誰そ、彼。
清水円
お月様の言う通り。
「君たちは海に沈む夕日を見たことがありますか?」
現代文の先生がこんなことを問いかけてきたことがあった。
北アルプスの山々に囲まれた田舎の観光地、
でも、山に帰っていく夕日を知っている。
そして、山が月を
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僕が小学生の頃のことだった。
季節はだんだんと冬に移り変わっている時期で、寒くて透き通るような夕暮れ時だった。
下校中に友達とつい夢中になって遊んでいたら、あたりがみるみる暗くなってしまっていた。でも、一緒にいた友達は比較的家が近い連中ばかりで学校からまだそう遠く離れてはいなかったが、さほど慌ててはいなかった。
「なんか暗くなっちゃったし、そろそろ帰ろうぜ」
「そうするかー」
僕は気が気ではなかった。片道4キロ近くある道のりをこれからほぼ一人で帰らなければならないのだ。まず頭を悩ませたのは母親のことだ。こんなに遅くまで何の連絡もなく帰らないとなると、確実に怒られる。心配して学校に連絡しているかもしれない。一刻も早く帰らないと、
まだ遊び足りない友達の興味が道草を食うことに向かないように、クラスのムードメーカーや自分たちの馬鹿話をしながら必死で盛り上げ、それぞれの家への分かれ道まで歩を進めていった。
「じゃあ、お前気をつけて帰れよー!」
「うん、ばいばーい!」
最後の一人と別れてしばらく歩くと、想像以上の暗さと怒られることへの不安や恐怖で僕はとうとう泣き出してしまった。周りをみれば明かりのついた家はあるにはあるが、住宅地と言えるほどたくさんもなく、田んぼの方が多い。街灯も少なく本当に暗かった。
「どうしよう、どうしよう・・・怒られる・・・真っ暗だし、怖い・・・」
小走りにも近い状態で鼻をすすりながら、すれ違う人に泣いているのを見られたくなくて俯きかげんに黙々と歩いていると、ふと視界が少し明るくなったような気がして顔をあげた。見ると雲一つない空にまん丸い月が、浮かんでいる。そしてそれは妙に近くて、大きかった。遮る家がなくなって少し開けた道へ出たおかげで、山の端から月明かりが照らしていたのだ。何故だか本当に近くて、山にぴったり寄り添っていて、木のシルエットが見えるくらいだった。
その時。
「ねぇ、競争しようよ」
どこかから声がした。
「・・・誰?」
「うさぎだよ」
「どこにいるの?それにうさぎが喋れるわけないじゃん」
「細かいことは言いっこなし。ほら、月を見て。早くしないと先に行っちゃうよ?」
あたりを見回してもうさぎの姿なんて、見当たらない。でも声はたしかに聞こえる。そして半信半疑、月を見ると、ゆっくりではあるけれど月がじわじわと山に食べられるように欠けていく。慌てて走り出すと欠けた部分が元通りになった。でもまたしばらくじっと見ているとじわじわ・・・。
「うさぎの言っていることは本当だ!走っていけば、僕、月に勝てるかも!」
そう思うが早いか、僕は月の方を窺いながら思い切り走り出していた。
しかし、さすがは月だ。足には自信があったけど、ずっと併走してくる。時々、家が並んでいるところやスーパーが建っているところは月が見えなくなるので、そこで先を越されないように見えるところまで急いで行った。信号に引っかかったりすると息を整えるにはちょうど良かったけれど、月は止まってくれないから青になるまでの時間がもどかしかった。
そうこうしているうちに自分の家のすぐ近くまで来ていて、いつの間にそんなに走ったのか内心驚いた。涙はすっかり乾いていたけれど、寒空の中を夢中で走って帰ってきたので、鼻はやっぱりちょっと出ていた。
「君、走るの速いんだね。今回は引き分けかな」
「そんなことよりいったいどこにいるのさ?」
「僕はいつも空の上にいるよ」
「え?」
「あ、そうそう。君のお母さんは怒ってないからこのまま安心しておかえり。それじゃあ、楽しかったよ」
その声と共に、真っ白いうさぎが一羽、目の前にぴょんと躍り出たかと思うと、空の方へ遠ざかってやがて月明かりの中へ消えていった。
何が起きたのか分からないまま、呆然と立ち尽くしていた。
しかしうさぎの言葉を思い出して我に返る。
「うさぎはあんなこと言ってたけど、お母さんの心配性と怒った時の怖さを知らないんだから」
しかしここまで来たら腹を括るしかない。そう思った僕はもう一度大きな大きな月を見てから、恐る恐る玄関の戸を開けた。
「ただいまー・・・」
「あら、おかえり。寒かったでしょ」
おや?
「あ、うん、でも走ってきたから大丈夫」
「そう。ご飯の支度もうちょっと時間かかるから宿題やっちゃいなさい」
怒ってない?
僕が時計を見ると、まだ夕方の5時を少し回ったくらいだった。
うさぎの言っていることは本当だ。
誰そ、彼。 清水円 @Mondenkind
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