お姫様、動物弁護士の助手になる🐕🐾🐾🐾
裁判の続きは、明日の午後二時からということになった。
マリーとサラがシャトレ裁判所の建物を出た時には、パリの街は夕闇につつまれていて、
「これでは、もう目的地を探すこともできませんね」
と、サラは残念がった。
「安心してください。良い宿屋を紹介するという約束はちゃんと守りますから。さあ、マドモワゼル。僕について来てください」
「ありがとうございます、シャサネンさん。……ええと、私の名前はマリーといいます」
シャサネンにまだ名前を伝えていなかったことに気づいたマリーは、はにかみ笑いをしながらそう名乗った。箱入り娘だったマリーは、好奇心旺盛な性格ではあるが、同年代の男の子と話すのはまだ照れくさいのである。
「マリーさんですか。とても美しい名前だ。……それで、侍女さんの名前は?」
「サラです。どうぞよろしく」
サラも貴族の娘なので、いちおう礼儀正しくそう答えた。ただし、「よろしく」と言いながら、ギロリと眼光鋭くシャサネンをにらんでいたため、気の弱いシャサネンは、
(さ、殺気を感じる……。僕、彼女を怒らせるようなことをしたかなぁ?)
などと、ビビっていた。
「シャサネンさん。それでは、行きましょうか」
シャサネンがサラにおびえていることにまったく気づいていないマリーがそう言うと、シャサネンは「え、ええ……」と返事し、二人の少女を宿屋まで案内した。
その宿屋は、シャトレ裁判所からそれほど遠くない場所で、パリの防衛拠点のひとつとして建造されたシャトレ砦のすぐそばにあった。宿屋の名前は、
「
といい、白いウサギの絵が描かれた看板が建物の前にぶら下がっていた。
「実は、僕も弁護士として独り立ちした今年の一月からこの宿屋に部屋を借りていて、宿屋の主人の夫婦にはとてもお世話になっているんですよ」
「まあ、そうだったんですか」
「あなたと同じ宿屋に泊まるなんて、聞いていませんよ!」
シャサネンとマリー、サラがそう話しながら宿屋の中に入ると、小さくて白い生き物が、ぴょん、ぴょーんと飛び跳ねてやって来た。
「リュリュ、ただいま! マリーさん、サラさん。この子はオスのウサギでリュリュといいまして、この宿屋のマスコットなんです」
シャサネンは白ウサギのリュリュを紹介すると、リュリュを抱きかかえ、「おー、よしよし! おー、よしよし!」と言いながらリュリュに頬ずりをした。
「この子は、僕がどれだけスキンシップをしても嫌がらないし、逃げようとしない、とってもいい子なんですよ!」
「……逃げたくても、逃げられないだけなんじゃ……?」
サラが、ポツリとつぶやいた。シャサネンに両手でガシッと拘束されたリュリュは、必死に前足をのばしてシャサネンの頬ずり攻撃から逃げようとしているみたいだった。
サラの腕の中でうたた寝をしていた黒猫のニーナは、そんなリュリュの災難を見て、「同じ小動物の仲間として助けてあげなくては!」と正義感を抱いたのか、
「にゃーーーっ!」
と、シャサネンに飛びかかり、シャサネンの顔を爪でひっかいた。
「い、いて~! またひっかかれたー!」
おどろいたシャサネンは、尻もちをついて情けない声をあげる。そのすきにリュリュはシャサネンの手から脱出し、さわぎを聞きつけて建物の奥からあらわれた女性の足に隠れた。
「おかえり、ちっこい弁護士さん。他のお客さんもいるんだから、あんまりさわがないでおくれよ」
「エレーヌさん、ただいま。いいかげん、僕のことを『ちっこい弁護士さん』って呼ぶのをやめておくれよ。いてて……」
