第6話入院六日目「閉鎖病棟の読書システム」

 私のいる精神病院の閉鎖病棟には本が置いていない。

娯楽室に本棚自体はあるのだがすべて本は撤去されている。

私が強制入院させられていた数年前にはそこには本がぎっしりと詰まっていたはずなのだが、一体どこへ行ってしまったのか。

本が読みたければ病院の売店か、院外外出の許可をもらったときに本屋で買うしかないのか……と思いこんでいたのだが。

「本? 訪問図書館のを読めばいいんだよ」

と、陽子さんが朝食の後、食堂で話してたらあっさり教えてくれた。

「私が今読んでいるこれも訪問図書館で借りたやつだよ。東野圭吾の新刊」

「え! そうなんですか? てっきり陽子さんの私物だと思ってました」

「違うんだなあ。これが。まあ、許可がないと借りられないけれど、真世ちゃんは任意でしょ? たぶん大丈夫じゃないかな?」

回診のとき確かめてみると、主治医は「もちろん大丈夫だよ」と太鼓判を押してくれた。

良かった。

自分で文章を書くのも良いが、正直活字に飢えていたのだ。

「訪問図書館ていつ来るんですか?」

「週2回来るよ。詳しいシステムは担当看護師さんに聞いてね」

やったー! と内心ガッツポーズをとる。

私はそうでなくても図書館が好きなのだ。

図書館で本を借りればお金もかからないし、場所も取らない。

誰が開発したかはしらないが、最高のシステムだと思っている。

「お熱測りますよー。あら、どうしたの、福井さん。にこにこして」

私の担当の佐藤看護師がいつものように血圧と体温を測りに来た。

「いや、訪問図書館っていうシステムがあるって聞いたもので」

「ああ! 説明してなかったっけ? そうなの。来るのよ。午後15時にね」

それまでは暇かあ……という落胆が顔に現れたのだろう。佐藤看護師は付け足すように「お風呂入って、お昼食べたら15時なんてあっという間よ」

と、言ってくれた。

そういえば、今日はお風呂の日だったな……と思い出す。

ちなみにお風呂は二日に一回である。

月・水・金が女性の日で火・木が男性の日。

土日はお風呂に入る必要がある人だけが呼ばれるシステムになっている。外出や外泊する人が多いので、その方が効率的なのだ。

36.5度。平熱だね、と言いながら佐藤看護師は去っていった。

それまでの時間をどうつぶそうか考えていると、優香ちゃんがちょうどよく私がいる病室の手前で(自分の病室以外は四人部屋でも入ってはいけない規則になっている)「真世さん、トランプしませんか?」と声をかけてくれた。

優香ちゃんと食堂に行くと、陽子さんのほかにほっそりとした髪の長い女性が同じテーブルに座って私たちを待っていた。

「美香っていうの」

よろしくね、と手を差し出してきたのでその手を握ると氷のように冷たい。

「冷え性なの」

ふふ、とささやくように笑う。魔性の女タイプに見える美しい人だった。

「じゃ、まず七並べからやろうか」

陽子さんがカードを切る。

「トランプなんて何年ぶりだろう」

と、私が言うと「こんなところででもない限り、トランプなんてやる機会大人になるとあんまりないわよね」

美香さんはちょっと皮肉気につぶやく。

そして、どうやら七並べをはじめにするのは、お約束らしい。

「カードがそろっているか、紛失しているカードがないか、すぐわかるでしょ?」

ババは入れたほうがおもしろいよね。2枚入れちゃおう、と言いながら陽子さんがカードを配る。

「ババは最後まで持っているのありルールにしますか?」

優香ちゃんが確認すると、それはなしにしよよう、そしてパスは3回まで。ということで話が纏まった。

「じゃ、7出してー」

から始まった七並べはなかなか面白かった。

私にはババはないものの、6のスペードが配られ、ほかにスペードのカードがなかったのでずっと出さないでいたら「誰だよー、6のスペード持ってるの」「本当ですよねー。私出せるカードなくなっちゃう」とみんなが愚痴をこぼすのを「誰だろうね」と言いながら、心の中でニヤニヤしながら聞いていた。

因果応報とはよく言ったものだ。

「ババ使っちゃおう」

優香ちゃんがそう言ってババを出したので「しょうがないなあ」と、6のスペードを出すと、「真世さんだったのかあ」と優香ちゃんが「なかなか駆け引きうまいね」と美香さんが言った。

そんなこんなで七並べは私の勝ちかと思われたが、なんとハートの10をとめられ、ハートのクイーンとキングを持っていた私は最下位になってしまった。

「因果応報ですね」

ハートの10を持っていたのはなんと優香ちゃんだった。

 「やられたー」

そう言うとみんなが笑った。

……こんな閉鎖空間で笑えるのは、おかしなことだろうか?

私たちは、やっぱり異常なのだろうか?

いや、違う。

人はどんな場所にいても、どんな状況の中でも、きっと笑えることがなければ、生きてはいけない生き物なのだ。

トランプをしていたら瞬く間に時間が過ぎ、あわただしくお風呂に入ることになってしまった。

昼ご飯を食べ、病室のベッドに少し横になり、恒例の昼寝をする。

病室の窓から夏の空をバックに入道雲が迫力のある姿を見せている。

それでも、ここの窓は施錠されていて開かない。

だから、外をいかにも暑そうに歩いていく人々とは別世界に私たちはいる。

……こうやって、世間から隔たれて、そのだんだん距離が空いて、いつしか戻れなくなるのだろうか。

そんなことを考えながらうとうとしていると、訪問図書館がやってきました、というアナウンスがあった。

二時間も寝てしまっていたらしい。

寝ぼけまなこをこすりながら、ナースステーションの施錠された扉の前にいくと、いつもは開かないその扉が開いていて(もちろんその奥の二重扉はロックされたままでスタッフの鍵がないと、私たちは外には出れないが)

滑車のついた移動式の本棚が鎮座していた。

「3冊まで借りられますよ。漫画もありますよ」

そういわれて迷っていると、次々に他の入院患者が入ってきて本を借りて行ってしまう。

あ、早い者勝ちなんだ、と気が付いて、慌てて私も三冊本を手に取った。

「猫だらけ」という漫画と、嶽本野ばらの「スリーピング・ピル」という小説の文庫と、保険の意味も兼ねて既読だが面白かった記憶のある小川洋子の「博士の愛した数式」を借りることにした。

「本を返さないと、次の本は借りられないので注意してくださいね」

と、説明を受けながら、どうぞと言われ本を受け取った。

読むのが楽しみである。


今日の朝食。

バターロール、マーマレード、ウインナーソテー、野菜ソテー、コンソメスープ。

今日の処方。

昨日と同じ。


*今はコロナの関係でやっておりません。

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