姫様と侍女、ネズミを探して花の都を走る🍰🍬🍞🐁 🐈

 コント裁判官とはちがって真面目で働き者のクルーゾー裁判官は、その日の裁判が終わってすぐにシャトレ砦に出かけ、ネズミたちに明後日に行なわれる裁判の連絡をしようとした。


 しかし、困ったことに、ネズミたちはこの日もシャトレ砦の食料庫にいなかったのである。もしかしたら砦内の別の場所にいるのかもしれないと考えたコント裁判官は、ネズミのことが心配で一緒に来たシャサネン、マリー、サラに手伝ってもらって砦のいたるところを歩き回り、ネズミを捜したのだが、結局、発見できたのは台所でエサを探していた親ネズミ一匹と子ネズミ二匹だけであった。


「困ったなぁ……。食料庫を荒らしたネズミたちは二十匹以上いたという話なのに……。他のネズミたちはいったいどこに隠れているんだ?」


 クルーゾー裁判官がそうぼやくと、シャサネンはこう言った。


「クルーゾー裁判官。現実的に考えて、事件が起きた時に食料庫にいたネズミたちを全て裁判所に出頭させるのは、やっぱり無理ですよ」


「で、では、いったいどうしたらいい?」


「ベッソン裁判長にこうお願いしてください。二十匹以上のネズミたちに裁判の連絡をするのは無理だから、代表者のネズミ一匹が法廷に出頭したらオーケーとしてほしいと……」


「その代表者のネズミというのは?」


「もちろん、このネズミ君です」


 シャサネンは、台所で発見した親ネズミのお尻に赤のインクのペンで「ムナール」と書いた。フランス語で「リーダー」という意味である。


「ネズミ君。今日から君の名前はムナールだ。僕が、君をここら一帯にすんでいるネズミたちのリーダーに任命した。君には、ネズミたちのリーダーとして、明後日の午後一時からシャトレ裁判所で行なわれる裁判に出頭してもらいたい。わかったね? 責任は重大だぞ?」


 たった今シャサネンによってムナールと命名されたネズミは、もちろん人間の言葉なんてわからないので、シャサネンを見上げながら「何言ってんの?」といった感じで小さく首をかしげた。


「うむ……。よし、わかった。ベッソン裁判長にお願いしてみよう」


 そう言うと、クルーゾー裁判官は、台所から出て行った。早速、ベッソン裁判長にお願いをしに行くつもりなのだろう。


「……法廷に出頭させるネズミの数を一匹だけにしぼったのは良いアイディアだとは思いますが、そのムナール君はちゃんと裁判所に来てくれるのでしょうか?」


 マリーが心配してそう言うと、シャサネンはニヤリと笑った。


「もちろん、このままはなしてしまったら、ムナールは明後日の裁判にあらわれないでしょう。だから、裁判の日までムナールの身柄は僕があずかっておきます」


 シャサネンは、用意していた小さなカゴを台所の床に置き、その中にムナールを入れようとした。


「なるほど。考えましたね、シャサネンさん」


 感心したサラがそう言ってほめた。しかし、その直後、サラに抱かれていた猫のニーナが、


「ふにゃーごー!」


 と、急に興奮しだし、サラの腕から飛び出してムナールにおそいかかったのだ。


 賢い猫であるニーナも、獲物のネズミを見たら狩猟本能に目覚めてしまうのは当然である。


「こ、こら、ニーナ! ああ! ムナールが……!」


 ビックリしたムナールは、シャサネンの手から逃れ、子ネズミ二匹を連れて姿を消してしまった。


「し、しまったぁ~!」


 あわてたシャサネンは、台所中を血眼になって見回したが、ネズミたちはもうどこにもいなかったのである。


「ど、どうしましょう……」


「すみません、シャサネンさん。私の不注意で……」


 サラが珍しくしゅんとなり、シャサネンにあやまった。


「いいえ、サラさん。ニーナが飛びかかって来た程度でおどろいて手を放してしまった、肝っ玉の小さい僕が悪いんです。だから、気にしないでください」


 そう言い、シャサネンはサラに笑いかけたが、顔は真っ青である。


(う、う、う……。こいつは大変なことになったぞ……。明後日の裁判が始まるまでに、ムナールを必ず見つけないと……!)


