第3話

「お前、誰だっけ?」



 そんな頼真の言葉に、彼はいつものへらへらとした柔らかい笑みを少し困ったように歪ませながら、意図の読めないその質問に質問を重ねた。


「……何を言ってるの?」

「いや、何って言われても……だから、僕は単に君が誰なのか聞いているだけなんだけど」

「────────」


 そう。頼真は、分からなかった。何が分からないのか具体的な物は挙げられないにしても、「分からないという事は分かった」。

 彼については、色々と知っている。

 名前は八佐祇 牧彦やさかみ まきひこ。珍しいで済ませるのにはあまりにも奇異な苗字に拍子抜けなほど普遍的な名前。そのコントラストが逆に強い印象を付けられる。

 歳は頼真と同じく十四。そのくせ背は高く美形で昔からモテる男だ。

 頼真とは小学生の時から知り合いで、小学校は違ったが、たまたま近くの公園で遊んでいた所にいつの間にか混ざって遊んでいた。ちなみに、陽次も明乃もその前から同じ学校だったため知り合いで、むしろ彼を通して仲良くなり始めたとさえ言える。

 そう。この男は、頼真の人生を構成するにおいて、絶対に欠かせないパーツの一つなのである。


 そのはずなのに。


 頼真は、先程から彼のそばにいても、いくら彼とくだけた話をしようとも、どうしてもが拭えなかった。

 彼の名前を知っていても、彼との過去を知っていても、彼を構成するあらゆる要素を知り尽くしていても。頼真はまだ、彼が誰なのか分からない。

 例えるなら、そう。まるで、頼真の知っている彼についての事がら全てを、として記憶しているような。

 要するに、実感が湧かない。彼がどんな食べ物が好きで、どんな音楽が好きで、今までどんな道を歩んで来たのか。知っているけれど、側で見てきた実感が湧かない。

 …………ああ、なんだ、そういう事か。

 頼真は、確信と共に彼へと迫る。


「―――――お前、妖魔だよな。……しかも、この強力な暗示能力からして、恐らくはLv.4。問答無用で討伐対象だ」


 頼真の発した、不穏な単語を含む言葉の羅列に、彼はついにその笑みを崩した。


 突然だが、妖魔の強さは、分かりやすく六段階に格付けされている。

 まずLv.0~1は、低級妖魔とされ、大した悪さをする力もないから、基本的には無視されている。妖魔を討伐し、討伐した妖魔の脅威度に比例した分の国からの報酬を糧とする退魔師にとって、倒しても小銭稼ぎにすらならないこの妖魔達は倒す必要性がほとんどないと言える。

 次に、Lv.2~3は、中級妖魔と呼ばれここからが退魔師の討伐対象となる。放置しておけば、軽いけがを引き起こす事故の原因となったり、最大では死亡事故につながる悪事を働くこともある。

 そして、Lv.4~5は上級妖魔とされ、基本的に単独ではなく複数人で協力し討伐する。その分報酬も多いのだが、それでも割に合わないと思われるくらいには強い。放っておくと、事故や事件の枠を超え、災害レベルの災厄を引き起こしかねないので発見次第早期に討伐することが必須になってくる。

 ……最後にLv.6についてだが。これについては、今の所一体しか観測出来ていない。名称も、存在すら伏せられ厳重に情報が管理されているソレは、退魔師の間でも眉唾物として噂される程度のものとして知られている。

 そして、頼真の見た限り、彼はおよそLv.4……つまり上級妖魔相当の実力があるそうだ。


「い、いや……何を言ってるのか、さっぱり分からないんだけど……?」

「まだどぼけるのかい?────いい加減、往生際が悪いぞ。人類の害悪め」


 もはや言葉を失くし、呆然と頼真を見上げる彼の表情は、演技だとしたならまさに真に迫ると書いて迫真と言う程には彼の状態全てがリアリティに溢れていて、これが演技である保証も、素面の反応である保証も無いのだが、強いて言うなら、彼の瞳には色濃く「謎」という文字をイメージしたような色が見て取れた。理解不能。頼真の不可解な言葉の羅列に状況の整理が追いついていないようで、もしくは理解したくもないという暗には無意識にだが理解できている事の証明でもあるかのようだった。


「……君が、自分の正体に気づいているかは、この際聞かないでおくよ。でも、君たち妖魔を殺すのが僕の……退魔師の仕事であり、使命だからね」


 そう言って、頼真は己の右手をぶら下げたまま縦に軽く振るった。すると、袖口から掌に細い十センチ程の針……と言うには少し太く、ともすれば鉄杭のようにも見えるそれを人差し指と中指で挟む。


