第8話


 あっという間に山々は紅く燃え上がり、各道に敷かれた色鮮やかな絨毯は早くもくたびれ始めています。高い空にはもうすっかり見慣れて、時折吹く冷たい風が空の色をより一層薄めていくようでした。

 後ろの方で、森田さん達が桜ちゃんと話す声が聞こえてきます。

「えっ?二宮さん、花火大会に行っていたの??人が多いのはあまり好きじゃないって言っていたのに……」

 桜ちゃん。そして花火大会。きっと、私と行ったあの花火大会のことなのでしょう。脳裏に、花火よりも鮮烈に記憶されている桜ちゃんの白い足がちらと浮かびます。私の意識は、自然と背後の会話に向きました。

「えぇ。人混みは嫌いだけれど、花火が嫌いな訳ではないもの。お家の中からでも見えるけれど、たまにはもう少し近くで見てみたいと思ったの。…貴女達も、行っていたの?」

「皆で行ったわ。二宮さんも行くんだったらそう言ってくれれば良かったのに。」

「そうよ。二宮さんの浴衣姿、見てみたかったわ」

「そう言えば、二宮さんは誰と行っていたの?家族?」

 ——それもそうね。ねぇ、誰と行ったの??

 桜ちゃんを取り巻く彼女達の中に立ち上った素朴な疑問は、私へ向けられる刃となる香りがしました。

「家族じゃなくて、杏と行ったのよ。とても楽しかったわ」

 予感は桜ちゃんの言葉により現実となり、数本の刃が躊躇いもなく真っ直ぐと、私へ向かって飛んで来ました。

「杏って……もしかして原田さんのこと?」

「二宮さん、原田さんと一緒に花火大会に行ったの…?」

 どこか疑うような、私を非難するような彼女達の声がします。

「えぇ、そうよ」

 それに気づいていないのか、桜ちゃんの明るい肯定によって普段よりも深くなった痛みは暫くは収まりそうもありませんでした。



 その日中、桜ちゃんとのあまりに美し過ぎる想い出と周囲からの突き刺さる毒の視線に板挟みになり疲弊しきった私は、肩を落としてとぼとぼと帰路を辿りました。

「お帰りなさい」と、母が陳列棚の向こう側から顔を出して出迎えてくれます。

「帰って来たばかりで悪いのだけれど、園田さんのお家まで行って来てくれないかしら?」

 大好きな園田のおばあちゃんの名前を聞いて、私の心は日が射したようにぱっと明るくなりました。

「園田のおばあちゃん?いいよ、どうかしたの?」

 月の中頃に一度、必ずお茶請けのお菓子を注文してくれるとは言え、まだその頃合いではないはずです。

「それがねぇ、急にうちのお菓子が食べたくなったんですって。ついさっき電話を下さったの」

 珍しいわねと母は不思議そうに言いました。

「そうなんだ…。でもすごく有難いことだよね!私、行ってくるよ」

 そう言いながら着替えるために部屋へと急ごうとする私を、母が何か思いついた様に引き止めました。

「たまには学校の制服で行ってみたらどう?園田さん、喜んで下さるんじゃないかしら」

 言われてみれば確かに、ランドセル姿は見せたことがあっても中学、高校とどちらも制服姿で園田のおばあちゃんに会ったことはありません。私の大き過ぎたランドセルを見た時のおばあちゃんの笑顔を、ぼんやりと思い出します。もしも私の制服姿をおばあちゃんが喜んでくれるなら、私は進んでこのまま向かおうと思います。母から包みを受け取り、数分前とは打って変わって軽い足取りで園田のおばあちゃんの家へと足を向けました。



「あらあら杏ちゃん、わざわざごめんなさいね。…まあ、それは学校の制服?」

「はい!制服姿、ちゃんと見せたことなかったなーなんて思って…」

 言いながら、どこか気恥ずかしくなり笑う私に、おばあちゃんは顔を綻ばせました。

「嬉しいわ、ありがとう杏ちゃん。ほら、寒かったでしょう?中でゆっくりお話ししましょう」

 いつものように、優しく促され素直に靴を脱ぎます。

「それにしてもおばあちゃん、珍しいですね。何でもない日にうちのお菓子を頼んでいただくなんて」

 何とは無しに私がそう言うと、おばあちゃんは熱いお茶を私の前に置きながらうふふと笑いました。

「なんだかねぇ、急に甘いものが食べたくなっちゃったのよ。普段はそんなに食べないんだけどねぇ。」

 私はおばあちゃんの前に、持って来た包みを置きます。

「そう言っていただけて、とっても嬉しいです!いつでも頼んで下さいね。私、また届けに来ますから」

 私の言葉に、おばあちゃんはうんうん、と首を縦に揺らしました。

「杏ちゃんのおうちのお菓子はとても美味しいものね。きっとまたお願いするわ。近いうちに、きっと。…そうねぇ、ねぇ杏ちゃん」

 それまでにこにこしていたおばあちゃんの表情かおが、ふと曇りました。

「……?どうしました?」

「…和菓子屋の娘さんにこんなことを聞くのはどうかとも思うのだけれどね。若い子達っていうのは、和菓子なんかはあんまり好きじゃあないのかねぇ…?」

 その疑問は、私も以前抱いたものでした。さくらちゃんにうちのお菓子を差し上げる際に、ふと脳裏をよぎった疑問。だけど……だけれども、さくらちゃんは。

「…私は和菓子が好きですし、いつも身近に和菓子がありました。でも確かに、同年代の子達にとっては馴れ親しんだものではないのかもしれません。…ただ、私の友人は…美味しいと、好きだと言ってくれました」

 友人。私は、今初めて、自分の口でさくらちゃんのことを「友人」と呼びました。

 おばあちゃんは私のことをじっと見つめ、そしてにっこりと微笑みました。

「あらあら、杏ちゃんたらとっても素敵なお友達がいるのね。貴女にそんな幸せそうな顔をさせてくれるお友達。安心したわ。…でもそうねぇ、それなら……」

 おばあちゃんは頷きながら、安心したような表情かおをしました。けれどもどこか不安を拭い切れていないようにも思えたので、私は要らぬことかと思いながらも口を開いてしまいました。

「…あの、誰かに……?」

「あぁ…実はね、今度孫が久し振りに来るかもしれなくって。いつもすぐに帰っちゃうのだけど、何かお菓子でもあれば少しはゆっくりして行ってくれるかと思って…」

 そう言えば、これまでもおばあちゃんはお孫さんのお話をすることがありました。滅多に来ないから、たまに来た時にはお小遣いをあげてしまうことや、何を話したらいいのかわからなくなってしまうことなど…。

「そ、それなら!…きっと大丈夫です。ほら、うちのお菓子、美味しいですし…」

 言った瞬間、私は後悔しました。おばあちゃんがとっても悲しそうに見えてしまったからと、つい軽率な言葉を発したことを。場合によっては、それは重い罪になることだとわかっていたのに。

 おばあちゃんは、私の思いを知ってか知らずか嬉しそうな笑顔を浮かべます。

「そうよね。それならまた今度、美味しいお菓子をお願いするわ。…ありがとう、杏ちゃん」

 私は居た堪れなくなって、挨拶もそこそこにおばあちゃんの家を後にしました。

 お孫さんと、幸せな時間を過ごせることを願いながら。

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さくらもち。 紅野 小桜 @catsbox

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