大チュウ目のネズミ裁判、判決が下る🍰🍬🍞🍭🐁🐈
一方、その頃、シャトレ裁判所ではシャサネンが窮地に立たされていた。
「シャサネン君。君はさっきからあともう少し待ってくれとそればかり言っているが、裁判が始まってもう三十分以上たっているんだぞ。いつになったら、そのムナールというネズミはやって来るんだね」
カタコテル伯爵に厳しい口調でそう問われ、シャサネンは「うぐぐ……」とうなった。
クルーゾー裁判官の働きかけによって法廷に出頭するのはネズミたちの代表者であるムナールだけでよいとベッソン裁判長が認めてくれたまでは良かったのだが、その肝心のムナールが裁判開始時間の午後一時になってもあらわれず、シャサネンはさっきからずっとカタコテル伯爵にこうやって責められ続けているのだ。
今日もシャトレ裁判所にはたくさんのパリ市民たちが野次馬に来ていて、傍聴席からは、
「そのムナールとかいうネズミ、ビビって逃げたんじゃないのか? 訴えられた相手が悪いよ。だって、王様だもの」
「でも、このまま王様の完全勝訴になったらつまんないぜ。せっかく、世にも珍しい王様とネズミの対決が見られると思ったのにさぁ」
「おーい、動物弁護士―! おまえも何か言い返せよー!」
というふうな好き勝手言う市民たちのさわぎ声が聞こえてきて、シャサネンはますます精神的に追いつめられるのであった。
(あのシャサネンとかいう少年弁護士、前回は弁舌たくみにカタコテル伯爵と戦ってなかなか優秀な人物だと思ったが、今回は黙りこんでしまっているな。見どころがあったら家来にしてやろうと考えていたのに残念だ)
ルイ十四世はそんなことを思いながら、お腹をぐ~と鳴らしていた。午前中に宮殿で外国の使者と面会していたため、お昼ご飯を食べそこねたのである。早く裁判で憎っくきネズミたちを有罪にして気持ちよく好物のスープが食べたいと考えていた。
「さ、裁判長。あともう少し、待ってあげてください。ネズミの代表者のムナールにはきちんと裁判のことを伝えたのです。ムナールは、今こちらに向かっている最中だと思います。ですから……」
動物びいきのクルーゾー裁判官が、ひたいの汗をハンカチでふきながらそう言ったが、さっさと仕事を終わらせて帰りたいコント裁判官は、
「もう十分待ちましたよ。今すぐネズミたちに死刑判決を下してください」
と、ベッソン裁判長に判決をうながした。
(く、くそっ……。いったい、どうしたら……)
もうどうしたらいいのかわからなくなったシャサネンは、敗北を確信して、泣きたい気持ちでいっぱいになった。弁護すべき動物が法廷にあらわれないまま負けてしまうなんて、弁護士としてあまりにも悔しいし、協力してくれたマリーやサラ……それに、弁護をしてやれなかったネズミたちにもうしわけない。
「し……死刑判決といっても、シャトレ砦にいたネズミたちは、いったいどこへ行ってしまったのか、現在姿が見えません。どこに隠れているのかわからないネズミたちをどうやって駆除するというのですか?」
クルーゾー裁判官がそう言うと、カタコテル伯爵がニヤリと笑って恐ろしいことを口にした。
「裁判長。シャトレ砦のネズミたちは、おそらく、シャトレ地区の街にすむ他のネズミたちにかくまわれて姿を消しているのでしょう。いや、もしかしたら、シャトレ地区だけでなく、パリ全体のネズミたちが仲間に同情して、王様に訴えられたネズミたちをかくまっているのかもしれません。……犯罪者をかくまうことは、同じく犯罪行為です! こうなったら、パリ中の全てのネズミを王様に逆らった反逆者として一斉駆除するべきです! 裁判長、どうか判決を!」
(ぱ、パリ全体のネズミを駆除!? それはもはや動物の虐殺だ!)
シャサネンは、自分の予想を上回る厳しい求刑をしてきたカタコテル伯爵をキッとにらんだ。その直後、
「ちっこい弁護士さん! 負けたらダメだよ! 男ならもっとねばりなさい! あんたの可愛い助手さんたちを信じて、彼女たちがかけつけるまで何とか時間かせぎをするんだ!」
傍聴席からそんな声援が聞こえてきた。シャサネンが見ると、白兎亭のエレーヌだった。その横には旦那さんのドニスもいる。リュリュもエレーヌに抱かれていた。
(そ……そうだ! 僕は、マリー様とサラさんを信じてがんばると決めたんだった! よ、よ~し! イチかバチかやってみるか!)
