33.絶えず流れる時を経て

「世の中、不思議なことがあるもんだよな」

 盗賊稼業から足を洗い、逆に彼らを狩る方へと転身した男。彼に思うところはあるが、その一言にだけは心から同意しているディランである。


 襲いかかってきた竜狩人たちを脅しながら撒き、岩場を抜けた後、たまたま見つけた洞穴で体を休めることにした。何しろ体格のいい人が多いので、その場に全員がいるというだけで鬱陶しいほど熱がこもる。ただ、それも極寒の地ではありがたいことだった。

 干し肉を豪快にかじってのみこんだアントンが、隣で剣をながめまわしていたディランに、ずいっと顔を近づける。

「似てるなーとは思ってたけどさ。まーさか、あんときの兄ちゃんだとはね」

 ディランは横目で彼をうかがっただけで、何かを言いはしなかった。何を言っていいのかわからなかった。

「けども、どうしてディランが『そう』だと思ったのだ? 私たちに話をしてくれたときは、否定していたではないか」

「んー、それがさ」

 代わって口を開いたゼフィアーに目を向け、アントンは頭をかく。

「気づいてると思うけど、みんなの話が今あちこちで広まってるんだよ。俺たちもそれを聞いてな。いくつかある話のひとつに、ディランが竜だっていうのがあって。それを聞いたときに俺、ぴんときちゃったんだよ」

「ぴんときたって……つまり勘だけで判断したってこと?」

 チトセが目をすがめる。アントンは、そういうこと、と言って、干し肉の最後のひとかけらを口に放りこんだ。よく噛んで、飲み込んでから話を続ける。

「竜が人間のふりをしてるだけだったっていうんなら、年齢の計算が合わなくたっておかしくないし。なんとなく不思議な奴だなって思ったことにも合点がいくからさ」

 なぜか楽しそうに語った後、アントンは再びディランを見た。その頃にはディランも剣の点検を終えていたので、彼と正面から向きあった。

「で、実際どうなんだ。水竜ってほんと?」

「…………本当」

としいくつ?」

「千五百ちょっと。聞く意味あるのか、それ」

 ディランは呆れて肩をすくめる。前に行動を共にしたときより、その口調は刺々しく、かつ親しみのこもったものになっていた。ディランの鮮やかな返答を聞いた男は、「そうかー」とのん気に笑って、肩を揺らす。反対にのん気でいられなかったのは、彼の部下の方だった。哀れなほど引きつった互いの顔を見合わせて、喉を震わせる。音が出てこないのは、言葉を思いつかないからだろう。しばらく魚のように口をぱくぱくさせた彼らは、それからディランを振り返り――頭を下げた。

「へっ!?」

 今まで、気まずさから淡白な態度をとっていたディランも、さすがに慌てずにはいられない。素っ頓狂な声が飛び出た。

 一方、男たちは男たちで、どこかうろたえているようである。

「すいやせんでしたーっ!」

「命の恩人に失礼な態度とっちまって……!」

 そう言いながら頭を沈める人々は、この集団が盗賊団だった頃からアントンとともにいる人たちばかりだった。当然、ディランたち一行はそんなことを知るよしもないのだが。

「い、いや別に。俺だってあんまり覚えてるわけじゃないですし。むしろアレの実を食べさせたことが申し訳ないくらいというか」

 目を白黒させて言い返す。屈強な盗賊狩りたちは、揃って、とんでもないとばかりに首を振った。彼らが普段頭領に向けているものと同じまなざしを受けて、ディランはとうとう、言葉を失くす。助けを求めて目を泳がせた。そして見つけたのは、腹を抱えて笑う頭領の姿である。

「他人事だな……」

「いや、悪い悪い。こいつらが義理堅いのは知ってたし、こんな反応するかなって予想はしてたんだよ。けど、ここまでなるとは……あー、おもしれー」

 詫びてはいるものの懲りてはいないアントンに、ディランは冷えきった視線を注ぐ。けれど、すぐにあきらめて、氷のような冷たさをため息に変えて吐きだした。

 どうにか盗賊狩りの男たちをなだめたところで、アントンがのんびりと切り出した。

「そういえばあんたら、今は何やってるんだ? 行くところでもあんの?」

「『最北の聖山』と呼ばれる山を目指しているの。聞いたこと、あるかしら」

 マリエットの、誰にともない問いかけが漂う。男たちは仲間の顔をうかがって、ちらちら視線を交差させた。誰もが戸惑っていることを確かめたアントンが、念を押すように「いや、知らん」と言う。そのかたわらで、ゼフィアーが地図を広げていた。彼らが知らないと答えることを見越していたらしい。たちまち身を乗り出した巌のような人々が、紙の上に薄い影をつくる。それでも少女は平然として、地図上に指を滑らせた。