 他のネズミを捕まえてお尻に「ムナール」と書き、裁判所まで連れて行くという手段も思いついたが、シャサネンはすぐに(それはダメだ)と考え直した。


 神の名において裁判はつねに公正でなければいけない。ズルをした時点で、その裁判は不正となるのである!


「マリー様、サラさん。お願いします、手伝ってください。明後日までにムナールを見つけないといけません!」


 シャサネンが頭を下げてそうお願いすると、マリーとサラは「もちろん、協力します!」と声をそろえてうなずいてくれた。


 マリーは助手としてシャサネンを助けたいとやる気満々だったし、サラは自分の不注意でニーナがムナールを逃がしてしまったという負い目があったのである。


「がんばって、ムナール君を捜しましょう!」


 えい、えい、おー! と、マリーは気合を入れるのであった。


 ……だが、マリーのやる気とは裏腹に、ムナールはぜんぜん見つからず、裁判の日を迎えてしまったのである。




            🐭   🐭   🐭




「も……もうダメだ……。今回の裁判は勝てない……。パリ中の人々が注目している大きな裁判で、被告人……じゃなくて被告ネズミが行方不明のせいで負けてしまうなんて、かっこ悪すぎる……」


 裁判当日の朝、ムナールを捜し疲れてへとへとになったシャサネンが、泣きべそをかきながら弱音を吐いた。


「あの……シャサネンさん。王様に訴えられているシャトレ砦のネズミたちがこのまま行方をくらましてしまったら、裁判も無効になるのではないのですか? 訴えられたネズミたちがいないのに、有罪無罪を決めても仕方ないじゃないですか」


 サラがふと疑問に思ったことを言うと、シャサネンは「いいえ。一度始まった裁判は、ちゃんと判決が出るまで行なわれます」と答えた。


「神の名において裁判を行なうからには、必ず善悪をハッキリしなければいけません。……おそらくですが、シャトレ砦のネズミがこのまま一匹も法廷にあらわれなかった場合、シャトレ地区の家々や地下で暮らしている、裁判に関係の無いネズミたちまでもが駆除されてしまう可能性があります」


「え!? なんでそんなことになるんですか?」


 マリーがおどろき、大声を上げた。


「シャトレ砦のネズミが姿を消したのは、シャトレ地区にすむ他のネズミたちが仲間に同情してかくまったのだ。だから、犯罪者をかくまった他のネズミたちも同罪である……。あの動物大嫌いなカタコテル伯爵のことですから、きっとそういうふうに裁判を持って行くでしょう。そうなったら、シャトレ地区のネズミたちはまとめて全部駆除という判決が出てもおかしくありません。……ああ! 何ということだ! いくら人間たちに嫌われているネズミでも、罪が無いネズミまで皆殺しだなんて理不尽すぎる! かわいそうだ! 僕が無力なせいでこんなことになってしまうなんて……!」


 シャサネンは両手で頭を抱え、そう泣きさけんだ。


 そんなシャサネンをはげましてくれたのは、マリーだった。


「しっかりしてください、シャサネンさん! 最後まであきらめたらダメですよ! 裁判が始まるまでまだ時間がありますから、私とサラが捜索を続行してみます! だから、シャサネンさんは一足早くシャトレ裁判所に行って、裁判の準備をしていてください!」