勇気を取り戻したシャサネンは、「裁判長!」とさけんだ。
「広い心でもうちょっとムナールを待ってやってください。ネズミの足は、僕たち人間よりもずっとずっと小さく、歩幅がとても短いのです。僕たちが五分でたどり着ける道のりも、ネズミにとっては大冒険であり、その三倍……いや、五倍以上の時間が必要となるはずです。今朝寝床から起きたネズミが、この裁判所に到着するのには相当な時間がかかるでしょう。だから、ネズミの歩幅の短さを考慮に入れて、もうしばらく待ってほしいのです」
「な、なるほど……。たしかに、その通りだ。ネズミの歩幅について考えていなかったのは、私たちのあやまりだ」
クルーゾー裁判官が大きく首をたてにふりながらそう言うと、カタコテル伯爵が「バカも休み休みに言いなさい!」と怒った。
「裁判が行なわれる日時を知らされていながら、歩幅が短いから時間に間に合わなかったなど言いわけにはならない! 歩くスピードが遅いのなら、そのムナールというネズミは、ちゃんと今日の午後一時に間に合うように、昨日の夜にでも出発して裁判所に向かうべきではないか!」
カタコテル伯爵の反論をもっともだと思った傍聴席のパリ市民たちが、「そうだ、そうだ!」とヤジを飛ばす。しかし、シャサネンはひるまず、こう言い返した。
「カタコテル伯爵は、ネズミにとってパリの街を歩くことがどれだけ命がけのことか、ぜんぜんわかっていない! 昼間でさえ命の危険があるというのに、夜の街を歩けるものですか!」
「な……!? そ、それはどういうことだね?」
「このパリの街に、いったいどれだけの猫がいると思っているのですか。ネズミにとって、猫はまさに天敵。猫とネズミが顔を合わせたら、命がけの追いかけっこが始まるのです。猫に捕まってしまったら、哀れなネズミたちは天国いきです。だから、ムナールは今、パリの街をわがもの顔で歩いている猫たちの目を盗みつつ、時には猫がいる場所を避けて遠回りをしながら、仲間のネズミたちのために命をかけてこの裁判所に向かっているのです!」
シャサネンが涙を流しながら熱弁をふるうと、傍聴席のパリ市民たちも、
「そうか……。そういうことだったのか。たしかに、猫から逃げながらでは、法廷に出頭するのも遅れてしまうわけだ……」
「ネズミだって、一生懸命、裁判所に来ようとしているんだ!」
「仲間のネズミを救うために、命をかけるなんて……。何ていいやつなんだ、ムナール……。ぐすっ……」
と、シャサネンの涙につられて泣き出す人まであらわれ、いっきにネズミに対する同情ムードが法廷内に漂い始めた。
「ま……まさか、動物ごときがそんな……仲間のために命をかけるわけが……」
動物が大嫌いなカタコテル伯爵までもが激しく動揺し、これ以上ネズミを責めることができなくなってしまったのである。
「おい、カタコテル伯爵。何をやっているのだ。早く何か言い返さないか。ネズミが仲間との友情のために命がけになるわけがないだろう。母上のペットのプティを有罪判決にしようとした罪をせっかく許してやったのだから、しっかり働け!」
頼りないカタコテル伯爵に業を煮やしたルイ十四世がそう言うと、カタコテル伯爵は「は、はい……」と答えたが、法廷はいまやネズミのムナールに同情している人が大多数となっていた。
動物好きのクルーゾー裁判官はもちろんのこと、動物なんてどうでもよくて早く家に帰りたいと思っていたコント裁判官までもが、
「ううう……。ネズミでも一生懸命に生きているというのに、私はなんてダメダメな人間なんだ……。仕事をさぼることばかり考えてしまって情けない……!」
と、大泣きし、感動してしまっていた。
ベッソン裁判長だけが、顔色ひとつ変えずにただ黙り続けている。……ように見えるが、
(よく見たら、裁判長の目が少しだけうるんでいる。僕の演説を聞いて、ネズミに対する同情の心を強めたにちがいない!)
