20th Century Vampire

20th Century Vampire

 喫茶店の店先にはフォークソングが流れていた。天気は雨で、街角はシトシトと降り注ぐ冬の雨に濡れていた。もう日も暮れてきており薄暮の街にはライトを灯した車が行き交っていた。

「はぁ・・・・」

 ため息をついた少女の息は白い。随分と冷え込んでいる。少女は軒下で雨宿りを取りながら空を見上げていた。学生服を着た、一見普通の女子高生だった。しかし、その瞳は赤く、覗く八重歯は鋭かった。少女は吸血鬼だった。少女はフォークソングに耳を傾け、景色を眺めこの夕暮れの町並みに浸っているようだった。

「やぁ、こんばんは」

 そう言って吸血鬼に話しかけるものがあった。それは男だった。分厚いコート。分厚いズボン、そして質の良さそうな中折れ帽を身につけていた。しかし、その顔は見えなかった。その顔は面に隠されていたからだ。面には鼻や目を出す穴はなく、ただ平たく、そこに『叢』と書かれていた。明らかに異様だったが歩く人々は男に目を向けることさえなかった。まるで男が見えていないかのようだった。

「待ったかな」

「別に。ほんの10分くらいかな」

 吸血鬼は言った。

「そうか、それはすまなかった。この寒空の下10分はきつかろう。喫茶店に入るかい」

「いいよ。それよりさっさと話を始めよう」

「そうかい。なら始めようか」

 男は少し被っている帽子を直した。

「この世界を終わらせるかどうか」

 男は言った。この上なく不穏な内容の割には実に軽い調子だった。

「終わらせるのはあんたでしょう」

「ああ、だが決定権は君にあるからね。一週間考えてどうしたい」

 男と吸血鬼が出会ったのは一週間前。吸血鬼は男を追ってこの街に入った。男は強大な妖怪だった。男はこの世界を終わらせる力を持ち実行しようとしていた。吸血鬼はそれを止めようとしていた。男はすぐに見つかり、吸血鬼は戦闘を仕掛けたがあえなく敗北。しかし、男はすぐに行動はせずに一週間の猶予を与えた。そして世界を滅ぼすかどうかの決定権を吸血鬼に与えた。

「君は別に世界はどうでもいいはずだ。『盟王』の指令を受けているだけの君にはね。少なくとも人間が滅んだところでなんの影響もない。だから君には僕を止める理由はなく、むしろ君は人類の滅びを望んでいるのではないか、と。先週はこう言ったんだったね」

 男は顎をさする。この吸血鬼は生物から精気を吸うことで生きているので別に人間でなくてもほかの生物から精気を吸えばいいのだった。だから人間が滅んでも問題はない。

「君は理解しているからね。人間がこの世界に不要な存在であることを。いや、邪魔であることを。この景色が物語っている。無尽蔵に増え続け、自分の文明のために自然を破壊し、他の生物を滅ぼす害悪でしかない生物。それが人間だ。君にはそれを守る理由がないはずだ」

 男はぐるりと辺りを見る。コンクリートで塗り固められた道路に排気ガスを吹き上げる車。遠くを見れば工場が有毒ガスをもうもうと吹き出している。高度経済成長期の日本。環境などにはまるで気を使うことのない時代だった。

「まぁね。そういうことはあるかもね」

「なら、どうする。やっぱり滅ぼすかい?」

「そういえばどうやって滅ぼすの。この地球上から人間だけを消し去るなんてそんな都合のいい方法が本当にあるの?」

「僕の影で地球そのものを覆う。そしてそこに触れたものから人間とそうでないものを分けて人間だけを飲み込むのさ。簡単なことだよ」

 男の影が心なしか揺らめいた。

「まず地球全土に能力を行使できる時点でデタラメだけどね」

「まぁね。僕は人間を嫌う全ての存在の集合無意識から生まれた妖怪だ。今の時代、人間を恨めしく思うものなんて無数にいるからね。それにふさわしい力を持っているのさ」

「ああ、そう」

 吸血鬼はうんざりしたようにため息を吐いた。そんなデタラメな相手に一週間前自分は挑んだのかと思うとなんだか呆れたのだった。命があるのが奇跡のようなものだ。

「で、どうする。やっぱり滅ぼすかい? それとも『盟王』が怖いかい?」

「おっさんは別に怖くないよ。私より弱いし」

 吸血鬼はふと男の後ろ、夕暮れの街に目を移した。人々が行き交う夕暮れの街。仕事帰りの工場の労働者、疲れが顔に現れ家に早く帰りたそうだ。この季節でも短パンの小学生、「ウルトラマン! ウルトラマン!」と友達と叫びながら走っていく。買い物帰りの主婦、買い物かごにいっぱいに晩ご飯の食材を入れている。遠くから豆腐売りのラッパが聞こえる。街頭のテレビからはオリンピックの話題を話すキャスターの声した。皆どこか明るかった。今を懸命に生きているようだった。そういう時代だった。全てがエネルギーを持っている。みんながただただ前進している時代。脇目も振らず発展している時代。輝かしい時代。

