第2話

 白金国しろがねのくにの首都・南城都みなみじょうとは人で賑わっていた。

 四方を水掘に囲まれた城塞都市の入り口近くには行商人や旅の芸人、そして戦から逃れて来たであろう難民が列をなしていて、門番は彼らが鬼や妖怪の類でないことを確認するため龍眼りゅうのめと呼ばれる特殊な水晶を使って鑑識を行なっている。それは一人一人手作業のため彼らは大忙しだった。

 俺たち蒲生軍はそんな大混雑を横目に別の門の前に来ていた。先ほどの者たちが通る小さなつり橋から続く門ではなく、普段は固く閉ざされた、おそらくは出陣用の跳ね橋だ。俺たちの大将が主君直筆の裏書を見せると、門番は開門係に手で指示を送り、ぎしぎしと音を立てながら大きな丸太の連なりが壁外の堀に橋となって架かった。

 かくして俺たちは無事に白金の君主がいる都に上洛を果たした。門から城までの道案内や俺たちが泊まる宿の手配など、先方の準備は万全でトントン拍子に交渉は行われた。つまり、俺が心配していたような血なまぐさい事態は起こらなかったわけで、焔国と白金国の大陸をまたぐ同盟はあっけなく結ばれたということだ。


 暮れ六つ、大将があちらのお偉い方と細かい話をつけている間、俺たち下っ端は城下に出ることを許可された。俺も右京も他の兵たちも疲労困ぱいだったが、城下では盟友を歓迎する盛大な祭りが催されているらしく、俺たちは宿で甲冑を脱ぎ捨てたのち渋々といった感じで城下に繰り出すことになった。


「ありがた迷惑ってのは、まさにこういうことだよな」


 右京が言った。町中に張り巡らされた提灯ちょうちんに照らされたその顔には、こいつのもともと眠そうな顔つきを鑑みても疲労の色が見て取れる。


「せっかく誘われたのに無下にはできないだろ。白金にとっちゃこれだって立派な務めなんだよ」

「俺たちに友好的な態度を示すためにか? だったら遊女の一人や二人つけてほしいもんだね」


 右京は町人の女を目で追いながら言った。おどけた態度をとってはいるが、袴にきちっと脇差を備えて来たところを見ると、こいつもまだ完全に気を抜ききってはいないようだ。


 城下には多くの人がいて、蒲生の紋章を身につけた俺たちは誰かとすれ違うたびに尊敬とも恐れともつかぬ眼差しと、子どもによる好奇の視線に晒されていた。

 街の中央にある広場は特に混雑していて、舞台の上では数人の巫女が神楽を舞っている。


「おっ!あの巫女さん、今俺に笑いかけたぞ」


 散々文句を言っていたくせに浮かれる右京。確かにその巫女はこちらに笑いかけているように見えた。

 俺は呆れた様子で、


「この人混みの中で、誰に笑いかけてるかなんてわかるわけないだろ。仮にそうだとしても、それは俺たちが物珍しいからであってお前が色男だからじゃ決してないからな」

「影光、お前は本当に雰囲気を台無しにするのが得意だな」


 俺は「そりゃどうも」と右京の皮肉を流しながら、辺りを見回してみる。

 焔国よりもずっと歴史のある街並み。城から長く続く石畳は城下まで延びて、その脇には呉服屋や茶屋が立ち並んでいる。そこを行き交う人々の向こうで、婦人が出店でみせで買った飴を我が子に手渡して仲睦まじく笑いあっていた。

 「国だ」と、俺は思った。

 それはもちろん俺たちがもと来た、そして帰るべき焔も国だし、今は見る影もない水眼すいがも記録として残る国だけれど、領地とか民とか地図の上の名前とかそういった概念ではなく、この光景こそが俺が求める真の国の姿だった。

 白金国君主、藤吉ふじよし重寅しげとらは八代続く武家の末裔であり一族はおよそ100年の間この街を守ってきたという。この乱世にあって、それは途方もない時間だ。一つの命が終わり、子の命、孫の命も飛び越えて、その間この街はずっと人々を見てきた。人の営みを、命の継承を、戦を、平和を、全てを見てきた。