「ま、マリー様……」


「姫様の言う通りです。私も、今回の裁判はあなたに勝ってほしいんです。姫様に意地悪をして宮殿に入れてくれない王様を裁判でやっつけて、ぎゃふんと言わせてください」


「普段は僕に厳しくて恐いサラさんまで元気づけてくれるなんて……」


「『恐い』ですって? 女の子に向かって『恐い』はないでしょう、シャサネンさん!」


「す、すみません!」


 うっかり余計なことを言ってしまったシャサネンは、あわてて自分の口を両手でふさいだ。


「……わかりました。二人を信じて、僕は裁判所に行って来ます! でも、くれぐれも無理はしないでくださいね!」


 シャサネンはそう言うと、シャトレ裁判所へと向かうのであった。


「じゃあ、サラ。私たちはムナール君を引き続き捜しましょう」


 シャサネンがシャトレ砦を後にすると、マリーが眠たい目をこすりながらサラに行った。二日前からずっとネズミ捜しをしていてほとんど寝ていないのだ。


「はい、姫様。……ですが、あのネズミは本当にどこへ行ってしまったのでしょうか? これだけ捜しても見つからないなんて……」


「う~ん……。そうねぇ……」


 マリーは少し冷静になって考えてみた。


 シャトレ砦にたくさんの食料があった頃には、ネズミたちはわんさかといたのに、兵士たちが毎日お腹を空かせてしまうほど食料が不足している今は、砦のどこにもネズミたちはいない。つまり……。


「……もしかしたら、この砦に食べ物が無くなっちゃたから、別の場所に食べ物を探しに行っているんじゃない!?」


「たしかに、それは考えられますね。街にいるかもしれません。しかし、そうなると、このシャトレ地区だけでなく、パリ中の家々を一軒、一軒歩き回って捜さないといけなくなります……」


「それは無理だわ。裁判が始まる午後一時まであと四時間もないんだもの。ある程度、見当をつけて捜索しないと……。とにかく、ここにいても仕方ないから、街に行ってみましょう!」



            🍖   🍷   🐷




 シャトレ砦を出たマリーとサラは、いったん白兎亭に戻った。パリに来て日が浅いマリーとサラは、この街にくわしくない。だから、ネズミがいそうな場所はないか白兎亭の主人のドニスと奥さんのエレーヌに聞いてみようと考えたのだ。


「ネズミがいそうな場所かい? パリの街には案外とたくさんいるよ。なにせたくさん人が住んでいるからね。家の屋根裏だけでなく、住民が捨てた生ゴミを食べているネズミを道ばたでしょっちゅう見かけるわ」


 エレーヌがそう答えると、マリーは、


「もうあちこち捜している時間が無いんです。特にたくさんいそうな場所を教えてください! お願いします!」


 と、必死になって頼みこんだ。


「う、う~ん……。そう言われてもねぇ……」


 エレーヌは困り果てて、腕を組んでうなった。


 そんな時、エレーヌの旦那さんのドニスがこう言ったのである。


「ネズミはエサを探して生ゴミの多い場所にあらわれる。生ゴミがたくさんある場所をこのパリの街で一番知っているやつは……たぶん、あいつだ」


「あいつって、だれのことですか?」


 サラがそうたずねると、ドニスは「ブタのグルートンさ」と答えた。


「グルートン……? ああ! 私たちがパリに来て初めて出会った、あのブタさんですね! シャサネンさんが言っていました。グルートン君はマナーの悪い市民が路上に捨てた生ゴミを食べて掃除してくれているって……!」


 生ゴミを食べ歩いているグルートンが行くところをついていけば、同じく生ゴミをあさっているネズミをたくさん発見できるかもしれない。そして、その中にムナールもいる可能性がある!


「グルートンなら、ついさっきうちの宿屋の前を歩いていたわよ。でかい図体をしたグルートンのことが苦手なリュリュがおびえていたわ」


「ありがとうございます、エレーヌさん! ドニスさん! サラ、行きましょう!」


「はい!」


 マリーとサラは、白兎亭を飛び出した。


「姫様! いました! グルートンはあそこです!」


 白兎亭を出てすぐに、サラが、のそのそと歩いているグルートンを発見し、マリーとサラはグルートンと一定の距離をあけて追跡を開始した。


 マリーは動物になつかれやすい。マリーがグルートンに接近して気づかれると、喜んで甘えてくるかもしれない。今はグルートンに生ゴミ探しに集中してもらいたいので、こうやって離れているのだ。


