ナルミカヅチと亡国の武士

珈琲クロ

流浪人と神

第1話

 白金しろがね領・南城都みなみじょうとから、山を越えて大陸東岸に続く長い道のり。

 帰国の途に就く一行の脇には幾重にも屍が積まれていた。そこには屈強な男も若い女も幼な子も関係なく腐り、焼かれ、ひとつの物体と化している。そして、おそらくここにあったであろう彼らの生活の痕跡は見る影もなく焼き尽くされて、あとには煙が立ち込めているだけだった。命からがら逃げ延びた者たちの虚ろな目。それは昨日まで一緒に泣いたり笑ったりしていた親兄弟たちが死の間際に残した悲痛な叫びへと向けられている。

 ここもまた、幾度となく繰り返された空虚な世界だ。

 十年前、東方随一の大国水眼すいがを滅亡に追いやったのは王の家臣であった一人の男だった。名は斎賀さいが天真てんま。宰相として王から全幅の信頼を置かれ、民からも慕われていたはずの男。一体何が斎賀を謀反に駆り立てたのか、その真相を知るのはもはや本人だけだ。斎賀は金で雇った鬼の兵を率いて王城を包囲し、なんの躊躇もなく生来仕えた主君の首をねた。その後、城下に跋扈するようになった鬼が国中の村を焼き、民を殺し、犯し、拐っていくさまは、さながら地獄絵図のようであったという。

 一派の謀反以来、どういうわけか戦はいたるところで起こるようになった。東方の情勢が不安定になり国同士の均衡が崩れたためだとか、斎賀が各地で賊や鬼、妖怪を使って戦を煽動しているとか、様々な憶測が飛び交っているが、いずれにしても全ての論調において斎賀という男は戦をばらまく魔道の存在であり、この世の悪というわけだ。

 いまや死はどこにだって転がっている。それは悲劇でもなんでもなく、ありふれた、語るに及ばない話になった。死人に口なし。とはいうものの、それでも亡骸たちはいつもたった一つのことを叫んでいる。御伽噺おとぎばなしのように教訓を与えるでもなく、伝説のように希望を与えるでもなく、ただここにある絶望を映し出すだけの鏡として。





 俺が南の大国、ほむらを統べる蒲生がもう氏のもとに兵として取り立てられたのは二年前。それからというもの俺は村を、国を、大陸を転々として数多の戦を闘い抜いてきた。その目的はただ一つ。故郷を滅ぼした仇、斎賀の征伐にある。この征伐自体は一国の君主にすぎない蒲生久秀ひさひでが他大陸に自軍を展開するための大義名分だろう。だとしても、そのおかげで俺たち蒲生軍は今も我が物顔で西大陸を闊歩しているわけで、宝珠島に御座おわす天子もこのことには目を瞑ってくれている。

 全てがお膳立てされている。たった一人の男を葬るために。

 水眼すいがを逃れて十年、俺は全てを奪い去った男への復讐心に未だ苛まれ、こうして他人の大義にすがってまで決着をつけようとしていた。

 そんなわけで、主君直々にとある特命を受けた俺たち蒲生軍遣西兵団――その数およそ500名――は南大陸は焔領より貨物船で遥々海を渡り、西大陸南部に上陸した後かれこれ二刻半、内地に向けて行軍を続けていた。

「ひでぇ臭いだな」と、俺の隣を歩いている右京うきょうが鼻をつまみながら、「吐きそうだ。お前はなんともないのか、影光かげみつ

 蒲生軍の朱色の甲冑に身を包んで、その背丈の一倍半はあろうかという長槍を背負っている男。その振る舞いや常に眠気に駆られたような顔は歴戦の勇士というにはあまりに威厳に欠けているが槍の使い手としては名高く、戦場いくさばでは頼りになる仲間だ。