「いくら動物が好きだからって、過剰なスキンシップをしたら動物が嫌がるに決まっているじゃないか。本当にこりない子だねぇ」
シャサネンに「エレーヌさん」と呼ばれた三十代後半くらいの女性は、あきれながらそう言い、シャサネンの頬に薬をぬってくれた。
「おや? この娘さんたちは?」
薬をぬり終った後、エレーヌは、宿屋の玄関に突っ立ているマリーとサラにようやく気づき、シャサネンにそう聞いた。
「今日パリにやって来たばかりのマリーさんとサラさんだよ。お金を盗賊にとられてしまって困っていたから、つれて来たんだ」
シャサネンはそう言うと、マリーとサラに「この女の人は、白兎亭の主人ドニス・ボヌールさんの奥さんでエレーヌさんだよ」と紹介してくれた。
シャサネンからマリーたちの事情を聞いたエレーヌは、マリーたちに同情の目を向け、こう言った。
「そりゃあ災難だったねぇ。だったら、しばらくの間、うちの宿屋で生活するといいよ。部屋ならたくさんあるからさ。お金なら心配しなくてもいいよ。あなたたちの宿代は、このちっこい弁護士さんからちゃんといただくから」
「ええ!? 僕が払うの?」
「当たり前だよ。あんたが連れて来た子たちなんだから、最後まで面倒を見てあげないと。それが一人前のパリの男というもんだ」
「と、とほほ……」
ガクリとうなだれたシャサネンを見て、マリーは何だか申し訳ない気持ちになり、
「あの……。私たち、やっぱり、どこかで野宿を……」
と、言いかけた。しかし、シャサネンはハッとなって「し、心配いりません!」と言った。
「僕は優秀な弁護士ですからね。お二人の宿代を払うぐらいの収入はある……と思います!」
「でも、シャサネンさんにご迷惑をおかけしてしまいます」
「あなたたちのような美しい娘さんたちを野宿させてしまうほうが、僕の胸が痛むのです! どうか、この宿屋にとどまってください!」
面と向かって「美しい娘さん」と言われたマリーは、頬を赤らめた。その横でサラは、
(うげげっ! チビのくせして、キザなやつ! 都会育ちの貴族は女たらしが多いから気をつけろってお母様から言われていたけれど、本当だわ!)
と、シャサネンに対する印象をますます悪くしていた。こういう時は、「黙ってオレについて来い」と言うのが男というものだとサラは考えているのだ。
「だったら、こうしたらどうだい? ちっこい弁護士さんがお嬢さんたちの宿代を払うかわり、お嬢さんたちは弁護士の仕事を手伝うんだ。そうしたら、おたがいに助かるだろ?」
「ああ! なるほど!」
エリーヌの提案にマリーは目を輝かせた。マリーは、今日のシャサネンの仕事を見て、動物たちのために働いているシャサネンの力になれたらなぁと考えていたところなのだ。
「わかりました! では、そうさせていただきましょう! 私、今日からシャサネンさんの助手になります」
「ええ!? ひ、姫様、本気ですか?」
「うん。私は本気だわ、サラ。だって、お世話になるからには恩返しをしなきゃいけないでしょ?」
マリーは、ビックリしているサラに微笑んでそう言うと、シャサネンに向き直ってペコリとお辞儀をした。
「シャサネンさん、よろしくお願いします」
「こ……こちらこそ……」
シャサネンは、どきまぎしながら返事をした。エリーヌの思いつきでいきなり美しい少女が自分の助手になったことにおどろいているだけではない。
(この子は、物腰柔らかでとても気品がある。ただの田舎育ちの小さな貴族の娘とは思えない。もしかしたら、どこかの立派な大貴族のご令嬢かも知れないぞ。そんな娘さんを助手になんかしちゃって、だいじょうぶだろうか?)
