37.儀式のはじまり

 カロクは軽く目をみはり、手槍を弾きあげた。みずから後退して衝撃を逃がしたディランは、あえてカロクが突進してくるのを待ち、長槍の穂先にみずからの槍を叩きこむ。それでもカロクはひるむことなく、ディランの首を狙って槍を突き出した。

 光が迫る。ディランは身をひねると同時に、槍を下から上に跳ね上げて、鋭い白刃を打ち払った。きぃん、と澄んだ音が響く。

 わずかな間、戦場が止まった。ディランは頭がくらくらするのを感じて、一瞬だけ顔をしかめる。

「……なぜ、そこまでする」

 カロクの声が問いかけた。ディランは問いの意味をはかりかね、少しだけ口ごもる。

「もちろん、死にたくないからだ。――おまえの感情を受けとめる、といっても、無抵抗で刺されるってわけじゃあない。生きてやりたいことも、できたしな」

「そうではない」

 彼が少年の声で答えると、カロクはすぐさま切り返した。

「どうしてそうまでして『和解しよう』と考える? 人と竜が今さらわかりあえると、本気で信じているのか」

「わかってるんじゃないか。そうじゃなきゃ、命を削るようなまね、しないよ」

 ディランは、肩をすくめた。

「きっと、今すぐわかりあうのは無理だろうな。けど――人間も竜たちも、誰かを理解しようと努力することは、できるはずだ。俺は、ディルネオだった俺は、それを手伝おうとずっと頑張っていたし、今ももう一度やってみようと、思ってる」

 話しながら、ディランはずっとカロクを見ていた。彼の片足がわずかにずらされた瞬間、槍を突き出す。予想どおり、槍どうしがぶつかった。彼らはしばらく、鋭く強く舞い続ける。裂帛とともに突き出された長槍が、今度はディランの肩をかすめた。けれど彼は歯を食いしばると、傷が深くなるのも承知で踏みこむ。手槍の穂先は、カロクの左肩に突き刺さった。ディランは勢いに任せて槍を抜き、容赦のない第二撃をすんでのところでかわす。

「貴様はどうして、そのような甘いことが言える? さんざん裏切られ、人と竜の醜悪な本性も目にしてきたはずだろう」

「甘い、ね。確かに、大甘かもな」

 怒気をはらんだカロクの問いに、ディランは思わず笑った。自分でもわけのわからない笑いだった。同じように、自分がここまで揺らがないでいられる理由もわからない。

 けれど、一度は失望したのだ。失望から立ち直れた理由なら、もう知っている。

「カロクはどうして、父親と同じ竜狩人の道を選んだ?――竜がいなければ、友が狂わずに済んだと思ったからだろ。シグレはなぜ竜を殺し続けた? 人と竜が領域をわけて暮らす、いびつだけど平和な世界を望んだからだろ。……ディルネオが友と思っていた男が彼を殺そうとしたのも、はじまりは、想いを寄せていた娘の死だった」

 カロクは、ディランが語るのを不思議そうな表情で聞いていた。だが、やがて、信じられないものを見たように、その顔がこわばっていく。

「竜を殺してきた人々も、人と竜をつなげようとする俺も、竜の魂を救おうとするゼフィーも、根っこにあるのは同じものだと思うんだ」

 こうして誰かに語りかけるのは、珍しいことではなかった。ただ、かつて同じことをしていたときとは、気持ちが少し違った。必死さではなく、静かな熱が胸の中にある。

「人も竜も、みんな、誰かを想う心を持ってる。そして、その人たち、竜たちと幸せで平穏な暮らしがしたいと望んでいる。ただ、実現するために選ぶ手段が違うだけだ。少なくとも、俺はそう思ってる。みんなが持つ根っここそが希望だと思ってる。実際、今も、あちこちで俺たちの話が広まったり、みんなの説得に耳をかたむける人が出てきてる。時間はかかっても、わかりあえるよ」

 だからこそ、互いが殺しあったせいで壊れつつある世界を、放置できるはずがない。ディランはそう言い、立ち上がった。まっすぐにカロクを見る。

 彼の顔は本当に、シグレに似ていた。あの竜狩人と対面した時間はほんのわずかだったはずだが、そう感じた。

 二人の視線は雪のなかで交差する。互いに、その目の奥にあるものを見すかそうとしていた。やがてカロクの視線がゆるんだ。

 その瞬間、ディランは飛びすさろうとした。が、彼が動くより早く、カロクの槍がうなった。長槍が、手槍に柄ごと叩きつけられる。今までとは違う、凶暴な力のこもった一撃だった。たえきれず手槍を取り落としてしまったディランは、ひっこんだ槍が自分めがけて突きこまれるのを見て、ぎょっとした。

