ワンデイ・ミステリーツアー

H. hamabo

第1話

 細かく断続的な振動が体に響く。

 続いて小さく持続する低い音がゆっくりと耳に染み入っていく。

 今、自分がいったいどういう状態にいるのかと辺りを見回すと、

「おや、お目覚めになりましたか」と、無駄に爽やかな声が右耳に響く。

 ゆっくり状況を把握しようと思ったが、隣にどこのどいつがいるのかは一発で把握できてしまった。俺の周りでこんな声音を発する奴は一人しかいない。

「古泉、今は何時だ」

 コールドスリープから覚めた宇宙飛行士でも出すかわからんような嫌々な声で俺は声の主である古泉一樹に返事をする。

「夜の8時を5分ほど過ぎたところですよ。もう1時間もすると着きます」

 古泉の返事を最後まで聞き終わらないうちに俺は目を左に向ける。窓には完全な闇が広がっている。正面に目を転じると座席があり、右に目を戻すと古泉の爽やかスマイル、そして通路を挟んで反対側にはもう一人の同行者、長門有希が無表情で座席に腰掛けている。

 ここは電車、それも新幹線の車内である。

「ずいぶんよく眠っておられましたよ。さすがのあなたも少々お疲れのようですね」

 古泉の何の意味もないようなセリフは今日に始まったことでもないが、それでもすぐに状況が思い出せない程度には疲れているのかもしれない。古泉に返事を返すのもそこそこに俺は何で今新幹線に、それもこのメンバーで乗っているのか記憶を整理し始めた。




 学校にその存在を完全に黙殺されている完全非公認団体であるSOS団だが、校内で変人にかけては他に譲るものがない団長の涼宮ハルヒとともに知らないもののないSOS団に記念すべき依頼人第一号が現れたのが、期末試験の最終日であった。

 喜緑江美里さんというその依頼人が持ってきたのは「行方不明になった彼氏を探してほしい」という高校生の同好会未満のグループに頼むには疑わしいシロモノであり、そもそもではどういった団体に頼むのが適切かというと普通に教師か警察に頼んだ方がよかったのだろうが、我らが団長様は、しばらく飼い主がエサやりをサボっていた水槽に新鮮な肉を投げ入れられたピラニアのごとき勢いで食らいついた。

 そしてそのピラニアもといハルヒの一方的決定により、喜緑さんの彼氏だというコンピュータ研部長の家までSOS団一行は乗り込むことになり最終的に部長氏の居場所はよくわからん宇宙的な存在である情報ナントカが作り出したこれまたけったいな空間で、そこにいた部長氏はカマドウマに姿を変えられており、果たしてエスパー少年の活躍のおかげか何だかこれまたよく解らんうちにその空間は崩壊し、部長氏は学校に戻りこの捜査劇は幕を下ろしたかのように思えた。

 だが話はこれで終わらず、部長氏と同じ目にあっている人間があと八人おり、それもそいつらをどうにかしないとならんことが判明した。まったく面倒な話だと文句の一つもつけたくなるが、つけたところで残業手当のひとつも出してくれる先があるわけでもないので、俺は黙って八人のところに出向く心構えをしたわけである。心構えだけだけどな。



 部長氏の家に出向いた翌日のことである。すでに期末テストも終わって短縮授業になっており昼飯を待たず放課後となった校内で、いつものように文芸部室に向かって部室棟の階段を上っていると背中から朗らかな声が降ってきた。

「どうも、これは奇遇ですね。昨日はお疲れ様です」

 古泉である。歩きながら首を後ろに向けて返事をする。お前の使う『奇遇ですね』ほどうさんくさいものはないぜ。

「これはこれは。いえ、今日はあなたとお話ししたいことがありまして」

 もうハルヒが次の何かを起こしたのか。昨日のアレで当分イベントは間に合っているぜ。

「いえ、『次の』ではなく昨日の件の続きです。詳しくは部室で。長門さんとも一緒にお話ししたいのでね」

 そういって古泉は俺に続いて階段を軽いステップで上がっていく。

 まだ終わってないことは俺だって覚えている。そして古泉が長門に今回の被害者の住所を訊いていたことも横で見ていたので、大方残り八人の後始末の話だろうということは分かっていた。


