第3話 時渡りし想ひの果て




気がつくと、私はただ1人、夕焼けに染まるあの部屋にいた。

彼のいた気配のあるあのときではない、最初にいた場所。

私は泣いていた。手にした本に私の涙が染みを作る。


『私は長くない。わかつていた。誰にも看取られず、消え行くことやむなし。』


そのあとには白紙ばかりが続く。それでも私は、頁を捲り続ける。


……あるはずのない文字が目に飛び込む。


『時違えども君を想ふ。

わかつていた。気がつかないふりをしていた。

それでも私は君を愛す。死しても永久に愛す。』


危惧していたことだった。

けれど、私は胸がいっぱいで、涙を止めることが出来なかった。

期待、していたのだ。してはならない期待を……。

彼の人生を変えてはならなかったのに……。


この本を持っていきたかった。でも、それは許されることじゃない。

そっと文机に本を戻すと、後ろ髪を引かれる思いで部屋を出る。

ずっといても、もう彼には逢えないだろうから。


アパートを出て、耐えきれず振り向いた。


……私は愕然とした。そこは、鉄の廃材が少し並んでいるだけの空き地だったのだ。





私は本を雑多に読む。そして、読まれることを期待していない物語を綴る。

ただの趣味だ。……きっと、あの人の記憶に同調したのだ。


━━本当は読まれたい

私の描く世界を知ってほしい━━


彼もまた、本当は読んでくれる人を待っていたのかもしれない。

だから、私を警戒しなかった。私を受け入れた。……私を好きになってくれた。


私はワガママだ。


━━あなたの作品が好き、私の作品も好きになって━━


それは、『あなたを好きになるから私を好きになって』というワガママ。

1人で淋しかったから、過去の人である彼にすがった……。なんて無様だろう。

叶わないことだったのに……。彼は優しすぎた。

私なんかに希望をくれた。





━━彼がいたのは、大正末期?昭和初期?昭和中期?


あの頃は、心が自由で物には不自由していた。

今は心が不自由で物が溢れている。

どちらが幸せなんだろう。

ううん、どちらがなんてない。どちらもおなじ。

自由であろうと無かろうと、満たされない思いは変わらない。


世に出た文豪と呼ばれる人たちも、埋もれてしまった人たちも、いくら吐き出しても満たされない思いに苛まされていた。

だから神経を患い、体にまで浸透して若くして亡くなっている人が多い。

今でこそ医療は発達しているけれど、あの頃はそんなものはなく、死を待つしかなかった。

短い余生の中で必死にもがいていた。


今の私たちはどうだろう。

彼らに比べたら物理的には充実していて、甘いような感覚にもなる。

現代は表現さえも規制を受け、肩身が狭い。

危険なシーンはオブラートになり、子どもへの負担を減らす傾向になっている。

だからこそ、現代でも神経を患う人が絶えない。

思いの丈を叫べたかの時代の方が幸せとさえ思える。

ただ怠惰に生きるよりはずっとマシ、と。





私はいつもと変わらない日常に戻った。

違うのは、毎日あの日を想い続けている心。

もう逢えない、本当は逢うことさえ叶わなかった人。


私は毎日、古本屋を巡る。

どこかにあの本が存在しないかと。


ある日、ふと立ち寄った古本屋の店頭本棚に、背表紙のない小さめの本を見つけた。

何とはなしに手に取ろうとする。

すると、反対側からもそれに手が伸びてきた。

思わず手が当たる。


「あ、すみません!」


「いや、こちらこそ。」


優しい声音の男性の声。思わず顔をあげる。

そこには、夕陽に照らされた優しい面立ちの男性が微笑んでいた。


……私は知っている。この声も、あの口許も。

あり得ない、あり得るはずがない。

それでも、私の胸は痛いくらいに鼓動が早くなってゆく。

嘘だ、いや、そうであれ。





手にしようとした本が、するりと落ちる。

二人は気がつかない。

その本はひとりでにパラパラと捲れ、最後の頁の先の頁が少し重くなったかのように反発しながら……開かれた。




『時違えども君を想ふ。この本が再び開かれたとき、また逢い見えんことを。

我が魂よ、君の元へ向かへ。時渡りて君を愛そう。』





~~Fin

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時違えどもあなたを想ふ 姫宮未調 @idumi34

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