書庫の幽霊

那由多

書庫の幽霊

 書庫の幽霊。

 私立優弦高校に伝わる怪談の一つだ。

 旧校舎にある図書室。かつて、その脇にある書庫で女子生徒が一人死んだ。落ちてきた辞書の角が頭にぶつかり、その当たり所が悪かったと伝えられている。不慮の事故で亡くなった彼女は、未だに自分が死んだことを理解できず、その場所に現れるのだという。

「なんて適当な怪談だろう、と思っていたわけですよ」

 そう語る明美の前には、半透明の少女が立っていた。

「人の死にざまを適当とか言わないでほしい」

 恨めしげな表情が実によく似合っている。

 ここは件の書庫。

 明美の目の前にいる半透明の女子生徒こそ、書庫の幽霊その人に他ならない。

 デザインの古い制服に黒髪おさげで黒縁メガネ。

 全身から野暮ったさを漂わせる彼女は、自分の事を文香と名乗った。書庫に出る幽霊の名前に文の字が入っている。

 なんてよくできた話かしら。

「それにしても、意外に普通なんですね」

「半透明ですけどね」

「死んだことを理解していないとか」

「いや、さすがに葬式をあげられたら気づく」

「じゃあ何で出てくるんです?」

「未練があるから」

「意外と普通の理由ですね」

「まあ、概ねそういうものだと思うけど」

「そういうものですか」

「試しに死んでみる?」

 明美は勢いよく顔を左右に振った。

「意外と便利なのよ」

「何がですか?」

「この暮らし」

「具体的には?」

「お腹減らないし、トイレにもいかなくていいし。寝る必要もないの。でも眠ることはできるわ」

 排泄はさておき。

 食事と睡眠について、明美は胸を張って言える程度に愛していた。必要もなく寝ていられる。なかなか魅力的じゃないの。

「食べる方は? 食べる必要はないけど食べられる?」

「いいえ」

 それは頂けない。由々しき事態だ。

「トイレも同じよ。必要ないしできないわ」

 そこはあまり気にしていないので、明美はさらりと聞き流した。

 ふとある事を思いつく。

「ひょっとして、そもそも物に触れられないのでは?」

「ぐぬぬ」

 文香の表情が苦々しげに歪む。図星らしい。

 つまり、周囲にこれだけ本があるのに読めない。

「で? 他には?」

「基本的に、この部屋から出られません」

「うわっ……」

 ドン引きだ。

「私ももうちょっと見晴らしのいいところで死にたかった……」

 しくしくと泣き始める文香。

「ところで少女」

 唐突に泣き止む文香。

 何だよ、ウソ泣きかよ。だと思った。

「明美です」

「良い名前だわ。どうして明美はこんなところへ?」

「実は私、苛められているんです」

「それにしちゃあサバサバしている」

 そもそも、クラスに気の合う人がいなかった。

 だからクラスには馴染むのも面倒で、自分の席で本を読んでいた。何か言われても極力事務的に答えていた。それが、癇に障ったらしい。リーダー格の女子に目をつけられた。

「無視されたり、嫌味を言われたりってのは平気なんですけどね」

 平然を装い続けた結果、今度は物理的な攻撃が始まった。

「さすがに痛いのは嫌でして。それでこうして避難してきたというわけです」

「一応女の子だしねぇ。傷物にされるのはねぇ」

「傷物っていうな。後、完全無欠の女の子ですけどね」

 女の子。そこんとこ大事。

「で、名実ともにボッチな女の子の明美ちゃんはどうすんの?」

「名実ともにって、酷くないですか? 別にどうもしないです」

「卒業までずっと逃げるの?」

「逃げ切れますかね?」

「どうだろ。私、苛められたことないからなぁ」

「存在すら忘れられる感じでしたか……」

「待て待て」

 突っ込みを入れようとして、その手が明美をすり抜ける。その瞬間、明美は背筋に冷たい物が走るのを感じた。

