27.清き星光を探して

 空と大地、隔絶した場所にありながら、すぐ近くにいるかのように、竜と人はにらみあう。その竜は黄金色の鱗に覆われていて、今は苦悶の表情を浮かべていた。翼を激しくばたつかせ、地上の敵から逃れようともがく。一方、武器を構えた人間たちは、竜にとどめをさせないことに、いらだちを募らせつつあった。先頭で長い槍を構えている男が舌打ちをし、仲間を振り返る。

「ったく。おまえがヘマするから、あんなところまで逃げられちまった。取り逃がしたらどう責任取るつもりだ!」

「俺ばっかり怒られても困るって。だいたい、ヘマしたのはあんただって同じだろ」

 いきなり罵声を浴びせられた剣士は、不服そうに目を細めて言い返す。槍使いが顔をゆがめ、「なんだと!」と、威嚇するように声を上げた。竜は空の上からそんな二人をじっとうかがっている。今のうちに遠くへ飛んでいってしまいたい、というのが本心なのだが、魂に傷を負ったばかりで体がうまく動かない。そもそも、ここまで飛びあがれたことじたい、奇跡に近かった。

 どちらも動くに動けず、にらみあうだけの時間。それを唐突に終わらせたのは、草と枝を踏みつける靴の音だった。

 二人の竜狩人がすばやく振り返る。背後の木立こだちの向こうから現れた人を見て、警戒心をあらわにした。

「な、なんだよ、あんた」

 剣士が問う。だが、彼女は答えなかった。色気などかけらもない、それどころか猛獣にも似た気配を漂わせている女。彼女は、ふむ、とまじめな顔で竜と竜狩人たちを見比べると、あからさまなため息をついた。

「今まさに『狩り』の現場ってわけかい。こういう場面に出くわしたのは、はじめてかもねえ」

 彼女の大きな声は、空中で翼を動かす竜にまで届いていた。人の言葉を断片的にしか理解できない竜は、威嚇のつもりで低く喉を鳴らす。女はそれに気づいて、竜の方を一瞥したが、すぐに視線をそらした。

「なっ……なんだおまえ、邪魔をするな!」

 槍使いがえて、自分の武器を彼女に向ける。女はそれを気だるそうに見やり、目を細めた。とたん、瞳の奥に冷たいものが浮かぶ。

「あーあ。大人しく尻尾巻いて逃げてくれれば、よけいなことしなくて済んだのに。面倒だねえ」

 言うなり、彼女は腰にさしていた剣を抜く。瞬間、二人の竜狩人も、敵意をむきだしにして、武器を謎の邪魔者に向けた。このっ、とどちらかが小声で吐き捨てて、二人はいっせいに女めがけて飛びかかる。襲いかかられている本人は、少し目をすがめただけで、一歩も動かなかった。槍が突き出され、うなる。鋭い槍頭が女の腹をつらぬこうとし――その寸前、彼女の姿がぶれて消えた。

 男がぎょっと目を見開く。

 彼女は消えたのではなく、体を沈めて槍を避けていただけだった。そのまま走って相手に飛びこんだ彼女は、鳩尾みぞおちに力いっぱい肘鉄をかます。どす、という鈍い音とともに、動けなくなった男は槍を手放し、倒れた。その槍を女は何食わぬ顔で横取りする。

 一部始終を見ていた剣士が、唖然とした。使いがってを確かめるように槍を振りまわしていた女は、面倒そうにそちらを振りむいた。

「あんたはどうすんだい。やるってんなら相手になるが」

 彼女はそう言って、無造作に槍を突き出す。剣士は一瞬、ぶるりと震えたあと、きびすを返した。女や竜が呼びとめるひまもないくらいの速さで逃げ去ってゆく。ちくしょう、というような声が響いたのだが、彼女にも竜にもきちんと聞きとれなかった。

 竜狩人を見送った女は肩をすくめ、それから槍をながめまわす。

「へえ、これが竜を殺す武器か。ちょっと重い以外に変わったところはなさそうだが……あいつに見せたら嫌な顔をされそうだね」

 そう言いながら、彼女はにやりと笑う。

「にしても、これはどうしたらいいのかね。あたしが持っていると変なふうに誤解されそうだな」

 ひとりごちたあと、振り返った彼女は、「今みたいに」と呟いて肩をすくめた。金色の竜がものすごい形相で彼女をにらんでいる。《魂喰らい》の不快な気配は、竜の警戒心をかきたてるのにじゅうぶんだったのだ。女はしばらく悩んだあと、槍をぞんざいに放り投げる。地面を転がった槍は、その先にあった岩にぶつかって止まった。ぽかんとしている竜を、女は振り仰ぐ。