 どうすればいい、などと考えるひまもない。体が動くにまかせて、ディランは片手で剣を抜き――身を沈め、左手で相手の槍の柄をつかんで、むりやり動きを止めていた。そのまま体を相手の方にねじこんで、右手で剣を振るう。使いこまれた刃は男の胴をかすめたが、彼をひるませることはできなかった。それでもカロクは、心のなかでは動揺したようである。はじめて渋い顔をした。さらにディランはその剣を、黒々と光る柄に叩きこんだ。銅鑼どらにも似た音がして、剣と槍が震える。

 指に、腕に、鈍い痛みが走る。白い閃光のようだった穂先は、急に輝きを失ったかに見えた。傷を確かめ、動きの鈍った槍と見比べたカロクが、口もとをほころばせる。

「なるほど。――強引なやり方は、嫌いではない。『烈火』によく似ているな」

「え?」

 いきなり出てきた師匠の名前にぽかんとする。直後、槍にこめられた力がすっと抜けてゆくのを感じて、ディランも柄から手を離して後ろにさがった。ぼんやりしたままチトセの手槍を拾い上げる。そしてカロクは、槍を収めた。その手で、肩をさっとおさえた。「……いいだろう」と、静かに言う。

「おまえが言う希望とやらが本当にあるというのなら、それをに見せてみろ。人間と竜が和解できると思うなら、少しでも形にしてみせろ」

 彼は、呆然としているディランに向け、あくまで無愛想に言い放つ。そしてそのまま、彼の脇をすりぬけて、歩いてゆく。

「数年くらいは、待ってやる」――短い言葉は、音を吸いこむはずの雪の中に、やけにはっきりと残った。ディランは呆気にとられて佇んでいたが、カロクの足音が消えてしまうより少し早く、ほほえみを刻む。

「もちろんだ」

 残した言葉は、きっと届かなかっただろう。それでよかった。

 言葉を届ける必要はない。行動で示す。カロクにとってもディルネオにとっても、それが一番いいはずだ。


 少しして、足音は消え、人影も見えなくなった。ディランは肩の力を抜く。そのとき、ふらりとよろめいて、慌てて立てた手槍にすがった。ちらりと肩に目をやると、傷はもうふさがっていた。だが、内側の方は、こう簡単にはいかない。無茶をするな、と怒る仲間たちの顔が浮かんで、なんとなく情けなくなった。

「でも、今ばっかりは、休んでるわけにもいかないんだよな」

 言い聞かせるように呟いたディランは、手槍を唯一の支えにして、ふらつきながら歩きだした。目指すは、山のいただきだ。

     

     

『最北の聖山』と呼びならわされる山頂は、いつも驚くほどに静かだ。そう言ったのは、先に山頂に到着していた老人の《神官》だった。たしかヘルマンだったな、とゼフィアーは記憶を探る。彼のいうとおり、山頂はいっそ不気味なほどに静かだ。雪も少なく、吹き荒れる風もない。命まで凍らせそうな冷気だけが、ひたひたとその場に満ちていた。

 到着してからというもの、ゼフィアーは無言で手を動かし続けていた。ほかの《神官》の手も借りて作業を続けて、かなり長い時間が経っているはずだ。そのときから十回ほど降ってはやんでを繰り返していた雪が、またちらついた頃、彼女はようやく息をした。

「――できた」

 こぼれた言葉は無意識のものだ。手を止めて、立ち上がり、地面を見る。

 そこには例の図面に描かれていたのと同じ陣があった。《神官》も少女も、それを満足そうにながめる。作業の終わりに気づいた仲間たちが駆けよってきた。

「うわ、すごいですね! これ、たった七人で描いたんですか!?」

「いろいろとんでもないわね……。で? あたしらは、この陣の外周に立てばいいんだっけ?」

 興奮するレビをあきれたように見やりながら、チトセがゼフィアーを見た。ゼフィアーは、うむ、とうなずく。

「位置は私とヘルマン殿で決めるから、それに従ってくれれば大丈夫だ」

 言い切ったゼフィアーは、続けて、うっすらとかげっている空をあおいだ。

『お主らは、地上こちらの配置をまねしてくれ』

 彼女は竜語ドラーゼに切り替えて呼びかけた。空を覆うように飛ぶ大小の竜たちが、それに気づいて首を巡らせる。世界各地から呼び集められた竜たちが、すでにそこには揃っていた。水竜の数が多いのは、ディルネオを慕う者が多いからだろうかと、ゼフィアーはぼんやり思う。