と、内心では心配していたのである。だが、キザなセリフが無意識に出るわりには気が弱いシャサネンは、マリーに「あなたはどこの貴族の娘さんですか?」とたずねることができなかったのであった。
「早速ですが、シャサネンさん。助手となったからには、シャサネンさんの予定をしっかりと知っておく必要があります。あのかわいそうなマルチーズのワンちゃんの裁判を解決するために、今後どう動かれるおつもりですか?」
シャサネンの心配をよそに、すっかり動物弁護士の助手になったつもりのマリーがやる気満々の表情でそう言った。何だか楽しそうである。
(姫様は、好奇心旺盛な性格なのに、ずっとお城から外に出してもらえず、退屈で同じことの繰り返しの毎日を過ごしてきたからなぁ……。ようやく城の外に出ることができて、いろんなことを見たり聞いたり、体験したくてウズウズしているんだわ)
そう察したサラは、姫様の好奇心と社会勉強を無理に止めるのはかわいそうだと考え、シャサネンのことは気に食わないけれどここは協力しようと考えた。
「まず、オーノア伯爵のところへ行かないといけないのでは? 事件の目撃者であるオーノア伯爵を裁判所に連れて来いとベッソン裁判長が言っていたではないですか」
シャサネンの仕事を手伝うことを嫌がっているように見えたサラがそんな積極的なことを言ったため、マリーはうれしそうに微笑んだ。
シャサネンも、(もしかしたら、僕はサラさんに嫌われているのでは?)と思っていたため、ホッとしてうなずいた。
「その通りです、サラさん。……ですが、僕にはひとつ気になることがあって……。その気になることから先に調べてみたいと考えています」
「気になること? 何ですか、それは?」
「マルチーズ犬は、非常に高価なペットなんです。それこそ、王族や金持ちの大貴族にしか買えないほどの高額で取り引きされる犬なんですよ。オーノア伯爵は、『どこのだれが捨てた犬かは知らないが……』などと言っていましたが、そんな高価なペットである犬が簡単に捨てられて野良犬になっているわけがありません。おそらく、あのマルチーズ犬はとても尊い身分である飼い主の不注意で屋敷から逃げ出したか、それとも……何者かによって屋敷から誘拐されたかのどちらかだと思うんです」
「ゆ、誘拐!? 何のためにですか?」
おどろいたマリーが大声をあげた。
「高価なペットを誘拐して、金もうけのために売ってしまうのが目的ですよ」
悪いことをして金もうけをするという発想がまるで無かったマリーは、頭をハンマーでなぐられたようなショックを受けた。
「そ……そんな……。そんなのひどいです……」
「そうです。とてもひどいことです。動物たちは金もうけの道具なんかじゃない。……でも、そういう悪いことを考えつく悪党が世の中にはいるんですよ。そして、さらに問題なのは、そのマルチーズ犬の誘拐犯が、オーノア伯爵である可能性が高いということです」
「オーノア伯爵が!? なぜそう思うんですか?」
「僕も、最初からオーノア伯爵のことを怪しいと思っていたわけではないんです。けれど、ベッソン裁判長の『逃げるということは、何か知られたくない秘密を隠し持っている可能性がある』という言葉を聞き、もしかしたらオーノア伯爵は犯罪に関わっているのかも知れないと考え始めたのです。オーノア伯爵は、『あの犬は自分のペットではない。急に馬車に飛びこんで来たんだ。自分のペットではない犬のために裁判なんかに出られるか』と、しつこいほどにあのマルチーズ犬と自分は無関係だと主張していました。……つまり、オーノア伯爵は、自分が犬と大きな関係があることを隠そうとしていたと推測できます」
「で、でも、それだけでは、オーノア伯爵がワンちゃんの誘拐犯だという証拠には……」
できる限り人を犯罪者だと決めつけたくはないマリーがそう言うと、シャサネンが「ええ。それだけでは証拠になりません」とうなずいた。
「とにかく、あのマルチーズ犬がいったいだれのペットだったのかということを調べましょう。エレーヌさん、ここ数日の新聞を持って来てはくれませんか」
「ガゼット新聞かい? いいよ」
エレーヌは、五日前から今日の夕方までに発行された新聞「ガゼット」をシャサネンに渡してくれた。
この当時、フランス国内で発行されていた「ガゼット」という名の新聞は、現代の新聞とはちがい、フランス国王ルイ十四世の政治のすばらしさやフランス軍が外国の軍隊といかに勇敢に戦ったかなど、フランス王国のいいことばかり記す「王国の宣伝用の新聞」といった感じのものだった。なぜそんな新聞だったのかというと、この新聞「ガゼット」が王国の宰相(総理大臣)の後ろ盾によって作られたからである。
