26.波乱の上陸

 空気を打ちすえる音は、鳥の羽のそれよりも、ずっと重い。竜の翼の羽ばたきを、すぐそばで聞きながら、ゼフィアーは息を吐いた。最初、何発か《魂喰らい》の矢がそばを通り過ぎていったが、以降は何も飛んでこない。どうやらディランたちはうまくやってくれたらしい、と胸をなでおろした。

 現在、ここにいる人間は彼女を含めて。彼らはおのおの、あたりを警戒して目を光らせていた。

『シルフィエ様、どうしましょう?』

 近くで竜の声がした。ゼフィアーが視線を巡らせた先には、小柄な雌竜がいる。彼女は、自らのあるじを困ったように見上げていた。

『このような状況では、最北の聖山まで飛ぶのは無理がありますよ』

 眷族の言葉に、シルフィエは喉を鳴らす。

『そうですね。それに、このことをほかの竜にも知らせなくてはなりませんし……どこか落ち着ける場所に、一度降りましょうか』

『落ち着ける場所――やはり、《大森林》周辺がよいでしょうか』

 風竜の提案を、シルフィエは受け入れることも拒否することもしない。考え込むようにして、眷属を見つめているようだった。彼女も判断に困っているのだろう。今ここにディルネオがいれば、きっと許可を仰いだのだろうな、とゼフィアーは頭を傾けた。もっとも、彼ならばシルフィエたちを拒んだりはしないだろうが。合流してから訊いてみようか、と心の中に書きこんで、前に向き直る。そのとき、すぐ下から強い声が叩きつけられた。

『――またいるっ!』

 悲鳴に近い叫び声に、ゼフィアーははっとした。彼女を乗せて飛んでいるルルリエが、地上をにらんでいる。視線を追うと、確かに、荒野のただ中に人々が立っている。彼らはこちらを指さして何かを言っていた。手にしている武器からは、かすかだが、《魂喰らい》の力が漂っている。ゼフィアーは苦い顔で、むう、とうなった。

「多分、さっきの人たちとは別の集団だわ」

 離れたところから聞こえたマリエットの一言に、ゼフィアーはうなずいた。目をこらして見てみると、地上の竜狩人たちは、すでに武器を構えていた。あの分だと、どこかで弓か石を構えた者たちが待ち受けているのだろう。眉間のしわを深くして、ゼフィアーは考えこむ。そして、よどみなく流れた思考をきりのいいところで打ちきると、顔を上げた。

「ディランたちが、追いかけてきてくれているはずだ。それも地上から」

 なぜ断言できたのかは、彼女自身にもよくわかっていなかった。ただ――彼らならおそらく、ほかにも竜狩人がいることを想定しているだろう。再び標的になりに戻るようなまねはしないはず。ならば。

『来たぞ!』

 風竜の鋭い警告が、人も竜も叩き起こした。すぐそばで風が鳴る。矢が飛んできたのだ。途中で威力を失って落ちるものがほとんどだったが、それでもいくらかは竜まで届く。ゼフィアーはサーベルを抜きかけて、やめた。足場が不安定でうまく扱えないだろうから。

『ああ、もうっ!』

 悪態をついたルルリエが急旋回する。飛んできた二発の矢をかろうじて避けた。ゼフィアーは慌てて小竜の首にすがりつき、地上を見下ろした。徐々に地上へ迫りつつある竜たちを、竜狩人はすでに待ち構えている。ディランたちはきっと、まだ追いついてこない。先ほどの奇襲の場所からそれほど離れてはいないのだが、やはり竜の翼と人の足ではかかる時間が違う。

 さて、どうするか。嫌な汗がにじむのを感じ、少女は唇を噛んだ。

 瞳の中に、連なる岩が映りこむ。

『ゼフィアー!』

 ルルリエの呼び声に、意識を揺さぶられた。

『す、すまない。なんだ?』

『確かあなた、身軽よね? あれくらいの岩場なら、ひょいひょいって跳べそうだものね』

 焦燥が感じられるのに、なぜか質問の内容は気が抜けそうなものだった。ゼフィアーは目を白黒させて答える。

『ま、まあ、あれくらいなら、なんとかなる……か?』

 眼下にある岩の連なりを言っているのだろう。あれを軽く渡り歩く自分を想像していた少女に、ルルリエは『じゃあ』と言ってあることを告げる。その中身に、ゼフィアーはぎょっとした。

『……ルルリエ。私を殺す気か?』

『そんなんじゃないわ。ちゃんとぎりぎりまで近づくから大丈夫。彼らの救援が間に合わないなら、あなたたちにやってもらうしかないでしょ?』

 提案は無茶苦茶だが、付け足された一言は正論だ。言葉を詰まらせて考えこんだゼフィアーは、しぶしぶ、小竜の提案に乗ることにした。彼女は主シルフィエに何かを告げ、勢いよく竜の群から離脱してゆく。体を下に傾けた竜は、そのまま岩に向かって突進した。強く名前を呼ばれた少女は、迷いを断ち切って竜の首から片手を放す。

