32.盗賊狩りの恩返し


『シルフィエ様!』

 竜の中の誰かが、高ぶった声で名を呼んだ。白い巨竜は悠然と、大地のまんなかに降り立つ。わずかな草が宙を舞った。よく見れば、彼女のすぐそばに別の風竜がいる。

『眷族の知らせを聞いて、急いで戻ってきたのですが……少々、遅かったようですね』

『まあ、ほとんどの者は無事だからな。シルフィエが気にすることはない』

 ディランは冷静にそう返した。確かに、あの局面でシルフィエが不在だったのは痛い、と思ったが。結果としては切り抜けられたのでよしとする。肩をすくめている彼のもとへ、仲間たちが駆けよってきた。

「あの風竜はどうだ?」

 ゼフィアーが彼を見上げて訊いてくる。ディランは、体を横たえて眠っている雄の竜を一瞥し、答えた。

「怪我は治った。魂の傷の方は……まあ、お察しのとおりだけど。でも、そんなに深いものじゃないから大丈夫だ」

 休めばよくなる、と言って微笑んだ。安心させるつもりだったのになぜか彼の方がむなしくなって、ため息をつく。その音が重なったことに気づき、ディランは視線を巡らせた。大人たちの陰に隠れるようにして立っているチトセが、吐息をもらしたところだった。

「どうかしたのか?」

 ディランが問うと、チトセはちらと視線を上げて、またすぐに地面をにらんだ。「――オボロさん」とかすれた声が草の上を跳ねる。

「どっかの死に急ぎ野郎とは別の意味で、危ない感じがした」

 さりげなく毒を吐かれたディランは、肩をすくめて苦笑する。儚い笑みはすぐに消えた。

――おまえたちの目指す世界に、居場所などないんだよ。

 笑い含みの声が、耳の奥によみがえる。居場所がない、というのなら、彼はこれからどうするのだろう。また妨害をしに来るのか、それとも、みずからが消えることを選ぶのか。あの狂気がどこからきたものかははっきりしないが、今の彼がどちらを選択しても、不自然はない気がする。

「人のこと言えた身じゃないけどな。チトセの言うとおり」

 ディランは口の端をもちあげた。嘲笑とも苦笑ともつかない。

 足音を聞いた気がして振り返れば、村の方から、二人ほどの《神官》が駆けてくるところだった。

 

 

     ※

     

     

「こんなところで何をしている?」

「いや、それ俺の台詞。なんでから血流しながら歩いてるんですか、あんた」

 ひとまず逃げおおせた部下たちと別れ、一人でほっつき歩いていたオボロは、唐突に現れて勝手に手当てをしだした若者を、胡乱うろんな目でにらんだ。にらまれた方はといえば、肩をすくめるだけで、オボロの剣呑な態度を歯牙にもかけない。それどころか、てきぱきと手を動かしながら、説教をたれてきた。

「まさかと思いますけどあのまま死ぬ気でした? ま、この程度の負傷じゃ死ぬに死ねず痛いだけですけど」

「そんなわけがあるか。いちいち処置をするのが面倒だったから放っておいただけだ」

「それはそれでどうかと思うんだけどなー。ま、死ぬ気じゃないなら結構。なんだかんだ言って、あんた抜きじゃ『破邪の神槍』は成り立ちませんからね」

 若者の言葉は、一応の「上司」への物言いとは思えない。上下関係がわからなくなりそうだが、オボロは別に気にしない。この男に関してはいつものことだ。ただ、彼が弓を携えていて、腰にさげていたはずの剣が消えていることに気づくと、眉根を寄せた。

「セン」

「なんすか」

「おまえの剣、奴らに譲ったな」

 脅かすように、低い声で言ってみると、センはうすっぺらい笑みを浮かべた。「だとしたらどうします。処罰しますか?」などとのたまう。遠回しだが、何よりもの答えだった。手当ての終わった額をつつきながら、オボロは静かに問う。

