第26話入院二十六日目「思わぬサプライズプレゼント」

いよいよ今日が実質入院最後の日。明日には退院してしまう(してしまうっていう表現もおかしいかもしれないが)ので、心残りがないようにしないと。

朝の総回診のときぞろぞろとやって来る先生の集団を見ながらこの光景を見るのも最後かなあ、なんて思う(土日は総回診はない)

「明日いよいよ退院ですね」

「はい、お世話になりました

「大分回復されたようで安心しましたよ。お顔が違う」

そう言われて、改めて今回の入院で学んだことを振り返る。

自分の生き方、身の振り方はまだ決めていないけれど。

苦しい時は早めに人に相談することが出来るようになった。

優香ちゃんや香織さん、美香さん、りえさん、いつも親切にしてくれる佐藤看護師に出会うことが出来た。

母さんや父さん、マロンの大切さを再確認した。

自分に帰る場所がある幸せを噛みしめた。

「入院はいやだと無理にがんばってしまう患者さんも多いんですが……あまりひどくならないうちに任意入院すれば、短い期間でしっかり治療ができるんです。またつらくなったらいつでも来て下さい」

そう。

統合失調症も早期発見。早期治療が有効な病気のひとつだ。

症状が進み、陽性症状が再発すると大変なことになるのは二回目の入院のときに嫌というほどわかった。

再発を繰り返せば繰り返すほど脳が委縮し、予後が悪くなり、回復にも時間がかかる。

そうならないうちに手を打つことが早期治療のためには必須なのだ。

「わかりました」

これからも持病の統合失調症とは長い付き合いになる。

……こんな厄介な持病を抱えた私を愛してくれる異性は現れるのかな。

子供も、きっと生めはしないんだろうな。

でも、まあいいか。両親や兄弟がいれば。友達がいれば。

つらつらとそんなことを考えていると、優香ちゃんのベッドからうめき声がする。

優香ちゃんの声ではない。

優香ちゃんの担当医師の中島女医の声だ。

「うーん。そうねぇ……うーん」

気持はわかるけどねぇ、などと言っているので思わず、耳をそばだてると。

「先生、だって最後なんですよ。もう会えなくなるんです。院内で、レストランで、お茶を飲むだけなんですよ。それでも駄目なんですか?」

……優香ちゃん?!

「真世さんも、私も、美香さんも、りえさんも皆単独で院内外出が許されてますよね? みんな自分の意志でした院内外出がたまたま重なって、それでたまたまレストランで一緒になった。それでも駄目なんですか?」

何いってるの!

