2.暗香

 真昼の太陽か、それよりもまばゆい光の瞬き。さすがに町も叩き起こされ、人々は眠気も吹き飛ぶ勢いで空を指さし、騒ぎだした。

 その騒ぎを『家』の二階から聞いていたディランとゼフィアーは、顔を見合わせる。少年のそばについている光の竜が、球状の体を震わせた。ディランは、横目で光をにらむ。

「まさか、光竜か」

『そう。僕の眷族ではないけど、そんな悠長なことを言っている場合じゃない。明らかに様子が変なんだ』

「……止めないと、何が起きるかわからないな」

 眉間を指で押さえて呟いたディランは、すぐさまゼフィアーを振り返る。うなずいた少女とともに、一階へ飛び出した。


 一階では、すでに状況を察した傭兵と旅人たちが集まって言葉を交わしていた。彼らは、ディランたちに気づくなり、それぞれに声を上げる。勝手に騒ぎだす傭兵を、首領の女傭兵がいったん強引に静めると、騒ぎのただ中で困っていたレビが飛び出してきた。

「あ、あの。今の光はもしかして、竜ですか?」

「もしかしなくても竜だ。どうも、昨日話してた一件にからんでるっぽいな」

「いきなりですか……」

 レビが、片手で額を覆ってうめく。およそ十二歳の少年と思えぬしぐさだが、感心しているひまはない。ディランはすぐさま、その場にいる人々へ目を走らせた。そして、最後に、師匠と真っ向から顔を見あう。

「出る気か、ディラン」

「クレティオ以外にまともな竜の気配がありません。俺が出ないとどうにもならないでしょう」

「その状態でか。本気で言ってるなら、そこでてめえのツラを見てみな、ばか弟子」

 刃のような言葉を吐きながら、ジエッタが指さしたのは、厨房近くに置いてある桶だった。井戸からくんできたばかりであろう透明な水が張られている。桶を一瞥したディランは苦笑した。その笑みをすぐに打ち消して、再び自分の師匠を見る。

「顔色が悪いと言いたいんでしょう。否定はしません。……ですが、それでも、わかっていても俺は行きます」

 きっぱり言い切ると、ジエッタは、あからさまに顔をしかめた。

「最前線はクレティオに任せます。みんなが心配するような無茶はしませんよ、今回は」

「正気か。おまえ、いつからそんなきちがいになった」

「昔からです。千年以上これを貫いてますからね、筋金入りですよ」

 言いあいの最後にディランがおどけてみせると、しばらくはジエッタも渋い表情をしていたが、やがてはそっぽを向いて「勝手にしな」と吐き捨てた。

「ただし、大けがして帰ってきたらぶん殴ってやる」

「それ、怪我が悪化するじゃないですか」

 形だけ苦言を呈したが、ジエッタは答えなかった。はじめからわかっていたディランは、何も言わずに仲間たちを振り返る。五人は、あきらめきった目で少年を見ていた。

「ひとまず、様子を見にいくか」

 ゼフィアーがそう言えば、ゆるんでいた空気がひきしまったものになる。一行は、誰からともなく『家』を飛び出した。


 ざわめく通りは、がたいのいい男たちが騒いでいるせいか、いつも以上に埃っぽかった。咳きこみだしそうなレビとチトセが、ごまかすように空を見上げる。そして、先に空を飛ぶ影を見つけたのは、レビの方だった。

「あ、あれって」

 少年が示す先には、大きな翼と長い尾を持つ生き物の姿。彼は、頼りなげに飛びながらも、あたりに激しい光をまき散らしている。『ああくそ、同族だ』と、ディランのかたわらに浮いていたクレティオが嘆く。

 六人は、視線をかわしてうなずいた。竜とわかれば、やることは決まっていた。

「師匠」

 ディランは、無言でついてきていたジエッタを振り返る。

「町の人たちをなだめておいてくれませんか」

「あいよ。ついでに、血気盛んな馬鹿野郎も黙らせてやんなきゃね」

 言うなりジエッタは、団員たちを振り返って「聞いた通りだ、行け」と、よくとおる声で命じる。荒っぽい返事をした傭兵たちが、いっせいに散った。ざわめきが少しずつおさまっていくと同時に、殴りつける音が聞こえてくるのがファイネらしい。

