎の三人が佇んでいた。三人は同年代だ。

「やっぱり行かなくちゃ行けないのかな」

 紅一点の山崎は困ったような表情でふくよかな手をあごに当てる。同じく、定年後ますます恰幅がよくなった身体をゆすりながら、石井は町内会の名前の入った法被の襟を正す。「いかないわけにいかないよ」と言い、松丸は不快だという険しい表情で、白髪のオールバックを撫で付ける。

 石井は右手に「火の用心」と書かれた幟を持っていた。山崎は肩から紐をかけ、拍子木を持っている。町内会では火事が多くなる晩秋から冬場にかけて、火の用心を呼びかけて歩く。冬休みになると子供会とも連携して、小学生も一緒に歩く。

 三人が佇む神社の辺りを行くのは皆嫌がる。若者が屯していて、大人にとっては不気味だからだ。「こうしていても仕方がない」と言って、松丸は鼻から大きく息を吐いた。吐いた息は白く丸い塊になった。縦列になり、男二人で山崎を挟んで歩き出した。松丸も石井もお互い言わないが、我こそが山崎を守るのだと思っていた。

 参道をコの字に囲むように、車道が通っている。幅は狭く、車一台分だ。その車道に沿って、市の施設が立っている。

 左手に市の出張所に続いて、児童施設と小さな公園がついていた。児童施設の窓には花の形に切り取った紙の飾りが貼り付けてある。その窓の下の壁には、五、六人が座れる木のベンチがついていた。三人が公園の脇を歩いていると、裏の方から若い女の子の悩ましげな声が聞こえてきた。

「またか」松丸が眉をひそめる。何が出てくるのかわからないので、右手を山崎の前に出して彼女を守るように立った。

 ここは地元の高校生の間では有名な青姦スポットだ。様々な学校の制服を着た高校生がそこで情事に耽っていた。今回はまだ物陰でいたしているのでいいが、木のベンチや公園の遊具であからさまにいたしていることもあった。完全に親の育て方が悪く、困るのは親だけなので放置していてもいい。ただ、本人たちは見えていないと思ってやるわけだが、それは通行人にバレバレで、皆居たたまれない気分になる。いまの三人もそうだ。止めたら止めたで、逆上されそうだった。「それにしても昼間は子供が遊んで、夜は子作りか」と言い、石井が下品に笑った。「いやねえ」と言って山崎は呆れた。

「火のぉ、よう〜じ〜ん」カンカン。

 裏の若者に聞こえるように、男二人が叫び、山崎が拍子木を打った。

 外観が民宿のような公民館の脇を抜ける。杉板が綺麗だ。市の象徴である松の木が植えられている。その脇に参拝者用の駐車場がある。そこから本殿への入り口がある。車道は参道を横切って、参道の逆側に折り返す。五時には本殿への入り口は閉ざされて入れない。

「火のぉ、よう〜じ〜ん」カンカン。

 車道を踏切に向かって戻る。左手にはコンクリート造りの市民会館が立っている。会館は千人くらい入れる規模がある。入り口は一段高くなっている。正面は階段、両脇には車椅子用のスロープが付いている。その入り口のガラスの前で、若者が三人踊っていた。実は青姦の高校生より、この踊っている連中に皆が恐怖を感じた。理解ができなかった。若者は近所迷惑にならないように、小さな音で音楽を流し、ヒップホップダンスを踊っていた。エントランスのガラスに薄く映った姿でフォームチェックをしている。

 ダンスをするというのはとてもテンションの高い行為だ。しかし、彼らは踊りには勢いがあるのだが、会話は小声で話し、音楽もよく聞こえなかった。松丸はその様子を見ていると、夜中に鬼婆が笑顔で包丁を研いでいるのを想像してしまう。勢いよく振り返って、「みーたーなー」と言われて襲われそうな気がする。

「火の用心」チョンチョン。

 小さな声で言って、三人とも早足になる。大門の脇まで走る。

「私が子供のころ、敷島さんっていうおじさんが近所に住んでたの。そのおじさん、戦争に行ったんだけど、頭がおかしくなっちゃってね。なんかあると、『敵機襲来』って叫びながら、ご近所さんに触れ回るの。見つかるとね、『なぜ逃げないんだ』って怒られるの。手足をバタバタして、身振りを大きくしてね。あの子たち見てると敷島のおじさんを思い出すの」

 歩きながら山崎は悲しそうに語った。

 京成線の踏切近くに帰ってくると、 小学生らしき少年がバットを振っていた。坊主頭だった。通り過ぎながら、自分が中学校で野球部に所属していたときのことを思いだしていた。松丸の実家は豆腐屋で裕福とは言えなかったが、野球をやりたいと両親に伝えると、父親はなんとか金を工面してくれて、グローブや道具一式を買ってくれた。朝練や夕方練を繰り返し、泥だらけになりながら努力したが、一向に上手くならず、チームも弱小チームのままだった。だが、その時代が松丸の人生で一番充実していた。それ以降は誰かのために生き続けてきた気がする。

 そんな思いを二人と共有しようと振り返った。松丸は固まった。状況が呑み込めなかった。山崎は体を石井に預け、肩にもたれかかっていた。石井は石井で、山崎の腰に手を回しているようだった。石井は「大丈夫だよ」と山崎に声をかけていた。山崎はうなずきながら、石井の肩に鼻先を埋めて匂いを嗅いでいた。松丸は敗北を悟った。

 状況を理解して、児童施設の方を指差し、「あそこにいけば」と言いそうになり、止めた。こいつらが育てれば、そりゃそういう子供になるよ、と松丸は肩を揺すりながら苦笑いした。

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