第3話
篠吉が案内してくれたのは、呑み屋通りにある白金の名物料理屋だった。
牛飼いの多い白金は肉や乳製品が安く手に入り、また関所で行商人に通行料を課さないことから、「物を売るなら白金」と言われるほど貿易が盛んに行われている場所だ。中でも人の密集した都は、毎日多くの品物が取引され、大陸内外から入ってきた物品で溢れかえっている。
それゆえに多様な食文化が育ち、料理は庶民が口にするものでさえ一級品ばかりだった。
「う、うめえ!なんだこれっ!」
「お気に召したようで何よりです。ここ、僕の行きつけなんですよ。お二方とも、代金の心配はいりませんのでどんどん召し上がってくださいね」
ガツガツと飯を掻き込む右京と、それを面白そうに見つめる篠吉。
俺たちは
「右京、お前は少しでも遠慮というものを覚えるべきだ」
「わかってねえなぁ、影光。夜が明けたら俺たちはまたあの道を引き返すんだぜ。ここで食いっぱぐれるわけにはいかねえっての。この祭りを楽しむのが俺たちの『務め』、なんだろ?」
こいつがこういうやつだということを忘れていた。手持ちのほとんどない俺たちだが、この祭りで飲み食いした代金は白金国君主の名前でツケが効くらしい。それで、調子に乗った右京が先ほどから料理を次々頼むものだから給仕の娘は何度も土間と客間を行ったり来たりしていててんやわんやになっている。好き勝手に食い散らかすやつの隣で、俺はそんな娘が次第に不憫になってきて彼女が料理を運んでくるたびに「かたじけない」と小さく声をかけていた。
とはいえ、この店の料理は本当に絶品ばかりで右京がここまでがっつくのも無理はない。
それも、死臭のするお結びを食べたきり何も口にしていなかったからなおさらだった。
「ところで——」
ひとしきり小皿を食べ終えた後、俺は箸を置いた。
「白金国もすでに
「もうそのような噂が流布しているとは、さすが焔国の隠密も侮ることができませんね。確かに、我々には来たるべき戦に対する備えがあります」
「やはり、そうなんですね。そうすると我々の関心事はそれだけの数の兵を一体どうやって集めたのかということです。我が国の征伐隊もかなりの報奨を提示して徴兵をかけているようですがその数には遠く及びません」
笑顔を崩さない篠吉だが、その目はさっきより真剣味を帯びている。
「なるほど、私と影光殿の認識の間には多少の
「齟齬……ですか?」
俺はその言葉の意味するところを尋ねる。
骨つきの巨大な肉を頬張っていた右京も、このときばかりは興味津々という様子で聞き入っていた。その周りを取り囲んでいた料理たちは見事に平らげられている。
「”鬼の部隊”です。我々が組織しているのは」
俺は思わず身を乗り出していた。
「鬼をっ……使役しているというのですか!?」
そんなことができるわけがない。鬼は人には従わない。天魔を使役することができるのは、外法に手を出したものだけだ。その行為は人の守るべき戒律の中で最も厳しく禁じられているし、それを犯せばその者もまた魔道に飲まれ鬼になるというのだから、いくら兵力が不足していても国がそれに手を出していいはずがない。
天魔は人の世の敵であり、穢れそのものなのだから。
「『毒をもって毒を制す』ってか。随分とおっかねえことを考える国があったもんだな」
右京の口調もすっかり厳しくなっていた。
「驚かれるのも無理はないでしょう。それは神や天子様のおっしゃるところの禁忌ですからね。しかし、我が国はそれを成し遂げるための術を見出したのです」
右京と俺は顔を見合わせた。何というか、
「そんなもの、あるはずが——」
ない。
そう言おうとしたが、その言葉が発せられることはなかった。
なぜなら、彼の言葉を信じるに足る、いや、信じざるを得ない証拠を見てしまったからだ。
「北方よりもたらされた秘術です」
篠吉は袖をまくっていた。そして、先ほどまで隠れていたその部分には、まるで、そう。
「なっ!!」
――そこには鬼の腕があった。
右京が床から脇差を拾うのがわかった。やつは左利きで俺とは体を挟んで逆側に脇差を置いていたが、ガチャリと金属同士がぶつかる鈍い音が聞こえたからだ。
