30.狂い刃

「信念」などという、格好いいものを持ち合わせているわけではなかった。ただ、純粋な憧れだけがあった。その点にしろ、ほかの点にしろ、つくづく幼馴染の彼とは似ていないと思う。憧憬しょうけいを胸に秘め、少年だった彼は幼馴染の手を借りて、どう考えても向いていない武術にはげんだ。いつ、あの人と同じ場所に立てるだろうと考えながら。その日を夢に見ながら。

 だが、気づいてしまうのだ。――同じ場所に立つことなど、そもそも不可能だったということに。


 最初に殺しの武器をとったのがいつだったか。数字など覚えていない。ただ、ひどく赤い場所でのことだった、というのは記憶していた。低い咆哮。高い悲鳴。金属の音。獣のような断末魔。なぜ、子どもの身でありながらそんな場所にいたのかよくわからない。ああ、友達のところに遊びに来ていたのだと、そう思いだすまでにいつも時間がかかる。ただ彼は、地獄のような空間をがむしゃらに駆けていた。誰かの名前を呼びながら。

 空に鈍い雲がかかる。そのとき、友の姿を見つけた。友は、竜と向かい合っていた。何か見慣れぬ槍を手にして、息を荒げ、全身をまっ赤に染めていた。そして向かいあう竜もまたひどくぼろぼろで。友の持つ槍は、憧れの人が持っている槍と、少し、雰囲気が似ていた。

 要素を並べ立てて冷静に考えれば、これがどういう状況なのか、正解に限りなく近い推測はできたはずだ。だが、そのとき、彼は冷静ではなかった。友の体が傾いた瞬間、全身を流れる血が熱を帯びたような気がした。狂ったように何かを叫び、友の手から滑り落ちた槍をひったくり、今にも倒れそうな竜へとびかかった。竜の陰にまだ小さい別の竜がいることを承知の上で、槍を力いっぱい突きだした。槍は竜のやわらかな腹を貫いて、その命をあっさりと奪い取った。

 ふっと、血が凍る。頭が冷える。竜を殺したのだ、と、冷静な自分がささやいた。だがその次に彼を満たしたのは、熱っぽい快楽だった。

 彼はしぼりだすように声を上げ、やがては槍を投げ捨てて哄笑した。

 空に光の柱が立ちのぼる。誰かの声が自分の名前を呼んでいる。悲鳴があがり、赤は広がった。そのすべてがどうでもよかった。彼はただ、笑っていた。

 その日からもう、正気など存在していない。

 冷たい目をするようになったのは、本当は、彼の方だったのだ。



     ※

     

     

 いきなり正面から殴りかかってきた小柄な男を返り討ちにしつつも、レビは戸惑っていた。オボロと戦う少女のもとへ行こうとしたそのとき、突然、顔も知らない人々に襲いかかられたのである。慌てながらも棒を振るう彼の横では、チトセが舌打ちしていた。

「そりゃそうか。あのオボロさんが、竜の群に単身で乗り込んでくるわけがない……!」

 悔しげな呟きを耳にして、レビは棒で牽制しながら、どこからともなく現れた人々を観察してみた。確かに、誰もかれも、見覚えのある紋章を身につけている。オボロが引き連れてきた竜狩人たちなのだと、納得してしまえば、戸惑いはなかった。それよりも心配なことがある。

「ディランと風竜たち……!」

「こんだけ竜狩人がいると、ちょっときついかもね」

 レビの悲鳴に、珍しくチトセがうなずいた。彼女は手槍の石突いしづきを乱暴に振り抜く。槍を回転させながらレビを見てきた。

「あんたは向こう。あたしはこっち」

「え、でも……!」

「身内が馬鹿やってんだから、身内が行かなきゃ話になんないでしょ」

 チトセは早口でまくしたてて、レビの反論を封じてしまった。妙な理屈だな、と思いながらも、彼は少女のひねくれた好意に甘えることにした。うなずき、短い感謝の言葉を述べて、体を反転させ、駆けだした。