優香ちゃん、そんなことしたら怒られちゃう……でも盗み聞きで口をはさむのも……そんな風にハラハラしていると

「あー、もう!」

中島女医がひときわ大きな声を出した。

「……私は、何も聞いてなかったことにする」

つまりは。

「先生、ありがとうございます!」

 優香ちゃんの花が咲いたような明るい声がカーテン越しに聞こえてくる。

中島女医の苦笑いが聞こえてきた。

……そうだよなあ。許可するとは言えないよなあ。

でも。

精一杯の譲歩、ありがとうございます。

この閉鎖病棟でその判断がどれだけ重いか。二回強制入院を経験している自分にはわかっています。

患者自身の気持ちより、患者の心身の安全をまず案じなければならないお仕事は、きっと自らをすり減らすことでしょう。

かなえてあげたくても叶えてあげられないことが山積みでしょう。

正直、強制入院をしたときのことは恨みというか、しこりになっていないと言ったら嘘になります。

たとえ必要なことだとしてもあらゆる自由を……排泄や飲水の自由さえ拘束された経験は本当にきつく、しんどかったです。

だけど。

優香ちゃんの願いを聞き届けてくれたことで、先生や看護師さんたちの本当の思いが垣間見える気がいたしました。

だから、ありがとう。

「真世さーん!」

優香ちゃんが駆け寄ってくる。

「ちゃんと、筋を通しましたよ!」

そうだね、本当にね、と言いながら笑う。

あれ、おかしいぞ。目の前がぼやけてる。

嬉しくても、笑ってても泣くんだね。

「お茶ができるの? やったねぇ」

「……私お金少ないんだけど」

私が出しますよ美香さん、と言ったら優香ちゃんが「大丈夫、私のお財布から」と言ったので「それはない」と全員で突っ込みをいれた。

そして、午後10時半。

「行ってきまーす」

私、優香ちゃん、りえさん、美香さん四人で同時に閉鎖病棟の三重ロックを潜り抜ける。

なんと普段30分のはずの院内外出は一時間に延長されていた。

ただし、私と優香ちゃんだけで美香さんとりえさんは30分だけだけど。

「あれ、知らなかった? 申請すれば延長できるのよ

まあ、りえさんと美香さんは病状がよくないから許可できないけどね」

涼しい顔でいった佐藤看護師。

ちくしょう、と思いながらも、それ以上の感謝の気持ちで上書きされる。

優香ちゃん。

あなたを応援している大人はこんなに沢山いるよ。

あなたを思いやって、できれば願いは全部聞き届けあげたいと願う人たちが。

くだらないやつもいるでしょう。

優しくない人間もたくさんいる。

でも、暗闇でなく光を見てほしい。

 だから。人のことをばい菌と言って笑うようなやつなんかに負けるな。

四人で、レストランに行く。

りえさんはコーヒー。美香さんもコーヒー。

私もコーヒーだけでよかったのだが、優香ちゃんがパフェをじっと見つめていたので

「一時間あるからパフェ食べちゃおうか」と言った。

そうしたら、「はい!」と優香ちゃんが目をきらきらさせたので、うむ。良かったのだ、と思う。

コーヒー四つと、パフェセットが二つテーブルに届けられる。

「お手紙書いたんです」

りえさんからは手作りのカードを、美香さんからもお手紙をもらった。そして優香ちゃんからは。

「院内外出したときに病棟裏でつんだんです」

押し花にした四つ葉のクローバーを差し出される。

「院内外出で? 一日一回しかないのに? 30分しかないのに?」

「でもすぐ見つかったから」

……優香ちゃんは貴重な、本当に貴重な時間を私のために使ってくれていたのだ。

外の空気をたくさん吸いたかったでしょう。売店でたくさん悩んで好きなおやつを買いたかったかもしれない。

その時間を、削ってくれていた。

「あと、お手紙も書きました。これ……」

かわいい、はらぺこ青虫がかかれたお手紙を渡される。

「読んでいい?」

「んー。恥ずかしいから後で」

「わかった。パフェ、食べようか」

コーヒーを供にパフェを食べながら、四人で話す。

「私、実は子供がいるの」

親権をとられちゃってるから会えないけれどね。そう、美香さんが話してくれる。

ソーシャル・ワーカーにお金の管理について注意されていることも。

「……元の旦那はお金持ちのおうちだったからね。

ずいぶんいい暮らしさせてもらったんだけどね。

でも一旦あげた生活レベルってなかなか落とせないんだよね」

怒られるんだけどさ。と言って美香さんはコーヒーを上品に飲む。

「美香さん、コーヒー代は私が」

「ああ、いいわよ。いくらなんでも退院する真世さんに出させるわけにいかないでしょう?