「ただ、この景色は好きだなぁって。私ずっとこっちに住んでるからさ」

 こっちとは日本のことだ。彼女たちの本拠地はヨーロッパにある。

「愛着ってやつかい。でも、新しい世界ができたらそれはそれで愛着が沸くと思うよ。なんでも経験だと思うけどな。いや、そんな軽く言うには変化は大きいけどね」

 男は肩をすくめる。

「本当に今すぐに滅ぼす必要があるの?」

「ああ、もう大分来るところまで来てる。もうそろそろ騒ぎになり始めてるけどね。このまま行くと地球は滅茶苦茶になる。20世紀の終わりには世界中てんてこ舞いだろうさ。事態の深刻さに直面する」

「そういえばノストラダムスとかいうおっさんがなんか言ってるんだったね」

 吸血鬼は興味なさそうに記憶を掘り返して髭面のじいさんの顔を思い浮かべた。

「だから、とっとと始めないといけない。どうにもならないことになる前に。ここで終わらせなくてはならないんだよ」

「うーん」

「それでも、まだ迷うかい?」

「やっぱりさ、私は人間の中で生きてるからどうしても視点が人間寄りになっちゃうんだよね」

「人間のせいでたくさんの生物が死んでるよ。たくさんの種が滅んでるよ。このままにしておくとさらに死ぬんだよ。それは構わないのかい」

「いや、うーん。構わなくはないなぁ。やっぱり」

 吸血鬼は腕組をして唸る。

「でも、やっぱりこの景色に消えて欲しくはない」

 吸血鬼はもう一度景色を見た。

「どうも、私は人間が好きなんだね」

 吸血鬼は微笑んだ。

「そうかい。理解に苦しむね。滅ぶべき存在であることを認識しながらその存続を容認するとは」

「滅んだ方が地球のためにはなるだろうけど、滅ぶべきだとは思わないよ。多分滅ぶべき生物なんてこの世の中にないんだから。みんなあるようにあるだけなんだから」

「そうだね、それは真理かもしれない。でも、これから滅茶苦茶が起きるよ。きっと君の楽観からかけ離れた未来が来る。そもそも核戦争がいつ起きたっておかしくはないのに」

「そうだね」

 冷戦は続いていた。核の時計は終末へと時を刻んでいた。東と西のどちらかが核を撃てばそれで世界は終わりだ。

「でも、きっと人間はそれらの問題を解決すると思う。冷戦は終わると思う。環境問題も解決されると思う。いつかそんな日が来ると思う」

「冷戦が終わる? 環境問題が解決する? それは夢物語だとは思わないのかい」

「どうだろう。でも、私はそうなると思うよ」

「根拠は?」

「今まで関わってきた感じ、人間はすごいから。なんていうかさ、エネルギーが」

「それが根拠かい。理屈になってないけど」

 今度は男が呆れてため息を吐いた。それから中折れ帽の位置を直す。

「そうかい、君がそう言うなら滅ぼすのは止めるよ」

「いいの? 私なんて無視して滅ぼせばいいのに」

「いいや、君に一任すると言ってしまったからね。約束は守らなくては。僕はこう見えて義理堅いのさ」

「そう、妖怪のくせに面倒な性分ね」

「ああ、まったく」

 男はそう言って軒下から出た。ここを去るようだった。しかし、最後にもう一度振り返った。

「本当に輝かしい未来は来ると思うかい?」

「本当のとこあんまり自信ないけどさ。ほら、21世紀は夢の時代らしいよ。たくさん発展していろんなことが出来るようになるって。そこに期待って感じ」

「どうだろう。僕の見てる感じろくなことにならない気がするけどね」

「そうだね。でも、なってみないことには分からないよ」

「それはそうだ。まぁ、せいぜい僕が出てこなくなる時代になってることを願うよ。じゃあね」

 男は今度こそ去っていった。辺りはもう真っ暗で、男はあっという間に闇に溶けて消えてしまった。

話し合いは終わった。

「はぁああ、疲れた」

 吸血鬼は一気に脱力した。世界の命運をかけた問答だ。平静を保っているつもりでも疲れるのは当たり前である。吸血鬼は一つ伸びをした。間抜けなうめき声も上げる。とにもかくにもこれで世界は救われた。吸血鬼は基本的に武闘派で今まで全部殴り合いで解決してきたタイプだ。交渉で問題を解決することなど後にも先にもこれっきりだろうと、いや、これっきりであって欲しいと吸血鬼は思った。実に強敵だった。吸血鬼はようやく傘を開いて歩き出す。一応自分が住んでいるマンションへ。夕食は鍋にしようと吸血鬼は思った。人間の食事は栄養になるわけではないが味は楽しいのだ。喫茶店から聞こえる音楽はロック音楽に変わっていた。T・レックスの「20th Century Boy」だった。

「21世紀、いい未来になってるよねぇ。もうあいつと戦うのはゴメンだよ、ホント」

 吸血鬼は未来の希望を願った。今より良い時代。みんなが生き生きと輝いている時代。今ある問題が解決している時代。今ある争いのない時代。テレビで言われているような平和で輝かしい未来を。

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20th Century Vampire @kamome008

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