第四話 夏の余韻。 

夏休みも殆ど終わりに差し掛かった頃、私は教室にサックスという管楽器を運んで自主練に勤しんでいた。誰もいない教室を楽しめるのは、うちの学校では吹部だけの特権である。他の部活では教室を使うことなんて滅多にないし、そもそも誰もそんなことに喜びを見出さない。でも、誰も経験しない夏休みの教室というのは十分に価値があるものではなかろうか。昔からそうだったけれど、お祭り当日よりも次の日が好きなのだ。わざわざ屋台のあった場所を見に行って「昨日、ここには一杯ヒトがいたんだなぁ」なんて考えるのだ。

 いつもは誰かが入ってきた時を考慮して、自分の席に座るようにしているのだが、今日は溜めていた夏休みの課題も終わって、気分が晴れ晴れとしていたので、入学以来から、ほんのちょっぴり興味があった後ろのお月様の席に座ってみる。別に座ったからと言ってどうということはないのだが、ほんの少し彼女に近づけるような気がするというのが女心なのだ。

 すると、椅子を引っ張った時に、机の引き出しからはみ出ていた一冊の本がバサッと床に落ちた。文庫サイズの本が無造作に床に落ちてしまう。


「織宮さん、ご、ごめん・・・・・」

 

 一人で呟きながら、私は落ちた本を手にとってみる。その外観は非常にありきたりで、書店でつけてもらえるような紙のブックカバーで身を守っている。織宮さんは普段どんな本を読んでいるのだろうか。どうせ、夏休み前に持って帰るのを忘れるくらいの本だ。そう結論づけて、机に直すついでに織宮さんの本を興味本位に開いてみる。例えば彼女の知的なイメージと合致する推理モノだろうか。それとも、案外年相応に恋愛モノだろうか。しかし、そんな想像は一瞬で打ち砕かれた。そのタイトルは余りにも直球で、そこらの恋愛モノよりもドラマチックだった。


 私は一人でワタワタしながらも、すぐさま本を織宮さんの机に直して、せっかく準備した楽器の類を全て一気に持って教室を後にする。自主練だからやったってやらなくたっていいのだ。そんなのより私にはすべき事がある。

 譜面とスタンドそれに、サックスを持った私の歩みは非常に遅かった。その上カバンまで肩にかけてたものだから、明らかにキャパオーバーだった。廊下の床に汗が垂れる。未だ夏の暑さは健在だった。月末といえど、まだ8月なのである。そんな暑さの中でひんやりとした低い声が階段の下から聞こえてきた。


「咲、ハンカチ落ちてるよ?」

「あっ・・・花・・・・・あ、ありがとう」


 その声の主は、高橋花。この前以来、何となく彼女と話しづらくなっていた。向こうは恐らく何も気にしていないのだろうけれど、あの見透かしたような目線が何となく苦手になっていた。花は小走りで階段を登って、私が落としてしまったハンカチを届けにきてくれる。両手が塞がっている私の様子を察知して、無理やりスカートの右ポケットに突っ込んでくれた。

 

「ところで、今日はもう帰っちゃうんだ?」

「うん、ちょっと用事ができちゃって、じゃっ、じゃあごめんね」


 私はできるだけ素早く話を切り上げようとする。やはりあの時からずっと同じ目つきだ。あれ以来、私は少しずらして朝の準備に向かうようになっていたのである。その結果、私達の静寂の時間はあの噂話をしたところで止まっている。きっとそれも私が意識しているだけだろうけど。


「ねぇ、咲」

 丁度、私がその場を立ち去ろうとした所で、静止させられる。彼女の声はいつもと同じように少し低い。


「どうしたの?」

「・・・なんでもない」

 

 彼女はまたもやはっきり言わなかった。この前の噂の事について彼女なりに言いたいことでもあったのだろうか。彼女はそう言うと、私より先に音楽室の方へと消えていく。私は少し距離を開けて音楽室へと向かう。

 急いで楽器をいつもの場所に直して、学校を後にしてある場所へ向かう。それは学校近くの商店街の最奥にある古本屋だった。手近な書店といえばここか、隣町の書店ということになる。この古本屋の内装は奥に細長く入り口からはレジが見えない。本棚は小説や漫画等のジャンルごとに一応分けられてはいるが、その細部は作者や、レーベル順で分けられてはなく、なんとあいうえお順だった。英語のタイトルはとくに曖昧で「V」から始まるタイトルは「う」に分類されたり「ふ」だったりという有様だ。しかし、私はそんなことには怯まず一心不乱に探し続ける。お目当ての本を見つけるために、まるで本を掻き分けるようにして探していく。


「あった!」


 本を探して30分、織宮さんが読んでいた本が見つかった。そのタイトルは「ヴァレンタイン」このタイミングでこのタイトル、興味を持たざるを得なかった。ミステリアスで、誰とも親密に接さない織宮さんでさえ、噂のバレンタインについて影響を受けているのだろうという事実は、私を心の奥底を突き動かした。

 パッと中身を確認した所、恋愛小説のようだ。この本にはどんな事が詰まっているのだろう。ミステリアスな月さんを知ることができると思うと、帰り道は楽しみで仕方がなかった。私の心の静寂はこの時既に消えかけていた。

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