3.始動

 ぐったりと横たわる光竜を見るクレティオの目は、厳しいものだった。けれど、鋭すぎるほどの視線はつかのま、やわらいで、空へと注がれる。厚さのさまざまな雲がところどころにかかった空は、心なしか、前に見たときよりもまぶしくなっていた。光は熱を地上に送り、大地を必要以上に温めている。

 それは決して気のせいではないと、光の主竜は知っている。

『まずは、これをどうにかしなきゃな』

 彼が、誰にともなく呟いたとき。ふっ――と薄い影がさした。竜は、目をみはる。太陽がかげった様子はないのに、あたりはわずかに暗くなっていた。源の見えない影は、生き物のようにゆらゆら揺らいで、やがて暗幕が引き払われるように消えた。すると、強かった空の光が、わずかにやわらいでいる。

 クレティオは、喉を鳴らした。

『なんだ、君か』

 虚空に向かって声を投げると、目に見えない存在が、ゆらりと身じろぎをした。

『――光の乱れを感じた。ゆえに、はせ参じた』

『うんうん。助かったよ。ああいうのは、僕らだけではどうにもならないからね。やっぱり、ついになる君たちがいないと』

 声は返らなかったが、怒っているような気配はない。クレティオが、いつもどおりの悠長な態度でいると、平板な音が発される。

『紅き花の薬香は、我らにとっても毒物だ。放ってはおけぬ』

『だろうね。君たちも竜だしね』

 クレティオは、間隔を開けて二度、喉を鳴らした。姿の見えない竜は、やはり答えない。光の竜はまったく気にしていなかった。彼らはその性質を体現したかのように寡黙なのだ。いちいち腹を立てていては、やっていられない。

 それどころか――長老級の竜は、その寡黙さと生真面目さを、最大限利用するのだ。

『それでさ。助かったついでに、ちょっと調べ物と伝言、頼みたいんだ。影竜えいりゅうは、そういうの得意だろう?』

 めったに姿を現さない竜の、呆れた空気が伝わってきた。

 

 

     ※

 

 

「ほう。タミルの香で竜が狂ったか」

 ジエッタの声は、隠しきれない苦みを帯びている。弟子である、少年姿の水竜は、無言で小さくうなずいた。冗談ではないと察したのか、舌打ちをした女傭兵は、「まいった、まいった」と、呟きを地面に吐き捨てた。


 ファイネの町は、ひとまずいつもの姿を取り戻していた。ただ、道行く人々は不安げに空を見上げているし、傭兵たちは自分たちが見たものについて怒鳴りながら意見を交わしているようだった。しかし、よく話し声に耳を澄ませていると、「突然現れた青い竜」に言及している人はほんのわずかだった。ディランが、今も道端で話をしている傭兵たちをなんとなく見ると、視線に気づいた彼らは、にやりと笑って軽く右の拳を突き上げた。仲間の戦いぶりをたたえる身ぶりのひとつだ。少年は苦笑して、左の拳を突き上げて、返礼する。

「まあた、厄介なブツが出てきたねえ。竜にあれをかがせたのが海の向こうから来たやつでなけりゃ、密売組織がからんでんだろ」

「みつばいそしき、ですか?」

「危険なものをこそこそ影で売りさばいて、大金稼いでる連中さ」

 よそにそれていたディランの意識を、傭兵と少年のやり取りが引き戻す。師匠の様子をうかがってみれば、腕を組み、いらだたしげに指を動かしているところであった。

「とにかく連中に報告だ。犯人と、タミルの流通経路をなんとしてでも洗いださないと」

「い、いいのか? ジエッタ殿」

「実はうちに、薬を裏で売ってる連中を突きとめてくれって依頼が来てたんだ。あまりに大口すぎたんで保留にしてたんだが、ちょうどいい。やってやろうじゃないか」

 他人事じゃないからねえ、と吐き捨てた女傭兵が、珍しくあせりをにじませて駆けだす。六人の旅人も、事態の急転に戸惑いつつ、男たちのむれを潜り抜けて、彼女を追った。


 町の荒くれ者たちによって起きた騒ぎが一段落すると、『暁の傭兵団』の団員たちは、すぐさま拠点へ戻ってきた。ジエッタが『家』に残っていた傭兵を使い、緊急招集をかけたのである。竜の暴走の一件と、それにタミルがからんでいるという事実は、すぐさま傭兵たちの知るところとなった。名前は知っていても実態のわからない毒草だ。彼らは不安げにざわめいていた。大きな卓を囲んで騒ぐ傭兵たちを、ジエッタが静める。

「とにかく、だ。竜と密接に関わる『うち』としては見過ごせない問題だし、それを差し引いたって知らん顔できる話じゃないのはわかるね。――これより、一部の団員には、タミルの流通経路を探ってもらうことにする。必要であれば、ディラン経由で竜からも情報を集めろ。先の依頼主には明日、あたしが話をしに行く」

