第4話 独りごと・・・
扉のあちら側とこちら側
欲望が合意のもとでない場合、社会的公序良俗に反する場合、想像を実行に移してはならない。
芸術にヌードはつきものだ。
写真家も画家も衣服をまとわぬ女性をモチーフとして描く。
が、エロスとアートの境界線は、どこにあるのだろう?
それは、芸術家たちの間でも頻繁に論議をされるようだ。
美術館で開催される場合は裸婦 ー それがセンセーショナルなものであっても「アート」扱いされる。ソコ(美術館)に置いてあるから。
写真の場合はどうだろうか。
性的興奮のあるもの、所謂アダルト雑誌がある。
それらは「エロ」「アブノーマル」になる。
写真家が「美しい」と思って撮影した女性あるいは男性の裸体はどうなるだろうか。
小説の場合は?
ナブコフの「ロリータ」、大江健三郎の「美しいアナベル・リィ」は文学。
漫画でも文章でも性的描写のあるものがある。
境界線というものはわかりにくい場合があるのは事実だろう。
人は超えてはいけない境界線を分別は出来るのだが。
想像と創造の自由は侵されてはいけない。
言論の自由のように。
ただ、「自由」には責任と理性が伴わなくてはならない。
言葉は人を癒すことも、攻撃して心に傷を負わせることも出来るから。何を言っても良いということではない。
1人よがりで、相手の合意のない勝手な「欲望」。想像したとして、それを実行に移したとしたら、コントロールできない子供の欲望と同じだ。「あの玩具が欲しい。買って買って。」親がたしなめるが、大人の「子供みたいな欲望」は、たしなめる人がいないと・・・。
例えば、心の中で「誰かがいなくなればいい。」と思ったとして、それを実行に移した場合どうなるか。
合意なき性的欲望・アブノーマルな想像も、直接に相手に実行に移したとしたら・・・超えてはいけないもの
扉のあちら側とこちら側を認識しなくてはならない。
認識できず、境界線の曖昧さがあるのならば、扉は開けてはならないだろう。
扉の向こう 青砥 瞳 @teresita
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます