外伝『鏡花水月』

1.前兆

この世界は、竜によって司られている。

竜の魂こそが、自然を生かす力の源泉であり、生きとし生ける竜こそが、その魂を御する者たちである。

人々は、大自然の守護者として、彼らを敬い、崇めた。

だが、やがて、人と竜は対立する。殺し殺され、血で血を洗う長い争いが始まった。


そして、争いに終息の兆しをもたらしたのは、小さな人間たちと……水の主たる青き竜だった。



     ※

     

     

 男たちの騒がしい声が響く町の一角。日のあたる場所を歩いているだけでは、絶対に気づかないようなところに、大きな家が建っている。ひとくくりにしては語弊があるが、少なくともそこに住む人々からは、『家』と呼ばれているのだった。

 灰色がかった白い壁のむこう、『家』の裏手へまわれば、乾いた音が激しく響いてくる。ひらけた空間、土を固めた地のうえで、少年と女が舞い、木剣ぼっけんがぶつかり合っていた。女は地面を踏みしめるなり、少年へ向かって鋭い突きを繰り出す。一方の少年は、体をひねって突きを避けたあと、自分の剣を下から上へすべらせ、木の刃をすくいあげようとした。ところが、刃がぶつかりあった瞬間、女は強烈な力をこめて、己の剣を押しこむ。苦い顔をした少年は、しかたなく、その力に対抗した。木剣が、みしみしと不安を煽る音を出す。女の力がほんの一瞬ゆるんだとき、隙をついて、少年は相手の刃を押し返し、得物を自分の手もとに引き寄せる。

 元の立ち位置に戻った二人。打ちあいが、すぐさま再開される。周囲では、それを数人の傭兵が観察していた。さらに、そこへ、『家』から出てきた新たな一人が合流する。

「あれ? あいつ、帰ってきてたのか」

 槍を携えた小柄な若者が、目陰まかげをさして呟いた。振り返り、答えたのは、長い茶髪をふわりと広げる女性だった。

「今朝早くにね。それで彼、まっさきにうちへ顔を出しにきてくれたんだけど……すぐに、首領に首根っこをつかまれて」

「あー、いつものか。お気の毒さま」

「でも、二人とも楽しそうだから、いいんじゃない?」

 くすりと笑った女性が、隣に若者を招いてから、中心へと目を戻す。その瞬間、注目の的である二人の木剣が交差して、それきり動きを止めた。――『力試しとうっぷん晴らし』と、俗に呼ばれる剣の打ちあいは、こうして静かに終わりを告げた。

 

 剣は離れて、互いの手もとに戻る。その直後、ディランは師匠に頭を小突かれて、顔をしかめた。

「おいおい、どうした。寝不足か。体調管理はちゃんとしな」

「――は?」

 いきなり身に覚えのないことを指摘されて、ディランは首をかしげた。

「体調なら、いつも気を遣っているつもりですけど……何か変ですか」

 彼が疑問を呈すると、『烈火』の名をもつ女傭兵ジエッタは、弟子へぴしりと指を突きつけてきた。

「動きが鈍い。いつもより、明らかに、鈍くて、重い」

「そんな区切って言わなくてもわかります」と、苦り切った顔で、一度は言葉を跳ねつけたディランは、それから顎に指をひっかける。――そんなに鈍重な立ち回りをしていたのか。自覚はあまり、なかった。なので、動きが鈍くなる要因を、覚えのあるなしに関係なく、頭の中で並べ立ててみた。しばらくうんうんと考えこんでから、目を開く。

「ひょっとしたら、眠りが近いのかもしれません」

 彼があっけらかんと言い放つと、ジエッタだけでなくまわりの傭兵たちまでも、訝しげな顔をした。

「なんだい、そりゃあ」

 ジエッタが、木剣で肩を叩きながら問うてくる。ディランは、これまたしばらく悩んだ後、顔を上げて苦笑した。

「いろいろと――治すために、まとまった睡眠が必要なんです。短くても三日くらいの」

「……ああ、なるほどね」

 まわりの傭兵がさらに首をかしげた。ジエッタも同じようにしていたが、彼女の方はややあって言葉の意味を察したらしく、ゆっくりとうなずいた。説明しながら、休眠期の兆候がないかと改めて考えていたディランは、頭をなでるかたい感触で我に返る。ジエッタの大きな手は、少年の青みがかった黒髪をくしゃくしゃにした。