 そのあと、ジエッタは団員の名を呼び、鋭く指示を飛ばしていった。指名された人々が集まって作戦を立てはじめるなか、ディランたちも、隅の方に固まって顔を突き合わせていた。

「俺たちはどうするよ? やっぱり、一人か二人は傭兵団に手を貸した方がいいかね」

「うむ。そうだな。けども、私たちがまずするべきなのは、被害にあった竜たちを救うこと。そして犯人の捜索だ」

 ゼフィアーが指を折りながら言うと、壁に背を預けていたトランスが、わずかに上体を起こす。

「犯人探しは当然として……竜たちの方は、どうにかなるのか? ゼフィー」

「うむ。それなのだ」うなずいたゼフィアーは、全員を見まわしてから話しはじめる。

「タミルは、症状がなかなか抜けきらんうえに、依存性があるのだ。それで、理論上は竜にも害をなせる毒薬だからと、『つたえの一族』やその末裔は、すすんでタミルの成分を解析したり、症状をやわらげる薬を作っていたりしてな」

「そ、そうなんですか!?」

 レビが上ずった声を上げた。彼に向かってうなずいたのは、ゼフィアーではなくディランである。

「そうだな。《大森林》の村、覚えてるだろ。あそこでも、タミル香についての研究を熱心にしている人がいる。まあ、北にはそもそもタミルじたいがないから、苦労しているみたいだけど」

 苦笑まじりに言えば、しかつめらしく、ゼフィアーが続きを引きとった。

「なのだ。あの村もなかなかいいところまで研究を進めてはいるようだけども……実は、もっともタミルの香や毒を調べているのは、私がいた村なのだ」

 彼女が最後の一言を口にした瞬間、広い『家』の一角に、衝撃が走った。え、と言ったのがいったい誰か、もはや誰もわかっていなかった。けれど、いきなり驚くべき発言をした本人は、まわりの反応を歯牙にもかけず、話を続ける。

「そこでだな。私は、故郷の村に行って、それについての情報を集めてきたいと思っている。うまくいけば、症状をやわらげる薬が手に入るかもしれんし」

 ゼフィアーは目をくりくりさせながら、ディランを見上げた。「翼を借りてもいいか」という彼女の言葉の意味をすぐに察したディランは、驚きを残しながらもうなずいた。つまり、これでディランとゼフィアーの行動は決まったわけである。

 残った四人が困惑気味に顔を見合わせた。と、そこへ、あちらこちらで怒鳴るように指揮していたジエッタが、靴音高くやってくる。

「そっちはそっちで、動くみたいだねえ」

 おもしろそうにのぞきこんできた女傭兵へ、彼女の弟子が「はい」と返す。小さく顎を動かしたジエッタは、視線をディランから別の方へ向けた。

 彼女の鋭い瞳は、一人の少女をとらえて止まった。見られた方は、少しひるんだようだった。

「で、だ。チトセといったか。あんた、古巣のかしらにつなぎをつけられるかい」

 唐突な質問に、訊かれた本人だけでなく、まわりも驚いて目をみはる。

「古巣って……ああ、そういうこと」

 一瞬、本当に意味がわからないとばかりに首をかしげていたチトセだが、すぐにうなずいた。相変わらずの刃のような空気をまといつつも、悪戯っぽい笑みをのぞかせる。

「話してみる。運び屋や密売人をしめあげるのは、『破邪はじゃ神槍しんそう』の方が得意だしね」

「よし、頼んだ。ついでに、あんたらとあたしらの、連絡役も頼まれてくれると嬉しいが」

「……ちゃっかりしてるわね、『烈火』なんていわれてる割に」

 チトセのちくりとする反論にも、ジエッタは動じない。あんなのはどこかの誰かが勝手に呼んだだけさ、と笑う。彼らのやり取りに笑いをこぼした銀髪の女性が、そろりと手をあげた。

「じゃあ、私もそちらに行こうかしらね。女の子一人じゃあ、心配だし」

「別に、心配なんてしなくたって……ま、いいけど」

 チトセが視線をそらしながらぼやくと、ジエッタがおもしろそうに目をゆがめた。同意を求めるように見られてしまった弟子は、ほほ笑んで肩をすくめるだけにとどめておく。無言のやり取りがされている横では、男と少年が手を打ちあっていた。

「それじゃあ、ぼくたちは」

「傭兵団と一緒に拠点探し、だな!」


 レビとトランスは、さっそく傭兵たちにまぎれて行動を起こすようだった。ディランとゼフィアー、マリエットとチトセも、それぞれに視線を合わせて立ちあがる。けれどそのとき、ディランは違和感をおぼえて『家』の窓を振り返った。

 その正体にはすぐに気づいた。いつの間にか、窓枠に足をひっかけ、黒猫が中へ入ってきていたのだ。黒猫は悠々とした足取りでディランの前まで進み出ると、立ち止まる。そこでディランは、黒猫がふつうの黒猫ではないと感じた。馴染みのある気配に苦笑する。