「それは……っ?」


 神妙な面持ちで彼が言った。したり顔のまま、頼真が答える。


「武器さ。……退魔師として、凶悪な妖魔と戦うためのね」


 凶悪な敵と戦うにしてはなんとも小柄な武器ではあるが、そんなイメージを覆して見せるのが頼真の真骨頂であると、彼は。頼真が金属針を持つ手を彼の前にまで持ち上げる。

 針の先端部は天井を向いているが、何故か彼にはその状態でもまるで針の先を自分に向けられているかのように感じられ、恐怖混じりの緊張感に苛まれ全身の筋肉が強ばった。


「……それで、僕を殺すのかい?」


「それ」が頼真の持つ針を指しているのは彼の視線からしても明らかで、言いながら彼は視線をずらし、頼真の瞳を見つめた。

 揺るがぬ覚悟。頼真の瞳から、動揺の色が浮かぶ事はなく、それはきっと彼を手にかける際にも変わる事は無いだろう。


「……はあ。……分かったよ、好きに殺すがいいさ。僕は説得も抵抗もしない」


 彼は、この自身の命の危機が迫る状況下において、最もしてはいけない事をした。

 ───────即ち、現実逃避である。


 彼は、この期に及んでこれが質の悪いイタズラか悪い夢であると思い込もうとしているのだ。


「しようとしても出来ないけどな。……特に抵抗はお勧めしない。……余計、苦しめる事になる」


 うすら笑いもなくなり、ただ真剣な表情の頼真に、彼は、もう目を合わせる事をしなかった。


「……やるなら、早くしてくれ。……もう、いい加減この悪夢を終わらせてほしいよ」


 彼が苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てる。────すると、頼真は一瞬、その相貌を崩しキョトンと間の抜けた顔をした。そして次の瞬間には顎に手を当て何かを思案しだした。

 ブツブツと呪詛の如く何か呟く頼真の事をさらに驚いた表情で彼が見つめていると、突然目を見開いた頼真が勢い良く顔を上げた。


「────なんだ。そういう事だったのか」

「そういう事って……どういう事?」

「お前を殺す必要がないって分かったって事だよ」

「……何がなんだかまるで分からないよ、まったく。……まあ、何はともあれ、はあ、良かった……」


 どうやら、悪い夢では無かったのだとホッと胸を撫で下ろした彼は、しかし、続く頼真の言葉に再び耳を疑った。


「まあでも、君に生命の危機が迫っている事に変わりはないんだけどね」

「────────は?」


 そして、頼真は窓の外へと視線を向けた。曇天模様の空は、人をどこか憂鬱にさせる灰色を纏い、今日も変わらずそこに在る。そう、彼は思っていた。


 しかし。


「────ああ、まったく。……今になって突然、、なんて言われたってさぁ……」

「……頼真。君は一体、何を言って」


 前髪を手ぐしでかき上げ、皮肉そうに呟いた頼真の言葉の真意を聞くべく、彼が言葉を紡ぎ出したその時。

 一斉に、部屋の外及び建物自体の外側から幾多の悲鳴や叫び声が反響した。


「なっ……!?」

「タイミングが悪いな……いや、単に僕が気づくのが遅すぎたんだ」


 頼真の視線の先────窓を挟んだ病院の外では、異様な光景が広がっていた。


 それはまさに、言葉に聞く通りの地獄絵図。

 数多の妖魔がたちまち雲間より姿を現し、その数というより量の凄まじさたるや、ただでさえ雲のせいで遮られた太陽の光をさらに遮断し、外はまるで夕暮れ時の日陰のように薄暗くなっていた。

 ────そう。光を遮るほどに空を埋め尽くす黒点の群れ。それらが全て、妖魔なのだと頼真は言った。

 ……そしてもし、それらが全て地上へ降り立ったとしたら。


「…………っ!」


 彼は、自らの肌が粟立つのを感じながらも、そちらに意識を向ける余裕もなく、ただ呆然と空を凝視しながら冷や汗を垂らした。


「────ほら、見てみな。……これが絶望だ」


 恐怖に呑まれ、呼吸すらも忘れてしまいそうになる彼は、しかし、先程自分が妖魔であると頼真に告げられた事をまだ憶えていた。


「……つまり、僕を殺す必要が無くなっていうのは…………」

「……今更、戦意も殺意もない妖魔一匹に構ってやれる余裕なんて無いってことだよ」

「……でも、僕にはまだ、生命の危機が迫っているって……!」

「────ああ、それはだな」


 未だ、異常なまでに精神的余裕さえ感じさせる頼真が、事もなげに伝える。


「……あれが、全部、君を狙って降りてきたって事だからだよ」

「────────────へ?」


 その時の彼の顔は酷く引き攣っていて、大きく開かれた双眸そうぼうからは、狂気の沙汰へと堕ちないために線が一本かろうじて繋がっている。そんな表情が窺えた。


「……そして、非常に残念な事に君が奴らの手に渡るとこちらとしても色々と面倒な事になる」

「───────っ、頼真!」

「グルル……ルァー!」


 頼真が話していると、窓の外から一斉にナニカが二人の(正確には彼の)元へと迫る姿が見えた。未知の生物のようなナニカは三匹で、三匹共に人の頭より一回りほど大きい一頭身の球体で、頭部がそのまま胴体にもなってそこから手足が生えているようだ。