「あ、ごめん。取り憑き掛けちゃった。メンゴメンゴ」

「メンゴって古い……」

 そう言いつつ、明美は一歩後ろに下がった。

 目の前にいるのは幽霊なんだった。あまりにやり取りが嚙み合うので、すっかり忘れていた。

「古いっていうな。それに、失礼だぞ。ぷんぷん」

 そう言って腰に手を当て、頬を膨らませる文香。

 そういう所が古いんだってば。

「な、何がですか?」

「私の事、ボッチの先輩扱いしたでしょう」

「違うんですか?」

「こう見えてクラスの人気者だから。友達たくさんいたし」

 力説されてもなぁ。

 説得力というものがなぁ。

「他の人に見えない系のやつ?」

「違う、見える系のやつ」

「そんなに地味なのに?」

「私の時はこういう格好が普通だったの」

「ナウなヤングにバカ受けってやつね」

「ば、バカにしやがって……」

 小刻みに震える文香。怒りによるものだと気付いたが、それ以上に半透明で震えているとゼリーみたいだなという思いが勝ってしまい、顔がにやけてしまう。

「なんだろう。貴様を苛めている連中の気持ちが分かる気がする。ていうか、今なら絶対そっち側の味方をするわ」

 文香は吐き捨てるようにそう言った。

「苛め、かっこ悪い」

「キリっとすんな」

「だらーん」

「だらだらもすんな。後、だらーんって自分で言うやつ初めてみた」

「もう、どうしろと」

 頬を膨らませ、姿勢を戻す明美。

「普通にしてりゃ良いのよ」

 普通とは何ぞや。だが、その話をし始めると長くなる。だから明美はしないのだった。

「どんな未練が?」

「ころっと話が変わったなぁ」

 十回ぐらい連続でため息を吐いた後で、ようやく文香は話を戻した。

「そりゃもうやりたいことはてんこ盛りよ」

 だって、花の盛りの十代で死んだのよ。文香はそう言って軽く肩をすくめた。

 十代で死ぬ。軽く考えただけでやり残したことが十以上思い当たった。

 確かに、自分も地縛霊になっちゃいそうだ。

「一番……何がしてみたいですか?」

 明美がそう尋ねると、文香は顎に人差し指を宛てて考えるポーズを見せた。

「恋」

「恋?」

 鸚鵡返しに明美。その反応に文香は、少しむっとした表情を見せる。

「そう、恋よ。ラヴと言っても良い」

「発音がむかつくので、恋でお願いします」

「うぬぬ、あんたにむかつくと言われるのは、何かこう屈辱的だわ」

「花に美しさを羨望される的な?」

「なんでちょっと奇麗な方向に持っていった? それよりはゴキブリに第一印象を非難される感じかな」

「あまりに酷い」

 泣きまねをして見せるが、文香の冷ややかな目に気付いてすぐにやめた。

「まあ、それは良いとして文香さん」

「めげないわね。鋼メンタルか」

「男の子紹介しましょうか?」

「男の子?」

「男子とも言いますが」

「おいおい、どうした親友。いや、心の友と書いて心友」

 文香は分かりやすくにやけ面を見せた。

「男子には割と仲良くしてくれる子がいるんですよ」

 明美がそう言った途端、文香の顔が露骨に歪む。

「あー、あんたみたいなのいたわ。男子と話してる方が楽なんだよねぇ、女子のさぁ、あの粘着質なのダメなんだぁってやつ」

 煙草も持っていないのに、煙を吐きかけるような真似をしながら文香は罵り続ける。

「あれでしょ? 男が寄ってくるんでしょ、勝手に。そう、勝手に。何? ハエ取り紙の生まれ変わりかなんかなの?」

「その粘着質的な感じこそ、ハエ取り紙チックですが」

「ハエ取り紙だなんてとんでもない。私なんぞ、ハエにも触って貰えない存在ですよ。あなた様の神々しい感じ? 食虫植物的な? 待っててもエサが来るんですよ的な? そう言うのが羨ましい、みたいな?」