『久しいな、若き水のあるじ――ディルネオ。二十二年の間に、ずいぶんと変わったようだ』

 黒猫が、竜語ドラーゼで低くささやいた。ディランは笑みを崩さないまましゃがみこむ。黒猫の瞳をのぞきこむと、彼は小首をかしげた。

『久しぶりだな。あのときは世話をかけた。ところで、影の竜たるおまえが、なぜ猫の格好をしてここにいるのだ』

『今日の我は、クレティオの使いだ』

『クレティオの? まさか、何かあったのか』

 ディランは思わず顔を突きだす。けれども、黒猫はぐる、ぐると短く喉を鳴らした。竜の、否定のしるしだ。ディランは、ほっとして、頭をひっこめた。

『あやつに頼まれてな。少し、同胞たちのもとを巡ってきた。そして、ぬしのところへ来た』

 黒猫は、座りこんで、ゆっくりと尾を揺らす。ディランは繕った笑みを浮かべた。簡単に言っているが、彼らがクレティオと別れてからそう時間が経ったわけではない。神出鬼没にして、刹那のうちに世界を巡ることのできる影の竜たちの性質は、変わりがないようだった。

『――タミルの被害に遭っているのは、今のところ、この大陸の竜のみだ。あとは放浪性質の光竜と風竜ふうりゅうがわずか。幸い、主竜格で侵されている者はおらぬ。それと、やはり、小竜の被害が多いな。体の小さい者は、薬の回りも早いと見える』

 黒猫は淡々と、そして小声で言った。もたらされた情報に、しかし水竜は動じない。腕を組んで、静かにうなずいた。黒猫は、いかにもそれらしく毛づくろいをしながら続ける。

『イグニシオがいらだっておった。顔を見せて、ついでに情報をくれてやれ。あやつを手早くなだめられるのは、今のところ、主しかおらぬ』

『私はイグニシオの保護者ではないのだが。それに、まだ、伝えるほどの情報は集まっていないぞ』

 黒猫は、なんの感情も見せずに『そうか』と言う。やおら立ち上がり、ひらりと舞って窓枠に飛び乗った。

『経験者として忠告しておくぞ、ディルネオ。魂を休める前は、心身ともに過敏になっていて、外部のものの影響を受けやすい。人間に手を貸すのは構わぬが、のまれるでない。用心しろ』

『うん、肝に銘じておこう。情報、感謝する』

 影の黒猫はみゃあ、と鳴くと彼に背を向け――直後、煙のように揺らいで消えた。残滓ざんしすら残さない隠れ身のわざに、感心すると同時にあきれてしまう。

「相変わらずだ」

「何、今の」

 とげとげしい声に振り返れば、仏頂面の少女が立っている。ディランは彼女に、いつものように笑いかけた。

「聞こえてたか」

「ところどころ」

「なら、ちょうどいいや。そういうことだ」

 短い言葉で締めくくると、チトセはかぶりを振りつつ、ため息をこぼした。

 

 

 チトセとマリエットは、ひとまず調査を開始する傭兵たちにまぎれて町へ出た。ディランとゼフィアーは別の場所から飛びたつといって、早々に町を出ていった。傭兵団に協力する二人と話を合わせていたところで、明るい声が飛んでくる。

「おおい、みーなーさーん!」

 底抜けに明るい声に、全員が驚いて振り返った。遠くから駆けてくる赤毛の娘が、ぶんぶんと手を振っている。その顔に見覚えがあった四人は、目をみはった。

「あ、あれ? 薬師のお姉さん」

「正解。ちなみに名前はナーラといいますー」

 答えを口にしたレビのそばで足を止めると、ナーラと名乗った娘は、茶目っ気たっぷりに片目をつぶった。そこへ、彼女の属する団体の面々が、ぞろぞろと駆けつけてくる。

「あら。みなさんお揃いで。ねえ、もしかして」

 マリエットが笑みを浮かべて問いかけると、年長者のフォールがうなずいた。

「竜が暴れる原因を、突きとめるのでしょう。話は聞きました。ぜひ、協力させていただきたい」

「ふうん。まあ、専門家のあんたらが手伝ってくれるってんなら、ありがたい話ではあるわね」

 トランスが軽く応じる。それから「じゃあ、傭兵団の頭に話してみるさ」と続けると、薬師と医者の卵は、揃って目を輝かせた。そして、ナーラが振り返り、すぐそばにいた青年の手をにぎった。

「ヴィダルは、毒草とか、結構詳しいよね。期待しちゃうぞ」

 ヴィダルは目をうろつかせて固まっていたが、ナーラがぶんぶんにぎった手を振ると、わかったよ、と苦笑して答えていた。若者たちの微笑ましいやり取りに、まわりで見ていた人々も、笑い声を立てた。

――そして間もなく、本格的な調査が始まったのである。

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