第三話 夏休みに咲く花。

 面倒な前期末テストも終わり、夏休み期間に突入した。勿論、長期休暇だからと言って部活がなくなる訳はなく、私は吹部の活動に駆り出されていた。うちの吹部では一年に朝の雑用を課している。そのため私は音楽室で楽器の準備をしている最中だ。エアコンを付けて少ししか経っていないため部屋はまだ生温い。


「咲、ごめん。私も手伝う」


 音楽室の扉から聞こえる低い声。楽器から目を離して前を向くと、同期の高橋花が後ろ手に手を結んでこちらを見つめていた。蒸風呂のような外の暑さのせいか顔全体がほんのりと赤い。クラスで委員長を担う彼女の真面目な雰囲気に似合ったポニーテールもあまりの暑さに力を失ってうなだれているように見える。でも彼女自身はまっすぐと立っている。その姿は夏のひまわりのような印象を抱かせる。


「ありがとう」

「何したらいい?」

「じゃあ、そっちの楽器拭いてよ」

「これだよね、よいしょっと」

 

 指揮者を中心として同心円状に4列も並ぶ椅子。その2列目に座る私の横に花は腰掛けた。仕事を始めると、私達は何も言葉を交わさない。こんな早くにきているのは、私と花くらい。だから自然と楽器を磨く音しか聞こえない。部活が始まればこの部屋は楽器と顧問の声で埋め尽くされてしまうけれど、今この世界を構成しているのは楽器を磨く音だけだ。この一時の静寂が心地いい。どんなに朝早く起きてでも、この時間を過ごすことには意味がある。きっとこの時間がなくなると、生活のリズムが狂い始め、どんどん体のバランスが崩れていってしまうように感じる。

 すると静けさに紛れて、私はふと英美里と約束していた噂の話を思い出した。悩んだ末に、偶にはこの静寂を乱してみるのも良いだろうと結論づけて、私は花に話しかける。


 「ねえ花。少し聞きたいことがあるんだけど」

 「ん、珍しいね。朝に咲が話しかけてくれるなんて」

 「この学校のバレンタインって何か特別なの?」


包み隠さず直球で私は花に尋ねる。彼女は所謂俗っぽいことには興味がないイメージがあるが、私より立場がしっかりしているだけあって、クラス事情や話題には詳しい。

一息ついて、花は飾り気のない銀色フレームの眼鏡を直して言う。


「咲もそういう噂とか気にするんだ」

「私じゃなくて、英美里が気になってたから」

「ふーん、英美里が」


そう言った私を花は何かをいぶかしむような目つきで見つめる。ただそれだけで、花は何も言わない。私はどこか居心地悪く感じて、持っている楽器に視線を移す。

彼女とは他と比べてよく会話する方だ。でも考えてみれば、私と花の関係はこの朝の音楽室だけで完結していて、それをクラスや部内で見せるような事はしない。一緒に帰ったりもしなければ、教室で話すことも少ない。

そしていつまでたっても一心不乱に楽器の同じ場所ばかり磨いている私にゆっくりとこう言った。


「ごめん、私も余り知らないけど、女の子同士の恋愛にまつわることだとは聞いたかな」

「お、女の子同士の?」

「うん」


恋愛、という言葉に驚いて言葉を失ったせいで、彼女とするイレギュラーな会話はこれが最後となってしまった。音楽室の雰囲気は自然と元の静寂に戻っていったが、いつもの心地いい空気とは明らかに違っていた。

そして、常に委員長らしくはっきりと物を言う花。そんな彼女に似合わない含みのある言い方は私の演奏を激しくガタつかせた。でも、一瞬見せた何かを訝しむような目つきから間違いなく彼女は噂について知っていると私は確信した。

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