「……グルートン君は、どこへ行くつもりなのかしら?」


 グルートンの追跡を始めてから二時間ほどたち、そろそろお昼ご飯の時間である。しかし、グルートンはただひたすらのそのそとパリの街を行ったり来たりしているだけだ。……もしかしたら、食事前の運動をしているのかもしれない。


 やがて、グルートンは、シャトレ地区のセーヌ川が見えるあたりまでやって来た。


「何だかいいにおいがしてきましたから、食べ物を売っている店にでも行こうとしているのかもしれません」


「これは……お肉のにおい?」


「どうやらそのようですね。酒屋の横に焼肉屋があります」


 この頃のパリでは、お酒を飲む店のとなりに焼肉屋が建つことが多かった。そうしたら、焼肉屋で肉を食べた人は「この後、となりの店で一杯飲むか」と酒屋に立ち寄るし、酒屋で酒を飲んだ人も「ちょっとお腹が空いてきたから、肉でも食っていくか」となり、商売が繁盛するからである。


「あれ? グルートンは、店の裏側に行きましたよ?」


「私たちも行きましょう!」


 グルートンの後を追ってみると、店の裏側には桶に入れられたたくさんの肉きれや野菜くずがあったのである。どうやら、客が食べ残した物らしい。


「うわぁ、あんなにも食べ残しがあるの? パリの街にだって、貧しくて今日のご飯も食べられない人がいるでしょうに……。すごくもったいないわ。この食べ残し、店の人はどうするつもりなのかしら?」


 マリーがそうつぶやくと、店の裏口から店の人間らしき男が出て来て、


「おう、グルートン。毎度すまねえなぁ。客の食べ残し、また始末してくれよ。……グルートンが全部食べ切れなかったら、セーヌ川にでも捨てるしかねえな」


 そう言い、また新たな食べ残しを桶に流しこんで店の中に入っていったのである。


「セーヌ川に捨てる!? そ、そんなことをしたら川が汚れちゃうじゃない……」


「姫様。そういえば、前にシャサネンさんがこんなことを言っていませんでしたか? セーヌ川に家庭ゴミをはじめとしたいろんなゴミを捨てる人が多くて困るって……」


「せっかく美しい街並みの花の都なのに、路上にゴミを捨てたり、川を汚したりしていたら、いつかきっとパリは花の都ではなくなってしまうわ……。ゴミのポイ捨てはダメだって国民に教えて街をキレイにするもの王様の仕事でしょ? 王様はいったい何をしているのかしら……」


 よくよく考えてみたら、パリの人たちが街のそこらじゅうに生ゴミなどを捨てるからネズミが大量に発生するのだ。人間たちがネズミの出没しやすい環境を作っておきながら、ネズミの被害にあってネズミに怒りをぶつけるのは勝手すぎるのではないだろうか?


 マリーがそんなふうに考えていると……。


「姫様! ネズミです! たくさんのネズミたちがどこからともなくあらわれました!」


 グルートンが桶の中のエサをむさぼり食っている横で、突然あらわれた十匹ほどのネズミたちも食事を開始した。


「元からこのあたりに生息していたネズミかしら? それとも、シャトレ砦から引っ越しして来たネズミたちかしら?」


「私が近づいて、あの中にムナールがいないか確認してみます」


 サラは、ネズミたちが逃げ出さないように、ゆっくり、ゆっくりと静かに歩き、ネズミたちに近づいた。


 そして、ネズミたちの中に「ムナール」という赤い文字がお尻に書かれているネズミがいることを確認すると、マリーのそばに戻って行った。


「ムナールがいました! 姫様の推理通り、シャトレ砦のネズミたちは砦から出て、別の場所に引っ越していたんです!」


「やった! じゃあ、早速、ムナール君を捕まえないと!」


 喜んだマリーは、ネズミたちに近寄ろうとした。しかし、サラがあわてて止めた。


「ダメです、姫様! ネズミはペストという恐ろしい病気を持っている可能性があります! 姫様はけっしてさわってはいけません! ペストにかかったら死んでしまいますよ!」