「この新聞、政治の話ばかりでつまらないんですが、たまに『行方不明のペットを捜しています』という記事が小さくのっていることがあるんです。この記事の中に、あのマルチーズ犬を捜している飼い主がいるかも知れません」
新聞を白兎亭の二階にある自分の部屋に持ちこんだシャサネンは、マリーとサラにそう説明し、食い入るようにして新聞の小さな記事を読み始めた。
「サラ。私たちも、ワンちゃんの記事を探しましょう」
「はい、姫様」
マリーとサラもペット捜索依頼の記事を探した。
その結果、なんと三十数件ほど見つかり、その中にはシャトレ裁判所の動物好きの裁判官クルーゾーのペットである犬三匹の捜索依頼の記事もあった。
「こんなにも行方不明の動物がいるなんて、少し異常だな……」
と、シャサネンは疑念を抱いた。しかし、肝心のマルチーズ犬の捜索依頼の記事は見当たらなかったのである。
「おかしいなぁ……。マルチーズ犬を飼っているぐらいの金持ちなら、新聞社に掲載料金を払って、ペットの捜索依頼の記事を必ず出すはずだと思ったのに……」
「掲載料金? 新聞に記事をのせてもらうのに、お金がかかるんですか?」
「それはそうですよ、マリーさん。小さな記事でも、けっこうな金額を取られるんです」
「……マルチーズ犬は、王族や大貴族しか飼えないほど高価なペットなんですよね?」
「ええ。昔、アンリ三世という王様がマルチーズ犬を飼っていて、それ以来、フランスでマルチーズ犬が人気になったんですが、今でもほんのひとにぎりの権力者か大金持ちしか飼えないです」
「私、思うんですが、そんな力のある飼い主なら、ガゼット新聞に頼んで、もっと大きな記事をのせてもらうことができるんじゃないでしょうか?」
「え……。ああ! そうか! マリーさんの言う通りだ! 小さな記事ばかり読んでいても、見つからないはずだ!」
シャサネンが、ぼんやりとしたお嬢様だと思っていたマリーの意外な鋭さにおどろき、そう声をあげた直後、
「姫様、ありました! 姫様の推理通りです!」
サラが今日の夕方に発行されたばかりの新聞をテーブルの上に広げ、そうさけんだ。
マルチーズ犬の記事は、なんと一面記事としてでかでかとのっていたのである。しかも、ご丁寧に犬のイラストつきだった。
「きっとこの子だわ! シッポにリボンがついているもの!」
「まさか一面記事にのっているとは思わなかったから、うっかり見落としてしまった。とほほ……」
シャサネンが情けない声を出して落ちこんだが、サラに「今は落ちこんでいる場合じゃないでしょ?」と叱られ、気を取り直して記事の内容を読み上げた。
シャサネンが読み上げた記事の内容は以下の通りである。
「今日の昼頃、私の飼っているメスのマルチーズ犬が突然姿を消しました。名前はプティと言います。シッポにピンクのリボンがついていて、とても元気な子です。私が愛するワンちゃんを街で見かけたかたは、ヴァル・ド・グラース教会まで連れて来てください。お礼に、七つの宝石がちりばめられた首飾りを差し上げます
依頼人 アンヌ・ドートリッシュ」
記事を読み終えたシャサネンは、手に持っていた新聞をぽとりと手から落とし、
「あ……アンヌ・ドートリッシュだって! こいつは大変なことになったぞ!」
と、ほとんど発狂に近い大声でそうさけんだ。サラも、大きく目を見開き、
「姫様! あの犬は、アンヌ様のペットだったんですね!」
と、マリーに言った。しかし、マリーだけは、
「アンヌ・ドートリッシュ? どなたですか?」
そう言い、首をかしげたのである。
シャサネンとサラは、同時にずっこけた。
「マリーさん……。アンヌ様を知らないんですか? 普通、フランス人ならだれでも知っていますよ?」
「ええと~。どこかで聞いたことがあるような、無いような……?」
超がつくほど世間知らずなマリーは、「う~ん」とうなりながら考えこんだ。
「国王様のお母様ですよ。スペインの王家のご出身で、先代のフランス国王様(ルイ十三世)のお妃となり、現在の国王様が子どもだった時には国王様のかわりにこの国の政治を行なっていたおかたです。今は引退なされて、ヴァル・ド・グラースという立派な教会にいらっしゃると聞いていましたが……」