 苦笑をこぼしたディランは、反転して駆けだした。何はともあれ、まずは町を出なければならなかった。

 体の大きい人たちが率先して人混みをかきわけたので、町の入口が見えるのは早かった。凹凸の激しい地面を踏んだとき、強い光が突き刺さってきて、ディランは一瞬たじろいだ。金色の鱗をまとう竜は、先程よりもいっとう大きく見える。

「こりゃー、また、立派な竜だなあ」

 隣にいたトランスが、目陰をさして、のん気な声を上げた。

「でも、クレティオよりは小さいです」

「一万年生きてる竜と比べたって意味ないわ」

 自分を鼓舞しているのか、力強く言うレビのそばで、チトセが槍を立て、竜をにらむ。そして彼女は、眉根を寄せた。

「なんか、あれ、飛び方がおかしくない?」

「ええ。暴走しているときとも違うようね。なんというか、酔っているみたい」

 マリエットが難しい顔で考えこみはじめたとき、光の球が、己を揺らした。

『まあ、とりあえず、この五人が襲われる前に、引きつけるとしようか』

 呼びかけはなくとも、彼が声をかけている相手は、一人だ。――ディランは、小さくうなずいた。

「気をつけてな。無茶したら承知しないからな」

「わかってるって。ゼフィーは、試しに呼びかけてみてくれ。何か反応するかもしれないから」

「了解なのだ。任せておけ」

 無二の友人と手を打ちあってから、ディランは人々と距離をとった。悠然とした足取りで竜の方へ歩いていき――だんだんと、速度を上げた。蛇のような瞳がぎょろりと地面をにらんだのは、助走が終わる頃である。ディランが大きく息を吸うと、体の中心に青い光が灯る。

 光はみるみる広がって、彼の全身を覆い隠す。そして見る間に膨張し――まやかしの姿をはぎとった。

 ふっと全身から力が抜けて、体が浮き上がる。

 

 果たして、光のなかから飛び出したのは、一頭の青い竜だった。

 

 

『おっと、こちらを見た』

 ディラン――水竜すいりゅうディルネオは、おどけたふうに呟いた。背後で金色の光が爆ぜたことに気づきながらも、あえて振り返らなかった。暴れ狂う竜に視線をとどめて、彼の動作を観察する。光竜はやがて、ディルネオに向かって大きく吼えた。苦しげな声に、水竜は目を伏せる。

『何かがおかしいぞ。クレティオ』

『うん、そうだねえ。見たところ外傷はなさそうなんだけど。何にやられちゃってるのか』

 背後から、おぼえのある声が竜の言語をつむぐ。目の前の竜の倍はあろうかという金の巨竜は、ゆったりと羽ばたきながらも、厳しい目で同質の竜をにらみつけた。

 すると、光竜の顔つきが目に見えて険しくなる。いきなりやってきた二頭の巨竜が、一筋縄ではいかない相手だと見抜いたのか。彼は激しく翼を打つと、二頭めがけて突っこんできた。

『おおっと、散開!』

 クレティオが声をかけるとともに、二頭は正反対の方向へ飛ぶ。今までとは打って変わって、俊敏に突撃してきた竜は、にごった目で左右を繰り返し見た。何度も動いた視線は、青い竜の方で止められる。『こちらか』と彼はうなった。最前線には出ないと宣言した以上、正々堂々戦ってやることはできないし、そんなことをして墜落でもしたら事だ。しかし、ディルネオの事情など相手は知らない。光竜の鼻先でまたたいた光は、熱波をまとった矢となって飛んでくる。ディルネオはとっさに水の膜を張って光を散らせると、大きく飛んで距離をとった。

 同時に、横からクレティオが、立て続けに光弾を放つ。おぼつかない動きの竜へ、何発かが命中して爆ぜた。

『やはり、おかしい。魂が傷ついているふうでもない上に、あの動きは……』

 竜は今もふらふらと、宙を漂っている。ゼフィアーが叫んでいるのがはっきりと聞こえるが、彼女の竜語ドラーゼは、暴れ竜には届いていないようだった。正気を失っているのは確かだ。

