「ナイフとフォークで食べなさい」

れなれな(水木レナ)

栃木はおいしいどう!

 午前六時頃。十一月二十二日、那須烏山市。

 横浜から栃木の父の別宅へ赴いた先で、朝から地震が起きた。私が夕べ五霞の道の駅でお土産に買った「チリ・トマト味」のカップヌードルでも食べるか、とパッケージのふたを切ったときだった。

 ゆわん、と目まいがしたのかと思った。違う。家じゅうの扉がガタガタと細かく震え、家全体がゆっさゆっさと揺れている。ああ、地震かあ、と思うや隣の部屋からけたたましい警告音がする。母がTVをつけたようだ。

『すぐ避難してください。津波警報! 津波警報! 東日本大震災を思い出してください。立ち止まったり、引きかえしたりしないでください。すぐ避難してください!』

 と何度も繰り返していた。


 マグニチュードは七.四だったが、震源地は福島沖。警報は後に注意報に変わった。父の家には倒れて困るものや、崩れてくるものは一つもなくて、ほっとした。

「このあたりには川も海もないから、津波はこないだろう」

と、父が言うので避難はしなかった。

 TVでは、普通の人がスマホで撮った画像を流していたが、逆流する川の白波は初めて見たので珍しかった。

『三メートルの波が予想されます。人の身長の約二倍の高さです』

という放送があり、なかなか適切だと思った。東日本大震災のときは、十五メートルの津波が予想されたというのに、逃げずに被害に遭った=死亡した人々がいた。堤防があり、それを越えてくる波など想像もつかなかったのだろう。


  末の松山波こさじとは


と、和歌にも詠われているが、解釈がいろいろで私にはとても理解しがたい。末の松山は本当に東日本にあって、一説には何百年か前にあった津波が、その場所までは届かなかったとか、いや、実際は末の松山がどこにあったか検証しないといけないとかいう話だった。

 そんな途方もない話は、興味は引いてもなかなかイメージしにくい。その点、「人の身長の約二倍」はよかったと思うのだ。


 五時間かけて横浜から栃木まで普通道路を経てきたが、ベッドで寝て、起きてぽーっとしてたら、地震、というのは別に珍しい事でもないなあ、と感じる日の本の感覚はおかしいのだろうか? 中国なんかではすごく怖いと思うし、台湾や韓国などでは耐震構造上の問題でとても危機感があると思うのだが。

 そのことよりも、栃木で珍しいと感じたのは、午後、陽が傾き始めると、

『~時になりました。**小学校の子供たちが帰宅する時間です』

と、交通事故防止のチャイムが鳴るし、かと思うと、午後五時になると、音楽が鳴る。母いわく、

「農家の人がまだ作業しているから、そろそろ帰る時間ですよと言っているの」

「そんなこと言ったって、今の季節もう、真っ暗なのに、気づかない人なんているの?」

と反論したが、うちの父がまずそういう時間感覚のない性質なので、母が言うのも無理ないと思わされてしまう。

 農家の人って、時計を持っていないんだろうか? 父は持ってない。家にあるかけ時計も止まっていたり、オルゴールつき置時計も合ってなかったりして、無事機能を果たしているのはTVの表示、というありさまだった。

 月に一度の間隔で母は横浜からこの別宅まで米をもらいにやってくる。そしてお礼替わりに部屋の掃除をしていくのだ。

 しかし、

「おまえがくると、書類がどこへ行ったかわからなくなる!」

と父は怒る。そういう事情はわかるから、私などは、

「物を移動させたら元の位置に戻すように」

と忠告したのだが、母は、

「あの部屋は私も過ごすのだから、テーブルの上はきれいにしておいてほしい」

という理由から、出しっぱなしの書類を他へ避けてしまう。困ったものだ。笑えない。私は父に心から同情した。


 定年後、なぜ父がここに移住したかというと、土地が安く、彼が地元農家の三男だったためだ。

 農地は農家の人間にしか買えない。父はそこいらじゅうの空き地や農地を買って、人に貸して、とれた米などをわけてもらっている。自分は専用の畑にさつまいもや里芋、八つ頭を植えておいて、親戚の売店を経営する人にあげてしまう。その代わりに、干し柿などをもらってくるのだ。完全なる物々交換。自給自足の修行僧のようだ。

 父いわく、八つ頭の茎は筋を取って乾燥させたものを芋がらと言って、戦のときにはベルト代わりに結わえ紐にして胴に巻きつけ、敗走した際、水で戻して煮物の具にして、兜の下に仕込んだ米と共に食いつないだそうだ。芋がらは現在、ズイキといって、料亭に売られている。


 今回うれしかったのは、父が私たちの来ることを知って、近所の木になっていた熟し柿をもいで、さりげなくこたつの上に置いておいてくれたことだ。

「ナイフとフォークで食べなさい」

と言うのだけれど、その男性の握りこぶし大の真っ赤な実に、私はかまわずかぶりついた。秋の芳醇な香りが鼻に抜けた。やわらかな味わいは、歯で噛まずとも口の中に甘みが広がり、つるりとのどに入ってしまう。


 父よ、そして大地の恵みに感謝!

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「ナイフとフォークで食べなさい」 れなれな(水木レナ) @rena-rena

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