第2話

 いくら新幹線とはいっても、目的地に着く頃は太陽も少し傾きだしたころで、これから一仕事することを考えるとメインプレーヤーでない俺が言うのは何だが、早くもくたびれ気味である。こんなことなら、新幹線で睡眠をとっておくべきだったが、妙にやる気の古泉につきあって結局四局目までやっちまったからな。帰りの新幹線ではゆっくり寝させてもらおう。

 日本が誇る一大ターミナル駅をゆっくり眺めたい気持ちを抑えつつ、古泉の先導で駅を出るとタクシープールに黒塗りの車が停まっていた。古泉がわざとらしく手を上げるとタクシーの後部ドアが静かに開き、車内のよく空調が効いた冷気が俺を招き寄せるように広がった。



 そこからの展開は驚くべき手際の良さだった。タクシーは大都市の高層ビルの間を小気味よく走り抜け、目的地のひとつである一軒家にたどり着くや、長門がものも言わずドアを開け家の中に入ってゆく。何のためらいもなく古泉が付いていくのも見て俺も後ろをついてゆく。家内の一室に長門が足を踏み入れると数秒立ち止まったのち、これまで何回か見せられた高速の呪文らしき言葉を詠唱し始めたので俺は思わず身構えたが、周囲の風景が変化することもなく、気を失って大の字に横たわる中年男性が無から姿を現しただけだった。

「ずいぶんスピード解決になったものだな」俺がつぶやく。

「過去の対応から得られたデータにより、情報生命体の情報網構築ルーチンを事前に解析した」例によって回答になっていない長門の回答。

「おとといの対応のときからこのスピードです。これでは僕の出る幕はありませんね」とそんな残念そうでもない顔で両手の平を上に向ける古泉。

 もう用はないと言わんばかりに踵を返し玄関に向かう長門。俺としても知らない人の家に長居もしたくないので黙ってついていく。玄関のタイルに垂直に並んだ長門の靴と、意外にも乱雑に脱がれた古泉の靴。家の前にタクシーが停まっているのを見て俺は腕時計を見た。入ってから五分と経っていなかった。

 その後の二件も同様の手際の良さで異世界に取り込まれてきた人間は戻ってきた。 なぜ三軒ともカギがかかっておらず家人も誰もいなかったということについては今さらツッコむ気も起きない。昼出発でここまで遠出して、なおかつ三軒も訪問するにも関わらず夜遅くならないうちに帰れる旅程を古泉がプロデュースしている時点で気付くべきだったな。帰りの新幹線の切符の発車時刻を眺めながら思った。

 感慨に耽る間もなくタクシーはターミナル駅に戻ってきていた。


 随分と突貫旅行だったが俺はこの通り何もやっておらず、古泉とおそらくその仲間の手回しと長門の能力によるスピード解決である。警察庁も未解決事件の対応はこいつらに任せればさぞかしはかどることだろう。やることのなくなって安心した結果、俺がグースカ寝ていたことをどうか責めないでほしい。


 それで俺はこいつらと帰りの新幹線に乗っていたわけだったな。思い出したぜ。

眠い目をこすり、アクビをしながら古泉の方を見る、古泉は満足げな表情で、

「お疲れ様です。僕としてもひとりで赴くよりこうしてあなたたちと出向くことができ、ありがたい話です」

 俺は別にありがたくなかったけどな。長門がどうだかは、よくわからん。まあハルヒの引き金を弾いたせいで迷惑を被った連中がみんな戻ってきたのは俺も大いに安堵することなので特に言い返したりはしなかった。

