第9話 中国大返し
少しばかり時を遡る。
本能寺の変が発生した直後の事である。
早朝、堺から京へ向かっていた徳川一行の元に、先駆けて京に入っていた本多平八郎忠勝という猛者が駆け戻って来た。
「殿! 大事でござる!」
本多正信と同じ本多の家名ではあるが、とりわけ近い親類というわけではない。家柄が遠いだけでなく、仲も悪い。そんな忠勝の知らせによれば、京に明智の兵が乱入し、織田信長と織田信忠を討ち取ったというのだ。
「何という事だ。儂らもここまでだな。平八郎、儂はどこかで腹を斬る。適当な場所を見つけ、介錯してくれ」
「殿、そのような事を申されますな。この平八郎、命に代えても殿を三河までお守りいたす!」
徳川主従のこのやり取りを、とある人物が注意深く観察していた。備中高松城を攻略中の
急ぎ帰路についての議論が始まった徳川一行に対し、案内役はその役目を辞して堺へ戻ると告げた。当然であろう。そのような混乱の中、徳川一行と三河へ向かう義理はない。そのため、徳川一行はその案内役に丁重に礼を述べ、後ろ姿を見送った。
だが、この案内役が向かったのは堺ではなかった。向かった先は、備中高松城。西へ西へと向かい、播磨に入ればそこは羽柴の勢力圏。あとは変え馬に変え馬を乗り継いで、死に物狂いで高松城へと駆けた。
そして僅か一日。
六月三日の夜には高松城に到着。
羽柴秀吉はこうして、各方面で敵と対峙していた織田家の主戦力の中で、誰よりも早く本能寺の変の発生を知りえたのである。
「安国寺の坊主に伝えよ。『いよいよだ』とな」
毛利家の外交僧に、安国寺恵瓊という人物がいる。しかしながら、その素性はただの坊主ではない。
所説あるが、源氏の名門、安芸武田氏の直径であるとされている。それが正しければ、同じく源氏の名門甲斐武田氏の武田信玄と同等の家柄という事だ。
毛利元就の攻撃を受けて滅亡した時に家臣によって助け出され、仏門に帰依したという経歴の持ち主である。その後、諸事情あって毛利家に仕えるようになり、外交や内政、時には軍事行動にまで幅広く携わった。
そしてその恵瓊もまた、「人たらし」と言われた羽柴秀吉にたらし込まれた一人である。
毛利家中では恵瓊により、織田家との争いが如何に無謀であるかが説かれ、決戦派と和睦派に割れていた。
既に力の差は歴然であった。
織田当主である織田信忠によって甲斐武田は滅び。北陸では、柴田勝家によって上杉家がその所領を大きく削ぎ落とされ。関東では、滝川一益が関東管領に就任し、いよいよ北条家に対しての本格的な威圧が開始されていた。四国では、長曾我部によって領国を追われた三好氏が織田に急接近し、神戸信孝と丹羽長秀による四国討伐軍が渡海寸前である。
そして中国地方では、いよいよ織田信長と織田信忠を中心に、明智光秀までもが参加しての大援軍が備中高松城に迫っている。
――降伏もやむを得ずか
そう囁かれ始めているのだ。既に何度か刃を交えている織田と毛利であるが、本格的な大激突は発生していない。
頭を下げるなら今である。
「既に敵対している織田に下る以上、中途半端な事では和睦は難しい」
そう説いた安国寺恵瓊の案に、毛利家の片翼を担う人物が同調した事で毛利の総意が決定した。
「五カ国譲渡、これ以上の譲歩はない」
全盛期は中国地方十カ国の太守となった毛利家が、その所領の大半を織田家に譲渡するという交渉案である。生きるか死ぬかの瀬戸際となる前に、身の半分を削ぎ落としてでも、より安全に生き残るという選択肢に掛けたのである。
毛利家のその案に、秀吉はあえて難色を示した。今すぐにでも姫路まで戻りたいのだが、交渉というものはいかに足元を見せないようにするかが肝要である。
「上様までがご出馬となっている以上、如何に五カ国とは言え譲渡だけで済まされる話ではない。せめて今すぐに高松城を明け渡し、誰かしらに責任を取らせてはくれないか。そうであれば、我らは早々に兵を引こう」
この返答に、高松城の守将である清水宗治は、城兵の安全と引き換えに自らの切腹を言い出した。
六月四日。
水攻めにされた高松城の湖面にて、清水宗治が自害。
迫りくる織田の大軍団という圧力を背景に、羽柴秀吉は毛利家との和睦交渉を有利に進め、それが決着するや否や、一目散に姫路を目指した。
もし、本能寺の変が無く、信長が援軍に来るという筋書きであったならば、この和睦交渉はありえない。先の丹波の件しかり、信長は和睦を命じたわけではないのだ。その点からも、この和睦交渉がそもそも信長の死を前提にしている実に不可解な物だと言える。
明け渡された高松城には、秀吉の家老、杉原家次が入城。仮に、毛利が信長の死を察知して襲い掛かって来る場合、この高松城にてそれを食い止める役割を担う。杉原の手勢が高松城に入るのを見届け、羽柴の軍勢は姫路城を目指した。
「姫路まで駆けよ! 遅れる者は捨ててい行け!」
後年、中国大返しと言われる前代未聞の強行軍が始まった。
その軍勢は後に「無双の官僚」と称される石田三成の手配により、実に迅速に、それでいて安全に行軍が進んだ。
三万を超える軍勢が街道を行く。
驚異的な速度で姫路へ向かう軍勢を助けたのは、水、食料、夜通し駆けるための明り。羽柴軍はそれら大量の物資を惜しげもなく投入した。
それだけの財力を捻出できたのは、播磨の商人を抱え込んでいた羽柴だからこそであり、それだけの物資の運用、物流から配布に至るまで膨大な量の管理をなし得たのは、それを熟せるだけの頭脳を持った人物がいたからであろう。
こうして羽柴秀吉は驚異的な速度で姫路城に戻ると、そこから畿内の混乱に割って入るべく諸所への調略活動を開始したのである。
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