29.狩り
茶色い大地と灰色の空にまき散らされた血の赤は、やけにさえざえとして映る。
突然の事態に、誰もが我を忘れて立ちすくんだ。それは、後から追いついてきた五人の人間もまた、同じだった。
どさり――と竜の体がゆっくり倒れる。そこで初めて、金縛りが解けたようにルルリエが震え、飛び立った。
『ちょっと!』
金切り声を上げ、刺された竜のそばに寄る。彼女の声に目を覚ました竜たちがざわめいた。一頭の雌竜が、ルルリエたちのそばに駆けつける。
『な、なんなのよこれ』
『落ち着いてルルリエ。傷は浅いわ』
雌竜は、刺された竜の傷口に鼻を近づけてそう言った。彼女は続けて指示を出すつもりだったのだろう、その鼻先を群の方向へ持ち上げた。
だが、ディランは見た。茂みの中で、また何かがきらめいたのを。刃はまだ竜たちを狙っている。思考する前に走り出す。
「危ない!」
叫びながら雌竜に飛びついた。予期せぬ突撃に、小柄な竜の体がぐらりと傾く。そのまま、水竜と風竜は折り重なるようにして倒れた。刹那、鋭い刃が突き出される。背中に熱をともなった衝撃が走り、ディランはうめいた。刃先から流れこんだ奔流が、魂をむさぼり食おうと襲ってくる。
ぐんっ、と背中をひっぱられる感覚に意識を叩き起こされて、ディランは息をのんだ。見れば、かばった風竜がディランの服の背をくわえて飛び上がっている。そのすぐ下を剣の先が通りすぎた。
『申し訳ありません、ディルネオ様』
雌竜が悔しそうに言う。
『お助けいただいた上に、このような乱暴なまねをしてしまって』
『いや、むしろ助かった。ありがとう』
ほほ笑みつつも、ディランは竜に目で合図する。風竜は喉を鳴らすと、服をくわえていた口を開いた。ディランは体勢を整えて着地し、肩の上にルルリエをとまらせると、素早く飛びのいた。茂みから影が飛び出してきて、振るった剣が鼻先をかすめる。振り抜かれた刃に、別の刃が叩きつけられた。ゼフィアー・ウェンデルがサーベルを手に踏み込んでいた。
「ゼフィー!」
「ディラン、平気か!」
剣を弾いたゼフィアーは、顔だけ彼に向けて叫ぶ。
「俺は大丈夫だ。それより、少しの間、そいつの注意を引いておいてくれ」
彼女にしか聞こえない小声でささやいたディランは、冷たい笑みを浮かべて前を見る。
羽飾りのついた帽子をかぶった男が、それ以上の冷徹な目で、二人をにらんで立っていた。
「――久しぶりだな」
男は、ゼフィアーとディランを順に見た後、口の端を持ち上げてそう言った。『伝の一族』の末裔である少女は、サーベルを構えなおして半歩前に出る。余裕を装って刻まれた笑みは、緊張のせいか引きつっていた。
「うむ、久しぶりだ。けども、もうこんなところまで来ているとは、思わなんだ。行動が早いな」
「なに。北大陸で確実に竜がいる場所、といえば《大森林》だろう?」
水竜狩りのつもりが思わぬ収穫だ、と彼はうそぶく。喉の奥から低い声が漏れた。ゼフィアーが繕った笑みを打ち消して、ディランは剣に手をかける。だが、そのとき、頭の奥をゆっくり揺さぶられる感覚があった。地面の感触があいまいになって、ふらつく。すると、横から誰かの手が伸びてきた。
「今回ばかりは下がってろ。本当、お願いだから」
ささやきが聞こえてディランが顔を上げると、苦い顔をしたトランスがいる。少年は肩をすくめ、男の助言に従った。下がった拍子におろおろしている風竜を見つける。彼らは、ディランと同胞を交互に見ていた。
『私は後でいい。今は、おまえたちの仲間を助けてやってくれ』
ディランが
「まさかここで彼と遭遇するとは思わなかったわ」
「トランスさんが、まっさきに飛び出していくとも思いませんでした」
棒を構えたレビが、険しい表情で呟く。彼の隣でチトセがため息をついた。
「腹立ってんでしょうよ。前に『育ての親』を侮辱されたから」
彼女は言いながらディランを一瞥した。どういう顔をしていいかわからなかったディランは、曖昧に目を細める。チトセは何も反応せず、緊張している様子のレビに声をかけた。
「あんた、出ていくつもり? ……わかってると思うけど、オボロさんは強いよ」
「だったらなおさら、二人だけに任せておけないじゃないですか」
レビは棒を握る手に力をこめた。ハシバミ色の瞳は、前を見据えて揺らがない。チトセがまたため息をついて、けれど今度は、彼女も手槍を持って踏み出した。「しかたないわね」と呟いて、少年に目で合図をする。二人は同時に駆けていった。言いようのない気持ちで小さな背中を見送ったディランは、ルルリエの羽の音で我に返る。
『じゃあ、私、あの竜のところに行ってくるわ』
「ああ。――いや待て。俺も行く」
ルルリエはつかの間無言になったが、『しょうがないわね』と先ほどの少女のようなことを言って顔を逸らした。ディランは、鳥の頭を軽くなでてからマリエットを見上げる。
「一緒にいいか、マリエット」
「ええ。無理はしないでね」
槍を抱え直した女性に短く礼を言い、ディランは弾みをつけて立ち上がった。
※
