第二幕 パリ中が大チュウ目した裁判~王様に訴えられたネズミ

国王、お菓子をネズミに食べられる🍰🐁

 この当時、フランス国王の宮殿は、まだあの有名なヴェルサイユ宮殿ではなく、パレ・ロワイヤルという名の宮殿だった。


 国王であるルイ十四世は、この日、そのパレ・ロワイヤルの謁見の間で銃士隊の隊長ダルタニャンからおどろくべき報告を受けていた。


「オルレアン公ガストンの娘がパリに来ているだと……?」


 五年ほど前に亡くなった叔父のガストンのことを思い出し、ルイ十四世は「うげっ」と声に出して嫌な顔をした。


 ガストンは、ルイ十四世の父である先代の国王ルイ十三世の弟なのだが、若い頃から兄のルイ十三世に反抗的で、自分が兄をやっつけて国王になろうとたくらんだことも何度かある人物だったのである。フランスの王家では問題児あつかいされていた。


 ルイ十三世が死んだ後、幼くして王となったルイ十四世を補佐していたマザランという大臣がガストンをパリから追い出し、ケンカ相手である兄を失ってから元気を無くしていたガストンは、その後はずっと領地のブロワで大人しくしていたのである。そして、五年前に病死したのだが……。


「母上がガストンの遺族たちのことを心配し、仕送りを毎月送っていたことは知っている。マリーというガストンの娘と以前から手紙のやりとりをしていたことも……。だが、ガストンの娘がなんで今さらパリにのこのことやって来たのだ? あの娘の父親は、わが父の敵だった男だぞ?」


 ルイ十四世は、イライラした口調でダルタニャンにたずねた。


「マルグリット様(ガストンの妻で、マリーの母親)が、年頃の娘になったマリー様が花の都のパリで生活することによって立派なプリンセスに成長してくれることを期待して、送りだしたそうです。アンヌ様もマルグリット様の考えに賛成して、『パリに来た時は自分を頼りなさい』という内容の手紙をマリー様に送っていたとのことです。しかし、パリに来る途中で盗賊におそわれ、家来は侍女のサラという娘一人だけになって相当苦労したようでして……」


 とても賢そうで純粋な姫であるマリーに好意的なダルタニャンは、ルイ十四世がなるべく彼女に同情して優しく接してくれるように、マリーとサラがどれだけ大変な目にあってパリにやって来たかを語った。だが……。


「オレは会わないぞ! マリーを王族の一員として宮殿に迎え入れるつもりもない! 母上には、マリーをヴァル・ド・グラース教会の中に入れてはいけないし、いっさい経済的支援をしてはならないと伝えろ! あと、パリにいたければ勝手にしてもいいが、シャサネンとかいう弁護士の助手をずっとやっていろとマリーに言っておけ!」


 ルイ十四世はそうまくしたてた。


「……王様! なんと心のせまいことをおっしゃるのですか! ご自分のいとこを家族として温かく迎えることもできないのですか! 嘆かわしい!」


 ダルタニャンがそう言って叱ると、ルイ十四世はビクッとなり、黙ってしまった。


 二十七歳のルイ十四世は、先代の国王の時代からフランス王家に忠実に仕えてくれていて、親子ほど年齢が離れているダルタニャンには頭が上がらないのだ。


「……と、とにかく、オレはいそがしいのだ。小娘に会っているヒマなんてない」


 そう弱々しく言うと、ルイ十四世は玉座から立ち上がり、謁見の間から出て行こうとした。


「王様、どちらへ?」


「シャトレ要塞で兵士たちの訓練を行なう時間だ」


「それなら、私もお供いたしましょう」


「い……いい! ダルタニャンは、今日の昼過ぎにヴァル・ド・グラース教会に来るように母上に言われているのだろう?」


 六十五歳のアンヌは、若かった頃に自分や夫の先代国王に仕えてくれた家来、友人たちが寿命で次々とこの世を去り、近頃はとてもさびしがっているのだ。だから、自分が「若くてお美しい王妃様」と呼ばれていた時代を知っている数少ない家来であるダルタニャンを毎日のように呼び、思い出話をしているのである。


「おまえが来てくれるのを母上も今か今かと楽しみにしているだろう。早く行ってやってくれ」


 そう言うと、ルイ十四世はそそくさと謁見の間を後にした。


(そんなに母親のことが心配なら、たまには顔を見せてあげればいいのに。どうせ、アンヌ様に虫歯のことで小言を言われるのが嫌なのだろう。二十七歳にもなって、まだまだ子どもっぽいところがあるおかただ……)


 ダルタニャンはため息をつきながら、心の中でそうぼやいた。


 ルイ十四世は、食べ物の好き嫌いが多いくせしてものすごい食いしん坊で、三百人以上のコックを雇い、毎日ぜいたくな食事をしていた。そのせいで、虫歯になりやすく、アンヌからは、


