第10話入院十日目「閉鎖病棟の朝と総回診について」

閉鎖病棟の朝は意外とバタバタしている。


まず、朝は七時半の朝食に間に合うように起きなければならない。

もちろん、早く起きすぎるのもダメで、六時まではベッドから出てはいけないことにもなっている。

六時になると、娯楽室や食堂の鍵が開き、テレビを点灯することが出来るようになる。そして、意外にも早起きが多い患者たちが次々に起きて集まってくる。 


朝食前か朝食後に体温や、血圧等のチェック。

プラス採血がされることもあるのだが、このタイミングについては未だによくわからない。


そこは医師や看護師しか知らない領域である。

朝食が済むと、回診の前にベッドの掃除。


コロコロを渡されるのでベッドのシーツの上の髪の毛をとって、同じく渡されるウェットティッシュでベッドのサイドパイプを拭く。

週1回金曜日にはシーツ交換もされる。

そして、掃除が終わったら医師たちが回診してくる。

初めて見たときは昔のドラマの「白い巨塔」のようだなー、と吹き出しそうになった。

教授の総回診、という言葉が頭に浮かぶ。

十人前後の医師たちが白衣をはためかせて決して長くない廊下を闊歩する姿は正直言って格好良く、同時に威圧感を与えられる。

さて、今日の回診時は主治医もいらしたので、ほかの薬を増やしてもいいからエビリファイを減らしてほしい旨を伝える。

まだまだ日中眠くてたまらないからだ。

自分でもこんな眠気と倦怠感の中でつい十何日前まではよく仕事をしていたもんだ、と不思議に思う。

昼寝は、欠かせない習慣になっているし、院外外出をしたとき下手をすると4時間ぐらいぶっ続けに寝てしまうということもあった。

この体力の無さよ……。

薬の副作用によるところも大きいので、再発しない程度に減薬は申し入れていきたいな、なんて思うのだ。切に。

主治医は「また薬の調整はしてみる」と言った。

回診が終わると、お風呂の日はお風呂の準備。そうでないときは自由時間になる。

私はこのときに朝の散歩ならぬ院内外出を申し出て少し気分転換をすることが多い。

三十分という制限時間はあるし、病院の敷地外には一歩たりとも出れないがやはり閉鎖病棟以外の空気を吸うのはいいものだ。

最近はそのときに低カロリーのアロエヨーグルトを売店で買って食べるのが定番になりつつある。

ちなみに売店で使えるお金の自己管理の許可は任意入院だからか最初から要らなかった。

強制入院の患者の約半数はお金の自己管理は許されず、さらにその約半数は院内外出すら許されないので(もちろん許されない、というのは病状においてそれを本人にさせるのが危険だからと判断されているからである)

看護師さんに付き添ってもらって院内外出したり、メモを渡して、買い物をしてきてもらったりする。

明日十一時~十四まで院外外出の許可も下りた。

今日、この生活もなかなか快適だなあ、なんてことを思ってしまった。

でも、この生活はあくまで仮初めのものだし、こんな状況をいいな、と思うなんてどうかしているな、と思い直した。

急かさずに待っていてくれる人(家族・友人)がいること。

帰る場所があること。

その幸せを大切にしないと。

しかし、精神の調子を整えるためにここに来ても五反さんのことをはじめ人間関係の云々かんぬんってあるものなのだなあ。

薬の調整が終わったらとっとと退院したくなってきた。

あと五日以内に薬が変わらなかったら、医師に減薬の意思はないと判断して、退院の意思を切り出してみようかな、と思う。

――午後、母がケーキを持って面会に来る。

冗談ぽく、任意ならここの生活も悪くないと思った旨伝えると「病院はホテルじゃないよ」と母は目を赤くしながら言った。「出たり入ったりをくりかえさないようにね」

……入院は三回目で、もう十分「出たり」「入ったり」なのだが、母の釘をさす言葉に私はまたもや、はっとさせられる。

強制入院と任意入院は実際入院している身にしてみれば待遇の上では雲泥の差だが、私の退院を待つ方としては、同じようなものだし、むしろ私が私の意思で入院したことは、強制入院とはまた違った意味で家族を疲弊させたのだという事を。

逃げたら、負け。という言葉がある。私はこれは違うと思っている。

『逃げることも生きるのには必要』

ただ、安易にそれを選択し続けるのは、自分をいたづらに甘やかし、人生を摩耗させるだけだということだ。

戦うか、耐えるか、逃げるか。

そもそも戦うような場所に行かないか、引く道を作っておくか。

孤立しないよう味方を作っておくか、きちんと筋を通すか。

想像力を駆使すればいろんな道があるものなのだ。

任意入院。

二年前の私にとって、それは自分には最善の道であるように思えた。

強制入院ばかり経験してきた自分。任意入院がどんなものか知りたかったという好奇心も正直、少しあったのも事実だった。

でも、家族からとってみればそれは晴天の霹靂だったのだ。

ただただショッキングな出来事だったのだ。

私は小説家になりたかったくせに、身近な家族の立場に立ってみる想像力が欠如していたのだ。

……長々と書いてきたが、私が当時書いた日記には実はたった三行でこう記されている。

『母「病院はホテルじゃないよ」「出たり入ったりをくりかえさないようにね」と釘をさされたこと。これだけは書いておかないと』

ただ、そこは赤いボールペンで強調され、波線が引かれていた。

二年前の自分にとってもおそらくそこはよっぽど堪えた言葉だったのだろう。

でも、任意入院が一番堪えているのは、きっとのんきな私じゃない。

私を大切に思ってくれて、その言葉を吐いた母をはじめとした私の周囲の人たちなのだ。


今日の朝食

ご飯、鮭の塩焼き、キャベツのみそ汁、ホウレンソウお浸し、うずら煮豆。


今日の処方

昨日と同じ。

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