シャサネンはそう確信し、心の中でガッツポーズをした。
(ただ、この感動と同情の心も、そんなに長持ちはしないだろう。いい雰囲気になっているこの瞬間に、ムナールがここにあらわれてくれたら完璧なのだが……)
シャサネンがそう考えているまさにその時、実はマリーたちが法廷の入口前までかけつけていたのであった。
「さすがはシャサネンさんだわ。私たちが来るまで持ちこたえてくれていたのね。……さあ、サラ。ムナール君をカゴから出してあげて」
マリーが、法廷の中の様子をのぞきながらそう言うと、サラは「はい」とうなずきながらカゴのフタを開けてムナールを外に出してやった。
しかし、ムナールは、ニーナに追いかけ回されてへとへとに疲れていたのである。さらに、ムナールが入れられていたカゴはサラがここまで猛ダッシュで走って乱暴に運んだせいでガタンゴトンと激しく揺れて、ようやく解放されたムナールの足取りはふらふらだった。
「あれ? ムナール君、元気がないわね。どうしたの?」
ニーナを両手で抱いているマリーが心配してムナールに近寄った。その時、
「にゃおーん!」
ニーナがマリーの腕から飛び出し、またもやムナールにおそいかかったのだ!
一度目は逃げられ、二度目はあともうちょっとのところまで追いつめたのにサラに横取りされ、二度も狩りに失敗したニーナの猫としてのプライドはズタズタだった。三度目の正直だと言わんばかりにムナールに飛びかかった。
「ちゅう……? ちゅちゅ!? ちゅーーーう!!」
背後にせまる殺気を感じたムナールは、火事場の馬鹿力を出し、間一髪のところでニーナの前足パンチをかわした。そして、ダッと走り出し、法廷の中に入って行ったのである。
「ネズミだ! ネズミが法廷にあらわれたぞ! ムナールがやって来たんだ!」
傍聴席にいたパリ市民の一人がネズミに気づき、そうさけぶと、法廷内はいっきに騒然となった。
なんと、ネズミのムナールは、黒猫に追いかけ回されているではないか!
「やっぱり、猫に命を狙われていたから裁判に遅刻したんだ! なんてことだ! 仲間思いの勇敢なネズミが、今にも猫のエサになってしまいそうだ!」
見物人のパリ市民たちは、ニーナから逃げ惑って法廷中をぐるぐると走り回っているムナールに「がんばれー! 逃げろー!」と熱い声援を送った。
「ニーナ! こら、よさないか!」
このままニーナにムナールが食われたらまずいと思ったシャサネンは、ニーナの体をガシッとつかみ、捕えた。ニーナは、
「にゃー! にゃー! にゃー!」
と、無念そうに鳴いてさわぎ、ジタバタと前足、後ろ足を動かした。
「ちゅ……ちゅう……」
猫の魔の手からようやく逃れたムナールは安心したのか、自分のために用意された被告人席のそばまでふらふらと歩いていくと、パタリとたおれてしまった。
「ご覧ください、みなさん! ネズミたちの勇者ムナールは、裁判所に仲間たちの減刑を求めるために必死になって走り、恐ろしい猫から逃げ、こんなにも傷つきながら裁判所にたどりついたのです! 親ネズミである彼には二匹の可愛い子どもたちがいるというのに、ムナールは仲間のために命がけの冒険をしました! このムナールのいじらしい姿を見ても、みなさんはネズミたちを皆殺しにしてしまえと言えますか?」
シャサネンは傍聴席のパリ市民たちにそう語りかけた。市民たちは、
「そんなこと言えない! がんばったムナールがかわいそうだ!」
「ネズミたちを許してあげて!」
「せめて死刑だけはやめてあげてくれ!」
「ネズミ、バンザイ! ネズミ、バンザイ!」
と、完全にネズミの味方になってしまっていたのである。
(ば、バカな! 市民たちは、王であるオレよりも、ネズミに味方するというのか!? ……口先だけで人々の心を動かすとは、子どものくせしてなんて恐ろしいやつだ!)