「涼宮さんにはこういった事象とは無関係でいてほしいと思う反面、こうした体験を分かち合えないというのは心残りですね」

 お前が言いたいのはどっちなんだ。お前らの活躍でハルヒは不思議現象に気付かないんだろうが。

「これは曖昧な言い方で失礼しました。涼宮さんは僕たちのことを同じ団の仲間と思ってくれているでしょうからね。ちょっと感傷的になっただけですよ」

 仲間ねえ。俺に関して言えば手下あたりがいいところだと思うが。

「いずれにせよ」古泉は言葉を切った。

「彼女が楽しく笑う姿を僕は見ていたいのでね。今後もそのためであれば微力かもしれませんが全力を尽くさせてもらうつもりですよ」

 ひとしきり古泉の話を聞いていたらまた眠気がぶり返してきた俺は、自分の瞼のシャッターがゆっくりと落ちていくのを感じていた。



 寝るときに周りが暗いと眠れない人間、明るいと眠れない人間、両方いるが俺は後者なので最初周りが真っ暗であったことに対して、「俺のためにわざわざ消灯してくれるとは最近の新幹線はサービスが良くなったな」とか寝起きの頭でアホなことを考えていた。

 体を起こすと非常灯の緑色の弱々しい光だけが辺りをかすかに照らしていた。車内の明かりが消えている。そしても窓の外も完全な漆黒が広がっている。トンネルで停電でも起こしたかと思い辺りを見回す。隣の座席の古泉がいない。

 もう一度辺りを見回すと、暗くて気付かなかったが長門いた。棒立ちになっている。俺は思わず、

「長門、何が起きたんだ?」と尋ねたが、長門は、

「……」と反応を返さない。こいつが何かの異変で俺や朝比奈さんのように取り乱すとは思えないので何か別のことに集中しているのかと思い、いったん周りを調べてみることにした。

 異変が起きているのは明らかだった。俺と長門以外の乗客がいない。古泉の姿はやはり車内に見当たらなかった。そして今さら気付いたのだが新幹線は止まっている。静寂と闇に包まれた車内。

 こういう時は動かない方がいいのかもしれないが俺は古泉の行方が気になり、車両の先頭側に向かって歩き出した。


 結論から言うと、先頭車両に行っても古泉もほかの人間も人っ子一人見当たらなかった。何かの事故なのか。トンネルの中で脱線事故でも起こしたのか。いずれも誰もいないことの説明にはならない。俺は一度引き返し長門のところに戻ることにした。


 元の車両に戻ると長門は同じように静止していた。

 俺が長門に向かって歩み寄り二メートルくらいまで近づいたその瞬間、

「それ以上動かないでください」と鋭い声が背後から飛んできた。

 振り返ると、古泉が見たこともない険しい表情をして俺を静止している。そして古泉の左手元には見覚えのある赤いハンドボール大の光球が鈍く輝いていた。暗闇に慣れていたせいかやけに眩しく感じる。

 古泉が光球を持っていることの意味。

 こいつは自称超能力者だがその力が発揮できるのはハルヒの生み出した閉鎖空間に限られる。最近一つ例外があった。例のカマドウマの作りだした異空間である。俺はその時古泉に聞きはしなかったがカマドウマ空間も起源はハルヒの能力だったから使えたのだろう。これが意味することは一つ、ここは閉鎖空間か何かの異空間であること、そして俺達はそこに閉じ込められたということだ。またハルヒの仕業か。何なんだ。

 俺は長門に対して叫んだ。

「おい、長門! 今度は何が起きたんだ! 説明してくれ」

「……」

 先ほどと同じ沈黙が返ってくる。もう一度鋭い声が響く。

「彼女は、いや『それ』は長門さんではありませんよ。『それ』はいつぞやのカマドウマと同じあなたを異空間に引きずり込んだ張本人で、僕は『それ』を処理するためこの空間に入ってきたのです」

