4.奔走

『破邪の神槍』。猛獣退治から仇討あだうち、暗殺まで、裏社会の仕事に精通した彼らは、密売人や密輸組織とも何度も関わりを持ってきた。かつては傭兵団の幹部であったチトセも、いくらかその手の仕事に関わったことがある。傭兵団の長を知るジエッタだからこそ、まっさきに彼らを思いついたのだろう。チトセはやはり、適任だと思った。彼らの、もうひとつの姿を思うと、なおのこと。


 傭兵団の拠点は、よく変わる。彼らと旅の一行の間をしょっちゅう行き来するチトセは、常に拠点の場所を把握していた。今、彼女とマリエットは、デアグレード王国南部、川沿いに位置する街――の郊外にやってきている。森林とは呼べないほどの木立の奥、草木とつるがはびこる地を抜けた先に、古い屋敷が建っている。黒い瓦はところどころはがれおち、石の外壁は長い蔓に覆われてしまっていたが、扉や窓はそれなりに補修されているようだった。

「相変わらず、暗いところがお好きね」

「明るいところにいられるような商売してないからね」

 屋敷に向かって歩きながら、女性二人はのんきにも見えるやり取りをする。最後の草を払いのけ、乾いた土を踏んだ後、チトセは足を止めた。


「おまえ、厳しい物言いは、いつまで経っても変わんねえなあ」


 声は、すぐ上からした。振り仰げば、あるのは木だけ。であれば、声の主もそこにいる。相手の姿をありありと想像できてしまい、チトセは思わず顔をしかめていた。久しぶりの不快感だ。

「あたしにどんな変化を求めてんの。で、あんたは、そんなところで見張り番でもやらされてるわけ?」

「いんや。俺はちと休憩中だった。そしたら、見覚えのあるなまいきな小娘の顔と、美人なお姉さんの姿が見えたからちょっと近寄ってみたってわけ」

「――股蹴ってやる。というわけでさっさと降りてこい」

「おっかな。降りたくても降りれなくなるじゃないか」

 軽い調子でそう言いながらも、声の主は木からとびおりた。二人の前に立つなり、即座にチトセから距離をとる。さっと身構えるチトセに代わり、くすくす笑っていたマリエットが踏み出した。

「久しぶり、セン。元気そうで何よりだわ」

「いやいやそちらも。マリエットさん、だったよな」

 麻の上下に革の上着をはおった青年は、無邪気な少年のような笑みを浮かべた。髪の毛に葉っぱをつけている姿は滑稽とすらいえるが、物腰にまったく隙がないところが、彼が人畜無害の好青年ではないことを証明している。『破邪の神槍』唯一の雇われ者は、笑みをはりつけたまま、葉をとって風に流した。

「そんで、お二人で何しにきたんだ。来るならチトセ一人か全員か、って思ってたんだが」

「……首領、今あいてる? ちょっと、話したいことがある」

 チトセが慎重に切り出すと、センは小首をかしげた。

首領おかしら? 今は珍しく、暇してるはずだけど」

 言いながら彼は屈伸し、「なんの話だ」と訊いてきた。チトセは態度を変えないままに、答える。

「ちょっとね。タミルの密売に関わってる奴らがいないか調べてるの。『破邪の神槍』に協力をお願いしたい」

「タミルの毒素のせいで、やっかいなことが起きているのよ。竜が、毒に侵されている」

 立て続けに響いた二人の声を聞き、センがぴたりと、動きを止めた。彼は珍しく目をいっぱいに見開いて、少女と女性をまじまじと見た。

「なんの話、だって?」――訊き返したセンへ、チトセは不敵な笑みを向けた。

「タミルの花をあぶったときに出る香り。あれに竜がやられてる。その話。どれだけ深刻なことか、わかる?」

 センは大きく伸びをした。再び二人に向いた顔は、引きつっていた。

「そりゃ、わかるさ。嫌というほど。群生地の隣に住んでたからな、俺」


 センは思った以上に、タミルの危険性について把握しているようだった。チトセは彼の背中を見つめながら、意外だな、と思う。自分から挑発しておいてそれはないとも思いはしたが、正直なところ、あまりまともに取り合わないかとも思っていたのである。