 そして、その肩越しにはもはや見飽きた光景、まるで俺たちを出迎えるが如く積まれた肉の塊が見えた。長らく放置されたそれは、蛆が湧いてとてつもない異臭を放っている。

「もう慣れたよ」俺は腰から下げた太刀の位置を調整しながらまっすぐ行く先を見据えて、「当分はこの有様だろうな。内地の方がどうなってるかはわからないけど、ここまでで少なくとも十万人は死んでる」

「ったく、どこもかしこも死体まみれでいやになるね。そろそろ飯時だってのによ。こんな状況じゃどんなご馳走もマズくなるぜ」

 右京が親指と人差し指を鼻に押し当てたまま、その間の抜けた鼻声で言った。

「じきに嗅覚が麻痺して何にも感じなくなるさ。今は食い物より命の心配をすべきだ。この先、白金しろがねの出かた次第じゃ俺もお前もあの屍山血河の中に加わるかもしれないんだぞ」

 俺たちは内地にある大国・白金へ向かっていた。それはこの西大陸で最も強大な力をもつ国だ。なんでもその白金では焔と同じく斎賀征伐隊を組織しているらしく、俺たちの役目は焔君主・蒲生久秀の国書をもって彼らと同盟を結び、ともに征伐を完遂するための体制を整えるという重要なものだ。

 隊列の先頭を行く俺たちの大将によるとすでに早馬によって交渉の受け入れがあったらしいが、相手にいつ心変わりがあるとも限らないし、そもそも最初からこちらを陥れる策略である可能性だって否めない。こちらもかなりの装備を持ってはいるが、いかんせん交渉場所は他国の本拠地だ。多勢に無勢で囲まれたりすればひとたまりもないだろう。

 だから、ひょっとするとこれは死への行軍かもしれなかった。

 そんな心配を微塵もする様子がない右京はヘラヘラしながら、

「そりゃ心配のしすぎだぜ影光さんよぉ。もし白金やつらが俺たちと戦をしようってんなら、わざわざ都に招き入れるような回りくどい真似はしねぇだろうよ。山賊みてえに礼儀もへったくれもねぇ連中ならともかく、仮初かりそめにも相手は大国の君主様なんだぜ」

「俺に言わせれば、お前は気を抜きすぎなんだよ。山賊だろうが侍だろうが人は人だろう。必要があれば平気で裏切るのが人間って生き物だ。あの斎賀だって一国の宰相だったんだからな」

「かもな」首の後ろを掻きながら右京は機嫌が悪そうに呟く。「でもどのみち行くことには変わりねぇんだぜ。考えても無駄だってぇの」

 雑兵とはいえ侍として義理を重んじるこいつは逆賊なんかと同列にされたのが少し気に食わなかったようだ。

 確かに今回の役回りは今までの合戦派兵に比べたらまだ安全な務めだ。だからと言って俺は右京のように、まだ会ってもいない人間に気を許すなんて到底できそうもなかった。それはきっと俺の他者に対する好意にも敵意にも、常にあの男が付きまとっているからだ。本能的に俺は誰に対しても心理的な中立を保ち続けたいと思ってしまう。それはたとえ、相手が右京を含めたこの兵団の仲間であっても同じことだ。

 死はどこにだって転がっている。そしてそれは大きな口を開けて俺が足を踏み外す瞬間を待っている。今日か明日か、あるいはずっと先のことかはわからないが、それは実感を伴った脅威としていつも俺の前にあって、未知の存在に出くわした時に最高潮に達する。今この場所で感じる焦りや恐怖は、俺の無意識が白金国という未知の存在に対して発している危険信号でもあるのだ。

「俺たちが斎賀を殺ったとして、お前はこの動乱が収まると思うか?」右京は俺の方を向いて、「俺はそうは思わないぜ。確かに火種を撒いたのはやつかもしれんがな、戦ってのは生き物だろう。俺たち人間が草花畜生を食って育つみたいに、戦は人間の憎しみを食って育つんだ。ここまででかくなっちまった怪物はもはや、やつ自身にだってどうにもできねぇだろうよ」