 わざわざ逆さまになったり、上に行ったり下に行ったりしながら僻み続ける文香。

「可哀想」

「憐れんでんじゃねぇ!!」

 面倒くさいなぁ。こういう所がモテない原因なのではないか。

 そんなことを考えながら、目の前の半透明を冷ややかに見つめる明美。

「で?」

「は?」

「男よ。どんな奴よ」

「えと、重度の心霊オタクで……」

「よし、却下」

「え? でも喜んで付き合ってくれると思いますよ?」

「喜んで? ……まあ、一応どんな奴か聞こうか」

 喜んでと言われると悪い気はしないらしく、ちょっとだけ戻ってくる。

「えーと、趣味は心霊スポット巡り」

「うん、まあだろうね」

「好きな映画はホラー映画」

「ああ、そうなるわな」

「好きなタイプは生気の失われている人」

「おかしくなって来た」

「部屋に女の幽霊が写った心霊写真ベタベタ張ってるらしいですよ」

「変態だな」

「それで着衣の乱れとかがあると興奮するらしいです」

「ド変態じゃねぇか」

 明美の頭を引っぱたこうと平手をスイングさせる文香。先程の背筋がぞくっとなる感覚を思い出した明美は、それをすかさず避ける。

「避けたな?」

「避けるでしょ。すごく気持ち悪かったもの、さっき触られた時」

「そりゃまあ、幽霊ですし」

「と言うわけで、御触り厳禁でお願いします」 

「詰まんない」

 文香は唇を尖らせた。尖らせても嫌なものは嫌なんだ。

「で、さっきの男子が嫌なら、私の手駒はもうないです」

「手駒、少なっ」

「いやいや、むしろ生気のないタイプが理想とか、そんなニッチなところに手が届いていることを褒めて頂きたい」

「反論の余地も無い」

「でしょう?」

「でもさあ」

「何です?」

「ド変態はないわ」

「ですね」

 だと思ったと言わんばかり。真顔で頷く明美を見ながら、文香は再び十まで大声で数えた。

「んでさ、男を紹介出来ないのならば」

「はい?」

「生身の体を紹介してよ。プラトニックより過度なスキンシップを求める今日この頃なの」

「それってつまり?」

「誰かに乗り移って、学生ライフをエンジョイしたい。欲望の赴くままに」

「誰かって?」

「誰でも良いよ」

「誰でもと言われても……」

 考えこむ明美。こういう時、大抵誰でも良くないんだよなぁ。

「もう少し具体的に……」

「意外とやる気だな。まあ、巨乳で美人でモデル体型なら誰でもいいけど……」

「誰でも良いの範囲が狭すぎるでしょ」

 一気に枠が狭まった。手持ちのカードが彼方へすっ飛んでいく。一人心当たりがあるが、明美には彼女をここに連れてくる術がない。

「あ、できたらヤングが良いなぁ。女教師はちょっと……」

「ヤングて……。うちの先生だって文香さんよりは年下ですよね」

「ぬぅん」

 言い終わるとほぼ同時に文香の正拳付きが明美の顔面めがけて繰り出される。

「おおっとぉ!!」

 とっさに身を屈め、その一撃を躱す明美。

「女の子はね、いつだって乙女なのよ。年の話とかされちゃうと、文香悲しくって取り憑いちゃうゾ」

 指やら首をポキポキと鳴らしながら明美に近寄る文香。何気ない移動と言う動作の中に含まれる威圧感が明美の逃走ルートを塞ぎ、後退以外を許さない。

「やめろ、マジでこええっすわ」

 明美はさらに二歩下がる。背中がドアに当たった。

「追い詰めたぞー」

 溢れる笑顔。

「取り憑いたら、そのまま屋上からダイブしてあげるね。んで、二人仲良くここで暮らそう」

「じょ、冗談ですよね?」

「さー、どうかなー」

 後ろ手に、ドアノブを探すがうまく掴むことができない。半分泣きそうになりながら、必死で腕を動かした。