ルイ十四世は、シャサネンの弁護士としての才能に舌を巻いた。そして、このままでは裁判に負けてしまうとあせった。国王がネズミを訴えて、ネズミが裁判に勝つなどというバカみたいな話があっていいはずがない。
(何とかしなくては……)
ルイ十四世はそう考えたが、この時点で勝負はついていたのである。
「判決を言います!」
ベッソン裁判長が、高らかにそう宣言したのだ。
法廷のたくさんの人々の注目が、ベッソン裁判長に集まった。
ごくり……と、シャサネンはツバを飲む。
マリーとサラ、ダルタニャンも、法廷の入口前の廊下で緊張しながら判決の時を待った。
ベッソン裁判長が下した判決は、以下の通りだった。
「王様の軍隊の食料を食べてしまった罪は重い。……しかし、ネズミたちの代表者であるムナールは、命の危険をおかしてまで裁判所に出頭した。これは、ネズミたちが、自分たちが犯した罪を十分に反省しているものであると判断できる。また、親ネズミであるムナールには養うべき子ネズミが二匹いたとのことだが、ネズミたちにも食べさせていかなければいけない家族があり、やむをえず軍隊の食料を食い荒らしたのだと思われる。……これらのことを考えあわせて、ネズミたちには情状酌量の余地があると判断し、死罪を免じて、ムナールとその仲間たちのシャトレ砦への立ち入りを今後禁止することを処罰とする。あと、ネズミの代表者であるムナールには、仲間のネズミたちに、軍隊の食料を二度と食べないようにと厳重に言い聞かせておくことを命じる。……判決は以上! これにて閉廷します!」
シャサネンとネズミたちの勝利だった。傍聴席の人々は、いっせいに「わー! やったー!」と拍手かっさいした。
「良かった! 良かったなぁ! これでもう安心だぞ、ムナール!」
勝利を勝ち取った喜びをともにわかちあおうと、シャサネンはムナールを両手に抱いて頬ずりをした。へとへとになっているムナールは、「もうどうにでもしてくれ」と考えているのか、激しい頬ずりにも逆らわず、なすがままである。
一方、またもやシャサネンに負けたカタコテル伯爵は、悔しそうに顔をゆがめていた。
だが、一番悔しい思いをしたのは、王様なのにネズミに負けてしまったルイ十四世だろう。ルイ十四世は、ついに怒りを爆発させた。
「ちょっと待て、裁判長! 話によると、シャトレ砦にいたネズミどもは、今は砦から姿を消してしまっているそうではないか! こんな判決、無罪判決と同じだぞ! オレのお菓子……ごほん、ごほん、兵士たちの食料を食い荒らしたネズミたちにちゃんと罰をあたえろ! シャトレ砦から姿を消したネズミたちはパリのどこかにいるはずだ! カタコテル伯爵の言う通り、パリ中のネズミもろとも駆除してしまえ!」
「王様、判決はすでに下りました。たとえ王様でも、神の名において行なわれた裁判の判決をくつがえすことはできません。どうかこの判決に納得してください」
「納得などできるか! ええい! こうなったら、このネズミだけでも死刑にしてやる!」
ついにプッツン切れたルイ十四世は剣をぬき、シャサネンに歩み寄った。
「う、うわわっ! 剣なんてぬいて、どうするつもりですか、王様!」
ビビったシャサネンが尻もちをつきながらそう言うと、ルイ十四世は剣の切っ先をシャサネンに向け、怒鳴った。
「動物弁護士、手に持っているそのネズミをこっちによこせ! この剣で成敗してやる!」
「そ……そんなこと、できません! 僕はこのネズミの弁護士なんです! 動物弁護士には、弁護をうけおった動物を守る義務があるんです!」
「そうか! だったら、おまえもネズミもこの剣で一緒に串刺しにしてやる!」
「ひ、ひぃぃぃ!」
王様に殺される!