「それが終わるまでは、ファイネに留まるのかい?」

「はい」

「じゃ、それまでは手合わせなしだ。出ていく前に、また相手してやる」

 言い放つと、ジエッタは頭から手を離し、木剣を弄びながら『家』へ入っていった。ディランはぽかんとしていたが、やがてふっと苦みのまざった笑みを浮かべると、観客と化していた傭兵たちを振り返る。

「じゃあ、俺はみんなのところに戻ってる」

 誰にともなく言い放つと、傭兵たちは空気の抜けたような返事をする。ただ一人、セシリアだけは、行ってらっしゃいと笑顔で手を振った。

 

 名高き『暁の傭兵団』の『家』を出たディランは、今日も荒々しく殴りあう男たちの横を通りすぎる。どういうわけか数をかぞえる彼らの声は、少々遠ざかっても聞こえてきた。土を踏み、人混みをかきわけ歩いた彼の目に、布を張ってつくられた屋根が見えてくる。昔聞いた話では、旅商人などがこの下で羽を休め、情報交換するのだそうだ。そんな場所だから、この屋根のまわりだけは町の粗野な喧騒から逃れている。

「俺自身がお世話になるとは思ってなかったな」

 呟いて、苦笑したディランは、屋根の方へと歩み寄った。頭へかかってくる布の端を払いのけて屋根の下に入る。すると、すぐそばで明るい笑い声が弾けた。

「ええー、そういう植物は知らないなあ。どこで採れるんだ」

「この大陸の東のすみっこなのだ。採れるところが限られてるから、あまり見ないかもしれんな」

「ってことは、ゼノン山脈を越えなきゃいけないの? 気になるけど、大変そうね」

「おいおい、苦労を嫌がるんじゃねえよ。珍しいもんが欲しいならな」

 少年の視線が向く先で、男女入り混じった集団が、和やかに話しこんでいる。その集団の中に、茶色い三つ編みと金色の瞳の小柄な少女を見いだしたディランは、思わず叫びそうになった。出かかった声をこらえて目を巡らせると、集団からわずかに離れたところで、なじみ深い四人が固まっている。ディランはそちらへ歩いていき、一番近くにいた少女の肩を叩いた。仏頂面の彼女は、嫌そうにこちらを振り仰ぐ。ディランの姿を認めると、その目はわずかにやわらいだ。

「なんだあんたか。挨拶済んだの?」

「うん。ついでにちょっとしごかれた」

「へえ、よかったじゃない」

「チトセも相手してもらったらいいよ。世界が変わる」

 少女は辛辣な笑みを浮かべて彼をからかう。頭をかいてやんわり言い返したディランは、彼女の隣に腰を下ろした。そこで、ほかの仲間たちも彼の帰還に気づいて、口ぐちに、おかえり、という。

「ところで、ゼフィーはまた、知らない人たちとずいぶん打ち解けてるな。今度は何をしたんだ」

 みんなに挨拶を返したあと、ディランは改めて集団を見る。植物について語りあっている彼ら。次第にその議論と雑談が熱を帯びてきていた。

「彼らはね、薬師と医者の卵の集まりらしいわ。あちこちを回って薬学と医療を広めたり、逆に土地土地の治療法を学んだりしているそうよ」

 よどみなく答えたのは、槍を隣に立てかけて座っている銀髪の女性だ。へえ、と相槌を打ったディランは、同時に納得する。輪の中にいる少女の故郷には、薬師くすしが多いと聞いたことがあったのだ。

「ゼフィー、いつも以上に生き生きしちゃって」

「あいつの得意分野は、竜と薬草だな。うん、間違いねえ」

 金髪の少年と、横に座っている四十代半ばの男が笑い声を立てる。そのとき、茶髪の少女が動きを止めた。くるん、と彼らの方を振り返るなり、琥珀色にも黄金色にも見える瞳が、輝きを増す。