久しぶりにおいしいコーヒー飲めたし。

やっぱり缶のものとは違うわね」

柴咲コウに似ている美香さん。冷え症で、手足がすらっと長くて、そして、実を言うとマシンガントークの晴美さんを何回か引き受けてくれたこともあった。

美香さんからくれた手紙にはこう書かれている。

『真世ちゃんへ

いろいろとお世話になりました。

とても楽しかったですね。

トランプの遊び方を教えてくれてありがとう。

退院後も体と心を大切にして元気でがんばりましょう。

実はガラスの仮面が大好きな美香より』

美香さんは最初、大富豪の遊び方がわからなくて、私が教えてあげたことがあった。

でも、本当言うと最初は香織さんから私も大富豪のやり方を教わったのだ。

してもらったことを本人にではないが、お返ししただけ。

でも、そうやっていろんな遊びが、閉鎖病棟の中で流行り、少しでも浸透していったらいいな、と思う。

生活が息苦しいだけなのは辛いもの。

「私はね、たぶんここを出たらグループホームに行くことになると思うんだ」

りえさんが言う。

「うちはもう両親がなくなっているし、妹は結婚していて子供もいて。

姪っ子は一緒に暮らそう、りえちゃんって言ってくれてるんだけれど。

それに甘えるわけにはいかないよね」

ちなみに今着ているTシャツも姪っ子が贈ってくれたものなんだー。

そう言ってりえさんは24時間テレビのTシャツを指さす。

草間彌生と嵐の大野くんが共同で作ったと話題になっていた、あのTシャツだ。

かわいらしい(毒々しい?)大輪の花が描かれている。

いろいろな人たちが集うここではそれぞれ深い事情がある。

そして、一緒にいるだけがきっと家族のかたちではない。

離れることも愛の一つなのかもしれない。

「あ、もう30分経ちそう」

コーヒー代を取り出して、美香さんとりえさんが席を立つ。

あとに残された私と優香ちゃんもあと30分しかないんだなあと思うと自然とパフェにとりかかる手やコーヒーを飲む口が速くなった。

一時間あってもなかなかにお茶をするには足りないものだなあ。

……別れがたい。

「真世さんはこれから、どう生きていくんですか?」

「んー。まだ、決めてはない、かな。

でもマッサージの勉強を深めていけたらって思ってる。

そんな甘い、やさしい世界じゃないのはわかってるし、体力もいる仕事だから、まず体力つけないと、だけど」

「真世さんのマッサージ、気持ちよかったもんなー。

プロでもやっていけると思いますよ」

そして、やがて渡されたアラームが残り10分を示す。

「そろそろお会計しようね」

私が伝票を持つと、優香ちゃんがあっと声をあげた。

「ダメです。真世さん、私が払いますよ。そのつもりで来てたんで大丈夫です」

「いいや。だーめ。払わせないよ」

私はそういって笑ってみせてから真面目な顔を作った。

「もしね、優香ちゃんが私に悪いなあ、とかお返ししたいなあ、とか思うんだったら。

私に、じゃなくていい。

他の誰かに還元してあげてくれないかな。

優香ちゃんは若いから、今は大人の人にしてもらってばかりで心苦しいかもしれない。

でもね、優香ちゃんもいつか大人になるよね。

そのときに優香ちゃんより若い子や弱い立場の人に私や他の大人たちが優香ちゃんにしてあげたようなことをしてあげてくれないかな?

私もね。そうしてもらって大人になってきたんだ。

っていうか、未だに年上の人におごられたりもするしね。

もし、優香ちゃんがそうしてくれたら私はすごくうれしい。

今、おごられるより、ずっとうれしいから、そうして欲しい」

優香ちゃんはでも……というような顔をしていたけれど「わかりました。じゃあ、もう一枚カードを書きますから、待っていてくれますか」

「本当?! それは嬉しいな。うん、そういうのでいい、じゃなくて、そういうのがいいな」

そうして、私はコーヒー二杯とパフェ二つの代金を気持ちよく払った。

二人で病棟へと帰る。

「ただいまです」

そう言って笑顔で帰ってきた優香ちゃんを看護師さんたちだけでなく中島女医も待っていた。

気が気ではなかったんだろう。

「……お茶、楽しかったかい?」

白衣の裾をはためかせ、クールな中島女医が私たちに問う。

「ええ、とっても! 先生、ありがとうございます!」

お礼を言う優香ちゃんに、別にいい、とでも言うように首を振る。

「……ありがとうございます」

私も、頭を下げる。

「ちょっと待っててくださいね。今、もう一枚食堂でカード書きますからね」

ぱたぱたと去っていく優香ちゃんの後ろ姿を見送って、自分のベッドに戻り、先ほど渡されたカードをそっと開いた。

「真世さんへ

今まで本当にお世話になりまして、ありがとうございました。

書きたりないくらいたくさん書けるので、あえて少しにします。

今まで本当に楽しい時間をどうもありがとうございました。

真世さんに会えたこと、すごした時間を大切に思い、だれず、ずっと思い出として残します。

真世さんのすごく優しくてすごくきれいで気を使ってくれるところ大好きです。

今はゆっくりやすんで元気にすごして下さいね。

追伸

また会いましょう。カラオケでも♪」

傍らには、摘んでくれたクローバー。

きちんと押し花になったそれは優しい緑色をして、エメラルドより美しく輝いている。

優香ちゃんが、貴重な院内外出の時間を削って探してくれた、四つ葉。

確か、花言葉は「あなたの幸せを願う」

ぽた、ぽたと。

私の涙が掌に落ちる。

それが手紙に、美しい四つ葉にかからないよう。

私は上を向いた。

――あなたの幸せを願う。

私も、同じ気持ちです。

辛い分、辛かった分、人の何倍も幸せになって欲しい。

閉鎖病棟にいたことも、受け入れて愛してくれる人にいつか、出会ってほしい。

願うことしか出来ない私だけれど。

どうか、彼女に。

優香ちゃんに幸せが沢山、シャワーのように降り注ぎますように。

私は、明日でいなくなってしまうけれど。

退院まであと一日。


今日の夕食

鯖の塩焼き、ししとうソテー、茄子と豚肉の中華風炒め、バナナ


今日の処方

昨日と同じ

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