そう思ったシャサネンは、死を覚悟して、ぎゅっと目をつぶった。
しかし、その時、一人の少女がシャサネンとルイ十四世の間に割って入り、
「わがままを言うのはそこまでにしてください、王様!」
と、ルイ十四世を叱ったのである。その少女とは、マリーだった。
「小娘、そこをどくのだ! 国王の命令だぞ!」
「いいえ、どきません! ネズミたちにお菓子を食べられたからって、そこまで怒ることないじゃないですか! ダルタニャンさんたち家来のみなさんに隠れてお菓子を食べようとした王様が悪いんです! また虫歯ができちゃったら、お母様のアンヌおばさんに叱られますよ!」
「な……なぜ小娘がそんなことを知っている!?」
「ダルタニャンさんから聞きました」
「なんだと!?」
ルイ十四世は、法廷の入口に立っていたダルタニャンをギロリとにらんだ。しかし、ダルタニャンは目をそらして口笛を吹き、知らんふりをしている。
「おい、さっきの聞いたか? 王様ったら、自分が隠していたお菓子を食べられたからネズミを訴えたらしいぞ?」
「そんな理由で裁判なんか起こしたの? 王様、かっこわるーい!」
「ちょっと失望したよなぁ~」
傍聴席のパリ市民たちのひそひそ話が聞こえてきて、ルイ十四世は(しまった!)とあわてた。国民たちに恥ずかしい真実を知られてしまい、顔は真っ赤である。
マリーは、ルイ十四世が黙ってしまうと、温和な彼女にしては厳しい口調でこう言った。
「王様。そして、花の都の住人であるパリ市民のみなさん。私の話を聞いてください。私は、ついこの間、このパリにやって来たばかりですが、花の都の街並みや建物の美しさにとても感動しました。……ですが、マナーの悪い人たちがゴミを路上やセーヌ川に捨てていることを知り、同時に残念に思いました。ネズミたちが大量発生するのは、みなさんが生ゴミを路上にまき散らし、ネズミたちがたくさん集まる環境を作ってしまっているからです。自分たち人間が原因なのに、ネズミに食べ物を食い荒らされたと怒るのは、人間のわがままです! そして、国民たちに『ゴミはきちんとゴミ捨て場に捨てるように』と教えない王様にも大きな責任があります! ちゃんと反省してください!」
マリーに叱られたパリ市民たちは、元気なくうつむき、
「たしかに、あのお嬢ちゃんの言う通りだな……。街を不衛生にしていたオレたちが悪いんだ……」
と、だれかがつぶやいた。
ルイ十四世も、この正論には何も言い返すことができず、「むむむ……」とうなった。
「王であるオレにここまで言いたいことを言える勇気を持った君は、いったい何者なんだ?」
「私ですか? ……ああ、そうでした。いとこのあなたとこうやって直接お会いするのは初めてでしたね。私は、オルレアン公ガストンの娘で、今は動物弁護士シャサネンさんの助手をやっている、マリーです。王様、はじめまして」
「…………え? き……君が、亡き叔父上の娘のマリーだったのか!?」
法廷は騒然となった。
国王を言い負かした、この美しい金髪の少女は、なんと王国のプリンセスだったのである!
「おい、聞いたか、エレーヌ! オレたち、とんでもなく立派なおかたを宿屋に泊めていたんだな! もっと上等な食事を出せばよかったよ!」
白兎亭の主人のドニスが興奮してエレーヌに言ったが、エレーヌはおどろきのあまり口をあんぐりと開けたまま硬直してしまっていた。
「な、なるほど……。そういうことだったのか……。オレの父にずっと逆らい続けたガストン叔父上の娘だからといって毛嫌いして遠ざけていたが……こんなにも勇敢で賢い姫であったのか……」
ルイ十四世は感心してそう言うと、初めてニコリと微笑んだ。
「……オレの完敗だ、マリー姫。無礼を許してくれ。……動物の弁護士よ、君にもあやまろう。恐がらせてすまなかった」
剣を鞘にしまったルイ十四世は、マリーとシャサネンに頭を下げた。
(アンヌおばさんが言っていた通り、根は優しいお人なのね)
ホッとしたマリーも、ルイ十四世に微笑み返す。シャサネンはというと、マリーがプリンセスとしての威厳を発揮した姿をさっきまでほれぼれと見ていたが、恐怖のあまり腰がぬけてしまって立てなくなり、サラに「まったく……。相変わらず肝っ玉が小さい人ですね」と文句を言われながら助け起こしてもらっていた。
これにて一件落着……と、法廷にいたみんなが思いかけていたのだが、ルイ十四世とマリーが仲良くなるタイミングを見計らっていたかのように、意外な人物があらわれたのである。