「あっ、ディラン。待っていたぞ!」

 輪の中から抜けだしてきた少女――ゼフィアー・ウェンデルは、先程までとはまた違う、やわらかな喜びに頬を染めて、ほほ笑んだ。

 

 無事にゼフィアーもディランに気づいたところで、彼もまたその集団に挨拶をした。もともとファイネで育ったということを簡潔に述べれば、妙に熱い歓迎をされる。どういうことかと首をかしげていると、集団の中でひときわ目立つ、赤毛の女性が顔を突き出してきた。

「ねえねえ、このあたりだけに伝わる民間療法って、何かないかしら」

「おいおい。会って早々いきなりそれか。急すぎるよ」

 顔をひきつらせているディランの横から、たれ目の、やわらかい雰囲気をまとった若者が顔を出し、赤毛の女性をたしなめる。

「いいじゃないの、ヴィダル。私たち、それを知るのが目的でしょう」

「だとしても急ぎすぎだって。ゼフィアーさんはもともと薬師に馴染んでいたからすんなり話を聞いてくれたけど、誰もがそうとは限らないでしょう」

 若者の語り口は、見た目にたがわず穏やかだ。唇を尖らせた女性は、まだ何かを言いたそうにしていたが、ヴィダルと呼ばれた若者は、彼女が反論する前に、ディランと向きあった。

「すみません。いきなり答えにくい質問をしてしまって。みんな、熱心なぶん、先走ってしまうんですよ」

「ああ、いえ……大丈夫です。勢いがいいのには慣れてます」

 後半を小声で言ったディランは、少しばかり考えこむ。ジエッタやセシリアが、何か独特の治療法を用いたことがあったかと記憶を探ったが、取り立てて思い浮かばなかった。しいていえば、ジエッタがときどき、酔いざましと言って傭兵たちに鉄拳を降らせていたことがある。が、あれは治療ではない。確実に。

「どうかしましたか、ディランさん」

 ヴィダルに顔をのぞきこまれ、ディランは目を瞬いた。どうやら変な顔になっていたらしいと気づき、慌てて「なんでもないです」とごまかす。するとそこへ、旅の仲間の中では――名目上は――最年長の男、トランスがひょっこり顔を出す。

「に、しても。なんだってファイネにまで来たんだ、あんたら。このあたりは医者や薬師が喜ぶようなもんは少ないでしょ」

「ええ、まあ。でもね、最近になって、そういうところにも目を向けるべきだと、今まで見向きもしていなかったような場所にも足を運ぶようにしているんです。より多様な知識の中から、新しい薬や治療法を編みだす必要が出てきたもんで」

 そう言ったのは、髪もひげも白い男性だ。名をフォールといって、この集団のまとめ役であり優秀な薬師であるらしい彼は、感慨深げだった。話を聞いていた一行が首をひねっていると、フォールは声を落としてささやいた。

「竜ですよ。彼らと交流をもつようになったじゃありませんか。その関係でね、人と竜の橋渡しをしている人たちから、『竜に効く薬を開発できないか』って聞かれることが多くて。だめでもともと、なんでしょうけど、医療従事者の矜持きょうじが黙っておりませんで。みんなで、何かひとつでもいいものが作れないかと、模索を始めたところなんです」

 六人は、顔を見合わせた。

 確かにここ一年で、一時期は対立の激しかった人間と竜たちが交流をもつようにはなっている。その影響の一端を見た彼らは、少なからず戸惑った。ゼフィアーが、おずおずと口を開く。

「あー……けども、竜は頑丈だからな。あまりその、薬とか、いらないと思うぞ」

「あの巨体に効く薬が作れるとも思えないし」

 やりにくそうなゼフィアーの横から、チトセがさらりと毒を吐く。そんな彼女を、少年レビが無言でたしなめていたが、少女はつんとして受け流す。二人のやり取りに気づいていない人々は、さざめきのような笑い声をこぼした。