「え? 国王様のお母さん? ということは……。ああ! わかりました! 『アンヌおばさん』ですね!」
「お、おばさん!?」
マリーが、国王の母親をおばさん呼ばわりしたことにおどろき、シャサネンは素っ頓狂な声を上げた。すると、サラがマリーの口をあわててふさぎ、
「あ、あはははは! 良かったですね、シャサネンさん! これで手がかりが見つかりましたよ! 日が暮れてしまいましたが、今からでもその教会に行き、アンヌ様にプティの行方を教えてさしあげましょう! さあ、早く!」
と、何かをごまかしたそうな様子でそう言い、シャサネンをせかした。
「……そ、そうですね。『善は急げ』と言いますから……」
シャサネンがサラの剣幕に気圧されながらうなずくと、サラは、
「姫様。ようやく、私たちの目的地にたどりつけますね」
と、マリーの耳元にそうささやいた。
そのささやき声は、シャサネンには聞こえていなかった。
💎 🌸 🐶
こうして、シャサネンとマリー、サラは、ヴァル・ド・グラース教会へと向かった。
ヴァル・ド・グラース教会は、白兎亭のあるシャトレ地区がパリの真ん中を流れるセーヌ川の北岸にあるのに対して、セーヌ川の南にあり、先々代の国王アンリ四世の奥さんだったマリー・ド・メディシスという人が昔住んでいたリュクサンブール宮殿のすぐとなりに建っていた。
この教会は、昔は小さな教会だったのだが、アンヌ・ドートリッシュの寄付によって教会を大きくすることができたのである。そして、今は老後の生活を送っているアンヌの住まいになっていた。
「ここがヴァル・ド・グラース教会ですよ」
「わぁ~。お城みたいに大きな教会なんですね!」
マリーがそう言ってはしゃぐと、教会の入口の門から「こんな時間にさわいでいるのは、だれだ!」という怒鳴り声が聞こえてきた。教会の警備にあたっている兵士のようだ。
「教会なのに、兵隊さんがいるんですか?」
おどろいたマリーがそう言うと、シャサネンは「当たり前ですよ」と答えた。
「ここは、ただの教会じゃないんですから。国王様のお母様が住んでいるんですよ? 警備だって厳重なはずです」
「そっか……。そんなに警備が厳しいのなら、泥棒も簡単には教会の中に侵入できないですよね? つまり、あのワンちゃんを教会から連れ出すことができるのは、正式な手続きを取って教会の中に入れてもらい、アンヌおば……アンヌ様と面会した貴族ぐらいになりますね」
「その通りです、マリーさん。だから、アンヌ様に今日面会した貴族の中にオーノア伯爵がいたら、ビンゴです!」
マリーの推理に満足したシャサネンは大きくうなずくと、こちらに近づいて来た警備の兵士に丁寧な口調であいさつをして、
「僕たちは、アンヌ様がペットの犬を捜していることを知り、その犬の情報をお伝えするためにやって来ました。どうか、アンヌ様に会わせてください」
と、頼みこんだ。
「な、なんだって!? おお、そうか、そうか。それは助かった。アンヌ様のペットが姿を消したおかげで、一日中大さわぎだったのだ」
兵士はホッとした様子でそう笑い、シャサネンとマリー、サラを教会の敷地の中に入れてくれた。
庭にはたくさんの華やかな花々が咲きほこり、マリーはキレイな花がいっぱいだなぁとのんきに楽しんでいたが、今から王様のお母様に会うのだと考えて緊張しているシャサネンは花など気にしている場合ではなかった。
「あら? 何だか音楽が聞こえてくるわ」
ミサが行われる教会の聖堂に近づくと、どことなく悲しげでさびしそうなメロディーが流れてきて、マリーはそうつぶやいた。
「何だね、君たちは」
シャサネンたちは、聖堂の前に立っていた一人の男に呼び止められた。
落ち着いていて優しそうな声だが、その男は威風堂々としていて体格もたくましく、いかにも強そうな剣士だった。
シャサネンは、この男の服装を見て、何者なのかすぐにわかった。
男は、前後に銀の十字架が刺繍された青いコートを着て、つばの広い帽子をかぶっている。この服装は、フランス国王を護衛するために組織された軍隊――銃士隊の隊士だけが着ることを許されているものだ。
(アンヌ様は、銃士隊の隊長であるダルタニャンどのを昔から信頼して、そば近くに置いていると聞いたことがある。ということは、あの人はフランス最強の剣士、ダルタニャンどのにちがいない)
シャサネンたちをここまで連れて来た警備の兵士が青いコートの剣士に事情を説明すると、剣士は「そうか」と静かにうなずき、
