第9話入院九日目「閉鎖病棟と通信手段。沈黙は金なり」

患者の私物には、自分のロッカーやデスクに入れておけるものと、ナースステーションに預けなければならないもの、二種類がある。


その線引きは結構あいまいで、患者患者によって主治医から許される基準がひとりひとり異なる。

もちろん毛抜きや耳かき、爪切りなど先の尖った衛生用品は任意入院であっても強制入院であっても原則絶対にナースステーションに預けなくてはならない。


細い耳かきに自分のものであることを証明するために名前を書くのは結構骨が折れる作業であるが、仕方ない。


ちなみに携帯電話は通信を許可された人間は院内や院外外出の時だけ閉鎖病棟の外側で使うことが出来るルールになっている。 

携帯電話を許可されない患者がどうやって外部の家族とコンタクトをとるのかと問われれば、さっと差し出したいのが昔懐かしテレホンカード。

閉鎖病棟では未だに黄金の、現役の存在である。

テレホンカード自体持つのも許可がいるし、一日の電話できる回数も制限されるケースが多いことも付け加えておこう。

さて、任意入院をして初めて私は携帯電話を預けるシステムがあることを知って衝撃を受けた。

今まで医師も看護師も同じ立場の患者さえ、誰もそれを私に教えてくれなかったのだ。

過去二回の強制入院の時はテレホンカードに名前を書いて、ナースステーションに預けていたし、一日三回までの通信しか認められてなかったし。

だが、なぜ同じ患者同士で情報の共有がされないかはすぐにわかった。

放っておけば一日中電話をかけていそうな患者さんて、結構いらっしゃるのだ。

それに、電話に向かって「こんなところに放り込みやがって。一生許さないからな」と(おそらく家族に向かって)呪詛を吐く女性患者さんの姿を見かけてしまったこともある。


せっかくの一日三回の電話の権利を家族ではなく、片思いをしている……というか、おそらくストーカーをしている女性の電話に熱心にかけている男性をお見掛けしたこともある。

そういう類の方たちが口をそろえて言うのが「ああ、携帯が使えたらなあ」

……多分、私が敢えてここで何も言わなくてももうお分かりだろうが、そういう類の方たちに「実は許可があれば携帯電話が使えてね」なんて吹き込もうものなら、阿鼻叫喚。こちらに火の粉がかかってくる。

そこのところの機微がわかる人にしか、冷静さがあると判断された人間にしか情報開示がされていないのだ。

沈黙は金。

この閉鎖病棟では沈黙が出来る人間ほど退院に近いとさえ言い換えることが出来るかもしれない。

人は、狂気に囚われたとき、激しく慄き、例外なく叫び、相手の言葉に耳を傾ける余裕などなく、ただ自分の主義主張だけを繰り返すようになる。

そして他者への思いやりを失う。

余裕のなさが、そうさせる。

さて、前置きが長くなってしまったが言いたかったのは、昨日から私と相部屋になった五反さんが何を隠そう、電話に異様に執着するタイプだったのだ。

おそらく、恋人にかけているのであろうが、長時間公衆電話(一つしかなく、誰かが電話を使っていると誰もその間は電話を使うことが叶わない)を占有し、めそめそと泣いたり、声を荒げたり「でも」「だって」を繰り返したりしている。

私は院内外出の時に携帯電話を使える身分なのでちっとも困らないが、ほかの患者さんにとって五反さんは甚だ迷惑な存在、として早々に烙印を押されてしまったらしい。

「要注意人物」という判を。

おそらく、外の人間からすれば、精神科に入院するような人間はすべからく要注意人物なのだろうが、その狭い枠のなかでも、さらにとびっきり、というのは良い意味でも、悪い意味でも、いつでも存在するものなのだ。

持ち物の管理についても、その特異性が如実に表れるといっていい。

歯ブラシとコップ一つとってみても、ふつうはナースステーションに預ける必要などなさそうだが、優香ちゃんみたいな強迫性障害のような症状をもつ患者さんにそれをしたら下手したら一日中歯を磨かれてしまうことになりかねない。

コップで水を異常に飲みすぎるきらいのある患者さんからはやはり必要なとき以外はコップをナースステーション預かりにして患者の手元からコップを引き離す必要があるといえる。

まあ、何が語りたかったかというと、私がハーブティーを売店で買ってきたらナースステーション預かりになったのだが、お茶をいれる度にナースステーションに取りにいくのは非常に面倒くさかったため、医師にそれとなく話してみたらぎりぎり食品ではないということで、自己管理がOKになった、というそれだけの事実を語りたかったためにこれだけ文章を書いた。

一応、これ、日記なので。


今日の夕食

めだいのムニエル。ゆで青菜。しぎなす。すまし汁、バナナ。


今日の処方。

昨日と同じ。


末文になるが、嶽本野ばらのスリー・ピングピルを読んだのだが、なかなかに面白かった。

作者の美意識の高さを感じた小説だった。

それにしても、借りてから「あ、スリーピング・ピルって睡眠薬のことじゃん」と気づいてそういう趣旨の小説だという事がわかった私は悲しいことに一応英検二級をもっている……。

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