「お前、何言ってるんだ? 目の前にいるのは長門だろ」

「違います。覚えていますか。情報生命体は取り込んだ人の畏怖のイメージを具体化する形で現れると。あなたにとっての畏怖のイメージこそが長門さんだったわけです」

「んなこといって、目の前の長門の正体がカマドウマの仲間だってなんでわかるんだよ?」

「これまで一瞬で異空間を元に戻してのけた長門さんが何もしていないことがが何よりの証拠です。本物の彼女がいればこういった状況はそもそも起こりえません」

「だいたい情報ナントカは今日ので全部退治したんじゃなかったのか?」

「僕たちは何回もこの生命体がネットワークを張った場所に居合わせましたからね。気付かずに彼らの情報ネットワークに取り込まれてしまったわけです」皮肉っぽい言い方こそ同じだが古泉にいつものおどけた様子はそこにはない。

 古泉は今にも光球を長門の姿をしている長門でないかもしれないものに放とうとしている。それで解決するのか? 俺たちは元の空間に戻れるのか?

 もう一度長門を見やる。ほんとうにこいつは偽物の長門なのか。

 無機質な瞳がこちらを見つめかえす。お前は偽物なのか? どっちなんだ? 長門とのやり取りを思い出す。最初の文芸部室で出会った頃の眼鏡の長門。朝倉の一件の翌日、眼鏡を外してきた長門。野球の試合の時の長門。そして休み明けの窓辺で本を読んでいた時、無表情の奥に別の何かがあったような長門。目の前の奴はその中の誰かと一致するか。わからん。

 俺は目の前の人物を凝視する。

 長門の姿をした人型は俺を見つめ続ける。

「彼女の姿を取ることで、『それ』はあなたを宿主として支配下に置こうとしているんですよ。気を許してはいけません」

 古泉が再度俺に警告する。

 しかし、しかしだ。目の前にいるこいつがもし長門でなかったとしてホントに消しちまっていいのか。いや、これまで八回も俺のいない時も含めて消してきたわけだから、こいつが長門の偽物だからといって今さら可哀そうだなんて言うつもりはない。 だが無機質な瞳の奥にこれまでミリ単位で感情を見せた時の揺らぎと同じものか、違うのかもしれないが似たようなものが俺には見えるような気がする。確かにこいつは長門じゃないかもしれん。だが同時にこいつは俺に「消さないで」と訴えているように見える。こいつは長門の姿を借りて俺たちに何か訴えようとしているんじゃないか。

 暗闇を照らす古泉が作り出した球の光を背中に受けながら、俺はこいつの瞳をじっと、見つめ続けていた。



 細かく断続的な振動が再び体に響く。

 周りが明るくなっているのが目をつむっていてもわかる。俺が体を起こすと、

「おや」と、またも爽やかな声が右耳に響く。

 目を開けると今度は古泉のほうが少し疲れた様子で俺を眺めていた。そして目の前には長門が立っている。

 周りを見回すとほかの乗客がいることで俺は事態が収まったことを悟った。

「一体どうなったんだ」俺は長門に尋ねた。

 長門は久々に口を開くと、

「情報生命体は存続の危機に際して有機生命体とのコンタクトを試み、わたしの物質情報を簡易的にエミュレートしたものをあなたの脳内に展開した。あなたと情報生命体の間で何らかの情報の伝達が成立したことに情報統合思念体は当該の生命体の存在の有用性を見出し、当該の生命体は自己保存のため情報統合思念体の支配下に入ることに同意した」

 俺の脳という単語以外全フレーズさっぱりわからんが古泉は今にも膝を打ちそうな様子で、

「なるほど、長門さんとの接触の過程で情報生命体は有機生命体とコミュニケーションをとるための手段を学習し、不完全ながら長門さんに擬態してあなたと接触し、それは成功した。その結果をもって情報生命体は長門さんたちに有用な存在と見なされ合流したということですね」

「そう」

 例によって短い返事。古泉は俺の方を見て、

「一時はどうなるかと思いましたがあなたの功績ですね。人類に害を及ぼす可能性があって消去されるはずであった存在の価値を長門さんたちに認めさせ、より安定した環境下に置くことができたわけですから」