 あちらこちらで激しい声と金属のこすれる音がする。断続的に強い風が吹きつけてきて、少年の髪と衣を容赦なく揺らした。立ちふさがってくる人々を、棒を振りまわすことでおさえこみながら、レビはがむしゃらに戦場を駆け抜けた。白い竜たちが群れているのを見つけた。そして、少年が男たちに囲まれていると知って息をのむ。

「ディランっ!」

 悲鳴が空気を打った。同時に、彼の視界をさえぎっていた大男が、あおむけに倒れた。腕を押さえて何事かを喚き散らしている。その向こうに、右手に剣を持ち、左手を拳にしたディランがいた。

「レビ、おまえはまわりを頼む! 竜たちを援護してやってくれ!」

「え、でも……!」

「俺は平気だ。マリエットもルルリエもいてくれる」

 叫びながらも、彼は竜狩人と剣を打ちあった。横でマリエットが長い槍を振る姿も、ちらりと見える。レビは迷って、軽く唇をかんだ。が、刻々と変化していく戦場を見渡し、心を決めた。「はいっ!」と腹の底から声を出すと、きびすを返して駆け抜けてゆく。戸惑っている小竜に槍を突きつけている竜狩人を見つけた少年は、ただ一本の棒を手に、彼らに挑みかかった。


 ゼフィアーは痛む体をむりやり動かして、竜狩人たちと斬りあっていた。上から下へ振られた剣を受けとめ、一撃を強引にそらした少女は、捨て身のつもりで相手の懐に飛び込んで、サーベルを振る。肉の切れる音とにごった悲鳴が重なった。駄目押しとばかりに相手の鼻づらを蹴りつけ、その勢いで距離をとる。けれど安心する間はなく、すぐに横から新手が飛びついてきた。ゼフィアーは歯を食いしばり、身をよじって剣撃を防ぐ。そのとき、腹のあたりに、ずきりと重い痛みが走った。こらえようと身構えていても、動きは鈍る。

 凍えるような死を近くに感じてぞっとした。何も考えず地面に全身を投げだすと、直後、鈍器のようなものが彼女のすぐ上を通りすぎた。ちりりとしびれる空気を感じ、あれがもし当たっていたらと想像しかけて、やめる。跳ねるように起きあがったゼフィアーは、それでもやはり痛みのせいでよろめいた。その隙をついて、若い男が雄叫びをあげながら駆けてくる。気づいたときには、彼はすぐ近くにいた。

 心臓がしぼりあげられた気がした。ひゅっと風を切る音がして――痛みを感じるのではなく、飛びこんできた人の影を見た。

 高い音を立て、若者のにぎっていた剣が空中へ跳ね飛ばされる。敵の手を打ち、武器を弾きあげた刀は、そのまま若者の鼻のあたりをばっさり斬った。情けない悲鳴が聞こえている間に、刀の持ち主は、さっとゼフィアーを振りかえった。

「ぼさっとしてんな! 死ぬわよ!」

 二歳年上の少女から一喝され、ゼフィアーは我に返る。サーベルを持ちなおし、あえて不敵に微笑んだ。

「すまん、ありがとう」

「礼を言うのはあと! とりあえず、どっかその辺に隠れてなさい! 明らかに動き鈍ってんじゃないの!」

 かつての同僚と斬り結ぶチトセは、口早にそう言った。思わぬことを言われたゼフィアーはぽかんとしたが、すぐにかぶりを振って、チトセの横に並び立つ。そのとき、さりげなくサーベルの柄頭を、そばの敵にぶつけてやった。チトセが、ぎろりと横目でにらんでくる。

「何してんの、あんた馬鹿?」

「そう言われるのは重々承知。けども、ディランでさえ戦っているのだ。このていどで私が逃げるわけにもいかないだろう」

 まくし立てつつ、ゼフィアーは腹をさする。鈍痛は、まだある。だが、戦いから逃げるほどの痛みではない。各地を放浪してきたゼフィアー・ウェンデルは、このていどの経験を数えきれないほどしてきている。今さら負傷と気遣いに甘える気はなかった。