『承知した』

『いやあ、こういうの久しぶりで、なんだかとってもわくわくするよ』

 厳かに言葉を返したのはイグニシオ、楽しそうに羽ばたいたのはクレティオだ。彼らに笑いかけたゼフィアーは、元気よくうなずいて地上に視線を戻した。そのとき、そばで陣をながめまわしていたはずのゼフィアーが、来た方を見て、あっと目を開いた。

「ディラン!」

 叫んだ彼は、手にした棒を投げだして駆けださんばかりの勢いだ。ゼフィアーも息をのんで、山道の方を振り返る。そこには確かに、青みのかかった黒髪をもつ少年がいて。手槍を支えに立っている彼は、蒼白な顔に笑みを刻んで手を振った。彼らの方に、おぼつかない足取りで歩み寄ってくる。

「なんかすごいことになってるな」

「無事だったのね。……いえ、無事、と言っていいのかわからないけれど」

 それまで黙っていたマリエットが歩いてきてそう言うと、ディランをそっと背から支える。彼は曖昧な声をあげると、彼女の手に体を預けて、そのまま地面に座りこんだ。

「まあ、そうだな。さすがにちょっと疲れた」

「儀式を始めるまでにはまだあるから、それまで休んでていい」

 ゼフィアーはかがみこんでそう言った。ディランは「ありがとう」とうなずいて、それからチトセに手槍を返している。彼らの様子を脇見しながら、あたりの様子を確かめていたゼフィアーに、トランスが話しかけてきた。

「まだある、って。何かほかにすることがあるのか?」

「すること、というよりも、来るはずのものが来ていないのでな」

 少女の言葉にトランスが首をかしげた。ちょうど、そのとき、空中を巡回するように飛んでいたシルフィエが、くっと頭を持ち上げて遠くの空を見る。

『また同胞が来たようですよ』

 彼女がそう言うと同時、かすかに「おーい」と誰かを呼ばわる声がした。それは間違いなく人の言葉だ。六人や《神官》が戸惑ったように顔を見合わせていると、シルフィエが見た方にうっすらと竜の影が現れる。それはどんどん近づいてきた。やはりそれは、竜だった。竜は山に近づくと、翼を大きく広げ、慎重に地面の端へ着地する。やってきたのはその一頭だけではなかった。何頭かがそれに続いて着地した。彼らは器用に首を回して、背に乗せていた重い袋を引きずり下ろすと、すぐ空へ舞い上がる。

『お届けものですよ』

 最初に着地した竜が、茶化すようにそう言った。『この方からの』と彼が続けたとき、その竜の背中から、おっかなびっくり、という具合で人が降りてくる。その人を見て、ゼフィアーはぎょっと目をむいた。

「ま、マリク!?」

「よう、ゼフィー。ラッドのじいさんから頼まれて、届け物しにきたんだ」

 彼は、げっそりした様子だった。それでも作り笑いを浮かべた。大商人の名前が出てきたことで、旅の六人は事情を察する。そして、マリクの身に起きたこともなんとなく察しがついた。何も知らないまま、いきなり竜の背に乗せられて、はるばる北まで空の旅をしてきたとなれば、疲れもするだろう。

「あーあ……確かにあの袋とか箱とか見覚えあるねえ。商会で見た」

「会長殿のおっしゃっていた『信頼できる者』とはマリクのことだったのだな……!」

 まばたきすらも忘れて、ゼフィアーは感じいる。そのまま放心状態になりそうだった彼女を、チトセが小突いて目ざめさせた。その横でディランが、「納得といえば納得だけど、人選ぶっ飛びすぎだろ」と呟いている。ひとまずゼフィアーは、ぐったりしているマリクを儀式場の端に招いた。どうせ、今からでは帰ることもかなうまい。儀式を最後まで見届けてもらって、それからさっきの竜たちに帰してもらえばいいだろう、と判断した。状況をのみこめていない商人は、目を白黒させていたが、もういちいち問いただすのも面倒だといわんばかりの様子で、手ごろな岩にもたれかかった。錯乱して叫びだしたりしないところはさすがだ、と、ゼフィアーは知己を見て思った。

