散歩

と~や

神様はいますか

「なあ、ちょっと散歩にいかへん?」


 出不精の夫が珍しく言い出した。健康のためにと近所をウォーキングがてら毎日歩いている私と違い、夫は基本、引きこもりだ。

 一緒に行こうと誘っても絶対うんと言わない人が珍しく誘ってくれたのだ。当然行くに決まっている。

 喜々としてお財布や鍵、タオルを準備している横で、夫はデジカメとスマートフォンを準備している。最近はやりの位置情報ゲームは私も散歩の時にやっているが、夫もやっているとは知らなかった。

 マンションの階段を降り、西へ歩く。

 このあたりは西に向けば六甲山がすぐ目に入る。高層ビルはといえばマンションがちらほらある程度で、意外と空は広い。これが会社のある大阪市内になると何と空の狭いことか。

 ほてほてと歩きつつ、見つけた自動販売機でお茶を買う。暑くもなく寒くもない、歩くにはちょうどいい時候だ。ときどきいきなり立ち止まるのは、位置情報ゲームのためだが、せめて歩道の端っこに寄って立ち止まって欲しい。自転車がベルを鳴らしながら通るので、袖を引っ張って避けさせる。

 それにしても、どこへ行こうというのだろう。


「どこ行くん?」

「鴻池神社」


 こうのいけじんじゃ? そんな神社がこのあたりにあっただろうか。

 中学校の近くに素戔嗚すさのお神社があるのは知っている。阪神大震災の際に倒壊して、氏子の寄付によって再建されたと説明にあった。立派な鳥居と狛犬のある神社で、距離もちょうどいいので好んで歩くウォーキングルートだ。


「素戔嗚神社じゃなくて?」

「あれより遠いけど、すぐやから」


 すぐ、という言葉を信用して歩き続ける。暑くも寒くもないけれど汗をかくのは私が汗かきで太っているからだが、その解消のために歩いているのだ、気にしない。夫はといえば汗一つかいていないのが憎たらしいけれど。


「たしかこっち……あった」


 スマートフォンの地図を頼りにたどり着いたのは、こちらも再建されたであろう綺麗な神社だった。その手前に揃って立つ狛犬の顔が素戔嗚神社とはまた違って味わい深い。

 夫がカメラを構えて狛犬たちを撮っているのを見て、私もスマートフォンのカメラアプリを起動する。神社仏閣や狛犬は大好きなのだ。


「ここの狛犬、いい顔してるやろ」

「うん、こんなところにこんな神社があるとは知らんかった」


 素戔嗚神社から歩いて十分ぐらいで、住宅と田んぼに囲まれた昔ながらの村の真ん中にそれはあった。傍には背の高い鉄筋コンクリートの蔵があって、曇りガラスを通して見える色合いからして、秋の祭りに使う山車が納められているのだろう。そういえば、この時期によく子供たちの練り歩く明るい声が聞えていたっけ。

 素戔嗚神社の方には神輿はなかったから、きっとこの鴻池神社の山車なのだろう。義母のやっている居酒屋に来る常連さんが世話人をやっているとも聞いたっけ。

 それにしても、こんな住宅の真ん中にあるのに、やはり神社という空間は空気が違う。吹いてくる風が冷たく感じるのは、足を止めて吹き出した汗が引いたせいではあるまい。


「で、ここに来た理由は?」


 ひとしきり写真を撮り、鐘を鳴らしてお参りした後に夫に聞くと、ちょっと困ったように笑う。

 何? と重ねて聞けば、夫は社に目をやった。


「この前散歩してたときに見つけたんやけどな」

「うん」

「……その時に『今度は嫁を連れてこい』って言われたんや」


 誰に? とは聞かなかった。


「そうなんや。で、合格って言うてはる?」


 くすりと笑って私も社に目を向ける。


「うん、『よう来た』って言うてる。でも狛犬たちから『遅い』って怒られた」


 狛犬たちもか。ちらりと左右の狛犬たちを見る。


「道理で、なんか歓迎されてる感じがしたんや。ここ、ちゃんといたはる・・・・んやね」

「お参りに来る人がいたはるし、ちゃんとお祭りもしてるからやろな」


 私たちが写真を撮っている間にも、近所の方らしい老人や主婦の方が来ていた。それだけ、地元の人々に愛されている神社なのだ。


 忘れ去られた社の神はいなくなる。

 今まで出かけたあちこちでも、神のいない社はいくつもあった。……らしい。

 私には見えないから、夫からの伝聞でしかない。でも、ちゃんと神のいたはる社の境内は明らかに空気が違う。


 夫は見える人だ。見えて、聞こえる。ゆえに時折こうやって神の要望に応えたりもするわけで。

 今回は、『次回は嫁を連れてこい』というのが神の要望だったのだろう。

 ただ、良くないものも見えて聞こえるらしい。全く感知できない私をうらやましがる。

 辻に立つ地蔵を見て『まだいたはるから気にするな』、と言える程度には見える。

 見えて聞こえるだけで、何もできないのだ。寄ってこられても困る、ということなのだろう。

 オカルトに興味がある私としては逆にうらやましいのであるが、きっとこれは隣の芝生なのだろう。


「ほな、帰ろか」

「うん」


 社に背を向けるとざあっと風が吹いて髪の毛を乱していく。

 夫が振り返って社の上のあたりを見あげていた。視線をたどっても、何も見えないわけで。


「神様、なんか言うてた?」

「ん、『また近いうちに来い』って」

「そっか。じゃあまた来ようか」


 見えないながらもそちらに向かって軽く頭を下げ、境内を出る。タオルが絞れるほどかいた汗はすっかり引いて、気持ちの良い秋の空には薄く刷毛で塗ったような雲が流れている。

 神様に言われたんじゃしょうがないよね。

 散歩に誘う口実としては最強よね、と思いながら、私は連れ添って十五年になる夫の腕にぶら下がった。

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散歩 と~や @salion_kia

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