「私は、銃士隊の隊長をつとめるダルタニャンという者だ。アンヌ様は聖堂の中にいらっしゃる。ここから先は、私が案内しよう」
そう言ってシャサネンたちを聖堂の中に入れてくれた。
シャサネンは(やっぱり!)と思い、うれしくなった。王様をお守りする銃士隊は、パリ市民の間では大人気で、その隊の隊長であるダルタニャンは若者たちのあこがれの的だったのである。
サラも、(何だかとても強そうな人……。私のタイプかも!)と考えていた。
一方、マリーはというと、荘厳な聖堂の美しさに夢中になっていて、(うわぁ……。とってもステキな場所だわ!)などと思いながら、天井を見上げていた。そこには二百人以上のキリスト教の聖人や王室ゆかりの人々が天の雲にのっている天井画があり、こんな天井にどうやって絵を描いたのかしらと不思議に思っていたのである。
「アンヌ様。プティを見つけたという者たちが面会を求めております」
ダルタニャンは、パイプ・オルガンを弾いていた女性にそう言った。この女性が国王の母であるアンヌらしい。年齢は六十五歳で、この時代ではかなりの高齢だが、シャサネンたちには四十代後半くらいにしか見えないほど若々しい人だった。
「まあ、本当?」
アンヌはそう言って演奏をやめると、おだやかな笑みをシャサネンたちに向けた。
「うれしいわ。このままプティが見つからなかったらどうしようかと悲嘆に暮れていたところなの。気をまぎらわすためにオルガンを弾いていたけれど、気分が沈んでいるせいで、物悲しいメロディーばかりが頭に思い浮かんでしまって……。でも、これでひと安心ね。あなたたちが私の可愛いプティを見つけてくれたの? ありがとう。心から感謝するわ」
王の母に言葉をかけられたシャサネンは、緊張のあまり何も言えず、固まってしまった。そんなシャサネンのかわりに伝えるべきことを話したのはマリーだった。
「実は、プティちゃんは、今、かわいそうなことにシャトレ裁判所の牢屋の中にいるのです」
マリーは、今日初めて首都パリの土を踏んだ世間知らずな田舎育ちの娘とは思えないほどの堂々とした話しかたで、プティが動物裁判にかけられてしまったいきさつを語った。
シャサネンは、マリーの肝のすわりかたに感心し、僕も負けていられないなと思って、意気地の無い自分を心の中で叱った。
「動物裁判……。あの子は暗くてせまい場所が嫌いなのに、牢屋に閉じこめられているなんて、かわいそうに……。」
心優しい人なのだろう。アンヌは、可愛がっているペットのことを思い、涙ぐんだ。
「それにしてもおかしな話だ。アンヌ様のペットが、なぜオーノア伯爵の馬車にいたのだろう?」
ダルタニャンがそう言って首をかしげると、ようやく緊張がほぐれてきたシャサネンが、「その疑問が、プティを動物裁判から救う突破口になりそうなんです」と言った。
「アンヌ様。今日、アンヌ様と面会した貴族たちの中に、オーノア伯爵はいますか?」
「オーノア伯爵なら、今日の午後一時くらいに会ったわ。犬が大好きだというので、プティを抱かせてあげたの。伯爵はプティにお菓子を食べさせてあげて、プティのほうもずいぶんと懐いていたわ。……それからしばらくして、伯爵は帰って行って……。ああ、そうだわ。プティがいなくなったのもちょうど同じ時刻だったはず……」
シャサネンは「なるほど……」とつぶやくと、これまでに入手した情報とアンヌの証言を頭の中で素早く整理し、自分の推理を披露した。
「これで、ハッキリしました。オーノア伯爵がプティを誘拐したのです。伯爵はエサでプティを手なずけて、アンヌ様の目を盗み、プティを自分の馬車に入れてこの教会から出て行ったのです」
「まあ! オーノア伯爵が!?」
「はい。……ですが、プティは暗くてせまい場所が嫌いなのですよね? 暗くてせまい馬車の中に入れられたプティは恐くなり、シャトレ地区を通りかかった頃、馬車の中で暴れだしたのだと考えられます。オーノア伯爵は暴れるプティを何とかして大人しくさせようとしたけれど、ガブリと噛まれてしまった。そして、興奮したプティは馬車から飛び出し、たまたま馬車の近くにいたシャラント伯爵夫人とぶつかってしまった……。真相はきっとこうです。つまり、プティはシャラント伯爵夫人を暴行した凶悪犯の犬ではなく、誘拐の被害にあったかわいそうな犬なのです」
シャサネンはアンヌに理路整然と説明し、最後にこう言った。
「オーノア伯爵をアンヌ様のペットを誘拐した不届きな犯罪者として裁判所に引っ立てたら、プティは無罪になるにちがいありません」
