第7話


 からんころんと足音をたてながら、私と桜ちゃんは人の波の中を進みます。はぐれまいとどちらからともなく繋がれた手が、緊張と興奮のあまり脈打つように感ぜられました。

「あのっ………桜ちゃん」

 私が呼び掛けると、彼女は私の気も知らずにぐぃと私の方に顔を寄せるのです。

「なぁに、杏?」

 私は目の前のきめ細やかな肌に眩暈を覚えつつ、周囲の喧騒に掻き消されないよう再び声帯を震わせました。

「桜ちゃん、御夕飯はまだですか?もしまだなら、花火が始まる前に何か買いませんか?」

 私の言葉に、桜ちゃんは幾度か頷き、「それがいいわ」と歩を進めます。

「こういう屋台って、何があるのかしら。杏は、何か食べたいモノはあるの?」

 きょろきょろと、まるで待ち人を探すかのように辺りの屋台を見回しながら、桜ちゃんが私に問いかけました。

「わ、私は特には………。桜ちゃんはもしかして、こういうお祭りなんかにはあまり来ないのですか?」

「えぇ、人の多い処は好まないから……もしかすると、今日が初めてかもしれないわ。杏は、よく来るのかしら?」

「いえ、私も人混みは苦手ですし、一緒に行くような友人もいなかったのであまり……。以前に何度か、家族で花火を観に来たくらいです」

「そう……。見た感じ、結構色々とあるのね。焼きそば、じゃがバター、イカ焼き…あら、唐揚げなんかも売っているわ。それに、スイーツ系も沢山あるみたい。ねぇどうしましょうか、杏。迷ってしまうわ」

 楽しそうに目を輝かせ、困ったようにはにかむ彼女を、私は直視出来ませんでした。なんて、なんていじらしいのでしょう。なんて愛らしいのでしょう。私は彼女の隣を歩くのを許されたことを、誇らしく感じると共に自らの下劣さに深く恥じ入る思いでした。

「桜ちゃんの食べたい物を食べましょう。決められないのなら、半分こにしませんか?」

 私の提案に、桜ちゃんがぱっと顔を輝かせます。

「名案ね!そうしましょう。それが良いわ」

 その反応を見て自分の提案に満足した私は、自身を労うように幾度か頷きました。


 桜ちゃんは、透明のパックに入れられた焼きそばを美しい所作で口に運びます。

 彼女の食事の場面はもう何度も見てきましたが、今日は浴衣のせいかいつもより格別に美しく、耽美な印象を受けました。その姿は私の精神こころに官能的とも言える響き方をしました。彼女が食すお肉や野菜と代わって、その艶やかな赤い唇の間に私が挟まれたいとさえ願ってしまったのです。

 私はそんな下卑た、けれどどこか高踏な自分の想いに、人知れずそっと頰を赤らめました。

「屋台の焼きそばって、美味しいのね」

 と、桜ちゃんが楽しそうに呟きます。

「はい。作っているところが見れるのも、何だか良いですね」

「だけど、少し疲れてしまったわ。余りにも人が多くって。ねぇ、どこか人の少ない場所は無いかしら?花火が始まってしまう前に、落ち着ける場所を探しましょうよ」

 そう言って桜ちゃんは、空になったパックの蓋をパタリと閉じました。


 私達は結局、待ち合わせ場所でもあった神社の裏の人気のない場所に腰を落ち着けました。眼下に、屋台の並ぶ通りの輝きが見えます。

「ふふ、まだ花火も始まっていないのに、なんだか疲れてしまったわね」

「そうですね。そう言えば、足は大丈夫ですか?先ほど、痛いと言っていましたよね」

 私が彼女の顔を覗き込むと、当の本人はさも愉快だと言うように笑って脚をぶらぶらさせます。

「もう痛くって仕様がないわ。普段から柔らかな靴に慣れているのだもの。下駄には全く慣れなくって駄目ね。なんだか、足の平が平らになってしまったような気さえするわ」

 ―――それに鼻緒が擦れて尚更痛いのよ。と彼女は幼子がいじけるように微かに眉根を寄せました。

「下駄は履き慣れないと少し辛いですよね。…鼻緒が痛いのなら、絆創膏を貼りますか?何もしないよりはマシになると思います」

「あら、それじゃあお願いしてもいいかしら?浴衣だと動き辛いの」

 愛らしく小首を傾げるその姿に、私は今日何度目かの眩暈を覚えつつ、手にしていた融けかけのカキ氷を置いて彼女の足元に跪きます。下駄を脱いで大人しく差し出されたその美しい御足を目の前にして、目の奥がぐぁんぐぁんと熱くなるのを感じました。

 きめ細やかな白い肌に、先の方に貼り付けられた小さな五枚の桜貝。微かに浮かび上がる小川のような青筋。それら総てがこの暗がりの中で光を放っているかのようにして目の前で揺れているのです。落ち着こうと顔を上げると、そこでは桜ちゃんが聖母のように微笑みながら、私を眺めていらっしゃるのです。

 私は震える手で右足、左足の順に絆創膏をゆっくりと貼り、一度ぎゅっと強く目を閉じてから桜ちゃんの隣に座り直しました。

「ありがとう、杏」

 彼女は私の感じた苦悩も愉悦も知らずに、ただ麗しく微笑むのでした。


「…まだ、花火は始まらないのかしら?」

 桜ちゃんの問いかけに時計を見やると、丁度その時を見計らったかのように大輪の花が一輪、空に咲き誇りました。

「あっ」

 小さく声を漏らしたのは、どちらだったでしょう。


 手の中で、融けきったイチゴ味のかき氷が、揺れる花火を紅く映しました。



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