 褒めてくれているようだが理解できていないのだからちっとも嬉しくない。古泉はそこまで言い終えると急に表情を緩めて、

「ぼくとしても実際、ほっとしているところです。長門さんではなかったと言え、人の形をしたものに今まで僕は自分の能力を行使したことはないものですから」

 それは良かったな。まあ俺もあの時に長門モドキがお前に爆破されてスカっとしたとはさすがに思えない。

「ところで長門」俺が改めて尋ねる。

「コミュニケーションが成功したと古泉が言っているが、俺はなにを喋ったわけでもなくただお前そっくりのあいつとニラメッコをしてただけのような気がするんだが。実際あいつは長門のただのハリボテだったわけだろ」

「個別の生命体が交互に音声を発することは情報の伝達を必ずしも意味しない。双方の非物質的相互作用によって発生する化学的変化を情報の伝達と定義している」

 俺レベルではボディランゲージが大切だくらいでしか理解ができん。

 ふと長門のこの難解な言葉を聞きながら、長門の同僚で俺の命を狙った朝倉涼子のことを思い出した。あいつも長門の親玉が作り出した存在だったが、あいつは非の打ちどころのない優等生として振る舞い、クラスメイトとニコニコ笑っていたがあれは果たして本当に長門の言う「情報の伝達」だったのだろうか。一方でコミュニケーションという言葉から最も縁遠い奴であろう長門がいつもの無表情でいるとき、俺があれこれ「長門はこう思ってたりするのか」とか考えていることも「情報の伝達」に入るのだろうか。

 車内放送で軽快なメロディが流れだし馴染みのある駅名がアナウンスされると俺の思考は中断された。



 翌日の放課後、いつもの部室で俺は古泉の言うところのリターンマッチ、第五局を指していた。

 メイド姿の朝比奈さんがお茶を淹れてくれる。

「昨日は一緒に行けなくてごめんなさい。キョン君が大変だったって古泉くんと長門さんから聞きました」

「いえいえ、たいしたことじゃありませんよ」

 謙遜でなくホントにたいしたことはしていないからな。

「朝比奈さんこそハルヒの奴に連れ回されたみたいで大変だったでしょう」

「ううん、私はただお買い物していただけだったから」

 控えめに語る朝比奈さんだが少し楽しそうに見える。昨日の日帰りミステリーツアーに比べれば、まだハルヒと買い物してた方が朝比奈さんにとって有意義だったことは間違いない。だからといってハルヒのおかげだなんて言うつもりは毛頭ないが。

 局面が終盤に入り俺が王手をかけた時、今度は向かいのハンサム野郎が長ゼリフを並べ出した。

「それにしてもあなたの他者――単なる他人という意味ではありませんよ。本質的な意味で自身とは異なる部分を持った存在のことです――へ相対する力というのは素晴らしいですね。この部室で僕や朝比奈さん、長門さんの特殊な背景を知りながらこうして部室で肩を並べていることが何よりもその証明だと思いますがね」

 いちいちうるせえな。それに極め付けに特殊なヤツの名前を一人抜かしてるぜ。

「失礼、気分を害されましたか」

 古泉はくっくっと笑い、王手から逃れようと駒を動かす。

「あの情報生命体が今回の件であなたを選んだことは実に賢明だったわけです。彼らは感謝しなくてはいけませんね。思わぬ未知との遭遇によって生存への道が開けたわけですから」

「どうだろうね」そして俺の一手。積みだな。

「案外、あなたがピンチの時に助けてくれるかもしれませんよ。一度衰退したとはいえ長門さんと共通の祖先を持つ由緒正しい存在のようですから、思わぬ助けになるかもしれません」と、負けたというのに朗らかにしゃべり続ける古泉。

 夜更けに恩返しにでも来るのか。長門の格好をして来るならともかくカマドウマはお断りだぜ。特に原寸大で来られた日には、うっかりベッドで寝返り打って潰しちまったら嫌だからな。

 俺は窓辺で本を読む長門を見ながら、あの暗闇の新幹線の中で俺を見つめてきた長門モドキの眼差しをもう一度思い出そうとしていた。

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