第2話

 午後一時を回る頃には、食堂はすっかり喧騒に包まれていた。

 頼真の通う学校は給食制ではなく、一人暮らしのせいでどうしても自炊を面倒臭がりな頼真は、弁当を作ったりもせず学校での昼食は基本校内にある食堂で済ませる。というのも、ここのメニューは豊富で、日替わり定食など飽きさせる事の無いよう試行錯誤されていて、頼真は何気にここのご飯が気に入っているのである。

 そして、テーブルに着いた頼真の正面とその右隣にさも当然のように座った明乃と陽次はお弁当を広げた。ちなみに頼真の今日の昼食は日替わり定食を選んだ。主食は白米でお供は鯖の味噌煮と豆腐とわかめの味噌汁と数種類の野菜のお新香だ。


「いただきまーす」


 何気ない談話と共に、濃厚ながらも優しい味付けの鯖の味噌煮を口へ運ぶ。緩慢に進める会話とは反して忙しなく上下に往来する箸。頼真が全て綺麗に平らげた頃には、先に食べ始めた筈の二人がまだ食べている最中だった。


「相変わらず食べるの早いわね……」

「まったくだ。少しは味わう事を覚えろ」

「君たちね……マグロに泳ぐなって言ってるようなものだよ、ソレ?」


 微苦笑を浮かべながら頼真が言うと、二人は真顔で言い返す。一応補足しておくと、マグロはその生態上泳ぎ続けねば死ぬとされている。


「別に死ねとは言ってないぞ」

「私が殺す前に死なれたら困る」

「なに?その強キャラが言いそうなツンデレ要素含んだセリフ」


 強敵と書いて「とも」とか呼ばれそう。


「それに、僕が言いたいのはそういう事じゃない」

「じゃあ、どーいうこと?」

「仮に、マグロと対話ができる特殊能力を持った人間がいたとしよう」

「「は?」」

「いや、だから仮にだよ仮に」

「「はあ……」」


 いまいち納得のいかない面持ちの二人に、頼真は説明を続ける。


「そうして、マグロと対話できる人に言ってもらうんだ。『泳ぐな』ってね」

「うんうん……」

「……で、どうなると思う?」

「いや、どうもこうも……泳ぎ続けるに決まっているだろう?止まったら死んでしまうわけだし」

「ああ……まったくもってその通りだ」


 二人の表情に、少しばかり不機嫌そうな色が浮かんだ。頼真は、やれやれと思いつつ、話しをなるべく早く終わるように進めようと再開した。


「……でも、こう思う事も出来ないか?……そう『止まらない』んじゃなくて、もしも『止まれない』のだとしたら」

「……?なんで、止まれなくなるの?」

「そりゃあ、止まる必要が無いからだ。生きる為には、常に泳いでいなければならない。僕らが息を吸うように、彼らは泳ぎ続けているのだよ。……故に、止まるための機能が備わっていないのだ。人間が、意識して自身の心臓の鼓動を止める事が出来ないように、マグロ達もまた、ヒレをはためかせ海の中を進まなければならないのだよ」


 よくぞ最後まで聞いてくれた……と頼真が視線を蛍光灯から正面の二人へとシフトすると、返ってきたのは、心底くだらなそうな、呆れと少々の侮蔑にも似た感情のこもった視線だった。


「……で、結局アンタが飯を遅く食えないのとどんな関係があるのよ。さっきの長ったらしい話は」

「話している内に関係ないと気づいた」

「馬鹿ね」

「馬鹿だな」

「おいおい、この中で一番マシなのは僕だろ?三馬鹿なんて呼ばれるのすら不服なのに、これ以上僕を不当かつ理不尽な判断基準で貶めないでくれ」


 二人の返答は、無駄に長ったらしい深いため息のみであった。僕の発言への是否はともかく返事すらしてくれないのは寂しいなぁ……などと思ってみたりする頼真ではあったが、頼真の表情筋が大きく動くことも、声帯が特定の振動波を発する事もなかった。

 そして、昼休みが終わり午後の授業が始まる。眠気に耐えながら机とおでこが再び熱い接吻を交わしていると、しばらくして授業終了のチャイムが鳴った。

 ショートホームルームを終えて、号令により別れの挨拶を済ませると、教室内は休み時間とはまた異なる雰囲気の喧騒に包まれた。そしてその空間からまっさきにおさらばした頼真は、教室にいる明乃と陽次に声も掛けずに階段を降りた。

 どうせしばらくもしない内にまた会う事になるのだから。

 頼真は、自転車を今朝の登校路とは違う道に進ませた。やがて五分もしない内に着いたのは、この田舎町には珍しい大きな総合病院だ。遠く離れた各地から人が押し寄せるため、病院は連日大忙しだ。……場所が場所なだけに、とても喜べた事ではないが。

 駐輪場に自転車を停め、自動ドアを過ぎる。既に顔パスが通じるほど通いつめているので、気にせず目的地を目指す。今では目をつむっていても行ける気がする程に、足取りは軽やかで迷いが無い。

 エレベータで三階へと上がり、出ると目の前には横一直線に並ぶ病室の扉と表札。選択肢は、右に進むか左に進むか、はたまた後退するか。頼真は迷わず左に曲がる。そして十メートルほど進んだ所にある病室の前に立った。

 コン、コン、コン。リズミカルに三回ノックをしたら返事を待たずに扉を開けた。

 部屋に入ると、頼真の視界にまず飛び込んだのは、目の痛くなるような純白に塗りたくられた壁紙が反射した光だった。軽く目を細めた頼真が、病室に一歩踏み出す。すると、この病室唯一の住人は、部屋に同調する真白な髪を揺らし、部屋への侵入者へと目を向けた。