「王様。マリー姫を自分のいとこだと認めたからには、王家の姫として宮殿にちゃんと迎え入れてあげないといけませんよ」
「は、母上……!」
法廷にあらわれたのは、ルイ十四世の母であるアンヌだった。アンヌは、息子がネズミを訴えた裁判のゆくえとマリーのことが心配で、実は裁判の様子をこっそりと隠れてずっと見ていたのである。
「私も年老いて、王であるあなたを昔のように支えてあげられなくなりました。これからは、マリー姫が私にかわってあなたにいろんなアドバイスをしてくれるでしょう。彼女には、それができる知恵と勇気があります。だから、マリー姫をちゃんとそばにおいて大事にしなさい」
「わかりました。では、早速、マリー姫を歓迎する宮殿の舞踏会を開きましょう」
ルイ十四世がそう言うと、サラがマリーに抱きつき、
「良かったですね、姫様!」
と、自分のことのように喜んではしゃいだ。シャサネンも、マリーがようやくプリンセスとして認められたことをうれしく思い、ぐすんと涙ぐんだ。
「動物弁護士よ。君も舞踏会に出るがいい」
「え? ぼ、僕が舞踏会にですか? あ、ありがたいお話ですが、おそれおおくてそのような晴れがましい場所には……」
「マリー姫を今まで保護してくれていたお礼だ。ぜひ来てくれ」
「は、はい……。そこまでおっしゃるのなら……」
シャサネンはそう言いながら、お腹が痛くなってきた。裁判の時以外は基本的に肝っ玉が小さいシャサネンは、宮殿の舞踏会に出ると考えただけで死ぬほど緊張してしまうのだ。
「シャサネンさん、一緒に楽しみましょうね!」
ニコリと微笑んだマリーにそう声をかけられると、シャサネンは青白い顔で笑い返すのであった。
🐭最終回「花の都の動物弁護士、姫様とさよならする?」につづく😿
<ちょっとディープな用語解説>
〇ネズミにとって、猫はまさに天敵
動物弁護士は、動物裁判に出頭しない動物を弁護するため、時には想像力を膨らませて動物たちの「どうしても裁判に来れない事情」を考え出した。
この物語の主人公シャサネンのモデルとなった実在の動物弁護士「シャサネ」は、穀物を食い荒らして訴えられたネズミたちの裁判で、裁判当日に出頭しなかったネズミたちのことを「猫たちがネズミの行く手をふさぎ、ネズミたちは遠回りして裁判所に向かっている最中なのです」と弁護して裁判の延長を要求した。しかし、ネズミたちはもちろんいくら待っても来ない。すると、シャサネは「この地域に住む全てのネズミが罪を犯したわけではないのに、ネズミの一族郎党をまとめて断罪するのはかわいそうです。親ネズミの不始末を幼いネズミたちにも償わせるのは人道に欠きます」と裁判官たちに訴えた。
シャサネの弁護によりネズミたちは無罪を勝ち得たのかどうかは記録に残っていないので不明だが、動物弁護士はこのように動物たちを人間と差別することなく非常に親身になって弁護をしたのである。
〇ネズミたちには情状酌量の余地があると判断
動物裁判はあくまでも神の名において行なわれる公正な裁判(人間たちはそのつもり)なので、動物たちが抱える事情もちゃんと考慮に入れられることがあった。
スイスとイタリアの国境のとある町で行なわれた動物裁判で、モグラが畑に穴を掘って植物が生えないようにしたと訴えられ、退去命令が出された。その時、モグラの弁護士は「モグラは害虫を食べてくれる益獣です。退去命令を出すのなら、彼らに代わりに住むことができる土地を与えてやってください。そして、幼い子供や妊娠した牝モグラがいるモグラ一家が引っ越しの際に犬や猫に襲われないように安全通行権をモグラたちに授与するべきです」と訴え、モグラたちには14日間の退去猶予期間と安全通行権が与えられた。
ただし、モグラを狙う犬や猫に裁判所が発行した安全通行権が通用したのかは不明である。
〇ムナールとその仲間たちのシャトレ砦への立ち入りを今後禁止する
動物裁判では、その土地を荒らした害獣、害虫たちに退去命令を出すことがよくあった。そして、記録を読む限り、退去命令を受けた動物たちの多くははその土地からすぐに退去している。当時の人々は動物たちが裁判の判決に従ったのだと解釈していたが、実際は荒らした土地の食料をおおかた食い尽くしてしまったので、新たな土地を求めて引っ越ししただけであった。
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