 屈強な男女が行き交う廊下は、彼らが放つ武人らしい鋭利な気配のおかげで、気温以上に冷えているように感じた。石の廊下をずんずんと進んだ先、角を二度ほど右に曲がった向こう、長くのびる階段のすぐそばに、小ぢんまりした石の扉があった。センはそこで足を止める。

 彼が率先して入ってゆくのを、チトセとマリエットは顔を見合わせてから追った。中にいる人物と彼が言葉を交わすのを、少女は冷えた意識で見ていた。部屋の奥に座している偉丈夫の鋭い目が、彼女の前で止まったところで、チトセはやっと彼を正面から見返した。

 今は薄手の上下をまとっているだけの男。まっくろな髪も、精悍な顔立ちも、堂々としているようで、常にまわりを細かく警戒する姿勢も、チトセが彼の下にいた頃から何も変わらない。しいていえば、かつてよりは雰囲気がやわらかくなっただろうか。

「首領」

「挨拶は置いておけ、チトセ」

『破邪の神槍』の首領カロクは、口を開くなりそう言った。「今はタミルの件が先だ」と、無愛想に告げた彼にうながされ、チトセは事情を語る。そばで口を挟んできたマリエットが、あまりにもいつもどおりすぎたので、次第に彼女も力を抜いた。

「そんなわけで、『暁の傭兵団』の頭はここの情報網を当てにしているみたいです。少し手を貸してもらえませんか」

 チトセは、前と同じように、緊張をにじませた声でそう言った。カロクは、しばらく腕を組んで考えこんでいたが、やがて二人に告げた。

「何人か、人を出してやってもいい。が、あまり積極的に関わる余裕はない。こちらも《魂喰らい》の回収で忙しいのでな」

「構わないわ。詳しい人が数人、来てくれれば」

「そうか。では――」言ったあと、カロクの目は、女性たちのそばに立っている青年へ向く。「セン、おまえは行け」

 言葉を投げられたセンは、後頭部を支えるように手を組んで、軽い返事をする。

「ま、そうくると思いましたよ、っと。人選は俺がやっちゃっていいのかな」

「任せる。あまり引き抜きすぎるな」

「へいへい」

 センはやる気のない返事をするなり、チトセの肩を叩いて二人をうながした。

 

 青年が人選にいそしんでいる間、チトセとマリエットは近くの街へ行ってみることにした。入りがけに、いきなり屋台がずらりと並ぶ市場のような場所へ踏みいる。鼻をつく強烈なにおいに顔をしかめたチトセは、そちらへ目を向けた。

 屋台の下で、色の黒い女性がせっせと何かを売りさばいている。しばらく観察してみると、どうやら、乾燥させた植物や香辛料のたぐいらしい。小瓶につまった赤い粉を、遠目からしげしげとながめてしまう。一方、マリエットは同じ屋台でも、別のところに興味を持ったらしかった。

「あれは、フォールさんじゃないかしら」

「え?」

 記憶にある名前を言われ、チトセは思わず目を瞬いた。マリエットの視線を追うと、確かに、長いひげの老薬師が屋台を熱心にながめている。槍を持ちなおしたマリエットが名を呼ぶと、彼は弾かれたように振り返った。

「おや、これは、これは」

 二人の姿を認めるなり、フォールは目を輝かせてやってくる。一方チトセは、怪訝に思って老人を見ていた。

「あんたたち、こんなところにまで調査に来たの」

「ええ、まあ。お二人がこのあたりに来られるだろうと、あの弓を持った方が教えてくださったこともありまして」

「トランスめ」チトセはうめいた。一方、マリエットはくすくすと笑っている。

「みなさん、一緒なのかしら」

「いやいや。三つの集団に分かれております。ちなみに、ヴィダルたちは東の方に向かいましたよ」

 ほほ笑むフォールに、マリエットは、そう、と返した。落ちついた声からは感情が読みとれない。チトセはつい、探るような目を向けてしまったが、視線に気づいた槍使いは、いつものように目を細めただけだった。そうこうしているうちに、喧騒にまぎれていた騒がしい足音が抜けだして、こちらへと響いてきた。振り返れば、ナーラと数人の若者が、フォールの名を呼びながら走ってきていた。