 文芸部室のドアを開けると、長門がいつものように置物になって本を読んでいた。

「よお」と、俺。長門は首を数ミリ傾げるとまたすぐ読書へと戻る。俺はバッグを床に置きパイプ椅子に腰掛け軽くため息をつく。古泉も俺の向かいに座り、鞄の中身を探り出す。古泉が取り出したのはA4を半分にしたような紙切れだった。文字がいろいろ書いてあるようだ。

「今日はその紙を使ったゲームでもするのか」

「そうしたいのはやまやまなのですが、さっそくあなたと長門さんにご相談がありまして。涼宮さんが来る前に済ませてしまいたいのでね。じきに食堂から戻ってくるでしょうから」

 俺が長門に目を向けると、特段何の反応もなく本の虫になっている。お前も話に入ってたぞ。古泉は一呼吸おいて、

「昨日の部長氏の件ですが、残りの三人の方の対応に行く予定を確認させてもらえますか? 僕としては明日の放課後すぐの新幹線で現地へと向かいたいのですが」

 三人? 八人の間違いじゃないのか。

「お知らせするのが遅くなり失礼しました。八人の被害者の方のうち北高生の五人はすでに僕と長門さんで昨晩のうちに対応を完了しました。残すは離れた地方にいる三人だけですよ」

 あの後俺がくたびれて家に帰って速攻でベッドに倒れ込んでたころ、五軒も回ってきたのか。ご苦労様である。

「あなたも同行されるとおっしゃっていましたので、最後まで何もお声がけせず終わるのも申し訳ないと思いまして。確認させてもらったのですよ」

 それはどうも。明日の授業が終わったらすぐ、か。


 ところで俺には長門や古泉のような超自然的パワーはひとかけらもなく、はるばる新幹線で行ったところで情報カマドウマをどうすることもできないってのに、それでも同行しようと思ったのは何でだろうね。どうせ長門や古泉にしてみりゃカマドウマ退治は通常業務の一環だろうし特別思うところもないのだろうが、せめて一般人代表である俺がハルヒのイカれたパワーでとんでもない目にあった連中に対してお詫びの気持ちを込めて、といったところか。ハルヒ本人を引っ張って謝罪行脚させるわけにはいかないしな。

 俺が家に寄らず制服姿で新幹線に乗るのはマズいかなんて割とどうでもいいことを考えていると、古泉がさっきの紙切れを俺に見せる。知らない名前と住所が書いてある。

「目的地はこちらです。三名の方の家の距離が近いのは幸いでしたね」

 そういってもう一枚紙片を取り出す。切符だった。

「すでにあなたと長門さんの分の切符も別に用意してありますのでご安心を。ほかに持ってきていただくものも特にありません」

 相変わらず手回しがいいな、お前は。もっとも長門は切符などなくともB―2爆撃機も比較にならないステルス性能を発揮して新幹線に乗れるだろうが。

「お褒めに預かり光栄です。ではお二人ともこの日程でよろしいですか」

「好きにしろ。ところで名前が出てきていないが朝比奈さんは今回は行かないのか」

 俺はあえて平板な口調で尋ねたが、朝比奈さんが今回の旅程に同行するか否かは俺個人にとって重要なポイントである。

「彼女も同行されるとおっしゃっていましたよ」

 頬が緩んでないか気を付けながら俺は、

「そうか」とそこまで関心はなさそうな返事をしてみたが、内心そうでないのはあの朝比奈さんのビューティフルスマイルをご存じであれば説明不要だろう。またわけの解らん現象でへーこらするのはわかっているのだから、それぐらいの褒美をもらってもいいだろう?

 俺が朝比奈さんと新幹線で談笑する風景をイメージし始めたところ、バン、という扉の音が響き俺の夢想を断ち切った。


「あ、三人ともいたのね」

 現れたのはハルヒで後ろには朝比奈さんを従えている。ハルヒはいつもの教室での不機嫌顔でもなければ、よからぬことを思いついたときのマグネシウムを燃焼させたような笑みでもない、何というか、ノーマルな状態で入ってきた。普通の人間が普通の状態であることにあれこれ説明することもないのだが、ハルヒについては当てはまらない。いつも喜怒哀楽のメーターがレッドゾーンに振り切っている奴だからな。きょうはハルヒの脳内にエンジニアでも駐在してるのだろうか。