「このあたりにある山だ」

 細い指が示した場所を見て、アントンが目をみはる。

「へえっ。不思議なことって重なるもんだな。俺たちが今向かってる方向と同じじゃないか。ま、こちとらあてがあるわけじゃないけどな」

 そうなのか、と誰かがこぼす。ディランがほのかな胡散臭さに目を細めている横で、アントンはまるで気づいた様子もなく話を続けた。

「そのあたりなら何回か行ったことあるけどさ。気をつけた方がいいぜー。今の時期、まだ雪がめちゃくちゃ残ってるから」

 豪快な笑い声が響く。彼の部下の何人かは苦笑していて、残る部下たちは目を泳がせていた。「笑いごとじゃないっすよ、あれ……」と呟く声がする。同じようなささやきがあちこちから立ち昇ると、少年と少女が不安の色をのぞかせた。

「え、そんなにすごいんですか?」

「さすがそっちまでは行ったことないから知らない」

 なぜかチトセとゼフィアーを見比べながら、レビが声を上げる。チトセは刀をいじくりまわしながら無愛想に答えた。彼女の目が、何かを問いかけるように、ディランの方へ向いている。彼は何も言わず、ただかぶりを振った。曖昧な記憶はしかも、空の上から見た風景だ。地上を行く人々にとっては、ものの役にも立たないだろう。さてどうするか、と、六人は戸惑いをにじませた顔を突きあわせる。

 重い沈黙が降りかけた。そのとき、ぱしん、と乾いた音がする。アントンが膝を叩いていた。

「だったら、前みたいに一緒に行動しようぜ! 大人数でしっかり準備してこの人数で行けば、たった六人で突っ込むよりははるかにましだと思うし。俺、もうちょっと話したいし」

 最後のが本音だな、と、トランスが苦笑をのぞかせる。彼は何気ない所作で洞穴の入口を見た後、盗賊狩りの一人に目をやった。彼もまた、男の視線に気づいていない様子でさりげなく腰に手を伸ばし――川に小石を投げ入れるような無造作さで何かを投げた。まっすぐに飛んだそれは、光の射す方に吸い込まれる。一拍の後、かえるの鳴き声のような悲鳴が響いた。

「……ああいうのが、いるかもしれないしな」

 声のした方を親指で示し、トランスは笑う。先ほど何かを投げた男が立ち上がり、入口の方へと確認に向かった。ディランとゼフィアーは顔を見合わせ苦笑して、アントンは「だろ?」と言って胸を張る。

 おそらくは、竜狩人か盗賊が、獲物をひそかに仕留めるために、洞穴のそばで張っていたのだろう。ディランはそう予想した。そして、戻ってきた男の報告は、予想通りのものだった。

 この出来事をきっかけに、「味方は多い方がいい」という意見で一致して、人々は少しの間、行動を共にすることに決めた。


 方針が決まってしまえば、あとは行動に移すだけだ。荷物をまとめ、ある程度の配置を決めて、人々は荒野を進んだ。大人数でいるとそのぶん目立つが、にぎやかにもなり戦力も増えると考えれば、そのくらいのことは不安要素にはならなかった。時々町や村に立ち寄りながらの道行きの中で、ディランは何度もアントンにからかわれた。「食うか?」と、何度かジュメルの実を顔の前にぶら下げられたこともあったが、冷やかな笑顔で流しているうちに、ささやかな遊びも終わっていった。

 ――行動開始から十日が経とうとしていた日の夜。番をすることになったディランは、そびえる岩のてっぺんに腰かけて、あたりを警戒していた。このあたりは生き物自体が少ない場所だ。さえぎるものはほとんどない。気が遠くなりそうなほど広く、平たい大地が続いている。取り立てて何を考えるでもなく、ディランが地面を見下ろしていると、靴音が響いた。かすかなものだったが、静寂の中ではよく響く。

