34.最北の聖山

 音もなく降り続いていた雪が、あるときにぴたりとやんだ。つかの間に吹いた風は、白い嵐を連れ去ってゆく。曇天の下に積もった雪の白が光り、いつもは考えられないくらいにあたりは明るい。わずかずつ隆起しながら延々と続いていく雪原のむこうに、黒々とした山がそびえ立っている。ふもとと頂上は白くかすんでしまっているが、山の威容を知るには十分だった。本来ならば、そこに生き物は寄りつかない。だからこそ、山は今も、あるべき姿を保っている。

 それゆえに、自然を重んじる人々は、この山を『最北の聖山』と呼んだ。


「おおっ! ひょっとして、あれか!」

 雪の深い場所からは抜け出した。それでも白い地面をためらいなく踏みつけて、アントンが歓喜の声を上げる。急ぎ足で彼の隣にやってきたディランは、目陰をさして遠くを見た。呆れるほどまぶしい白銀の大地の果てに、黒く盛り上がった山がぽつんと佇んでいる。頂上付近は靄がかかってよく見えないが、少しとんがっているような気がした。奇妙な光景には違いないが、ディランは不思議と違和感を覚えなかった。

「うん。あれで間違いないな。……やっと着いた」

 こらえきれずについついこぼした呟きは、白い息とともに吐き出されて、雪の中に溶けこむ。アントンが愉快そうに肩を揺らした。彼のおかげで、二十人越えの集団は、弱音を吐くことなくここまで来られた。なんのかのと言いながら、結局ここまでついてきた盗賊狩り集団は、《魂還しの儀式》の終わりまでを見届けるつもりなのだろう。口もとに笑みを刻んだディランは、ほかの五人を振り返った。

「もうひと踏ん張りだ。行けるか?」

 言葉はない。けれど誰もが、当然、とばかりにうなずいた。

 目的地が見えたら、あとはひたすらそれを目指して進む。誰かが雪にはまって動けなくなるのを防ぐために、体格のいい男たちが先頭を歩いて雪を踏み固めていった。アントンもまた、陽気に新雪を踏んでいる。大剣さえなければ、雪遊びをしている少年にしか見えないところだろう。

 そうしてしばらく歩いた後、ゼフィアーが呟いた。

「……不思議だな」

 彼女が何を指して「不思議」と言っているのか、ディランはなんとなくわかった。

 山に近づくにつれ、あたりの雪が少なくなっていっているのだ。今まではあるものすべてが白かったのに、山麓。(さんろく)に近づくと、ごつごつした灰色の岩や木の根などがちらちらのぞくようになっている。

「よく考えたら、あの山も、靄がかかってるだけで雪は積もってないよね」

 チトセが頂上の方を見上げながら呟いた。ゼノン山脈を形成する山々よりはるかに低い『聖山』は、ふもとの近くから頂上を確かめるのも容易だ。

「ひょっとしたら、儀式に使われているのは、そのあたりにも理由があったりするのかしら」

「楽しそうですね……目が輝いてますよ、マリエットさん」

「あら、そう?」

 女性が、風になびく髪を手で押さえながらほほえみを浮かべると、まわりの人々もつられて笑う。そんな中で、トランスがひょいっと肩をすくめた。

「けどまあ、思ったよりきつくなさそうで助かった」

 レビたちの体が小刻みに震えているのに対し、彼は平然としている。寒さに強いというのは本当らしい。こくこくとうなずく少年少女に向かって、悪戯っぽく目を細める。

「でもなあ、油断はいけないぜ」

「ど、どういうことですか?」

「俺たちが過ごしやすいってことは、敵さんにとっても過ごしやすい場所だからだよ」

 ――そのやり取りに、合わせたわけではなかろうが。一行の右側、雪から顔を出している岩のむこうで、しゅっと何かがこすれる音がした。たまたま岩のそばに立っていたレビが、息をのんで棒を振る。少し後、カン、と棒が小さく鳴って、光るものが雪の上に落ちた。盗賊狩りの男たちが率先して歩きだし、それを拾い上げる。

「短剣だな」

 拾った本人はそう言って、手の中の物を見せつける。短い刃は、チカリと白くきらめいた。

 人々は、一斉に身構える。岩陰から、厚手の衣をまとった人が、ぬうっと姿を現した。それだけでなく、今まで身をひそめていた人々が、ここぞとばかりに踏み出してきて、集団を取り囲む。彼らを見回し、チトセが眉根を寄せた。

「しつこいね、あんたら。殺されても文句言えないよ」

 剣呑に細められた緑の目は、不埒者と盗賊狩りの人たちを見比べていた。盗賊たちを倒し――時には殺して――その首や財宝を示し、報酬を得る。そんな、彼らの性質を暗に示したうえで元同僚に忠告したつもりのようだ。が、竜狩人たちはそれを挑発と取ったらしい。一気に気色ばんで、武器を手に飛びこんでくる。ため息とともにかぶりを振るチトセを、トランスが背中を叩いてなぐさめた。

 今回は、集団と集団のぶつかりあいだ。あっという間に乱戦が始まり、あたりは怒号と剣戟の音に包まれる。ディランもまた、考えるより先に、走ってくる竜狩人に剣を向ける。あちらこちらで《魂喰らい》の気配がして、酔いそうだった。一人の剣を弾き上げ、振り下ろされた棒を転がって避けながら、後から後からやってくる敵をにらみつける。