 雅楽の旋律が響く広場で、俺は今日見て来た屍たちと、この街にある命の間にとてつもない隔たりを感じながら、巫女たちの神秘性を帯びた所作を眺めていた。


「あの舞は聖獣である白虎に祈りを捧げているんですよ」


 後ろから聞きなれない声が響いた。

 俺と右京がはっとして振り返ると、そこには俺たちと同じ歳の頃――数え年で十六くらい――の侍が紋付羽織袴といういでたちで立っていた。一目で彼が侍だとわかったのはその腰に小太刀がぶら下がっていたからで、その胸に縫い込まれていたのが蒲生の雀紋ではなく、ここ白金国の虎紋だったことから俺は咄嗟に身構えてしまっていた。

 彼は両手のひらを上げて敵意のないことを示しながら俺と右京を交互に見て、


「白金国、城下守備隊の篠吉しのきちと申します」


 隣で右京の緊張が解けたのがわかり、俺も自然と安堵した。


「焔国は蒲生軍、長柄組の右京だ。それと、こいつは――」


 右京が俺の分まで名乗ろうとしたので俺は手で制止して、


「同じく、太刀組の影光です。篠吉殿、あなたも祭を見に来たんですか?」

「いや……」


 口ごもる篠吉という侍。しばらく間を置いて、彼はばつが悪そうに続ける。


「僕はみなさんの見張り役なんですよ」

「見張り役? 同盟を組んだ直後だってのに随分と信用がねえな」


 と右京が突っかかった。どうやらこいつの見張り役は俺がやる必要がありそうだ。

 右京は特に怒っている様子ではなかったが他国の侍を前にしているということもあり、染み付いた警戒心が発動しているようだった。


「気を悪くされたのなら申し訳ありません。ただ、見張り役といっても、どちらかというと皆さんの身を守るのが目的なんですよ。ここで何か粗相があって、せっかくの同盟が無碍むげになってしまっては困りますからね。この国を守護する偉大な白虎に誓って皆さんに危害を加えたりはしませんよ」


 なるほどよくできた臣下だ。礼儀正しく、物怖じしない。粗暴な振る舞いを取る右京と比べると、本当に同じ侍なのかと疑ってしまうくらいだ。

 しかし、俺は彼の言葉が主君への誓いではなく神への誓いであることにどこか違和感を覚えていた。


「聖獣、白虎……か」


 神に守られた国。いつだったか、俺もそんな話を信じていた頃があった。神が人の世の秩序を守ってくれると。神話が語られるのはきっと平和であることの表れなのだろう。

 自分の身は自分で守らねばならない。そんな当たり前のことさえ知らなかったあの頃と、現実を知りその術を身につけた今では、神に対する考えも大きく変わった。

 神は誰も守ってはくれない。

 今や大陸の外側では武士だけでなく百姓や商人でさえ自警を強いられているというのに、そんなまやかしをどうして信じられようか。

 この篠吉にそれをいったところでどうしようもないが、俺はこの少年は外の地獄を知らないんじゃないかという疑念さえ抱いていた。

 それに俺が気になっていることは、それ以外にもある。


「お心遣い痛み入りますが、我々も武士もののふの端くれですから、そう過保護にされては面目がありません」


 目を丸くする白金の侍。

 神頼みも君の護衛も必要ない。俺たちは侍なんだ。これはそういう意味を込めた俺の精一杯の反論だった。

 隣では右京も困惑の表情を浮かべてこちらを見ている。その目は「嫌なやつだなぁ、お前は」と言っているようだった。


「そう……ですよね」


 と篠吉は呟いた後、左の手のひらに右手の拳を打ち付けて「そうだっ」と突然饒舌になって、


「ではこう致しましょう。僕は今からは見張り役ではなく、お二人の案内役です。お望みがあれば、どこへでもお連れしますよ」


 隣に視線をやるとまた右京と目が合った。俺は特別行きたい場所はなかったので、右京が口を開くまで待っていると、やつはしばらく考え込んだ後に、


「じゃあ飯屋に連れてってくれねえか。死体が転がってなきゃどこでもいいぜ」


 それを聞いて俺は「お前も十分嫌なやつだよ」と右京に視線を送った。

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