 ともかく、これで準備は整った。少女はうす青い衣をまとった人々を、振り仰ぐ。彼らはしかつめらしくうなずいた。

「さっそくやりましょうか」

 淡々と言ったのは、あの若い《神官》だった。


 先達せんだつが残した図面と手順書をもとにして、ゼフィアーと《神官》たちで、てきぱきと人々の立ち位置を指示してゆく。ディランたちのような「参加者」が立つのは、陣の外側、ぐるりと一周する炎のような図形の上だ。儀式を中心になって進めるゼフィアーと四人の神官は、まんなかの小さな円の中に立つ。《神官》たちは東西南北を向いて、ゼフィアーは中心に立った。彼ら五人は鈴を持っている。ディランが、鈴に、懐かしむような視線を注いでいた。

 同じく《神官》の老爺ヘルマンは、陣の外にいる。彼は並び終えた人々を見回し、そして空中を見て竜たちの姿を確認すると、咳払いをひとつした。

「準備が、整ったようだな。では――唱えよ」

 よけいなものを省いた、端的な指示。しわがれた声が、場の空気を一瞬にして変えた。この世のものとは思えぬ静けさが、聖なる山の頂を包みこむ。

 これから始まるのは、「始の儀礼」と呼ばれるもの。儀式の前の、儀式だ。


――りん。

 わずかな空白のあと、鈴が鳴った。鳴らしたのは、東を向いて立っている《神官》だ。

「迷えるもの、汝らに誓う。我が手をさしだししるべとして、その心を導かんと」

《神官》は儀礼の決まり文句のひとつを朗々と唱えた。透明な声が山を震わす。状況を知らないマリクでさえも、聞きいるように身を乗り出した。

――りん、りん。

 今度は鈴が二度鳴る。西を向いて立っている、四十代中頃の《神官》が息を吸った。

「迷えるもの、汝らに誓う。我が生命のを紡ぎ、その魂を守らんと」

 低い声は、風にさらわれてなお、かすかな余韻を残した。

 続けて鈴が、三度鳴る。北を向いて立っているのは、旅の一行がよく知っている若い《神官》だ。彼もまた、儀礼の形式にそって唱えはじめる。

「迷えるもの、汝らに誓う。我が声を祈りに変え、その嘆きを静めんと」

 いつもは感情の乏しい声も、このときばかりはわずかな抑揚がつく。彼の冷たく優しい声は、淡々と決まり文句をそらんじた。

 四度の鈴が鳴る。南を向いて立っている《神官》のものだ。彼は、ヘルマンと同年代に見えるが、そのまなざしには力強さがある。

「迷えるもの、汝らに誓う。天の清き星をもって、その道を照らさんと」

 腹の底を打つような声が、はっきりと、唱えた。儀式場の外まで響かせんとばかりに。

 そして、はじまりの終わりを告げるように、大きく鈴を鳴らしたのは――中央に立つ少女、ゼフィアー・ウェンデルだった。鈴の音が消えてしまう前に息を吸い、空に向かってうたう。かつて、終わりまで紡ぐことのできなかったことばを。


「迷えるもの、打ち砕かれし竜魂りゅうこんよ。

己を失うことなかれ、道に争うことなかれ。

我らつたえの力をもちて、けがれにさらされし御魂、ここに清めんとする――」


 彼女の声が切れた瞬間、陣が、淡い光を帯びた。何人かがぎょっとしていたが、儀式の場ということもあって、動くのはこらえたようだった。光は少しずつ、少しずつ強くなって、やがてその一部が、煙のように昇った。色の移ろい続けていた光は、天へ近くなるごとに、緑色へと変わっていく。

 のぼった光はひとつになり、星のような輝きを作りだした。けれど光は星よりもずっと強い。おそらく、今頃、世界中からこの光が見えることだろうと、ゼフィアーは思った。思っただけで口には出さず、緑の光を確かめたあとは静かにこうべを垂れる。

 本番は、ここからだ。

「始の儀礼は完了した。――これより、魂還しの儀式を執り行う」

 顔を伏せ、心を透明にせんとしている少女の耳に、ヘルマンの宣言が流れこんできた。

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