「……よう」

「……頼真。君はいつもせっかちだね。一応でも、返事くらい待っていて欲しいんだけど」

「いいじゃん、別に。他にベッドを使ってる人もいないんだし」


 そう。この病室には他と同じく最低でも三人が入れるよう三つのベッドが用意されているのだが、現在は一つしか使われていない。真っ白な、男子にしては長ったらしい髪を揺らした彼は、肌までも色素が薄く、整った顔立ちとともに神秘的な儚さを秘めていた。


「他の二人は?」

「遅いから置いてきた」

「ははっ……。本当に、君はいつまで経ってもそのせっかちな性格が治らないんだね」

「治す必要が無いからねー……」


 頼真は、ベッドに寝ている彼の横に椅子をずらして座った。バッグから小説を取り出すと、隣人を構う様子もなく読み始めた。彼も、気にせずに目を閉じた。

 ただ、窓から入る草木の揺れる音と、外で元気に遊ぶ子供達の声だけが病室内に響く。時々、ページを繰る音も。

 すると、遠くからパタパタと慌ただしい足音が聞こえてくる。頼真にとっても彼にとっても聞き覚えのありすぎる足音。


「やっほー!遊びに来たよ!」

「ついでに菓子も」

「やあ、ありがとう」

「…………」


 明乃と陽次がノックもせずに病室へと入った。それをさして嫌がる様子もなく、むしろそれがいつも通りであり、そしていつも通りに来てくれた二人を歓迎するように彼が言う。

 すると、明乃のは視界に頼真が入るなり、まじまじと見つめた。


「……どうした?」

「頼真って、ホント~にマキが大好きね」

「……何を言っているのかよく分からないんだけど」


 したり顔、と言うよりは単純に茶化すのが目的であるのが顔に出ている。しかし、冗談と分かっているとは言え、ここで反論しなければ事実だと言っているのも同然だ。頼真は、反論ではなくあくまでも明乃の考えの訂正という事で言葉を放った。


「……別に。単に明乃や陽次みたいに誰とでも分け隔てなく仲良くできる素直な人間じゃないってだけさ」

「……何言ってるのコイツ?」


 頼真の回りくどい言い方を、当然明乃は理解できず、若干失礼な口調で不明を告げ陽次に助けを求めた。


「要するに、俺ら以外に話す友達がいないから、俺達よりも早く来られるって事だ」

「うわ、卑屈……」

「よく卑屈なんて言葉知ってるな。凄いじゃないか!」

「うぅムカつくもう殴っていいかな!」

「やめとけ。また難癖付けられるぞ」

「はははっ……」


 純粋無垢な明乃に、それをからかう頼真、そして怒る明乃を鎮める陽次と、そしてその様子を微笑と共に見守る「マキ」と呼ばれた彼。

 そこには、他人には絶対不可侵の和やかな平穏が存在する。……が、過去、現在、未来において彼等には常に「悲劇」と「災厄」が纏わりついている。そして、それを知っていながらも表には決して出さない。そんな暗黙のルールがあった。


「そういえば、マキは見た?頼真の新しいお家」

「……?いや、まだだけど」

「それがさ……っっっ」


 明乃は必死に笑いを堪えていた。お腹を抱え、目尻に浮かんだ涙を拭うと、続きを話す。


「何でもかんでも見た目そっちのけで機能性ばっかり求めるから……っ!」


 そして、明乃は携帯を取り出すと今どきの若者らしい慣れた素早い手つきでアルバムのアプリを開いた。さらに何度かスクロールし、軽く一回タップすると、画面に大きく映し出された画像を彼の前に掲げた。


「……豆腐?」


 そこに映っていたのは、紛れもなく頼真の先日完成した新居。しかし、その外観は何ともシンプルで、真っ白な壁に外から見ればほぼ真四角。彼の言う通り「豆腐」なんかを連想させる造りに、彼は無意識に感想を述べた後、取り繕うように苦笑いを浮かべた。


「お前が今まで食ってきた豆腐はコンクリートで出来ていたのか!?」


 頼真の建てた家の写真を見た彼の感想に、頼真は「お前もか」という悲痛な感情を込めた叫びを上げた。

 そんなこんなで談笑を交わしながらお菓子をパクつく時間が二時間ほど続き、空に赤みが増してきた頃、会話がひと段落着いた所で三人は席を立った。


「さて、帰るか」

「だねー。もう暗くなるし、この病院地味に遠いし」

「また今度な。牧彦まきひこ

「うん」


 陽次の挨拶に、彼が返事をした所でちょうど帰りの身支度を整えた(と言っても菓子のゴミを処理してイスを片付けただけだが)三人が、明乃を先頭に扉を開ける。


「それじゃ、まったねー!」

「…………」

「またな」

「……うん。また」


 最後に、陽次が扉を閉める。その際にも、彼は笑顔で手を振り頼真達を見送った。



「…………また」



 ────────────────


「てな訳でまた来ましたー」

「……へ?」


 ガラリと扉を開けて入って来たのは、数分前に病室を出たばかりの頼真だった。


「頼真……どうしたの、何か忘れ物かい?」


 一瞬、驚いた顔を見せるがすぐにいつも通りの微笑みを取り戻した彼は、再来者へと訊ねた。


「……ああ。まあ、物ではないんだけどな」

「じゃあ、何か僕に相談事とか?」

「それも違う……とは、言いきれないか」

「?」


 小首を傾げる彼に、頼真は、正面に立ったまま、彼を見下ろす形で告げた。

 先程、頼真は相談事とも言えると言ったが、これは、ある意味では、独白とも言えたんだ

 ────────。




「────お前、誰だっけ?」

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