「組織を抜けるか?」

「さあ、どうしましょうかね。抜けるっつったら、あんた止めますか」

「いや。おまえは雇われの身だ。雇い主が止めないなら、俺も止めん」

 センは、そうすか、と言う。近くの大岩に歩み寄ると、するり、とその上に腰かけた。オボロは軽く彼を見上げる。

「……あいつらに、何を見いだした」

 若者は笑みを刷く。

「希望、って言ったら、馬鹿にしますか」

 オボロは何も答えなかった。確かにばかばかしいと思わないでもないが、他者の思想を否定する気はまったくない。思うのは自由だ。

「もうわかってると思いますけどね。俺は竜に恨みがあるわけでも、誰かさんみたいに高尚なこと考えてるわけでもない。まして奴らを殺すことを意味あることだとか、楽しいことだとか、思えない。むしろ、人間たちへの不満や憎悪、そういったものをぶつける相手が欲しかっただけなんでしょうよ、最初はね」

 センは息を吸い、空をあおぐ。

「でもなあ。今となっちゃ、そんなもんもなくなっちゃいましたからね。もう、竜狩りとかどうでもいいなって。こんな気持ちで竜を傷つけても、後味悪いだけだし。組織じたいに愛着はありますから、抜けるかどうかは考えますけど」

 呟く声は、愚痴をこぼすときの調子に似ていた。センは言いたいことを言い終えると、オボロを見おろす。

「オボロさんは、これからどうするんで?」

 オボロは少しだけ黙りこんだ。センの視線を感じながら口を開く。

「まずは、幹部たちと合流する。そして、戦う。今までと変わらん」

「――へえ。まだ、あいつらとやりあう気なんですね」

 センがにやり、と笑った。オボロもふっと口もとをほころばせ、立ち上がる。

「なに、これが最後だ。今度のを切り抜ける力と覚悟が奴らにあるのなら、俺も奴らに剣を向けるのはやめるさ」



     ※

     

     

「……そんなに焦って食べたら、喉に詰まらせるぞ」

 ディランは呆れた目を向けながら言った。視線の向こう、岩穴の隅では、レビが一心不乱に堅焼きパンをかじっている。顎が痛くないのかと、そんなことを考えてしまう食べっぷりだった。レビはいったん顔を上げ、口の中のものを飲みこんだ。

「だ、だって。いつ来るかわからないじゃないですか!」

「言いたいことはわかるけど」

 叫ぶだけ叫んで再びパンと戦いはじめた少年に、ディランはため息をおくる。彼の隣に座っていたチトセが、岩穴の外へ目をやった。終わりの見えない荒原が、どこまでも広がっている。

「確かに、おちおち食事もできやしないっていう点では、間違ってないかもね」

 彼女がそう呟いている間に、レビを含む人々の食事が終わった。一行は手早く荷物をまとめて立ちあがる。そして、岩穴を出た瞬間、上の方からかすかな殺気を感じた。「ほら来た」という少女の無感情な声がして。

 すぐあとに、岩陰にでも身をひそめていたのだろう、屈強な男たちが六人めがけて飛びかかってきた。


 オボロたちが暴れるだけ暴れて、どこかへ去っていったあと。ディランたちは改めて風竜と話をまとめたあと、早々と荷づくりをし、翌日には村を出た。村の《神官》の何人かも、彼らとは別の道から『最北の聖山』を目指すと聞いた。必ず山で会おう、と彼らと約束し、途中途中で竜の翼を借りつつ大陸を横断していたのだが――ここ数日、立て続けに、竜狩人の襲撃を受けていた。


 振りおろされた棍棒を紙一重のところで避けたディランは、そのまま近くにいたマリエットの背後に駆けこみ、背中合わせに立った。見覚えのある紋章をつけた男たちが、しかめっ面で彼らに武器を向けてくる。けれど次の瞬間、そんな彼らのうちの一人の背に、矢が突き刺さった。激しい悲鳴に打たれた竜狩人たちは、狂ったように叫びながら彼らの方へなだれこむ。

「いつになくやる気だな」

「やる気になったのが首領かそれ以外の幹部かは知らないけどね」

 のんびりと呟いたディランに、律儀に言葉を返したチトセが「というかあんた、危機感持ってよ」と苦情をぶつけてくる。彼は曖昧に笑ってそれを受け流した。

 襲ってくる竜狩人たちには、今までと明らかに違う点がひとつあった。それは、ディランを狙うときに『北の大水竜』の名前を叫ぶ者がいること。いよいよ、彼の素性が『破邪の神槍』の中で知れ渡ってしまった、ということだ。これはかなり危ない状況なのだが、彼自身はとても落ちついている。