 俺はそれ以上口を開かなかったハルヒには特に反応はせず、その後ろの麗しい上級生に挨拶をする。

「こんにちは」と朝比奈さんからはHPとMPが全快しそうな微笑みが返ってくる。

 ハルヒはいつもよりゆっくりした動作で窓際の団長席に腰を下ろしてふっと小さく伸びをした。朝比奈さんもそれに続き腰を下ろす。朝比奈さんがハンガーにかかっているコスプレ衣装に手を伸ばそうとしているのに古泉も気付いたのか、これまた中途半端に様になる動きで身を起こしたので俺もそれに合わせて部室からいったん席を外した。


「えらくハルヒの奴がおとなしいな」

 廊下で古泉に話しかける。

「また閉鎖空間かなにか発生してるのか?」

「いえ、今のところは特段ありませんね。彼女を心配されているのですか?」

 余計なセリフが多い奴だ。

「いいではありませんか。彼女が沈んだ顔を見たくないのは二人とも同じでしょう」

 古泉はそこで言葉を切り、視線を落とし、

「ですが、あなたが仰っているように、普段とは少し様子が違うかもしれません。かといって特別何か悪い兆しがあるようにも思えません。思えば僕たちが夏に入る前にお会いしてから多少の時間が経ちましたが、その間それなりに慌ただしい日々を送らせてもらっていましたからね。案外、我々を取り巻く環境が落ち着いていく方向なのであればこれからは案外こういった雰囲気が普通になっていくのかもしれませんよ。としてはそう願いますね」

 確かに特に定休日も設けられていないSOS団で三六五日事件があっては古泉と長門はともかく、俺と朝比奈さんは神経が持ちそうにない。

「いずれにせよ涼宮さんが落ち着いているというのであれば、それ自体はよいことです。ですがあまりこの雰囲気が続くと今度は彼女も退屈してくるでしょうから何かまた考えなくてはいけませんね」

 お前ら「組織」があれこれ企みを巡らすのは勝手だが、俺にはくれぐれもメインキャストは振らないでいただきたい。


 その後はこれといったこともなく俺は朝比奈さんはやはりナース服よりもメイド服が似合うなとか益体もないことを考えながら、部室でダラダラしたのち長門の本を閉じる音を合図に普通に俺たちは家路に着いた。



 翌日。短縮授業が終わると俺は学校をそそくさと出て、下り坂を早歩きで降りて駅に向かった。待ち合わせ時間には多少余裕があり別に急ぐこともないのだが、ハルヒに捕まったりすると面倒くさいからな。

 電車にさっさと乗り込み揺られること数分、ひとつめの乗換駅へと到着した。電車を降りるや駅のトイレで鞄に入れておいた私服へ着替え、待ち合わせ場所である新幹線のターミナル駅方面の電車が発着するプラットホームへと向かった。

 ホームに着くと電車がちょうど到着している。ドアが開いたタイミングで見覚えのあるシルエットが目に入った。こざっぱりした七分袖のシャツに身を包んだ古泉が実にさりげない所作で手を振っていたので、古泉が乗り込んだドアから俺も続いて乗車すると、

「あら、あんたもいたの」と横からぞんざいな声が飛んでくる。ハルヒじゃねえか。 そしてハルヒと同じく制服姿の朝比奈さんが横で恐縮した様子で立っていた。ハルヒが一緒なんて聞いてないぞ。どうするつもりだ古泉。

「いえ、僕だけでは自信がないものでしてね。彼の意見も伺おうと思いまして」

 動じた様子もない古泉の声。

「へえ、そうなの。キョンがそんなに役に立つとは思えないけど」

 話がよく見えん。俺の混乱をよそに電車は発車する。

「そういうわけで我々二人は今日は買い出しに出かけてきますので」

 我々二人ってなんだ。

「古泉くん、夏休み初日だからね。期待しているわよ、例の計画!」

「お任せください」

 話が最後まで見えないうちに電車は隣の駅、SOS団御用達の喫茶店のある駅に停車した。

「さ、みくるちゃん、あたしたちは水着を買いに行きましょ。どんなのがいい? やっぱりビキニ? それともパレオみたいなのがいい? 思い切ってスリングショットにでもする?」