「暴飲暴食はいけません! 体をこわしてしまうし、虫歯になるたびに歯をぬいていたら歯が全部無くなってしまいます! 特に甘い物の食べ過ぎはいけません!」


 などと、顔を合わせるたびに叱られていたのである。


 ちなみに、もうちょっと後の時代、中年のおっさんになっても虫歯に苦しんでいたルイ十四世は、とんでもないヤブ医者に、


「歯があるから虫歯になってしまうんです! まだ健康の歯もふくめて全部ぬいちゃいましょう! そうしたら歯痛に苦しまなくても済みます!」


 とすすめられて、歯を全部ぬいてしまったらしい。


 こうして虫歯に悩まされることはなくなったが、当然の結果として、食べ物を噛むことができなくなり、大好きなシチューも十時間ぐつぐつ煮こんで具がぐちゃぐちゃになったものを丸飲みして食べるしかなくなったそうだ。

 読者のみんなも、歯は大事にしよう。




            👑   👑   👑



 さて、ルイ十四世は、パリの重要な防衛基地のひとつであるシャトレ砦に向かい、兵士たちの訓練を視察した。


 王様にとって、国民や兵士たちの人気取りも大切な仕事である。国民や兵士たちが「王様なんて嫌いだ!」と言い出したら、反乱が起きてしまうおそれがある。だから、たまにはパリ市民たちの前に姿を見せたり、兵士たちの訓練を見てあげたりなど、国民や兵士たちが王様のことを忘れないようにしないといけなかったのだ。


「王様、おつかれさまです。本日の訓練はこれで終わりです」


 砦の守りを任されている守備隊長のボワッセがそう言うと、ルイ十四世は「うむ」とうなずき、


「ところで、例の物はちゃんと用意しているのだろうな?」


 と、ボワッセにたずねた。


「はい、もちろんです。今夜はどうぞこの砦でゆっくりしていってください」


「むふふ……。では、そうさせてもらうとしよう」


 ルイ十四世は、ボワッセに案内されて、シャトレ砦の中にある隠し部屋に入った。ルイ十四世がこっそりお菓子を食べるための秘密の部屋だ。


 宮殿内にいると、ダルタニャンをはじめとする家来たちが、


「また甘いお菓子を食べているんですか王様! アンヌ様にチクリますよ!」


 などとおどすため、ゆっくりおやつも食べられない。


 だから、月に二、三度、シャトレ砦で兵士たちの訓練を視察する日には、砦の守備隊長ボワッセにたくさんのお菓子を砦の食料庫に運びこませて、思う存分お菓子を食べるのをひそかな楽しみにしていたのであった。


「むふふ~。今日はどんなお菓子が食べられるのかな~」


 ルイ十四世はよだれをたらしながら待っていたが、なかなかお菓子が運ばれて来ず、おかしいなと思った食いしん坊な王様は食料庫に行ってみた。


「おい、守備隊長。遅いではないか。早くお菓子を……」


 そう言い、ルイ十四世が食料庫をのぞいてみると、ボワッセが真っ青な顔をして棒立ちになっていた。


 ルイ十四世が倉庫の奥を見てみると……。


「ぎ……ぎゃーーーっ! ね、ネズミだーーーっ!」


 なんと、食料庫の中には大量のネズミたちがいて、倉庫内の食べ物――兵士たちの食料だけではなく、もちろん、ルイ十四世が楽しみにしていたお菓子も食い荒らしていたのである!





    🐭次回「国王に訴えられたネズミ、罪を認める?」につづく🍰




<ちょっとディープな用語解説>


〇ヴェルサイユ宮殿

狩りが好きだったルイ十三世(太陽王ルイ十四世の父)は、ヴェルサイユに狩猟時に休憩するための館をヴェルサイユに建築した。これがヴェルサイユ宮殿の始まりで、当初はごく小規模な城館だった。

この物語の当時(1665年)は、ルイ十四世がヴェルサイユ宮殿の大規模な増築をちょうど計画していた時期にあたる。

ルイ十四世がヴェルサイユ宮殿に引っ越そうとしていたのは、古くからある宮殿がとても臭くて住みにくかったからだという説がある。なぜ臭かったかというと、当時の貴族たちは便意、尿意を催すと、場所を選ばずに用を足したからだ。前にも書いたが、この時代はトイレの文化が発達しておらず、宮殿を出入りしている貴族たちもおまる(ポットみたいな形)を使っていた。しかし、数がぜんぜん足らなかったうえ、糞尿がたまったおまるを使用人たちは宮殿の庭に捨てていた。

あまりの臭さに嫌気がさしたルイ十四世はヴェルサイユ宮殿に移ったわけだが、そのヴェルサイユ宮殿には椅子式便器が270以上ほどあったらしい。

しかし、ヴェルサイユ宮殿に出入りしている貴族は1000人以上、使用人にいたっては4000人を越した。あきらかに便器の数が足りず、ほとんどの人間がおまるを使って、使用人たちはその汚物を懲りずに庭に捨てた。