「ま、確かにね。昔は竜の血や力を使えば、死んだ人が生き返るって信じられてたくらいだし」

 赤毛の女性が笑顔で言うと、まあ嘘だろうけど、と誰かが茶々を入れた。

「みなさんのおっしゃるとおりなんですがね。わずかでも期待をかけられたからには、応えたいじゃないですか」

「時間はかかるだろうけど、いつかはやってやるつもりだ」

 ヴィダルが笑顔で言い、隣にいた快活そうな男が拳をにぎる。彼らにつられて、六人も笑顔になった。

 けれどそのとき、フォールの笑みがわずかに翳る。

「しかしな、今はあまり悠長にしておれんのです」

「どういうこと?」

 銀髪の女性ことマリエットが、やんわりと問う。フォールは、気まずげに長いひげをなでた。

「薬の話を持ちかけてきた人たちから聞いたのですがな。最近、体調を悪くしたり、何かの中毒のように錯乱したりする竜が増えているようで。そのせいで、各地にも影響が出てきとるんですわ。雨が降らなかったり、日がささなくなったりしてね。彼らも手を尽くしているらしいんですが、原因がわからないと嘆いておりましたよ」

 六人はまた、驚きをあらわにする。五人の視線は、意識する前に一人へと向いていた。その一人は、つまりディランは、ゆるゆるとかぶりを振った。みなの目が、戸惑いがちにそらされる。


 それからしばらく、彼らといくつかの世間話をした一行は、屋根の下から出て、再び『家』へと歩き出す。その道中、騒がしい通りのなかでマリエットが口を開いた。

「さっきの話、本当かしら」

 さりげないふうを装った、話の始まり。鋭い緑の瞳を向けられたディランは、顔をしかめた。

「わからない。俺の居所は伝えてあるから、そんな大事になってるんだったら、誰かが俺のところに来るはずなんだけど」

「人も竜も、来ていないものな」

 きょろきょろしながら、ゼフィアーが呟く。一行は、そのときちょうど、『家』のある路地へさしかかる角を曲がろうとしていた。


『ちょうど、その話をしようと思ってきたんだけどね』


 難しい顔をしていた一行の背後から、声変わり前の少年のような一声が降る。ほとんどの人は飛び上がった。ディランは平然と振り返る。彼らのすぐそばに、光の玉がふわふわ浮いていた。彼は、ディランの視線を真っ向から受けると、しゃんしゃんと仮の体を鳴らしながら、少年の肩の前まで滑った。

「ちょうどよかった……と、いうべきなのか。というか、どうしておまえが来たんだ、クレティオ」

『それはだねえ。僕の眷族けんぞくが何頭か、同じことになってるからさ』

 光の玉に姿を変えた、光をつかさどる竜は、深刻な事態を打ち明けた。軽く聞こえる声にも、今はわずかに苦渋の響きが混ざっている。少なくとも、ぽかんとしている六人をからかう余裕をもてない程度には、参っているようだった。

 気まずい沈黙が落ちる。六人はそそくさと角を曲がり、ひとけのない小路に、隠れるように飛びこんだ。それから、ディランがクレティオを見やる。

「詳しく説明してくれ。わかっているだけの被害状況も」

 クレティオが、体を鳴らした。光竜こうりゅうを見つめる青い瞳は、生来の穏やかさが薄らぎ、奥底の威がにじみ出ている。何人かが、息をのんだ。

『もちろん。って言っても、説明することがあまりないよ。わかっていないことが多すぎて。状況としては、ディルたちが聞いてきた話そのままなんじゃないかな。急に体を悪くしたり、正気を失って暴れ回る竜が増えていて。眷族たちは暴れる方だったから、対処が大変大変。本人たちに訊いても、頭がぼんやりしていたからよく覚えていないっていうんだ。人間に変なことをされた形跡もなし、魂の損傷も、ほぼなしだよ』

 ああふがいない、と嘆いている光の主竜しゅりゅうに、人間たちが複雑な感情のこもったまなざしを注ぐ。一方、ディランは無言で続きをうながした。

『言ったとおり、僕の眷族数頭がそうなった。どこかの水竜殿の眷族から報告はあがっていない。深刻なのはイグニシオのところかな。被害にあった竜たちには共通点があって……いずれも、西大陸にいるうちに、体に変調をきたしている』