「あたしは竜狩人じゃないよ。しがない傭兵さ」

 最初から伝えるつもりなどなかった。ただ、言うためだけに言った女は、自分の剣を収めた。さて、あとはこの竜をどうしたらいいだろうか、女はそんな思考をする。対する竜も、これからどうしようかと考えていた。

 そのときだ。竜から少しだけ離れた空に光が灯り、その光が一瞬でふくれて消える。ひるんだ竜は、けれどすぐに自分の主の気配を感じ取って、ほっと全身の力を抜いた。光の中から姿を現した巨竜は、いつもどおりの態度だった。

『やあ、無事かい? 来るのが遅くなって申し訳ない』

『く、クレティオ様! 面目ありませぬ!』

『そんなかたくならなくていいよー』

 主竜クレティオは軽い口調で言ったあと、さりげなく地上を観察した。

 そして、女の方はというと、突如現れた巨大な竜に驚いて、言葉を失っていた。これほど驚いたのはいつぶりだろうと、そんな思いがちらつく。そして、同時に感じたのは危機感だった。先と同じように、この竜に誤解されたらまずい。本能のささやきに従って彼女は身構えたが、巨竜は予想に反し、親しげな態度で彼女の方へ飛んできた。

「ああ、そうか。君が助けてくれたんだね。ありがとう」

 いきなり流暢な感謝の言葉を聞かされ、彼女はさらにぎょっとする。なんとか、「ただの成り行きだ。気にしなくていい」とだけ言った。楽しそうに翼を打ったクレティオは自分の眷族を招く。

『この人間は敵ではないよ。安心して』

 クレティオがそう呼びかけると、光竜こうりゅうも警戒しながら飛んできた。

 それから少しの間、クレティオは女を観察していたが、醸し出される空気に懐かしいものを感じて、目をみはった。

「あの。ひとつ聞いてもいいかな?」

「あ、ああ。なんだい」

 声をかけられた女は、冷や汗をかきながらも返す。クレティオは首を傾けて言った。

「君、ひょっとして、ディルの人間のお師匠さん?」

 女は目を瞬いた。意味がわかっていないのだと気づいたクレティオは、慌てて言いなおす。

「失礼、ディラン、と言った方がいいかな」

 すると女は、これ以上ないくらいに目をみはった。

「あんた……。ディランを知っているのかい?」

「うん。一応、ディルネオ時代の古い友達ー」

 本人――竜が聞けば曖昧な苦笑を浮かべたに違いない台詞をこぼして、クレティオは楽しそうに笑う。こんなところで思わぬ縁だ。心が躍っていた。

 一方、クレティオほど楽しくはならなかったがひとまず安心した女――ジエッタは、肩をすくめて「そうかい」と返した。

 北の大水竜と関わりがある。たったそれだけの共通点だが、それは何よりもの共通点だ。クレティオは眷族を引き連れて地上に降りると、ジエッタに自己紹介をした。ジエッタも簡単にではあるが名乗り、肩をすくめる。

「あのばか弟子が、本当に水の竜とはね。世の中、わかんないもんだ」

「まあ、僕はディルが人間社会に溶け込んでることについては、不思議とも思わなかったけどね」

 眷族の体をながめまわしながら言ったクレティオは、少しぐったりしている彼に『外傷は治ってるね』とだけ告げる。女傭兵は、耳慣れない言語が聞こえたことに落ちつきをなくし、眉をひそめた。竜との遭遇という、現実味のない出来事の前では、三十年ばかりの人生経験など役立たずに等しかった。

「そうだ、ジエッタ。風の噂に聞いたんだけど、ディランたちの話を人間の中に広めてるって?」

 水を向けられたジエッタは、いくらか落ち着きをとりもどして「ああ、そうだよ」と答えた。クレティオは喉を鳴らして笑う。

「おもしろいことを考えたものだね。ディルが人間に傾倒する気持ち、少しわかる気がするよ」

 そう言ったあと、クレティオは改めて、ジエッタを見た。

「で? 今はどんな話が、どこまで広まってるのさ」

「……それを今から、見に行こうと思っていたんだ」

 ジエッタは、小石をつま先で蹴り上げてそう言う。光竜は、ふうん、と呟いてから眷族に目をやった。

「それじゃ、僕も彼を送り届けてから、追いついてこようかな」

――追いついてくるって、町に入るつもりか、その巨体で。

 ジエッタは、ちらりと思ってぞっとしたものの、そんなわけはないだろうと自分で否定して、竜たちから逃げるように町へ向かう。直前に、クレティオに一応の返事はしたのだが、何を言ったのかよく覚えていなかった。