「だとしても、やつがやったことは許されない。俺たちがやらなければ他の国がやる。ただそれだけのことさ」

 その言葉を口にしながら俺は思った。許されないって、誰にだろう。輿論にだろうか。武士道にだろうか。それとも神に。戦は俺なんかが生まれるよりはるかに以前、人間がこの世に誕生したときからからあるというのに。それなのに、一人の男の大逆だけが許されないことなんて、どうしてあり得るだろう。天子が神官であった斎賀の征伐を黙認しているのは、やつが天津あまつの戒律を破って鬼と契約したからであり、決して戦を起こしたからではない。神は人間のことなど本当は気にも留めていないのだから。

 やつを許せないのは他ならぬ俺だ。右京のいう通り、斎賀を殺した後の世界なんて俺にはどうでもいいことだった。俺はとにかく延々と続くこの無限の苦しみを終わらせたいのだ。俺の憎しみを。殺意を。それが新たな戦の糧になるというなら、いくらでも食らうがいいさ。

 俺は空に視線を移しながら、

「この征伐が無事に果たされたら、そのあと上の連中はどうするつもりなんだろうな」

「さあな。俺たちには関わりがないことだろ。『世の危機を助けてやったんだからお前ら全員俺の配下につけぇ!がははっ!』って他国に恩着せがましく言うんじゃねぇのか」

 それは主君の真似だ。右京はその後に「頼まれてもねぇのにな」と付け加えた。正直なところ、こいつのこういう道化なところは癪に触るが、物事の本質や人間の思惑を見抜く力には一目置いている。

 右京は俺の方に顎をしゃくって、

「そういうお前はどうなんだ? 故郷くにに帰るのか?」

「いや、俺は……」後のことなんて何も考えていない、とは言わなかった。「田舎で慎ましく暮らすよ」

 生き延びたとして、俺はどうするのだろう。帰る場所もなく、待っている人もいないというのに。こんな質問をするのも、右京は俺のそんな事情を知らないからだ。俺たちは二年間共に戦ってきた戦友だが、そのような仲であってもお互いの過去については全く知らないし、話す気もなかった。焔という国はだいたいにして君主自身が他国からの流れものであり広く難民を受け入れてきた経緯から、特に雑兵に関してはどこの国より外様の数が多い。そういった実情があって同じ旗を掲げた兵であっても、過去を詮索しないのは暗黙の了解となっているのだ。

 もしかすると、俺たちは本来敵対勢力だったかもしれない。さらに言えば親兄弟を殺したものがこの中にいるかもしれない。それを受け入れてでも俺たちは一つの武力として結束する道を選んでいる。だから、ここで過去を訊くことは無用なさい疑心と争いを招く行為でしかないのだ。

「夢のないやつだな。報奨がありゃ何だってできるだろうに」右京が期待はずれだと言わんばかりに肩をすくめた。「俺は――」

「お前の夢物語は訊いてないよ」

 俺は右京の話を遮った。なんと言っても他人の夢ほどつまらないものはない。それが実現しようとしまいと、自分の将来にはこれっぽっちも有益なことはないからだ。特に右京のようなやつは、他人のために何かをなそうなどとは絶対に思うはずがない。こいつは外見そのままに利己的なやつだということを俺は知っている。

 そんなくだらない話をもうしばらくしていると、隊列の先頭から大将の声が聞こえてきた。

「よぉーし、お前ら。一旦休憩だ。ここで飯にするぞ」

 それを聞いた右京はまた鼻を指でつまんで、

「やっぱり臭ぇわ」

 俺たちは脇の土手に腰掛けて、出立前に焔城下の女たちから受け取ったお結びにぱくついた。わざわざ握ってくれた彼女たちには申し訳ないが、傾斜の下の遥か彼方まで続く死の大陸を見つめながら食べたそれは、右京の言ったとおり今まで口にしたなかで格別にマズかった。

 この世界のどこかに斎賀やつがいる。今こうしている間にも残虐非道の限りを尽くし、焼きただれた大地に屍を積み重ねている。

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