「西大陸で何かがあった、ということだな」

『そういうこと。原因は現在究明中。協力、頼むよ』

 かすかな重みをともなった声は、不思議な響きを残して消える。ディランはふっとほほ笑んで、「言われるまでもない」と、光の竜をつついた。

 竜はくるくる飛び回る。しつこくディランにまとわりついている。彼はそれを呆れた目で見やるものの、咎めることはせず歩き出した。仲間たちもそこへ続く。気まぐれなる光竜を連れ歩きはじめた彼らは、前方から来る人の影に気づいて足を止めた。ややあって、ディランたちは目をみはる。向こうも、少しばかり驚いた様子で立ち止まっていた。

「師匠」

『あ。いつかの傭兵さん』

 ディランとクレティオの声が重なった。六人分の声が、え? と言う。ジエッタは、彼らを見て、そのあとに光をにらみ、ため息をついた。

「……なんでそいつが一緒にいるんだ、ええ?」

「いえ、なんでと言われましても。師匠こそどうして『彼』を知っているんです」

「『噂』を広めているときに、ちょっとねえ。それより、何かあったか」

「まあ、ありましたね。結構、厄介な案件です」

 短い応酬ののち、なんとなくわかりあった師弟は、揃ってため息をついた。

 

 

 結局、ジエッタほか『暁の傭兵団』の一部の人たちに、町で仕入れた不穏な話を伝えた。傭兵団内でけが人の治療にあたっているセシリア含め、全員が不審そうな顔をしていたものの、「一応調べてみる」とは言ってもらえたので、ディランはそっと安堵の息を吐いた。とりあえずその日は、クレティオの話を整理しつつ残りの時間を過ごし、平和に夜を迎えた。

 そして、翌日。昔からある私室で目ざめたディランは、すぐ異変に気がついた。体が重く、動きにくい。頭も霧がかかったようにぼんやりしていて、今日の予定を考えるだけでも一苦労だった。いつもより明らかに鈍い手つきで服を着て、剣帯を巻きつけながら、ぼやけた頭で状況を理解する。

「早ければ、明日かな。……間が悪いな」

 呟く声さえ力がない。誰かを呼ぼうか迷って、結局は自分の足で立つ。小さな鞄をひっつかみ、注意深く部屋を出た。すると、いきなり、小さな人影とぶつかりそうになって、のけぞる。目を瞬いて見てみれば、人影の正体はゼフィアーだった。青く光るものをおさめた首飾りを揺らしながら、彼女はディランをじっと見上げる。

「ディラン、おはよう。今日は覇気がないな」

「おはよう。ずいぶんとはっきり言うな、ゼフィー」

 ディランは挨拶を返し、頬をかいた。聡い少女は、すぐに身を乗り出して、厳しい顔でささやく。

「ひょっとして、眠りが来そうか?」

「……ああ。すぐじゃないとは思うけど」

 答えた後、ディランは出かかったあくびをかみ殺す。ゼフィアーは、うーむ、と考えこんでいたが、やがては難しい顔をやめてディランの手をとった。

「まあ、ひとまず一階に行くのだ。まずは状況を知ってもらわねばならんだろう」

 まったくもって、そのとおり。苦笑とともに肩をすくめたディランは、ゼフィアーにひっぱられながら、階段を降りようとする。

 しかし、そのとき。頭の奥が、強烈にしびれた気がして足を止めた。振り返った少女が、不思議そうな顔をした。しかし、それも一瞬のこと。金色の瞳もまた、険しく細められる。

「む? この気配は」

 古き時代、竜との対話を唯一許されていた一族の末裔である彼女は、すぐに真剣な目で虚空をにらむ。ディランもまた、一番近くの窓を見た。

 厄介なことになりそうだ。彼の脳裏に浮かんだ予感を、次に響いた声が裏付ける。

『ディル、ディルネオ! すぐ来てくれ、まずいことになった!』

 ディランと呼ばれる彼の、本当の名を叫んだクレティオが、外から中へと突っ込んできて――その直後、窓の向こうが一瞬だけ、早朝とは思えないほど明るくなった。

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