 ペストというのは、中世ヨーロッパで猛威をふるった恐ろしい伝染病のことで、一度ペストが流行すると大量の死者が出たのである。感染すると皮膚が黒くなってしまうため、黒死病とも呼ばれていた。そして、ペストはネズミを媒介として感染すると考えられていたのだ。


「でも、シャサネンさんはさわっていたじゃない」


「ああいう動物バカは、動物が原因で死んでも後悔なんかしないでしょう! しかし、王国のプリンセスがネズミをさわるなんていけません! 私にお任せください!」


 シャサネンも、この場にいないとはいえ、ひどい言われようである。


「ダメよ、サラ。もしもあなたがペストにかかり、私をこの世に残して死んだら、私は絶望のあまり何も食べられなくなって飢え死にしてしまうわ。だって、あなたは私にとって大切なお友だち……ううん、お姉さんのような存在なんだもの」


「姫様……」


 サラは、マリーが自分をいかに大事に思ってくれているかを直接言葉として伝えてもらい、ありがたいやらうれしいやらで感動して涙を流した。


「わかりました、姫様。なるべくネズミの体にさわらないようにムナールを捕まえてみせます!」


 そう言うと、サラはシャサネンからあずかっていたネズミ捕獲用のカゴを取り出した。


「ニーナ! 名誉挽回よ! ムナールをこっちに追いこんで!」


 サラは、猫のニーナをネズミたちの群れへとけしかけた。


「にゃー!」


 さっきからネズミたちの群れを見つめてうずうずしていたニーナは、喜び勇んで飛びかかった。


 不意を突かれたネズミたちはおどろき、逃げ惑い、何匹かがサラのほうへと走って来た。その中にはムナールもいた。


「姫様、おさがりください!」


 サラは、逃げて来たネズミの中の一匹をすくいあげるようにしてカゴの中に入れ、


「とったどーーーっ!!」


 と、さけんだのである。


「……サラ。その子、別のネズミよ?」


「ええ!?」


 おどろいたサラが、カゴの中のネズミのお尻を見ると、文字が何も書かれていなかった。そして、足元を見ると、お尻に「ムナール」の文字があるネズミがサラの股の下をちょうどくぐっていたのである。


「に、ニーナ! 追いかけて!」


「にゃー!」


 ニーナも、前に逃した獲物をまた逃がしてなるものかと考えているのか、猛ダッシュでムナールを追いかける。しかし、ムナールはうまくフェイントをかけて、右、左、右と逃げる方向を変えながらニーナの追跡をかわす。


「ムナール君、止まって! それ以上逃げたらダメ! そっちはセーヌ川よ!」


 マリーがさけんだ。逃げるのに夢中なムナールは、セーヌ川めがけて走っていたのである。このまま行ったら、川に落っこちてしまう。


「おっと! こいつが、シャサネン君が言っていたネズミか」


 ムナールがセーヌ川に飛びこむ直前、その行く手をさえぎる人間がいた。


「じゅ……銃士隊長ダルタニャン様っ!」


 サラが目をハートマークにさせて、そうさけんだ。


 ムナールは、ダルタニャンに逃げ道をふさがれ、くるりと方向転換をした。


 しかし、その先にいたのは、ニーナである。


「ちゅう、ちゅちゅう、ちゅう~!」


 もうどこに逃げたらいいのかわからなくなってしまったムナールは、ぐるぐると円を描くように走り始め、完全にパニックにおちいった。


「サラどの、今だ!」


「は……はい! ダルタニャン様!」


 うわっと飛びかかり、サラは今度こそムナールをカゴの中に入れたのであった。


「よ……ようやく捕まえたぁ~」


「さすがだわ、サラ! ムナール君は無事?」


「ちゅう……」


 ムナールは目を回し、カゴの中でぶっ倒れてしまっていた。


「少しかわいそうだけれど、辛抱していてね。あなたたちの仲間の命を助けるため、あなたには裁判に出てもらわないといけないの」


 マリーがカゴをのぞきながらそう言うと、


「その裁判だが、すでに始まってしまっています。急がないと、シャサネン君は負けてしまうでしょう」


 ダルタニャンがそう教えてくれた。


「え!? し、しまったわ! もう午後一時を過ぎてしまっていたのね!」


「はい。裁判所にマリー様たちが時間になっても到着しないため、シャサネン君がとても困っていました。ですから、シャサネン君を助けるために、オレも銃士隊を動員してネズミ捜しをしていたところだったのです」