「あ、この間の旅人さんたち」

「どうも」

 チトセは、どうだ怒ってみろとばかりに低い声で返したが、ナーラはいっさい頓着しない。くるりと年長者に向き直って、彼にすがりつくように、身を乗り出した。

「このあたりの人たちに、それとなく聞いてみたんだけどさ。やっぱり、タミルの花弁は正規の市場じゃ手に入らないみたい。自生してる地域でも、出回ってるのはほんのわずかね。しかもバカ高いから、庶民には手が出せないわよー」

「やっぱ、危険だから、どこの国も規制してるんでしょうねえ」

 ナーラの後ろにいた長髪を束ねた若者が、ぽりぽりと頭をかいた。「こうなれば『裏』をあたってみるしかないでしょ」と、苦り切った顔で続ける。そこへきて、旅人たちが口を挟んだ。マリエットが、槍の石突で地面を叩いて注意をひき、チトセが悪童のようなほほ笑みをつくる。

「裏のことなら、あたしたちに任せときなさいよ。善良な薬師さまたちが、危険をおかすことはないわ」

 彼女の言葉が終わってすぐ、後ろから、二人を呼ばわる青年の声がした。

 

 傭兵たちと薬師たちは、それぞれ共同で聞きこみに入ったらしい。センと数人の傭兵は、足早にファイネ方面へと向かっていった。チトセとマリエットはひとまず、街に散った人々の報告を待ちながら聞きこみをすると決める。なぜかついてきた赤毛の娘をチトセはじろりとねめつけたが、彼女はいつもどおり笑っただけだった。

「あー、ヴィダル、大丈夫かなあ」

 空を見上げた彼女が、ふいに呟いた。マリエットが、そちらへ視線を巡らせる。

「あら。何かあるの?」

「まあ、うん。ヴィダルは東の方って言ったよね。実は、ラケス湖っていう湖があるあたりに行ったんだ」

 へらりとして返した彼女は、けれど直後にまつ毛を伏せる。

「あいつ前に、ラケス湖のあたりで、恋人を亡くしてるの」

 思いもよらない話に、今まで無視を決め込んでいたチトセも、弾かれたように彼女を見た。友を案ずる暗い顔は、すぐに繕った笑顔の裏に隠れてしまう。チトセは、マリエットと顔を見合わせて苦笑した。それから、あえて足を速める。

「人の心配してる暇あったら、こっちはこっちの仕事するわよ。ほら、あの人でしょ」

 チトセが指さしたのは、民家の軒先にたたずんでいる老人だった。しわに隠れた目は鋭く、いかにも偏屈そうな雰囲気を漂わせている。気難しい人に慣れているチトセは、臆することなく歩を進めた。後から追いかけてくる娘のきんきん声に、わずかに頬を緩めた。



     ※

     

     

 時に切り裂き、時になでる風は、海の香りをそっと陸地へ運んでくる。燦燦さんさんと輝く太陽の下には、大きな港が広がっていた。係留された大型船の前で、水夫たちがせわしなく行き交い、時には船乗りたちの荒っぽい声が飛んだ。

 肩を叩かれた水夫は顔を上げ、それからほっと、表情をやわらげた。荒くれ者たちに混ざってそこに立っていたのは、見覚えのある年若い傭兵だった。赤銅色の円板が、胸元でちかりと光る。

「ああ。あんたかい、久しぶりだね」

「久しぶり。腰痛めたって聞いたけど、もう平気なのか?」

「おお、おうよ! 心配かけたな、もう平気だ!」

 水夫は力こぶを作って、元気よく笑った。肩をすくめた傭兵とともに、少しの間、二人は笑いあう。お互いの気が済んだところで、傭兵がさらりと切り出した。

「ところでさ、おっちゃん。今朝がた東の方から荷が来ただろ。あれって、今どこに置いてある?」

「東の荷?」と、水夫は首をかしげたが、すぐに手を叩いた。

「ああ! あれ、おまえさんとこの管轄か?」

「まあね。今はちょっと、首領ボスに言われて様子を見に来ただけなんだけど」

「そうか。あれなら、向こうの荷物置き場に置いてある。ちゃんと生成りの布がかけてあるから間違えんなよ」

 水夫が大声でそう教えてやると、傭兵はへらりと笑って「ありがとー」とお礼を述べ、駆け去っていった。

 

