終暦:妖語(あやかしがたり)

lest

第1話

 この世界には、生物の理から外れながらも、この世を彷徨い続ける存在がいる。

 肉体を持たず、人間には視認はおろかその存在の一切いっさいを認識する手段がないこの異形たる生命体は、普通ではない人間の間で「妖魔」と呼称されており、遥か昔、人類の起源より人間と深い関わりをもつとされている。

 妖魔は、「人間」という種の、他の生物を遥かに凌駕する高等思考能力や豊富な感情の特異性が根本たる原因となり産み出された、とされている。

 そのためか、妖魔は時として人に害を成す。力が弱く、悪戯いたずら程度の事しかして来ない妖魔もいれば、時には疫病となって大量殺戮を行う強力な妖魔もいる。


 そして、そのような人に仇なす妖魔達を退治する事を生業とする者達がいる。

 その者らは、人知れず暗躍する自らの事を、「退魔師」と名乗った。



────────────



 有馬 頼真ありま らいしんもまた、退魔師の一人である。

 有馬家は、代々退魔師の名家とされ、その名は全国に知れ渡っていた。そんな有馬家の家系でも、稀代の天才児と称される程の才能を持つ頼真自身もまた、齢十三にしてその苗字と、その使命に誇りを持っていた。

 ……だが。


「くっ!!」


 絶賛スランプに陥っていた。

 先祖代々、体内の妖力保持量の乏しさが唯一の欠点と言われ、それを卓越した妖力の精密操作と門外不出の多彩な「九十九の術」を持ってねじ伏せてきた有馬家に、とうとうそんな妖力量の不足をも補われた完璧な子が生まれた。それが、頼真だった。


 しかし。


「…………っ!」


 額から、尋常じゃない量の汗が流れる。今、頼真が行っているのは、退魔師が使う術の中でも基礎中の基礎である、三大自然素エレメントの生成である。

 三大自然素エレメントとは、「熱素」、「風素」、「光素」という自然界に存在する代表的な三つの力の事を示し、大抵の術は、この三大自然素の操作の応用と、物理作用の操作からなっている。

 これらを球体として掌に出現させる。それが、現在、頼真が行おうとしている基礎練習の大まかすぎる内容だ。目安としては、実力及び才能に関して平凡な者がこれをできるようになるのは、歳が二桁に登り詰めた辺りなのだが、生まれ持った才能と、幼少期より努力を惜しまない性格であった頼真は、学業施設に入って間もない頃にこれをやってのけた。それなのに、何故か今は出来ない。

『その軟弱な精神を鍛え直せ』

 スランプ事が知られ、父親のそんな言葉と共に家を追い出され、現在は学校近くの一軒家へと移住させられた。現在、一人暮らしで家事も全て自身で行っている。日課のトレーニングは、いつも夜にやる。その方が集中力が上がるからだ。


「────また、だめだったかぁ〜……まあ、きっかけも無しに出来るようになるって訳でもないんだろうけどさ」


 口調も表情も軽いもので、傍から見ると、彼が深刻な問題を抱えているなんて想像もできない。プライドもあるし、礼節を重んじる紳士的箇所も確かにあるのだが、なんとも掴みどころの無い言い回しを好む性格で、とても名家の長男坊であるとは思えない雰囲気を醸し出していた。

 妖術訓練はめ、とりあえず、といった調子で武術・剣術訓練始める。それを更に小一時間ほど続け、終わる頃には深夜帯に入っていた。


「あ、もうこんな時間か……」


 最後にストレッチを終え、浴場へと向おうとした頼真だったが、トレーニング室の壁に埋め込まれたデジタル時計の示す時間を見て、針路を変更する。目指すは北北東(適当)にあるリビングルーム。


「今期の新アニメがやる時間だ」


 頼真は、生粋のアニメオタクだった。



 ────────────



 翌朝────否、就寝前には既に時刻は零時れいじを回っていたので、今朝。

 不快な電子音を部屋中に撒き散らす立方体の上部にあるスイッチを叩いた(言葉通りに)頼真は、目をほとんど閉じたまま起き上がると、寝ぼけ眼をこすりもせずふらふらと洗面所へ向かった。寝癖を直して歯を磨くと、制服に着替えて早々に家を出た。通う中学校までは、自転車で十分ほどだ。


 教室に着き、早速机に突っ伏して二度寝を始めた頼真の元に、そ〜っと忍び寄る影。気付かず夢の世界へと浸る頼真へと、その手が伸ばされ────


「隙あり!」


 振り下ろされた手刀は、しかし寸前で止められた。頼真のおでこは、いまだ愛しの机と正面から熱い接吻を交わしていて、目も一文字の如く閉じられている。教室内は他の生徒達の喋り声によって喧騒に包まれ、慎重に踏み出す足音や衣擦音だって他の音に邪魔され聞こえないはずだった。

 なのに、手刀が頼真の後頭部に当たる僅か数センチの所で、にゅっと頼真の右手が飛び出してきてその手首を掴んだ。


「何コレ怖い怖い!」


 緩慢なように見えてその実素早い腕の動作に不気味さを感じて犯人が叫ぶ。

 その時だった。


「随分とまあ失礼な御挨拶で……」


 くぐもった低い声が不吉さを際立たせる。そして手首を握る手の握力がどんどんと強くなる。


「ひぃっ!?」

「……そこら辺にしとけ」

「えー」


 更なる介入者の一声に、不満げな声を漏らすも頼真は素直に手を離した。

 顔を上げて、頼真は側に並んで立つ二人へと顔を向けた。


「おはよう。明乃あけの陽次ようじ

「おはよう!……次こそは必ず当ててやるんだからな!」

「おはようさん。……まあ、たまには手を抜いてやってくれ」

「それは保証しかねるなあ……」


 頼真から見て右に立ち、謎の対抗心を燃やすポニテの似合う少女は、相馬 明乃そうま あけの。左隣に立つ背の高い眼鏡男が生駒 陽次いこま ようじだ。三人共に苗字に馬が付く事から、「三馬鹿」などと言われるのはもちろん、共通して足が速いせいで馬車馬三人衆なんて呼ばれた事もあった。


(……まあ、そんな時は大抵、明乃がキレて地獄耳の陽次に犯人聞き出しまず腹パン、からの鳩尾みぞおちへ拳を一発そして最後に相手の腹部めがけて渾身のコークスクリューを決めて相手をノックダウンさせてそれを僕がのほほんと眺める謎のワンセットが出来上がるのだけれど。)


 三人があーだのこーだの話していると、教室に入って来る教師の姿が視界に入った。最初から自分の席に座っていた頼真はそのまま。明乃と陽次も自分達の席に戻っていった。


「ようし、それじゃあ授業始めるぞ」

「起立、礼、着席」

「……はい。おやすみなさい」


 これが、頼真の日常だ。

 ……いや、「だった」と言うべきなのだろう。────今日をもって、頼真にとっての日常は、遠い過去の幻想へと成り果てる事となった。


 願わくば、其れが真の幻想として終わらん事を。









 暗雲立ち込める夜空に、一瞬、ラグが走った。








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