 ううん、とクレティオは首をひねった。しかし、それは少しの間のことであった。短く喉を鳴らすと、瞬く光を武器として、相手の翼めがけて放つ。一発を避け、一発を受けた竜は、よろめいた。

『ディル! こいつ、落とすぞ!』

 クレティオの指示を聞き、ディルネオはぎょっとした。

『落とす――墜落させるということか!? そんなことをしては、彼がどうなるか』

『大丈夫、僕が受けとめる。とにかく空にとどまらせてはだめだ』

 ディルネオは迷った。けれど、結局は、年上の光竜の言葉に突き動かされた。了解の言葉を返すなり、めちゃくちゃに飛んできた光球を水で散らす。その水を放って、近づいてきた金色の体にぶちまけた。竜はひるんで大きく傾く。追い打ちをかけるようにクレティオが頭突きをかまし、ディルネオも続いた。

 体当たりをかました瞬間、咆哮が耳を突く。まったく動じぬディルネオは、続けて尾を振り上げ――打ちおろす寸前で、動きを止めた。

 突風が、かすかな香りをさらってくる。ディルネオは、目をみはった。

『なんだ……?』

 呟いてみるが、答えてくれる者などいない。その間にも、芳香は、濃くなったり薄くなったりしながら鼻をくすぐる。

 それは、強烈な甘さをまとう、なじみのないにおいだった。なんだろうかとそちらに気取られそうになったとき、くらりと視界が揺れる。慌てて意識を光竜の方へしぼった彼は、なおも牙をむいてくる彼へ尾を打ちおろした。

 それが、決定打だった。竜は悲痛な声を上げながら、地上へと落下してゆく。クレティオが急降下し、自分より小柄な同族を受けとめ、降りてゆく。ディルネオも、長く息を吐いてから、光の主竜の後を追った。

 

 着地寸前で人の姿に変化へんげしたディランが見たのは、光竜を引きずり下ろすクレティオの姿だった。くだんの竜は気を失ったらしく、目を閉じて動かない。ディランは軽く肩を回してから、彼の方へ歩いた。そのとき、駆け寄ってきたゼフィアーに抱きつかれる。

「うわっ、と。びっくりした」

「おかえり。無事で何よりだ。それと……力になれず、すまなかった」

 不思議な色の瞳が翳る。ディランは「気にするな」と、彼女の頭をぽんぽん叩いた。気を取り直したらしい少女は、踵を返して光竜のもとへ急ぐ。ディランも駆け足でついてゆき、人々とともに竜をのぞきこんだ。

「見たところ、おかしなところはなさそうだけれど」

 鱗をなでたり、隙間から腹の方を見たりしながら、マリエットが言う。チトセが追従するようにうなずくと、空気が重く沈む。誰もが――クレティオでさえも――厳しい顔つきで考えこみ、竜の体をあらためている。そんななかで、ディランはまた、漂ってくるにおいに気づいた。決して悪臭ではないが、甘さが強すぎて好きになれないにおいである。どこから漂っているのかもわからない香りに意識をひっぱられたディランは、嗅覚を研ぎ澄ませようと目を閉じる。