「むしろ、知れ渡るのが遅すぎるくらいだ」

 最初に敵の変化に気づいたとき、そう口にしたくらいだった。

 あちらこちらで金属音がする。熱のこもった空気が荒野の一角に立ちのぼった。ほどよい戦場の熱狂。そのただ中で、一人と斬り結んでいたディランは、ふいに剣を下ろして相手と距離をとった。そろそろやるか、と口の中で呟いて、数人の仲間に目を配る。彼らが視線を向けてきたのを確かめた。両足を踏みしめ、息を吸い、力をそっと、練りあげる。戦の音も人の声も、引いてゆく波のように遠くなった。

 見えない水が脈を打ち。形をもって、動き出す。水のざわめきを肌で感じた水竜が、そっと目を開くと、彼の思ったとおり空中にいくつかの渦ができていた。彼は細く息を吐きだし、心の中で、戻れ、と命ずる。すると渦はたちまち消えさり、散った水の粒は雨のように、人々の上へ降り注いだ。

 動揺の声があがる。その隙に、六人は立ちはだかる竜狩人を押しのけて走り出していた。あるいはむりやり突き飛ばし、あるいは動じた敵の隙をついて気絶させ、彼らのつくった包囲網をいともたやすく打ち破る。

「――っ、やられた、追え!」

 そんな声が聞こえた頃には、先陣切って走り出したディランのそばに、六人が追いついてきていた。

「だんだん、大胆になってきたな。見ていて嬉しい気もするけども、心配にもなる」

 走りながらゼフィアーがぼやいた。ディランは肩をすくめる。

「向こうが正体を知ったっていうんなら、こっちが遠慮する理由もないだろ。あのくらいだったら、禁忌にも触れないし」

「そういう問題でもあるけども、そういう問題だけではないのだよなー」

 ちらちらと後ろを振り返りながら、ゼフィアーはぼやいた。その意味がわからなかったディランは首をかしげる。なんとなく、訊いても答えてくれないような気がしたので、話題を変えることにした。自分も背後に目をやる。狩人たちの姿は、近くはなく、かといって見えないほど遠くでもない位置にある。

「うまくけるといいけれど」

 女性の小さな呟きは、六人全員の胸中を代弁していた。


 ディランの魂のこともあり、竜狩人との――言いかえれば《魂喰らい》との――正面衝突をしないように気を配りながら行動しているところなのだ。先程、すぐさま逃げに転じたのもそのためだった。今のところ、うまくいくかどうかは五分五分といったところである。


 少し走ると、凹凸おうとつの激しい岩場にさしかかった。小さく聞こえる叫び声を背に受けつつ、彼らは少しずつ下に傾いていく岩場を駆けてゆく。ディランはその途中で、足を止めた。ほかの五人もその理由を察したらしく、戸惑う人はいなかった。

「まずいですね。……まずいですよね?」

「うん。ま、少しな」

 棒を構えたレビの言葉に、トランスが軽い調子で応じる。ディランは数歩下がって、ゼフィアーと並んで立った。

 連なる岩の陰から、数人の男が姿を見せる。それぞれに武器を持っている彼らは、あからさまに敵意を向けてきていた。後ろからも声が近づいてくる。誰かが、嬉しそうに「でかした」と叫んだのが聞こえた気がして、ディランは顔をしかめた。

「待ち伏せか。そういうこともある」

 平静を装った声は、少しだけ裏返っていた。彼と、隣のゼフィアーは、緊張の面持ちでつるぎを抜いた。先程の狂騒とは真逆の、冷えきった圧力があたりを満たす。声に続いて足音までもが大きくなった。今回ばかりは彼らと真っ向からぶつかる覚悟を決めなければいけなさそうだ。そう思い、武器をにぎる手に力をこめた。

 が、そのとき。少し離れたところから、高い靴音が響いた。誰かが軽快に岩を蹴ったのだ。場の緊張にそぐわない、軽い音に、つかのま全員の意識が引きつけられる。まるでそこを狙ったかのように、上空を黒い影が通りすぎた。