「……しかし、オーノア伯爵がプティを誘拐したという証拠がないのに、逮捕することはできないぞ」
ダルタニャンがそう言うと、シャサネンは「証拠なら、オーノア伯爵の屋敷の中にきっとあります」と答えた。
「ここ最近、行方不明になったペットの捜索を依頼する記事が新聞にたくさんのっています。おそらく、動物を誘拐して売りさばき、金もうけしようとしている動物誘拐犯の仕業です。もしも、オーノア伯爵がその動物誘拐犯ならば、屋敷の中にたくさんの誘拐されたペットたちがいるはずです」
「君はなかなか頭の回転が速いな。そういうことなら、これからただちにオーノア伯爵の屋敷を家宅捜索しよう」
ダルタニャンはそう宣言すると、アンヌに一礼して聖堂の外に出て、
「銃士隊、出動!」
と、教会の庭にひかえていた銃士たち二十数人にどなった。すると、
「おーーーっ!」
と、青いコートを着た銃士たちがいっせいに力強い声でさけび、ダルタニャンを先頭にしてオーノア伯爵の屋敷へと向かって行ったのである。
「なんて勇ましくて頼もしい人なんでしょう……」
サラは、かっこいいダルタニャンの勇姿を見て、ほれぼれとした様子でそうつぶやいていた。
「サラさん。ダルタニャンどのは、見た目は三十代くらいですが……今年で五十歳ですよ?」
シャサネンがそう言ったが、
「恋に年齢なんて関係ないわ!」
サラは目を宝石のように輝かせてそう笑うのであった。
💗次回「裁判所、動物の群れで大パニックになる」につづく💗
<ちょっとディープな用語解説>
〇サラも貴族の娘
『三銃士』でアンヌ王妃の侍女として登場するヒロイン・コンスタンスは、主人公ダルタニャンが下宿している宿屋の主人ボナシューの妻だが、王族や高貴な人々に仕える侍女が庶民出身であることはまず無かった。だから、実際はコンスタンスのような一般市民ではなく、貴族の娘が侍女として選ばれたのである。
ぶっちゃけた話、高貴な人々は目下の者を自分たちと同じ人間とは思っていない節があり、同じように庶民たちも高貴な人々を同種の人間とは見ていなかった。
ただ、あまりにも目下の者を見下していると大変な目に遭うこともある。アンリ三世(ヴァロワ王朝最後の王)という王様は、謁見を求めてきた修道士に会う時、穴あき椅子(玉座兼便器)に座って用を足しながら修道士と会うという舐めた真似をして、スッキリしている最中にその修道士に暗殺された。
また、市民たちも嫌いな大臣が王様に殺されると、その大臣の墓をあばいて遺体を八つ裂きにして橋にさらすというえげつない行為に走った。
もちろん、市民に慕われた王様もたくさんいるし(ルイ十四世の祖父アンリ四世が暗殺された時は、パリ市民たちは「我々の父が殺された!」と嘆いた)、貧しい庶民のために炊き出しを行なって慈善活動をした貴婦人たちもいるので、いちがいには言えないが、貴族たちは同じ貴族出身の娘に世話をしてもらうほうが安心だったのは確かだろう。
〇王族や金持ちの大貴族にしか買えないほどの高額で取り引きされる犬
他にフランス国王に飼われていた犬を探すと、シャルル九世(マルチーズ犬を飼っていたアンリ三世の兄)がイングランド女王エリザベスから贈られたブルドックを飼っていた。
また、17世紀の初めごろから小型犬をペットにするのがブームになり、貴婦人たちは腕に抱えて犬たちを連れ歩いたらしい。
〇新聞「ガゼット」
ルイ十三世(ルイ十四世の父)の時代の1631年5月30日に創刊。この新聞の創刊の後ろ盾となった宰相というのは、『三銃士』の悪役として有名なリシュリュー枢機卿で、ガゼット新聞はブルボン王朝のプロパガンダ紙だった。この新聞の記事にはダルタニャンの名前も出てくる。
長らくフランス最初の新聞だと思われていたが、ガゼットが創刊される4か月半ほど前に発刊された週刊紙があったことが分かった。
〇『行方不明のペットを捜しています』という記事が小さくのっていることがある
実際のところ、官報であるガゼット新聞にペット捜索依頼の記事が載っていたとは考えにくいかなと思いながら執筆していたが、まぁそこらへんは作り話なので多少は許してチョンマゲ。
ただ、後に出てくる他の新聞ではこういったペット捜索依頼の記事がたまに載っていた。
以下に、ルイ十五世の時代の頃に実際に新聞に載ったペット捜索依頼の記事の一例をあげる。
「一ルイ金貨差し上げます。
灰の水曜日以来、牝の猟犬が行方不明。首輪には『私はプラトリエール通り在