オボロは無言のままゼフィアーに飛びかかってきた。叩きつけられた剣の腹を、ぎりぎりサーベルで受けると、刃をねじり、かろうじて力を流す。短く息を吐いた彼女は、飛びのいて彼との距離をはかると、体を低くして走り出した。オボロは小さな苛立ちをのぞかせて、おもむろに剣を振りかぶった。頭を狙って力いっぱい振り下ろされた剣に、ゼフィアーはぎょっとする。とっさに転がって一撃を避けた。勢いまかせに立ちあがり、そのまま両足をぐっと地面に押しつける。足にたまった力を地面へ流して跳躍した。目をみはった男を狙い、サーベルを薙ぐ。紙一重のところで、避けられてしまった。代わりにとばかりに相手の肩を蹴って着地してやったが、体格のいい彼は全力でない少女の蹴りにびくともしなかった。
苦り切った表情で得物を構えなおすゼフィアーを見て、オボロがくつくつと喉を鳴らす。
「ずいぶん凶悪な戦い方だな」
「お互い様だろう。それに、おぬしに挑むときは、殺すつもりでいくぐらいがちょうどいい、と学んだのでな」
「そうか」
オボロは怒りはしなかった。それどころか、楽しそうですらある。だが、彼はすぐに笑みを打ち消すと、冷たい表情のまま襲いかかってきた。
ぶつかる刃。けたたましい金属音が響いて、火花が散る。今度は受けとめ切れずにゼフィアーがよろめいた。オボロはそのまま流れるような動作で剣を返し、少女の腕に叩きつけた。
焼けるような痛みが走り、血が飛ぶ。ゼフィアーは顔をしかめこそしたものの、声は上げなかった。幸い斬りつけられたのは利き手ではない。――だが、続く男の動きが早すぎて対応できなかった。オボロの剣がゼフィアーの顔を狙ってひらめく。
そのとき、風を切って飛んだ投てき短剣が男の頬を浅く裂いた。オボロは不快そうな目で、地面に落ちた短剣をにらむ。そして振り返ると、舌打ちした。
「貴様か」
「――トランス!」
オボロの声とゼフィアーの叫びが重なった。トランスはすでに次なる短剣を構えている。忌々しそうにしているオボロを、静かに見た。
「やらせないぜ。ついでに言うと、むこうにも行かせねえ」
男の声は恐ろしいほど冷えている。だが、息をのむゼフィアーをよそに、オボロはまったく動じていなかった。
「なるほど。あくまでも、足止めをするつもりか。いい覚悟だ」
空気が張りつめる。金属がかすかに鳴って、誰かの足が土をこすった。オボロは二人を順繰りに見た後、少女へ向き直る。ゼフィアーは、ぴくりと震えた。肌がちりちりと痺れ、背筋を悪寒が駆け抜ける。今まで受けたことのない、冷たい殺気にひるんだ。
――けれどそのとき、別の敵意を感じた。ゼフィアーは身をひねって、打ちおろされた長剣を弾く。奇襲に目をみはった。
いつの間にか、右側から体格のいい男が一人、飛びかかってきたのだ。よく見ると、胸のあたりで銀色の紋章が光っている。竜を貫く槍の意匠は、ひどく恐ろしいもののように、
「『破邪の神槍』……オボロだけではなかったのか」
ゼフィアーは長剣の二撃をさばきながら、小さく呟く。どうしようか、と彼女が苦々しく考えたとき、どこからか厳しい声が飛んだ。
「ゼフィー! 前だ、避けろっ!」
腹の底に響く低い警告。すくみあがったゼフィアーは同時にその意味を理解する。そのときにはもう、《魂喰らい》の剣はうなっていた。振り抜かれた剣を、ぎりぎり体を反らして避ける。――次の瞬間、腹に衝撃があった。鈍痛が体をえぐり、息が詰まる。うめき声さえ上げられない。小さな体は宙を舞い、かたい地面に叩きつけられた。少しの間、腹を押さえて震えていた彼女は、足音を聞いてよろよろと起き上がる。オボロが眉ひとつ動かさず踏みこんできていた。せめて逃げないと、と思うものの、容赦なく蹴りつけられたばかりの体は、思うように動いてくれない。
焦燥に駆られ、雫のような絶望が胸の中に落ちた時。オボロとゼフィアーの間に人が割って入った。わずかになびいた亜麻色の長髪に、少女は我知らず胸をなでおろす。男二人が何かやり取りしているようだが、彼女からは聞きとれない。
それより今のうちに体勢を立て直そう、と、ゼフィアーは自分の手足に力をこめる。サーベルを強引に地面へ突き刺した。そのとき、自分のまわりに不自然な影が差していることに気づく。はっと顔を上げ――愕然として固まった。立ち上がろうと奮闘している間に、五、六人の屈強な男たちに取り囲まれていたのだ。《魂喰らい》の武具と銀の紋章が、いつになく禍々しく光っている。
「……これは、なんの冗談だ」
引きつった笑みを浮かべて呟いた少女は、まさかと思い仲間の周囲に目を配る。そのまさかだ。あちこちに竜狩人と思しき男女が散らばっていた。いったいどこに隠れていたのか、数えきれないほどの人が出てきている。全員、同じ紋章をつけていた。
あまりにもひどい状況だ。ゼフィアーは天を仰ぎたい気分になったが、彼女にはそんな暇さえ与えられなかった。ふらつきながら立ち上がると、かたい土から思いっ切りサーベルを引き抜いた。
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