かくして悲劇は繰り返されるのであった……。



〇パレ・ロワイヤル

ルーヴル宮殿の北にある。元はリシュリュー枢機卿の城館パレ・カルディナル(枢機卿宮)だったのだが、リシュリューの死に際して王室に寄贈された。

幼いルイ十四世の摂政をつとめていた母后アンヌ・ドートリッシュは息子を連れてこの城館に居を構え、名前もパレ・ロワイヤル(王宮)と改名した。

ルイ十四世がヴェルサイユ宮殿に移り住んだ後、パレ・ロワイヤルはルイ十四世の弟・フィリップ1世に与えられた。

ちなみに、この王弟フィリップだが、女装趣味があり、この小説が賞を獲得して続編を出すことができた時には登場させたいなぁと考えていた人物である。



〇マザランという大臣

リシュリュー枢機卿の死後にフランスの宰相となったイタリア出身の男。

アンヌ・ドートリッシュの愛人で、秘密結婚をしていたという説がある。ルイ十四世は、実はアンヌとマザランの間の子だという噂が当時から流れていたが、ルイ十四世が生まれる前後にマザランはまだイタリアにいたので、それはあり得ない。

マザランはダルタニャンを重用し、彼の立身出世の道を開いた人物でもある。

この物語ではすでに故人である(1661年没)。



〇ケンカ相手である兄を失ってから元気を無くしていたガストンは、その後はずっと領地のブロワで大人しくしていた

史実ではそんなことはなく、ルイ十三世の死後も性懲りも無く色んな陰謀に加わっていた。ただ、最終的にマザランによってブロワに追いやられたのは史実である。



〇あの娘の父親は、わが父の敵だった男だぞ?

ちなみに言うと、曲者だったのはオルレアン公ガストンだけでなく、ガストンの長女でこの物語のヒロイン・マリーの異母姉にあたるアンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアン(通称グランド・マドモワゼル。大女だったからそう呼ばれた)もかなりの曲者だった。

彼女は11歳年下の従弟ルイ十四世との結婚を熱望して、まだ幼少だったルイ十四世を追いかけ回し、結婚してもらえないと分かると態度を一変させ、フロンドの乱では反乱軍側について国王軍に向かって大砲をぶっ放した。

ルイ十三世・ルイ十四世は親子二代に渡ってガストン一族に頭を悩まされたわけである。だから、その家の末娘がパリにのこのことやって来たら、「何しに来やがった、こん畜生!」と不機嫌になるのも仕方が無いのかも……?



〇ダルタニャンには頭が上がらないのだ

ダルタニャンは、前述のフロンドの乱のおりに一時期パリから逃げ出したマザランと国王ルイ十四世・母アンヌとの間の連絡役をつとめ、危険な敵地にも潜入していたらしい。若き日の苦しかった時期に尽くしてくれたダルタニャンにルイ十四世が恩義を感じていてもおかしくないし、実際にダルタニャンのことをかなり気にかけていたようである。



〇そんなに母親のことが心配なら、たまには顔を見せてあげればいいのに

ルイ十四世はかなりの母親孝行だった。

この物語の翌年(1666年)に母アンヌ・ドートリッシュは病死するのだが、ルイ十四世は泊まり込みで母アンヌの看病を懸命にしたそうである。



〇シャトレ砦

前にも書いたが、現在の砦跡地はシャトレ広場になっている。



〇お菓子

中世の頃は砂糖入りのお菓子がほとんどなく、ハチミツや蔗糖しょとう(サトウキビ・サトウダイコンなどから抽出される糖。イスラム教の国々から輸入していたが、かなり高価だったらしい)が使われていた。

ただ、それでも、ケーキやワッフル、チーズタルト、クレープ、プチ・シューなどの我々もよく知っているお菓子は16世紀以前に存在した(砂糖を使っていなかったので、今とは味がかなり違うかも……?)。また、アンリ二世(ノストラダムスに死を予言されたことで有名な王様)の王妃カトリーヌ・ド・メディシスは、実家のイタリア・メディチ家からマカロンをフランスに伝えた。

17世紀に入ってアンティル諸島(西インド諸島の西部)でサトウキビが栽培されるようになると、お菓子に砂糖が使われ始めた。

ただ、ルイ十四世の時代でも、砂糖を使用しているお菓子は、当時のレシピ本に載っているお菓子の中の20~40%ぐらいだったらしい。

18世紀半ばになると、砂糖は一般市民でも買うことができる商品になり、お菓子の文化も発展していった。



〇ね、ネズミだーーーっ!

ネズミによって拡散された死の病がペスト(黒死病)である。あまりにもおびただしい数の人間が死んだので、中世ヨーロッパの人々はこの世の終わりが来たのだと思って恐れおののいた。

ちなみに、有名な予言者ノストラダムスは、ペストの治療や予防対策のために尽力した医者である。ノストラダムスは医者でありながら妻子をペストによって失ってしまったことを悔い、その生涯をかけてペストと戦った。酒や熱湯で市内の家々や道を消毒し、火葬をするように人々に求め、ペストの原因はネズミだから駆除すべきだと訴えたと伝えられる。

ペストの恐怖については、私の作品『カルチェ・ラタンの魔女』にも出てくるので、興味のある方はぜひ。

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