 ハルヒはさっきから朝比奈さんに見せていたファッション雑誌を丸めて鞄にしまいながら上機嫌で言う。

「そそそんな涼宮さん、あたしにはそんな紐みたいな水着、む、無理です」

 拒絶する朝比奈さんを無視するように片腕をロックしながらハルヒはニマニマ笑いで下車してしまう。おいこらハルヒ、俺の朝比奈さんを連れて行くな。

 ひえええと悲鳴を上げる朝比奈さんの声を断ち切るように無慈悲にドアが閉まる。 あとは動き出す電車から無害なスマイルをハルヒに向ける古泉が残るのみである。 初夏の太陽光線がハルヒと朝比奈さんの制服姿を眩しく照らすのをただ俺は見送るばかりだった。



「我々が一斉に団を休んで出かけるのも涼宮さんを不安にさせるかと思いましてね。ひとつ今回は僕とあなたで出かけるので今日は団の活動を休みにしてはと進言したのですよ」

 電車のスピードが乗ってくると古泉が頼んでもいないのに説明を始めた。

「なんかもっともらしい理由をつけてたみたいだが『例の計画』とはなんだ。夏休みにどこか出かけるのか」

「そんな大層なものではありません。けして気が重くなるような話ではありませんのでご安心ください。涼宮さんから計画が固まるまでほかの団員には詳細を口外しないよう言われているのでね」

 お前の計画とやらが俺にとって愉快なものになるとは到底思えないが。と、そんなことはどうでもいい。朝比奈さんはどうなるんだ。

「今回は涼宮さんのお相手をしてもらうことになりましてね。朝比奈さんには申し訳ないですが」

 さらっと問題発言をする古泉。聞いてないぜそんな話。さては最初からこのために朝比奈さんを犠牲にするつもりだったな。昨日も朝比奈さんの分の切符は見せてなかったしな。お前が代わりにハルヒの生贄になれ。

「もちろん僕がその役をこなすのもやぶさかでないのですが、彼女から涼宮さんが不安にならないのであればと自ら申し出てくれたのですよ」

 こいつの言うことだけを信用する気にもならないが、何というか真面目な朝比奈さんらしい行動である。宿敵の人質に自らを差し出そうとする戦国武将の妻のごとき悲壮な表情をした朝比奈さんの表情が目に浮かぶ。

 俺の暗澹たる気持ちとは別に快速電車は遅れもなく進んでいき、二つ目の乗換駅に俺たちを運んでいった。



 最後の乗換駅から発車した電車が新幹線のターミナル駅に到着すると、長門が俺たちが下車するドアに正対して直立不動で佇んでいた。

「やあ、お待たせしました長門さん」

 古泉のセリフにも特段反応せず新幹線の改札へ向かう長門の後姿を見て俺は長門の私服というものを初めて見た。白のフリルがついたTシャツと学校の制服とさして変わらないようなシルエットの薄いグレーのスカート。長門にAマイナーの評価を下した谷口に見せてやりたくないこともないとか考えているうちに、新幹線のホームへと辿り着き俺たちは車内に乗り込んだ。


 新幹線に乗るのはこれが初めてではないがいざ発車すると多少そわそわしてくる。ましてやこれから向かう場所はそう行く機会もない東の大都市である。一緒にいる無口娘とニヤケハンサム野郎について今さら文句を言うつもりはないができればもっと愉快な動機で行きたいものである。

 新幹線が快調に周りの景色を塗り替えていくのをぼーっと目で追っていた俺にそのハンサム野郎が目配せしているのに気付く。顔を上げると、

「まだ目的地に着くまで長いです。ひと勝負いかがです?」

 ポケット将棋を取り出し微笑む古泉。

 することも特にないので古泉に付き合うことにした。


 古泉の穴だらけの美濃囲いを崩して俺が早々に勝利を収めると古泉は負けたくせに上機嫌に駒を並べ直し第二局の準備を始めた。

 隣の方から何かいい匂いがしているのに気付き顔を上げると長門はどこで買っていたのか駅弁を広げだした。

 こいつら、楽しそうだな。

 そういう俺も古泉が差し出したコンビニのおにぎりとペットボトルのお茶に手をつけながら、第二局の一手目の歩を動かした。

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