第4話入院四日目「入院と職場。私のお仕事は……」

夢を見た。

職場(入院を機に辞めたわけだがら、既に職場とは言えないかもしれないが)で、小学生時代のいじめっ子の万丈が入職してきて、私にまたとんでもない意地悪をしてきて、その証拠をスマホで押さえようとしたら、そのスマホを線路に投げ入れられて笑われれる、という内容だった。

家族にもだが、職場にも私は迷惑をかけどおしだ。

今回の入院は、半分、職場を退職する理由付け、みたいなところが自分の中にあった。

これまでにも時短勤務にさせていただいたりはしていたが、やっぱり続かない、もう無理だ、と自分の中で糸がぷつんと切れてしまったのだ。

辞める方法として、急に入院することになった、もう迷惑をかけられないから、というのは自分にとってだけでなく、先方にとっても都合が良きことであるように思えた。

少なくとも、この当時は。

私が勤めていたところは公的機関だったし、当然とてもホワイトだった。周囲から見れば、そこをやめるなんて大馬鹿野郎だ、と思われても仕方がないとは思う。

でも、公務員を目指した理由がそもそも、私は不純だった。

好きだから、やりがいがあるら、選んだわけではない。

夢に出てきた文田(ずいぶんひどいことをされて、私の身体にはいまだ消えない痕がある)を見返したかったからだった。

私はブルーカラーの職業の親の元に生まれて、それを散々文田に貶められた。

文田は常々言っていた。

「お前は、絶対中卒になる」

「親と同じブルーカラーで最下層で暮らす」

「結婚もできない」

まるで、呪いのように、なんべんもなんべんも繰り返された。

そして、文田は「公務員こそ至上の仕事」とうそぶいていた。

文田の親は公務員ではなかったはずなので、何故そう言う言葉が彼女の口から出たのかはわからない。

でも、たぶん、文田の親はそういった腐った価値観を娘に刷り込んだのだと思う。

そういう意味では不幸な娘だったのかもしれないが、それで文田の罪が軽くなるわけではない。

私がひどいいじめにあっても不登校にならなかったのは、学歴をつけたかったから。公務員になりたかったから。

そうして、文田を鼻で笑ってやりたかった。うんと冷たい目で見下して、身体に傷はつけられなくても、同じくらい痛い思いを、悔しい思いをさせてやりたい。

そう、思っていた。

だが、憎しみを薪(たきぎ)にして就いた職業は、苦しかった。

自分に向かない集団生活。自営業の両親に刷り込まれた精神とは全く違う価値観で働く同僚たち。

そして、働いているうちに……少なからず社会に貢献するうちに、私を走らせていた文田への憎しみが、薄まってきてしまったのだ。

――もう、いいじゃないか。

私の中でもう一人の私がいう。

嫌だ、違う、もっともっと憎しみを。

そう思っても、実際私を走らせるあの赤々とした炭火のような心の中の熱が急速に失われていく。

そう、憎しみで入ったはずの仕事に私は遣り甲斐も感じてしまった。

苦しかった。

両親が勤めている自営業と違ってどんなに頑張っても、時給できっちり計算され、給料のもとになる税金を払っていただいている国民より、お上に気をつかわなければならない、公務員という仕事が。

ただただ、私には合わなかった。

布団の中で夢の余韻に浸りながら、私はまだ囚われているのかな、と思う。

それとも仕事を辞めてやっと解放されたのか。

檻にいたがっているのは、誰なのか。

「朝ですよ、福井さん」

私の担当看護師である佐藤さんが、ベッドのカーテンを開ける。

朝の光は眩しく、どこまでも清らかで、そして、どこかとげとげしい。

「血圧図りますね」

私の腕を捲りながら、佐藤さんが言う。

「佐藤さんてなんで看護師さんになったんですか?」

「え? そうだね、うーん」

血圧計のベルトを私の腕に巻き付け、ポンプを操作しながら、佐藤さんはにっこり笑った。

「人が、好きだからかな」

ヒトガスキダカラ。

「そうですか、いいな」

二つの意味を込めて私は言った。

 一つ。私は、憎しみから職を選んだ。『好き』を仕事にすることなんて、考えたこともなかった。

もう一つ。私は、人間が怖い。

「大変なこともたくさんあるけどねー」

笑いながら佐藤さんは言う。

「そうですよね。夜中じゅう起きてないといけないし」

「ああ、夜勤? 交代でやってるから、それほどでもないよ。夜勤あとは大体お休みもらえるしね。一番つらいのは、やっぱり患者さんが亡くなっちゃったときかなあ」

佐藤さんがしみじみと言う。

「精神病院だと、自殺とか多そうですよね」

「うん、亡くなったと聞くと、半分くらいはそうなんだよね」

血圧、108。以上なし。佐藤さんが確認すると、私の右腕を圧迫していた、血圧計のベルトがふっと緩んだ。

「福井さんは、死なないでね」

ぎゅっと私の手を握りながら、佐藤さんが言う。

「……善処します」

こういうとき、もちろん死にません、と言えないところが、私が私である所以だ。

佐藤さんは泣き笑いのような表情を浮かべて、去っていった。

私は、嘘が下手だ。

今日の昼食。

天ぷら(海老、烏賊、茄子、ピーマン、さつまいも)ほうれん草おかか和え、漬物、牛乳。

今日の処方。

安定剤A 100mg

安定剤B12mg

安定剤Bが6mg、減薬された。

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