 まだ死にたくない。

 この際、誰でも良い。この状況から私を助けて。都合の良い祈りを明美は天に捧げた。通常、こんな祈りは無視されるものだが、天と言うのは気紛れなものである。


「あーもー、あの女どこに行ったのよ」


 明美の祈りは天に通じた。美人で巨乳でモデル体型の心当たりとは即ち、明美を苛めている集団のリーダー格。麗奈だ。

「文香さん、ちょっとタンマ」

「あん?」

 奴を生贄に捧げ、生きているありがたみを噛みしめる明美ちゃんを召還。それでターンエンドだ。

「わ、私はここですよぅ」

 とっさに精一杯の大声を出す。一瞬、ドアの外が静まり返った。

「わざわざ声出すとはいい度胸してるじゃないの」

 その声に応えるような勝ち誇りのセリフ。引っかかった。

 早足の音がドアの前にやってくる。

 ドアノブが捻られる音、ドアが引き開けられる。明美はその勢いに身を任せ、後ろに倒れて転がるように室外に出る。それと入れ替わるように麗奈が室内に踏み込んだ。

「あら、注文通りじゃない」

 文香の極上の笑みを見ながら、明美は書庫のドアを思い切り閉めた。


 朝。

 明美は教室で始業を待ちながら本を読んでいた。

 教室のあちこちで男子が溜息を吐き始める。

 ああ、来たのか。

「みんな、お・は・よ」

 麗奈は巨乳のモデル体型を目一杯アピールしながら教室の中を歩いてくる。男子の眼差しが突き刺さっているのが余程気持ち良いらしい。はた目にはかなり痛い奴なのだが、男子は悉くうっとりした目線を送っている。

「おはようございます。ふみ……じゃないや、麗奈さん」

「もう、同級生なんだから、タメ語で良いってばぁ」

「いやでも、実質年上……」

「ぬぅん」

 長い手の先を握り固めた鋭い正拳突き。

「はあっ」

 それを回転させた腕の力で外へ逸らす明美。

「やるわね」

「そちらこそ」

 どちらともなく笑う。

 そんな二人を教室中の目が見つめていた。若干引き気味で。

 麗奈は数日前まで明美を率先して苛めていた。ところが、ある日を境に二人は仲良くなった。麗奈の尻馬に乗って明美を苛めていた女子達は、その変わり様についていけず苦々しい目で二人を見ている。

 しかし、二人ともそんな目線はどこ吹く風。

 夕焼けの河原で一騎打ちをして、互いを認め合ったのだと麗奈はそこら中に吹聴しているらしい。今時そんな、とせせら笑っていたクラスメイト達も、二人の変わり様を見ては信じるしかなかった。

 明美は溢れる知性枠を自負していたのだが、すっかり武闘派として有名になった。あまり喜ばしい事ではないが、苛められるよりはマシだ。

「そろそろ麗奈に馴染みました?」

「うん、まあ何とか。後、胸がでかいから楽しい」

「変態?」

「変態っていうな。明美だってその残念な胸が突然巨乳になったら、鏡の前でポージングして堪能するでしょう?」

「残念っていうな。でも確かに」

「そういう事よ」

 そう言って、親指を立てた彼女は書庫で見せたのと同じ極上の笑みを見せた。


 埃まみれの書庫。

 小さな明り取り用の窓から差し込む光を反射して、空間を舞う埃がキラキラと輝く。

 半透明の女子生徒が泣きながらドアにすがっている。

「え、マジでなんなのよこれ。ここから出してよぅ……。誰かぁ……」

 ドアを叩いても音は出ず、ノブを捻ることもできない。

 弱々しいその声は、半透明の体と同じように書庫のドアを通り抜けることもなかった。

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