 

 靴が、かたい音を立てて石畳を叩く。そんなかすかな足音など埋もれてしまうほどに、人のざわめきは大きかった。活気あふれる町の中、よくよく耳をすませてみれば、酔っ払いの笑い声のようなものまで聞こえてくる。昼間っからよくやるね、とジエッタは肩をすくめた。

 人で埋めつくされ、端々を出店の屋根で彩られた通りを抜けると、広い空間に出る。中心に竜が描かれた三角錐を据えたそこは、広場のようだった。今は三角錐の前に、ゆったりとした衣に身を包んだ老人が立っていて、彼を取り巻く人だかりができている。老人の声は驚くほど澄んで、ひとつの「物語」を奏でていた。竜信仰の普及に務めているだけあって、慣れた口調だ。おぼえのある内容に、ジエッタは苦笑する。人々が、なんのかのと言いながら竜を常に意識していたのだと、実感せざるを得なかった。

 語る声が一度途切れる。ざわめきと、どこからか流れてくる鉄を打つ音にかき消される前にと、老人はすぐに口を開いた。

「――彼らは、信頼する傭兵にこう伝えたそうです。『人と竜がわかりあう努力をしてくれたならば、ひと月以内に、北の空に緑色の強い光が見えることだろう。これが、世界再生の始まりの合図だ』と」

 今までの「話」の中にはなかった一節に、群衆がどよめいた。ジエッタは肩をすくめる。

 おいおい、それは飾りすぎだ――老人に心の中で語りかける。言っていることはおおむね事実なのだが、さすがに信仰やら宗教やらに関わっている者に任せると、やたら仰々しい言葉で語られてしまうらしい。かえって不信感をあおりはしないかと、心配だった。そして、彼女の予感は的中した。

「本当にそんなことがあんのかよ?」

「さすがにあれは、作り話じゃないかしら?」

「だいぶ盛ってるな……」

 集まっている人々の中から、そんなささやきがもれている。そこで、老人もやりすぎたと思ったのか、少し顔をひきつらせていた。

 ジエッタが群がる人々の外側でため息をついたとき、突然、耳のあたりに熱を感じた。訝しく思って振り返ると、いつのまにか蛍火のような丸い光の球が浮いている。目をすがめて光をながめたとき。

『やあやあ、なんだかすごいことになってるね。どこの聖人伝説?』

 陽気な声がすぐそばで、微妙にぶれて聞こえた。ジエッタは反射的に飛びすさりそうになって踏みとどまった。じっと光をにらみ、確かめるように名前を呼ぶ。

「……まさか、クレティオ?」

『正解。言ったでしょ、追いつくって』

「その見てくれはなんだい」

『ディルがディランになってるのと同じ原理』

 クレティオと思われる光の球は、あっけらかんと言い放った。自分の弟子を引き合いに出されたジエッタは、なんとなく、深く考えない方がいいだろうか、と思いはじめたので、追及しないことにする。肩を落としてかぶりを振っていると、上の方からかすかに名前を呼ばれた気がした。空をあおぐ。なおも響く声をたどれば、通りに建つ民家の屋根の上から、痩身の男が手を振っていた。ジエッタが手を振り返すと、彼は軽やかに屋根から飛び降り、首領の前に着地する。

「よう、ノーグ。順調みたいだね。……いろんな意味で」

「ええ、そりゃもう。あのじいさんはちょっとやりすぎ感ありますけど」

 皮肉っぽい女傭兵の労いに、ノーグは肩をすくめた。雑踏の中にあるのをいいことに、二人の間をふよふよ漂っていたクレティオは、ジエッタの前でぴたりと止まるとしゃんしゃんと自分を鳴らした。

『それにしても、ひと月以内か。あのも大きく出たね』

 光竜の声に、ノーグがぎょっとして後ずさりした。今はじめて、光の球に気づいたらしい。

首領ボス、なんすかこれ」

「あー……気にするな」

 光を指さして問うノーグに、ジエッタは適当な答えを投げつけた。ぎろりとクレティオをにらんだ彼女はしかし、視線をすぐに優しいものに変える。

「あいつらが大きく出たってことは、それだけ本気ってことなんだろ。あたしらはとにかく、あたしらにできることをやるだけさ」

『……彼らも大概だけど、君らもそうとうおもしろいね』

 クレティオはそんなことを言って、ノーグのまわりをからかうように一周すると、そのまま空高く舞いあがった。二人の傭兵の視線を受けて、竜は楽しそうに体を震わす。

『それじゃあ僕は、その彼らのところに行くとするよ。君らのことも伝えておいてあげるから』

 頑張れ、と言い残して、クレティオはそのまま飛びさってしまった。

 非現実的な存在を見送った傭兵たちの耳に、現実のざわめきが戻ってくる。かすかに、鐘の音が聞こえた気がした。行きすぎる人々をよそに顔を見合わせたジエッタとノーグは、吹き出した。