「よっ」

 夜でも変わらず明るい声が背中を叩く。ディランは振り返り、曖昧な笑みを浮かべた。アントンは無邪気に歯を見せて、彼の隣に勢いよく腰を下ろす。

「そろそろ交代の時間だからな。来た!」

「そっか。そうだな」

 佩いている剣の感触を確かめながら、ディランはうなずいた。そのままお礼を言って立ち上がろうとしたのだが、アントンの声に留められる。

「――久しぶりに『会えた』んだよなあ。なんか実感わかねえ」

「俺もだよ」

「でもさあ。やっぱ嬉しいもんだわ。前の兄ちゃんも、今の少年ガキも知ってるからなあ。いっぺんに二人と再会できた気分」

「……そういうものなのか? よくわからないけど」

 唐突な会話の始まりに、戸惑いながらもディランは返す。声色はいつも通り明るく、けれど、いつもと違って繕ったようなかたさが感じられた。どうしていいか悩みながら、あわよくば隙をついてこの場を離れようと背を向けたとき。繕っていたものが一気にはがれ落ちたような、静かな言葉が届いた。

「だからさ。再会してすぐぽっくりっちまうってのは、勘弁してほしいんだよ」

 ディランは息をのんだ。肩越しに見れば、男はどこか淋しげな笑みを口もとに刷いている。

「……聞いたのか」

 言葉少なに問いかけると、アントンはうなずいた。「ゼフィアーちゃんにな」と、少女の名を挙げる。そうか、と返したディランは踵を返し、アントンの隣まで戻ると、静かに腰を下ろす。空を仰いで息をこぼした。見上げた夜空に、同胞の影はない。けれど近々、北の空は竜の群に覆われるだろう。ぼんやりと、そんなことを思った。

「何も、自分から命を絶とうっていうわけじゃ、ないんだ」

 ぽつりと言ったディランは両手を広げ、視線を落とす。アントンは何も言わなかった。どんな顔をしているかも、うつむいた彼にはわからない。

「けど、それでもな。《魂還しの儀式》っていうのは、人間が思っている以上に、参加する者に――人にも竜にも――ものすごい負担をかけるんだ。だから、今の俺の状態だと、儀式が終わった途端にそのまま衰弱していって死ぬ可能性が高い」

「そんなの……」

「そうならない、可能性もあるけどな」

 落ち着き払って言い足して、ディランはようやく顔を上げた。アントンはぽかんとしていたが、やがていつも通りの無邪気な明るさを、顔いっぱいに広げていく。

「確か、聞いた話だと、色んな竜が協力してくれるんだったよな」

「うん。知り合いの竜たちが、あちこち飛び回って、呼びかけてくれているはずだ」

「だったら、おまえがいいと思う方の可能性に賭ければいいだろ!」

 アントンは、それまでの悲痛な空気が嘘のように、からりと言う。今度はディランが虚を突かれる番だった。彼のまっすぐな言葉が、じわりと心の中に染み込む。

 少年姿の水竜は、小さく吹き出した。そのまましばらく、二人で笑いあった。

 ひとしきり声を上げて笑った後。今度こそ見張り番を交代するべく、ディランは立ち上がる。しかし、またしてもアントンに呼びとめられた。

「なあ、ディラン」

 今度は長話を始める雰囲気ではない。うん? とディランが返すと、アントンは続けた。

「名前、教えてくれよ」

「え? 名前って」

「もとの――俺たちに説教たれた兄ちゃんとしての名前な」

 遠回しに、かつての破天荒な行いを皮肉られて、ディランは恥ずかしさに頬をかく。

 それでも、彼の言いたいことはわかった。目をつぶり、二回深呼吸した後で、ゆっくりと目を開く。

「ディルネオ」

 噛みしめるように、ただ名前だけを告げた。

 アントンは、ふうん、と言ってから、ディランの腕を強く叩く。

「なるほどねえ。そっちもいい名前だな!」

 真っ正直な褒め言葉をもらったディランは、自分も正直な笑顔で感謝を返す。アントンは、うしし、と妙な声を立てると、いつもの調子で言葉を投げ返した。

「いやいや、お礼を言うのはこっちの方。――あのときはありがとうな、ディルネオ。礼を言うのが遅くなってすまんね」


 感謝とねぎらいの言葉をもらい、励ましの言葉をかけてから、ディランはゆっくり岩を下りた。冷たいものが触れた気がして、顔を上げる。

 青藍せいらんの空から、雪がはらはらと舞いおりてきていた。

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