 頭部はカビのような暗い緑色をしていて、今にも食いつかんと大きく開かれた口からは紫の舌と鋭利な歯が覗かれた。


「だから……」

「は、早く避け────」


「仕方ないから君を護るよ」


 窓に勢いよくぶつかり鈍い音が聞こえた直後、ガラス張りの窓は破砕音と共に無数の大小様々な破片となって目の前で砕け散った。

 同時に、一頭身の妖魔達は雄叫びを上げながら彼の元へと一直線に向かった。思わず、彼はとっさに腕で自身の頭を覆った。本能的な防御反応だ。しかし、そんなもので防げるはずもない。彼の中で焦燥感が最高潮まで募ったその時。


「目障りだ。消えろ雑魚が」

「────ゲヒュッ」


 右手に持っていた針を無造作に放り投げる。いつの間にかそれらは三つに増えていて、三本がほぼ同時に三体の妖魔の眉間に命中した。そして、霧散するように消えゆく妖魔達。

 あまりにも、あっさりとやられた妖魔の、断末魔とも言えない不完全な呼吸音が彼の耳に届いた。反対の耳からは、今まで聞いたこともない口調の頼真の声。

 病室内が数秒で再び静寂を取り戻すと、彼は恐る恐る自分の頭をガードしていた腕を下ろし、目の前の状況を確認した。

 そこに、先程彼が見た妖魔の姿はなく、床には三本の針と、その周りに黒い塵があるのみだった。


「あれ……」

「ったく。あんなザコに一々ビビってんじゃねーよ……」

「あ、あれ?……頼真、なんか口調変わってない……。それに、心做こころなしか僕を見る目が友達に対するものとかけ離れているような気がするんだけど……」

「……は?」


 人を見る目をしていなかった。


「い、いやなんでもないです……」


 頼真に対する謎の恐怖を感じた彼は、語尾が尻すぼみに弱まり、やがて口を閉じた。

 数秒後。はぁ、と頼真はため息をついた。そして────────彼の手を掴み、強引にベッドから引っ張り出した。


「ちょっ、何して────!?」

一先ひとまず、僕が護衛しつつ君を安全な場所へと連れて行く。────しっかり掴まってないと振り落とされるからな!」

「ま、待って!まだ心の準備が」

「待ってられるか!」

「そんな────────!!」


 強引に彼を担いだ頼真は、彼の心の準備も関係なしに病室の扉を開け廊下を全力で駆け出した。既に、数匹の妖魔が病院内にも入り込んで頼真達の行く手を阻む。


「邪魔だ、どけ!」

「────────グヘェ!」


 一匹がまず頼真の回し蹴りで窓の外へと放り出され、次の妖魔は頼真が即座に飛ばした針が刺さり一瞬にして塵へと変わった。

 階段へとたどり着いた頼真は、一段どころか全段飛ばしで次々に駆け下りてゆく。そんな中、肩に担がれたまま頼真の激しい動きによる揺れで極度の乗り物酔いに襲われ、彼はなすがままに体の力を抜いた。というか力を入れる気力すらもが奪われてしまった。


「……一体、どこへ向かっているんだい……?」


 かろうじて、彼は走る頼真にそう声をかける事ができた。頼真は、早くも受付までたどり着き、玄関口ロビーより外に出ようという所まで来ていた。


「僕の家だよ」

「頼真の……?」


 これだけの距離を走りながら息一つ切らす事なく頼真が言ったのは、頼真が新しく一人暮らしを始めたばかりの家。先程、病室で明乃が彼に見せた通称「豆腐ハウス」(明乃命名)の事である。確かに、明乃が「機能性ばかり求めるから……」と笑いを堪えて言っていたように、見た目はアレだが頑丈さや特殊な機能が付いていそうだとは思える。しかし、それであの奇怪な化け物達の攻撃を防げるとはとてもじゃないが思えない。


「あ、もしかして、僕の家だと不安とか思ってるんでしょ」

「あ、いや、その……うん」

「ばーか。僕だって仮にも退魔師なんだから、自分の家くらい頑丈に作っておいてあるさ」


 退魔師……?

 彼は、頼真の発言の中でその言葉に強い引っかかりを覚えた。

 聞き慣れていないからか、強く違和感がある────────いや、逆だ。

 むしろ聞き覚えがある、だからこその違和感なのだ。明らかに聞いた事のない単語であるはずなのに、なぜかスッと抵抗なく頭に入って来る感じがする。退魔師って、一体……?

 彼の不思議そうな表情を見て、頼真は思い出した。彼に向けて、己が退魔師である事を言いはしたものの、まず根本的な「退魔師とは何か」ということ自体を教えていなかったことを。


「それじゃあ、まずそこから始めるか……」


 頼真は、己の家へと向かう最中さなか、彼に語り始めた。


「それは、遥か昔のこと────────」






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終暦:妖語(あやかしがたり) lest @westfamily726

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