 しかし、そのとき、ふっと正気が遠のく感じがした。急に頭がぼやけたことで、体が勝手に警戒し、反射的に手をつねる。目を開いたディランは、頭を押さえた。

「どうかしたんですか?」

 レビが、心配そうにのぞきこんで訊いた。ディランは曖昧に首を振る。

「い、や。なんか、急に頭がぼうっとして」

「やっぱりいきなり出撃は無茶だったんじゃないか、ディル」

 ディランは顔を上げ、やれやれと呆れている男に苦笑したが、彼の言葉は否定した。

「たぶん、違う。これはそういうのじゃない。――クレティオ、何かにおわないか」

『……におい?』

 竜語で繰り返したクレティオが、すんすんと鼻を動かす。一方、先程から、穴があくくらい光竜を見ていたゼフィアーも、あたりのにおいをかぎはじめた。

「む? 言われてみれば、なに、か」

 犬のようにせわしなく嗅ぎまわっていた少女が、途中でぴたりと動きを止める。まさか、と呟いた彼女は、厳しい顔で、竜にぐっと近づいた。すぐに息をのみ、声をあげた。

「この竜、本当にかすかだけども、甘いにおいをまとっている。――これは、タミルか?」

 ゼフィアーが、一同にとって耳慣れない言葉を口にした瞬間、クレティオが目をみはった。

「ディル、離れろ!」

 言葉とともに、ディランはクレティオに襟をくわえられて持ち上げられた。はじめてのことではないのだが、動揺してついばたばたとしてしまう。

「え、な、なに」

 目を白黒させているディランを、自分の脇に放り投げたあと、クレティオは怒鳴った。

「竜に効くタミルこうってことだろ。いくらディルでも、今、そんなものを取り入れたらこいつの二の舞だよ」

 ディランははじめこそ呆然としていたが、やがてはクレティオの言葉の意味をのみこんで、うなずいた。すでに軽く吐き気がしてきていたから、何かを言う余裕はなかった。

 竜たちのやり取りを戸惑ってみていた人々が、顔を見合わせる。

「タミル?……って、植物の?」

 トランスが、ゼフィアーを見て問うた。彼女は、しかつめらしくうなずいて、また鼻を動かす。

「うむ。ここからもっとずっと東の方に生える植物だ。根っこは風邪薬の原料になるけども、ほかの部分は毒にしかならん、といわれている。特に花びらを粉にしたり、あぶったりしたときに出るにおいが強烈でな。人をはじめとする生き物が強い香りをかぐと、幻覚・幻聴があったり、それにともなって錯乱したり、吐き気をもよおしたりするらしい。まあ、立派な毒薬だ」

「幻覚・幻聴って……じゃあ、この竜がおかしかったのは、その、タミルのせいってことですか」

 不安げに竜を見おろしたレビが、誰に問うでもなく言う。何人かが苦々しくうなずいたが、そのうちの一人、チトセは、次に首をひねった。

「でもさ。それで、竜がどうにかなるもん?」

「ならんな。普通なら」

 きっぱりと断言し、竜は別格だ、と呟いたのはゼフィアーだった。しかし、彼女の顔は険しいままで――おそらくゼフィアーがのみこんだであろう話の続きを、クレティオが引きとった。

「ただね。このタミル香、濃度を変えたりほかのものと調合したりすれば、竜に効くものを作ることができるらしいんだ。理論上は、だけど。……あ、ちなみにこれ、《大森林》の村の人に聞いた話」

「俺もそれは聞いた気がする。実際に理論どおりの毒ができあがってしまったとすれば、まずいな」

「竜存亡の危機、再び、ってね」

 クレティオの口調は、ことさらに軽かった。そこから強い緊張を感じ取ったディランも、自然としぶい顔になる。沈黙してしまいそうな竜たちをよそに、トランスがあっさりと、一番の問題を指摘する。

「誰がそんな、理論どおりのとんでも毒薬を作ったか、だよな」

「このあたりで、タミルがそれほど集まるとも思えないわ」

 マリエットが、銀髪を指にからめてうなる。その横顔を見つめ続けていたチトセが、ぼそりと、漏らした。

「あんたたちが言ってる『タミル』って紅星草べにほしそうのことよね。だとしたら、東じゃ珍しくないわよ。あっちこっちに自生してる。意外と、ほっといたら勝手に生えるの」

「ということは……その誰かは、東から集めたってこと?」

「わかんないけどね。船を使って運んだか――なんらかの方法で、鳥や竜に運ばせたか」

 チトセの声は冷えていた。静寂の中、誰かが息をのむ。風が吹き、草葉がそよいだ後になって、クレティオが六人を順繰りに見つめた。

「とりあえず、君たちはあの傭兵さんたちにもこの話を伝えてほしいんだ。彼については、僕が面倒をみるよ」

 いまだに目覚めない光竜に視線を落とした同胞に向かい、ディランは強くうなずいた。残る五人に目配せすると、小走りで、ファイネへと向かった。

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