 風が高く鳴り、低くうなる。影の中から唐突に何かが振り下ろされる。それが長い剣だと、ディランがわかったときには、赤い血があたりに飛び散っていた。竜狩人の一人が倒れ伏すと同時に、宙を舞っていた影が華麗に着地する。長剣が、鈍い陽光を受けて光った。

 突然すぎる出来事に、誰もかれもが言葉を失う。けれど、続けてあちこちから響いた足音を聞き、ほとんどの人が我に返った。

「なんなんだ、いったい!?」

 誰かがひきつった声で叫ぶ。その間にもどこからか、雄叫びと悲鳴が重なったような音がした。目をこらせば、竜狩人の集団のただ中で、血が噴きあがっているのがわかる。ディランは眉根を寄せた。覚えがあるな、この展開――ちらりとそう思った。気が進まないながらも剣を抜く。

 先程着地してきた者――ディランの倍ちかくある体躯の男が、鈍重ながら力強い動きで剣を振るった。

「こ、こいつら……盗賊か何かか!? こんなときに!」

 また、誰かが叫んだ。すると大男が笑う。

「へえ。やっぱ傭兵やってると身なりとかでわかるもんかね」

 細めた目もとに深いしわが刻まれる。その目が怖かったのか、彼と向かい合っていた何人かがたじろいだ。だから彼らは、大男の陰から別の人が走り出てきたことに気づいていなかった。一方、気づいていたディランはさっと後ろに下がる。

「けど、惜しいなあ」

 楽しそうな声がする。竜狩人たちがその存在に気づいたときには、『彼』は獲物を定めていた。あっという間に竜狩人の集団と距離を詰め、大剣を振った。水平に滑った厚刃あつばは、たまたま軌道にあった細身の男の胴を斬る。肉が裂かれ、骨が砕ける。不快な音と光景の中にあって、「彼」の目は、無垢な子どもの瞳のように光った。

「俺たちは盗賊じゃない。盗賊狩り、だよ」


 懐かしい男たちが岩場の一角を制圧していくのに、それほど時間はかからなかった。喜々として剣を振りまわし、自分のまわりにいた最後の一人を切り捨てた男に、ディランは警戒しつつも歩み寄る。

「――相変わらず派手だな、アントン」

 ため息混じりに名を呼べば、男はたちまち好戦的な表情をひっこめて人懐っこい笑みを浮かべた。

「よーっす、ディラン! 久しぶりー!」

 あっさり剣を収めて、血のついていない手でディランの肩を叩いてくる。盗賊狩り集団の長・アントンの、いつもどおりの切り替えの早さに、彼は舌を巻いた。アントンは陽気にしばらく何かを話し続けたあと、ほかの五人の姿を見つけてぶんぶんと手を振る。彼らの疲れた様子にも、初対面のチトセがたじろいでいることにも、気を悪くした様子はなかった。あっという間に彼の調子に巻き込まれているうちに、盗賊狩りを生業とする屈強な男たちも、アントンのもとに集いつつあった。

「いやあ、あんたらに会えてよかったよ。しかも、いいところで割りこめた」

 アントンの部下のうち一人が、肩を揺らしてそう言う。トランスが言葉に反応し、彼を振り仰いだ。

「いいところで、って。だいたい、なんでこんなところにいるんだよ。さっきの連中が盗賊じゃないことくらい、見りゃわかるでしょ」

「もちろんわかったぜ。けど、知り合いが襲われてるってのに放っておけるかってんだ。それに、お頭が乗り気だったんだ」

 彼はそういうと、アントンを一瞥し、得意気に片目をつぶって続けた。「――なんか、恩返しだ、とか言ってな」

「恩返し?」

 数人が、同時に繰り返した。レビがアントンの方へ身を乗り出して「どういうことですか?」と問う。彼の表情にはかすかなおびえがあったが、アントンは気にもとめていなかった。レビににっと笑いかけたあと、彼の視線はディランの前で止まる。

 ディランは、はっと息をのんだ。

「あのときの、ジュメルの借りを返しにきた。って言えば、今のあんたならわかるかな?」

 まじめな顔でささやいたあと、アントンは、「もう二十年以上も前の話だけどなー」とおどけた。

 そのとき、全員が思いだしていた。死にかけていた盗賊たちを救い、渋い野菜を善意で食べさせたという、ある者の話を。

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