俺もその音につられて、無意識に鞘に触れていた。
しかし、篠吉はそれらの刀身が姿を表すよりもはやく、
「お待ち下さいっ!」
右京は完全に居合の体勢に入っていて、一触即発の状況だったが、篠吉はやつの目をまっすぐ見て、
「ここまで来られる間、
「じゃあ、そいつはなんなんだ? 俺の知り合いには腕を失くしたやつはいても、そんなおどろおどろしい腕をしたやつはいねえぜ」
それは、至って冷静な口調だった。しかし、右京が頭の中で「斬るべし」と判断したら、その瞬間に篠吉の胴から上は吹き飛ぶだろう。向こうは刀に手をつける素ぶりもない。
一方の俺は、右京が刀を抜いた後にどうすべきかを考えていた。それは主に、この場をどう収めるかという問題だった。
何せここは街中だ。斬り合いになれば俺たち以外にも死人が出るかもしれない。
「これこそが先ほど申し上げた秘術です。いきなりお見せしたのは流石にまずかったですね」
「篠吉殿、その秘術についてまずは詳しくお聞かせ願えないでしょうか。でなければ、我々はこの得物から手を離すことができません」
「わかりました。では、はじめに”これ”が一体なんなのかお話しましょう」
今までの和やかな食卓が一体全体どうすればこうも凍りつくだろう。給仕の娘が全ての料理を運び終えていたのが不幸中の幸いだ。
「これは、あなた方のご想像どおり『鬼の腕』です。しかし、私は鬼ではありません。いや、正確には私の”腕以外”は鬼ではない、というべきなのかもしれません」
「腕……以外?」
「私は今現在、城下の警備を任されていますが、一月後にはあなた方の仰っていた征伐隊、
「何だってそんなことを……」
征伐のためとはいえ、そんなことをするなんて正気の沙汰ではない。
しかし、篠吉はそれを微塵もおかしなことと思う様子もなく、毅然とした態度で話し始めた。
「村にいたとき、私は戦で両親と妹を失いました。私は無力だった。何もできず、ただ彼らが鬼に殺されるのを見るていることしかできなかった。ここに本来生えていた腕も鬼にもって行かれました。あの場で私も死んでいたらどれだけ楽だったか。しかし、駆けつけた重寅公の軍に私は助けられた。あの地獄で、私だけが生き延びた……」
その表情は壮絶な悲しみに満ちていた。例え演技であっても、鬼にこんな表情ができるだろうか。
篠吉は紛れもなく人間だ。
「あるとき、陰陽師がこの術を白金にもたらしたのを聞いた私は、この命があるのはこの時のためなのだと思いました」
同じだ。この篠吉も全てを失っている。
外の地獄を知らないだって?
この少年は俺と同じだけの苦しみを背負って、それでいてあんなに朗らかに笑っていたのだ。
俺はどうだ? 国のために鬼になれるか?
そんな覚悟は俺にはない。俺にあるのは斎賀への復讐心だけ。俺は今まで自分のためだけに生きてきたんだ。
なのに、篠吉は絶望を知ってなお、他者の希望を守ろうとしている。
今になってようやくわかった。
彼が白虎に誓ったのは他力本願な神頼みなどではない。大切なものを守ることができず、それでも目の前のものを守るために必死にもがき、憎くて憎くてどうしようもない鬼に、自分自身がならざるを得なかったことへの
「その陰陽師によれば、あと五年もすれば、この腕が私自身を喰い殺すそうです。しかし、もともと失うはずだった命。今は国のため、民のためなら喜んで差し出しましょう」
俺は、彼を甘く見ていたことを心の底から後悔した。
この少年はきっとこの平和ボケした街に
彼は命の全てを国に捧げている。彼だけではない。
恐らくは、この国の侍全てが。
俺にはわからない。
そんな身体になって、日々己が天魔に侵されていく実感に怯えながらも、それでいてなぜそんな風に笑っていられる?
気づいた時には、右京も俺も鞘から手を離していた。
「この無礼、どうかお許しください」
俺は、どうしようもないやるせなさを感じていた。それはきっと右京も同じだろう。
やつは一言も発することなく、ただ天井を見つめていた。
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