「王様の家来であるダルタニャン様が、なぜ私たちにお味方してくださるのですか?」


 サラがそうたずねると、ダルタニャンは小さくため息をつき、こう答えた。


「……今回の裁判ですが、王様がネズミたちを訴えたのは、兵士たちの食料をネズミたちに食い荒らされたことを怒って……というのはただの建前でして、本当はわれわれ家来に隠れて食べようとしていたお菓子をネズミたちに食べられてしまい、腹を立てているからなのです」


「え……。お菓子……?」


 あきれたマリーとサラは、口をあんぐりと開けた。


「そんな子どもっぽい理由でこんなさわぎを起こしてしまって、王様に仕える家来として恥ずかしいかぎり……。ですから、今回の裁判は、王様をこらしるためにもシャサネン君に勝ってもらいたいと思いまして」


「な、なるほど……。そうだったんですか……」


「もう時間がありません。急いで裁判所に向かいましょう!」


「わ、わかりました!」


 こうして、マリーとサラ、ダルタニャンはシャトレ裁判所へと向かったのである。




      🐁次回「大チュウ目のネズミ裁判、判決が下る」につづく🐈




<ちょっとディープな用語解説>


〇地下で暮らしている

パリの地下には、蟻の巣穴のごとく張り巡らされた地下迷路がある。

パリの街の建造物は地下から掘り出した石灰や石膏を使って建築され、長い年月をかけてパリの地下に広大な地下坑道が生まれていった。当然、そこにはネズミたちも住んでいただろう。

地下坑道は、政治犯たちの潜伏・逃亡などにも使われていたようである。また、迷子になって数十年後に骨で見つかった人もいて、妖しく危険な闇がパリの足元には広がっているのである。

パリの地下坑道については、『パリ 地下都市の歴史』(東洋書林刊)に詳しく載っている。



〇この頃のパリでは、お酒を飲む店のとなりに焼肉屋が建つことが多かった

クールチル・ド・サンドラスという元銃士でダルタニャンの下で一時期働いていた人物が『ダルタニャン氏の回想録』という本を書いていて、その中に「当時のパリでは焼肉屋と飲み屋が隣に建っていた」という記述がある。

ちなみに、この『ダルタニャン氏の回想録』は、クールチルが元上司ダルタニャンの有ること無いことを好き勝手書いた擬似回想録なのだが、非常に面白い。三銃士のアトス、アラミス、ポルトスだけでなく、ミレディやロシュフォールのモデルとなった人物まで出てくる。

アレクサンドル・デュマは、『ダルタニャン氏の回想録』を読んで発想を得て、『三銃士』を執筆したのである。

クールチルの『ダルタニャン氏の回想録』は、『恋愛血風録 デュマ ダルタニャン物語外伝』(小西茂也訳。復刊ドットコム刊)というタイトルの日本語訳で読むことができる。

……と思ってAmazonで調べたら在庫無くなってる! 布教しようと思ったのに(>_<)



〇セーヌ川にでも捨てるしかねえな

セーヌ川は何でも捨てられる。

生ゴミや人間の糞尿だけでなく、動物の死体とかも。それだけならまだいいが(よくない)、歴史書を読んでいると、人間の死体まで放り投げられている。

宗教戦争時代にカトリック教徒たちがプロテスタントの人々を大量虐殺した聖バルテルミーの虐殺(アレクサンドル・デュマの『王妃マルゴ』で有名なエピソード。映画化もしている)では、おびただしい数の虐殺された人々の遺体がセーヌ川に投げ込まれた。

というわけで、当時のセーヌ川はお世辞にも綺麗とは言えなかっただろう。

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