 チトセは油断なく構えをとりつつ、しばらくゼフィアーを呆れたように見ていたが、やがてため息をこぼした。

「なら、足ひっぱらないように立ちまわってよね。……ゼフィー」

「うむ、そういうのは得意だ。だから安心しろ、チトセ」

 ためらうように名を呼んだチトセへ、ゼフィアーはにっと笑いかける。そして二人は、それぞれに、敵に向かって跳躍した。


 オボロがどの程度、竜狩人を連れてきたのかははっきりしない。ただ、六人が全力で相手をしてもさばけるかさばけないか、というくらいの数と実力ではあった。今は竜たちもうまく立ち回っているため一行の側に分があるものの、竜を竜狩人とぶつけることが危険をはらんでいるのは明らかだ。だからどうにか、竜たちに頼らずに決着をつけたかった。ゼフィアーは一人をおさえたあとにくるりと体を回転させて、横からの突きをかわす。剣を突き出してきた男と、目があった。

「へっ。あんた方もやるね。あのチトセをたらしこむとは」

「おほめの言葉、どうも。けども、私は何もしていない」

 会話の直後、けたたましく剣がぶつかる。剣身がカチカチと音を立て、押しあった。震える自分の手と、刃をそれぞれ一瞥し、ゼフィアーは思案した。手首を少しひねってサーベルの刃をねじり、滑らせ、相手の力と剣を下へ流す。男がひるんだ隙に、ゼフィアーはわざと、逃げるように飛びのいた。すぐさま足をばねのように使って相手へ飛びかかり、左半身を思いっきりぶつける。男が大きくよろめいたときにサーベルを持ちかえて、鳩尾に柄頭を叩きこんだ。くぐもった音と、崩れ落ちる男。それらに構わず、少女は身をひるがえした。視線を向けた先でちょうど、チトセが最後の一人を気絶させていた。その呼吸は荒い。けれど、ゼフィアーと目があうと、意地悪く微笑んだ。

「なんだ、ちゃんと戦えるじゃない」

 軽口をたたいた彼女は、槍を収めて息をついた。

「こっちはあらかた片付いたね。レビたちの方も、大丈夫でしょ。あとは――」

 チトセの視線がゼフィアーからそれる。彼女も、竜狩人の少女の目を追いかけた。お互い、同時に、険しい表情になる。

 少女二人からわずかに離れたところで、男二人が斬りあっていた。トランスは、今のところ一人で立ちまわっているからか、弓ではなく短剣を手にしていた。ゼフィアーとチトセはうなずくことさえせず、ただ彼らの方へ駆けだす。

 鉄板に砂利をばらまくような音がした。ゼフィアーが顔をしかめたすぐあと、金属音の余韻に混じって声がする。

「邪魔ばかりしてくるな、おまえたちは」

「今さらだろ。というか、あんたらこそ竜に執着しすぎじゃね?」

 無感情なオボロの言葉を、トランスは笑って受け流す。大小の剣は一度交わって、また離れた。

「ここにいる風竜たちは何をしでかしたわけでもない。なのに、なんであんたらが介入してくるんだ。それとも、ディルを追ってきたか」

「奴に出くわしたのは偶然だ。それに、俺はあいつを仕留める気はない。あくまでそれは、カロクの役目だ」

「親父のなせなかったことをなそうって? いい歳して、親の背中にすがり続ける気でいるのか、あいつは」

「……それも、ないとは言えないが。むしろシグレ様の背にすがっているのは、俺の方だな」

 打ちあいの音が激しくなる。ほんの一瞬だったが、オボロの顔がきつく歪んだのを、ゼフィアーはとらえた。そしてそのとき、少女たちの前に男たちが立ちはだかる。「こりないな!」と、チトセがいらだちをあらわにした。けれどそのとき、戦いの音がやんだ。