「頑張れって、簡単に言ってくれるね、あの竜は」

「あれ、竜だったんすか?――竜にそう言われたからには、頑張らざるを得ませんね。俺、ちょいとあの演説に横やり入れてきます」

 ノーグはジエッタのぼやきにそう返すなり、返事も聞かずに駆けだす。老人のそばへ寄っていき、群衆の注意をひきはじめた男を、ジエッタは感動とも呆れともつかない思いで見守る。彼の声が聞こえはじめたところで、空をあおいだ。

「北の空に、緑の強い光……か」

 北を見る。今は変わらず、青い空だけが広がっている。

 けれど本当にいつか、現れるのだろう。一番星のような、緑色の光が。

「期待してるよ」

 誰にともなく呟いた女傭兵は、再び地上に視線を戻した。



     ※

     

     

 ボオオ――……と、低い笛の音が風に乗って流れてくる。

 どこかの船が出港するのだろう。音の調子から考えれば客船だ。それなら大丈夫。指定の時間までは間があるはずだ。言い聞かせながら、マリクは石畳の上を小走りで進んでいた。相変わらず熱気と雑音に満ちたカルトノーアの大通りを、縫うようにして抜けてゆく。一人の婦人とすれ違い、漂ってきたきつい香りに顔をしかめた。

 足は休めない。それでも耳をすましていると、馬蹄の響きの向こうから、興奮した声が聞こえた。

「本当だって! 俺も見たんだぜ、竜!」

「おまえの証言はあてにならねえぞ。いっつもほら吹いてばっかりいるからな」

 視線だけを脇に向ければ、人波の隙間から、露店を開く果物屋の前で談笑する、やたら体格のいい水夫の姿が見えた。粗野な笑い声に安心し、マリクは気を取り直した。

「にしても、本当に増えたな。竜の目撃情報」

 言いながら空を見上げてみれば、ちょうど一体の竜が頭上を通りすぎたので、ぎょっとした。一瞬のことだったから、ほとんどの人が気づかなかったろう。竜が人里近くに姿を見せるようになったのは最近のことだ。ちょうど、世間に流布している「お話」が流行しはじめた時期と重なっている。その中で時折語られる人々の人物像が知り合いによく似ていることが、最近のマリクの関心事だ。

 ともあれ、彼はなんとか人混みを抜けた。熱気が遠ざかり、潮風が吹きつけて去ってゆく。彼はひとつうなずくと、荷を抱えた人々が行き交う港に、踏み込んだ。何度かあたりを見回して、人を探す。やがて無造作に木箱が積まれた港の端に、探し人を見つけた。彼もマリクに気づいたようで、愛想よく手をあげている。

「いよう、マリクさん。久しぶり」

「ノルシ。元気にしてたか?」

 マリクとノルシは快活に挨拶を交わしあう。ひととおりやり取りをしたあと、若き商人の視線は、ノルシの足もとに吸い寄せられた。

「……で、これが依頼のブツ?」

「そう」

 ノルシも、マリクに続いて足もとを見た。目をみはるほど大きな袋が三つ。無造作に置いてある。当然、中は見えないが、ものすごく重そうだ。やっぱり中身は尋ねるべきじゃないよな、と思った商人は、頬をひくつかせて好奇心を我慢した。

「でも、どうやってこれを北まで運ぶんだよ。しかもひと月以内だって?」

 尋ねながら、マリクは目だけで空を見る。ひと月、それに北といわれると、嫌でも小耳に挟んだ話が思い浮かぶ。けれど、空にはまだ、不自然な光は見えなかった。

 ノルシはマリクの問いに、不敵な笑みでこたえた。

「それなら心配いらないよ。ほら、あっち、よーく見てごらん」

 そう言いながらノルシは遠くの空を指さした。彼の指を追いかけて、マリクは唖然とする。その先に、よく見なければわからないくらい小さいが、竜の群が見えたのだ。目だけで問いかけると、青年は得意気にうなずく。彼はもう一度、空を仰ぎ見た。

 鱗の色がわかるかわからないか、そのくらい距離が離れている。なのに、マリクはなぜか、竜たちがこちらを見ているように感じていた。

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