 なんとかして突破するか、逃げ切るかしなくてはならない。

「ここまで来て殺されるとか、絶対嫌だからな……!」

 やけ気味に呟いて、彼はすぐそばの竜狩人に斬りかかる。獣皮の衣を切り裂いて、かろうじてその奥まで刃が届いたらしい。びりびりと耳障りな音に乗せて、赤い雫が飛び散った。ひるんだ竜狩人に、背後から棒が叩きつけられる。彼は声も上げずに気を失って倒れ伏した。棒を握りしめたレビもまた、自暴自棄になっているようで、肩を上下させながらなんとか息をついで、立ち回っている。

 遠くから絶叫が響いてくる。襲撃者のものだとすぐにわかった。アントンたちがいてくれるから、これまでと比べればずいぶん楽な戦いだ。ただ、この状況がいつまで持つかは、わからない。ディランは脅すように剣を構えながら、めまぐるしく思考する。けれどそのとき、ふっ――と覚えのある風が吹き抜けた気がして、目をみはった。

 次の瞬間、あたりは、風とともにあらわれた白い霧に包まれていた。「なんだ!?」「見えない!」と、あちらこちらから戸惑いの声が上がる。

 ――本当は霧ではない。突風に巻き上げられた雪が、あたりを覆っているのだ。風の中になじみ深い気配を感じ、ディランは我知らずほほ笑んだ。

『今のうちだ! 山の方に走れ!』

 竜語ドラーゼで鋭く叫ぶ。その意味を悟った味方たちが、武器を収めて駆け出すのがわかった。竜語を理解できない人の方が多いのだが、そういう人々は近くの仲間がうながしてくれている。ディランもまた、迷いなく山の方角へ足を向けた。

 雪煙が薄らぐ中を懸命に走り抜けると、人の怒号が遠ざかる。そして、白が晴れた頃、旅の一行と盗賊狩り集団は、山のふもとへ辿り着いていた。子どもたちが肩で息をする。

「に、逃げ切れたか……よかった……」

「戦わずに済んだのはよかったけど、変に体力使った気がする」

 心からほっとしている様子のゼフィアーに対し、チトセは不満そうだ。その後もぶつくさと文句を言う彼女をたしなめたレビが、息を吐く。

「それにしても、運がよかったですね。お天気が味方してくれたんでしょうか」

 ディランは、首をひねる少年に笑いかけた。

「あれは天気じゃない」

「え?」

「上、見てみろ」

 ディランはまっすぐに上空を指さす。彼に誘われ、全員が空を仰いだ。そして、驚きの声を漏らす。

「ね、ねえゼフィー。あれって」

「うむ。……竜だ」

 少女の声が、染み入るように響いた。

 空を、竜の影が覆い尽くしていた。自然のありとあらゆる部分をつかさどる竜たちが集まっているのだと、翼の色を見ただけでわかる。群をなして飛ぶ彼らは、何かの行進のように粛々と飛びながらも、時折地上の不届き者たちに攻撃を加えているようだった。――先ほど、風が雪を巻き上げたように。

「これだけの竜が、集まってくれたのね。……少し水竜が多いかしら?」

 マリエットの呟きは、真実を言い当てているだろう。ディランはほほ笑みを浮かべたままうなずいた。視線を下ろすと同時に、腕を組んだアントンの姿が目に入る。

「まー、でも、こんだけ集まってくれたなら安心だろ。あとは、ディランたちが行ってやることやれば万事解決! ってか」

「万事解決かどうかはわからないけどもな。確かに、ひとつ決着はつく」

 ゼフィアーが、しかつめらしくうなずいた。盗賊狩りの男たちが、力強い声を上げる。

「なら、お頭! ここはひとつ、雑魚どもの相手しませんか!」

「乗りかかった船ってやつっすね」

「どうせなら特等席で見たいしな」

 体格のいい男たちは、大声で騒ぎたてる。唖然とする六人をよそに、アントンは楽しげに笑い声を上げていた。こうなることを予想していたのかもしれない。

「そうだな。暴れるだけでいいから簡単だし、いっちょやってやるか!」

 かしらが不敵にそう告げれば、男たちは歓喜の叫びとともに武器を抜く。血気盛んな部下たちを見回したあと、アントンは六人を振り返った。

「――ってわけだから、気にせず山登りしてくれや」

「ありがとう。助かる」

 内心ひどく戸惑いながらも、ディランは笑顔で応じた。アントンも無邪気に笑い、彼の頭を叩く。

「戻ってこいよ。んで、落ち着いたら色々話そーぜ。ジュメルを肴に酒でも飲むか?」

「酒は苦手だ。……ひょっとして、ジュメルのこと、根に持ってるのか?」

 一応聞いてみたが、アントンは「そんなんじゃねえって」と明るく言って、手を払う。とっとと行け、とばかりに。

 ディランはしかたなく肩をすくめると、仲間たちを振り返る。全員が強く首肯する。ゼフィアーが被きをつまんでにっと笑った。

「恩に着る。――それでは、行こうか、みんな」

 彼女の号令に背中を押された六人は、こうして黒い山道へと踏みこんだ。

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