「そもそも、なぜシグレ様がディルネオ狩りに踏み切ったか、わかるか」

 意識的に強められた声が、空気を打ちすえる。ゼフィアーとチトセにも聞かせようとしている調子だった。ぴり、と鋭い敵意を感じて、ゼフィアーはわずかにひるんだ。おさえこんだ男の怒りが漂ってくるかのようだ。オボロは気づいていないのか、わかってあえて無視をしているのか、話をやめようとしない。

「前々から、邪魔だったのだそうだよ」

「邪魔? ディルネオが、か」

 トランスが剣呑に問いかける。オボロは喉を鳴らして笑った。

「ああ。積極的に人と交わり、人を取り込もうとする奴は、彼の理想のさまたげになった。シグレ様は、竜の力、竜の支配がなくても人が生きていけるようにしたかったのだそうだ。そのためにはまず、人々と竜が住みかを分け、お互いの領分に踏み入らぬようにするのが一番よいと思っておられた。だからこそ竜狩りで竜側の反発感情を煽った。――ディルネオは、これとは真逆の考え方だろう?」

 ゼフィアーははっとした。竜狩人たちが動かないのをいいことに、遠くに視線を投げる。少年の姿の水竜と、銀髪の女性が背中合わせに立っているのが、ちらりと見えた。出発前、彼の状態を聞かされたせいかもしれないが、その立ち姿がひどく痛々しかった。

「二十二年前の件――聞いた話によれば、とある一般人に竜狩りの手伝いを依頼されたことが発端だったらしいが。シグレ様にはよい口実となったのだろうな」

 彼の竜が望んだのは「共存」だ。その点、確かに、シグレという男と考えが対立している。けれど、なぜ、共存ではだめなのか。シグレ本人の意見のすべては、彼自身しか知りようがない。オボロもおそらく知らないと答えるだろう。それよりも。

「なんというか、短絡的だな。なんで話しあおうって考えにならなかったんだ。ディルが頭ごなしに否定するような奴じゃねえってことくらい、わかってたんじゃないのか?」

 トランスの声が鋭くなる。自分の心を代弁されたゼフィアーは、苦々しい顔でサーベルを弄んだ。

「さあな? シグレ様に訊かねばなんともいえぬな。――まあ、少なくとも俺は、あの方のお考えに賛成だ。それに」

 帽子の下の双眸が、妖しく光る。

「……まあ、いいか、俺の話は。わかりあう気もないし、わかってほしいと思うほどの信条もない」

 小声で呟き、オボロは地を蹴る。ゼフィアーやチトセには、彼の声が聞こえなかった。何を言ったのかと推測するひまもなく、誰かから許可を得たかのように動きだした竜狩人たちをさばくはめになる。彼らはチトセの方に意識が向いていたため、ゼフィアーは彼らを撹乱するように立ち回れた。だから、それほど苦しい戦いではなかった。むしろトランスの方が気がかりである。

 彼の相手は、それそのものが普通の武器より頑丈に作られた《魂喰らい》の武具。トランスの短剣一本で、どこまでもつかな。

 つばぜり合いのすえ、女性の竜狩人の眉間を突いて動けなくさせたゼフィアーは、短く息を吐く。ちょうどすぐそばで、剣の交わる音がした。羽飾りの帽子が目の端を通りすぎる。そして、トランスの舌打ちが聞こえた。ゼフィアーははっと息をのみ、彼の方を見やった。

 トランスは、短剣の鍔のあたりでオボロの剣を受けていた。刃はとっくにすり減って、刃毀れしている。そして今も一撃をしのぎきれなかったトランスは、とうとう短剣を捨てて飛びのいた。ゼフィアーは、まずいな、と呟いてつま先をそちらへ向けた。彼女が走り出そうとしたとき――

 少年の声が、鋭く男の名を呼んだ。

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