 石畳が白い光を受けて輝き、対して建物の下には濃い影をつくりだしている。――その影にまぎれて移動する人々のなかにいた少年は、特に意味があるわけでもなく、遠くにある石の防波堤を見やった。海鳥の一羽もいない。そのことに安心し、前を向いたとき、先頭に立っていた傭兵がぴたりと足を止めた。いつの間にか少しばかり広い空間に出ていて、石壁沿いに、木箱がずらりと積み上げられている。一部の箱には、色の違う布がかぶせられていた。

「ええっと。生成りの布、っと」

 傭兵は、目陰まかげをさして、目的の布のかかった箱を探しあてた。すぐさまそばに駆けよって、同行者たちを手で招く。レビと、その隣にいたトランスは顔を見合わせてから駆け寄った。その頃には、彼はもう、布をとりはらって箱を開けていた。

 箱のなかに詰まっていたのは、布や皮でくるまれた瓶や壺だった。中には、小さな実や粉がびっしり詰まっている。まじりあい、漂う独特のにおいに、トランスが顔をしかめた。

「何これ」

「香辛料」

 傭兵は、短く答えながらも、視線をせわしなく動かす。ある一点で目をとめると、壺と壺の隙間に手をさしいれた。

「植物をもとにした毒薬ってーのはいくつか運び方があるが。そのひとつが……こういうふうに、ほかの薬や香辛料、植物の種にまぎれこませて運ばせる、って手法だ」

 そう言って傭兵が取り出したのは、壺の隙間に入っていたらしい、小瓶だった。中には、乾燥させた植物とおぼしき何かが詰まっている。

「えっと、これは」

「タミルの根。こっちは薬になるからな。で……」

 答えながら、傭兵は皮手袋をしたままの手で栓を抜く。瓶の中に指をつっこみ、そこから小さなものをつまみだした。指の間にある丸いものを見て、レビとトランスはそろって驚いた顔をした。

「この中に、こっそーり、実をまぎれこませておく。探せば乾燥させた花びらも入ってんじゃねえかな」

 傭兵は、得意気に笑った。

 唖然としているレビとトランスの後ろで、傭兵たちが、やっと見つけた、とげんなりした様子で呟いていた。そして、ついてきていた傭兵の一人――年かさの男が顔を突きだす。

「でも、竜と関係してるって証拠はまだないぜ。人間の中には立派な中毒者がいるからな。この大陸でも、需要はいくらかあるだろ」

 若い傭兵は、うなずいた。

「そうっすね。けど、これの輸送に携わった連中が一枚かんでるのは、ほぼ確実なんでしょう」

「ああ。サイモンの奴、二日で調べ上げやがった。大したもんだ」

「ってことは、この箱をもうちょい調べて結果をノーグに報告すれば」

 少しは進展があるな、と、男が肩をすくめて言った。

 棒を抱えたままのレビは、ぽかんとして、彼らのやり取りを見ているしかなかった。が、トランスに肩を叩かれて、我に返った。

「じゃ、その報告は俺たちでやってやろう。な、レビ坊」

「あ、はい」

 レビはうなずいた。その拍子に箱からひとつの小瓶が転がり落ちたのに気づく。すでに粉になっている何かが詰まったそれを拾い上げて、トランスを見上げた。「これ、なんでしょう?」と問えば、男は目を丸くする。

「おー、これはあれだ。飲めばその瞬間に理性が吹きとぶと言われる媚薬びやく

「びやく?」

「レビ坊は知らない方がいい。どうしても知りたきゃ尋ね歩くのは止めないが、おっさんはお勧めしない」

 言うなりトランスは、小瓶をレビから取り上げて、そばにいた別の傭兵へ手渡した。顔をこわばらせている彼らの様子を不思議におもいながらも、「この人たちはすごいなあ」と、ぼんやりとした感想を抱く。そんななかで、若い傭兵が隣の人に、ここをしばらく張るようにと命じている。情報を得た彼らはまた、ばらばらと動き出した。

 箱を閉め、布をかけ――撤退の準備を淡々と進める彼らを、何もいなかったはずの防波堤の上から、黒猫がじっと見つめていた。

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