住の総徴税官デュパン・ド・フランクイユ氏の犬です』と書いた銅板がついてい
ます。この犬は中型で年をとり、右耳に黒い点がひとつあるほかは真っ白です。見
つけてくださった方はデュパン氏宅までお連れ下されば約束のお礼を差し上げま
す。(白水社刊『パリ歴史事典』より)」
※灰の水曜日……復活祭の46日前の水曜日のこと。
灰の水曜日から復活祭前日(聖土曜日)までの期間を四旬節
といった。
〇アンヌ・ドートリッシュ
スペイン・ハプスブルク家の王女で、ルイ十三世の王妃。ルイ十四世の生母。
『三銃士』ではバッキンガム公爵とのスキャンダルで有名だが、バッキンガム公爵とは物語と似たような恋愛沙汰が実際にあって、それがラ・ロシェルの戦いの遠因となった。
実家であるスペインと対立する政策をとる夫のルイ十三世と宰相リシュリューに反発し、弟のスペイン王フェリペ四世とこっそり手紙のやり取りをしていた。それがリシュリューにばれて追いつめられたこともあったが、夫の死後は幼い息子ルイ十四世を守るために摂政となり、愛人の宰相マザラン枢機卿に助けられて政治を行なった。
〇ヴァル・ド・グラース教会
アンヌ・ドートリッシュの陰謀の舞台となった教会。
アンヌは、夫に隠れてスペインからの使者と会ったり、リシュリュー排斥の相談をしたりする時に、この教会を使っていたようである。また、教会の地下には政治犯をかくまうための部屋もあった。
シスターたちは、教会の庇護者だったアンヌに協力的で、リシュリューの命令を受けた兵たちが教会を家宅捜索した時には、アンヌが弟のスペイン王から受け取った手紙などを急いで破棄した。
こんなふうにアンヌが思うがままに使っていた教会なので、彼女の警固のために銃士隊や警備兵が敷地内をうろうろしていても、教会のシスターたちは文句を言わなかった(というか言えなかった)のでは……と思う。
〇リュクサンブール宮殿
イタリア・メディチ家出身のマリー・ド・メディシスが居城とした宮殿。イタリアにいた頃に彼女が住んでいたメディチ家のピッティ宮殿を参考にして改築した。
〇ダルタニャン
言わずと知れた『三銃士』の主人公。ちなみに、『三銃士』はアレクサンドル・デュマの『ダルタニャン物語』の三部作のうちの第一部に過ぎず、第二部『二十年後』、第三部『ブラジュロンヌ子爵』と続く。有名な鉄仮面のエピソードは第三部で出てくる。
史実の彼の名はシャルル・ダルタニャン。父の姓はカステルモールなのだが、母方の祖父がそれなりに名の知れた軍人だったので、母方の姓ダルタニャンを名乗った。
1630年頃に銃士隊に入隊し、銃士隊が一時解散させられた後は宰相マザランの部下となって働き、銃士隊再結成後に紆余曲折を経て銃士隊長となった。ただし、国王直属の部隊である銃士隊は、正確には国王ルイ十四世が銃士隊の隊長で、ダルタニャンは「隊長代理」である。(実際の指揮権はもちろんダルタニャンにあった)
シャルル・ダルタニャンは、マザランを嫌っていた『ダルタニャン物語』の主人公ダルタニャンとは違い、宰相マザランに尽くしてお互いに信頼関係があったようである。また、1673年にシャルル・ダルタニャンが戦死したという報告を聞いたルイ十四世は王妃への手紙で「私はダルタニャンを失ってしまいました。私が最も大きな信頼を寄せていた男です。何事につけても私によく仕えてくれた男でした」と嘆いたという。
ちなみに、三銃士のアトス、アラミス、ポルトスにもモデルがいる。史実のダルタニャンとアトスは同年代で、アラミスとポルトスはダルタニャンより年下である。
アトス(史実の名はアルマン・ド・シレーグ・ダトス・ドートヴィエイユ)はルイ十四世が即位した年(1643年)に決闘騒ぎを起こして死亡。アラミス(史実の名はアンリ・ダラミツ)は軍人を引退後、故郷で修道院長に就任。ポルトス(史実の名はイザック・ド・ポルトー)は銃士隊を離れた後にナヴァランクスという要塞の守備隊に入ったが、後に引退して故郷に帰った。
ダルタニャンと史実の三銃士が銃士隊に一緒にいた時期は、おそらく1643年(ポルトスが銃士隊に入隊した年であり、アトスが決闘で死んだ年)のたった一年間だけであったと思われる。
〇恋に年齢なんて関係ないわ!
ダルタニャンは結婚してすぐに離婚しているので、サラにもチャンスはある……?
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