「ええい、しかたがないな!」

 やけになって呟いた彼女は、竜の背を蹴って空中へ飛び出した。同時に、ルルリエの体が白光に包まれる。

 風と重みに流されて、体が落ちてゆく。ゼフィアーは歯を食いしばり、空中でなんとか体勢を整えると、岩の上に着地した。両足が鈍く痛み、ためらいなくついた手もひりひりするが、気にしてはいられない。文句ひとつこぼさずに、岩場を駆けだした。遅れて、どこからか飛んできた白い鳥が、彼女の肩にとまった。

 岩の先に見える竜狩人たちは、まだゼフィアーの存在に気づいていない。

『よし、やっちゃえ!』

「調子がいいな、まったく」

 肩から聞こえた声に呆れながら、ゼフィアーはサーベルを鞘ごと手に持った。岩場を蹴り上げ、荒野に飛び出す。少女の気配に気づいた何人かが、訝しげに振り返った。その瞬間、彼女はもっとも近くにいた一人の頭を鞘で殴りつける。鈍器の一撃をまともに食らった彼は、声も上げずに倒れ伏した。

 あたりに痛いほどの沈黙が広がって――一瞬後、怒りの声が満ちた。邪魔者に気づいた竜狩人たちが、ゼフィアーに武器を突きつける。彼女は肩をすくめて鞘を腰に戻し、改めてサーベルを抜いた。

「さて。ようやく、思う存分戦えるか。一応言っておくが、私ばかりに気を取られないよう注意しろ」

 得物を弄びながら彼女は言った。

 小娘の一言は、結果として、竜狩人を挑発しただけのようだった。何人かが、生意気な、とかそんなことを叫んで飛びかかってくる。とたん、ゼフィアーの瞳に冷たい光が走った。

「忠告はしたぞ」

 言うなり駆けだした彼女は、槍を構えた女の懐に飛び込み、腹に一発峰打ちをお見舞いする。女は空気を吐きだしてその場に倒れ伏した。彼女の背後から、太刀を手にした男が一人襲いかかってきたが、彼が太刀を振りかざすより早く、白い鳥が額をつつく。男はぎゃあっ、と苦悶の声を上げた。

「な、なんだ、この鳥!」

 男は手で乱暴に鳥を払おうとした。大きな手がぶつかる前に、ルルリエはさっと距離を取る。同時にゼフィアーは相手の額を切りつけた。血しぶきを気にする前に刃を滑らせ、横から飛びかかってきた一人を斬る。ついでに相手の大きな胸を蹴って勢いをつけ、着地したゼフィアーはひと息ついた。が、その刹那。

『後ろっ!』

 ルルリエの金切り声。ゼフィアーはぎょっとして振り返る。棍棒を手にした男の巨体がすぐそばに迫っていた。棍棒のうなる音。少女はとっさに身をひるがえして――直後、固まった。

 空気がか細く鳴った。と思ったときには、男のこめかみのあたりに矢が刺さっていた。ゼフィアーとルルリエは、ゆっくりと倒れる巨体を挟んで顔を見合わせ、同時に矢が飛んできた方角を振り返る。視線の先には切り立った崖、そしてその上には、よく見れば人と竜の影がある。ゼフィアーがじっと見つめていると、崖の上に立って弓を構える者の姿が見えた。

「意外と、容赦がないのだな」

 動かなくなった敵と遠くの仲間を見比べて、ゼフィアーは呟く。笑みを浮かべはしたのだが、そこに苦々しさが混じるのを禁じえなかった。

 ともあれ、助かったのは事実だ。気持ちを切り替えて、向かってくる敵をにらみつける。活を入れるように息を吐いて、また地面を蹴った。

 それからしばらく、彼女は数人の竜狩人を一人でさばいた。時間にしてみればさほど長い間ではなかったはずだが、戦いの中となるとその感覚すら危うくなる。敵と斬り結ぶゼフィアーのすぐそばで、ルルリエが巧みに飛びまわり、敵を撹乱してゆく。あんなに狩人と接近して平気なのか、と少女は心配した。が、ルルリエのことだ、なんとかなるだろう。

 三合の斬りあいのすえ、一人の男をゼフィアーが黙らせたとき、竜狩人の集団の一角が、突如として突き崩された。棒を振るう少年と、槍を手に舞う女の姿が遠くに見える。『よし!』という、ルルリエの声に、ゼフィアーも笑みで応えた。

「このっ」

 竜狩人の一人が悪態をつき、短剣の切っ先を、飛びまわっているルルリエに向ける。ゼフィアーははっとして、彼女に呼びかけようと息を吸った。が、ちょうどそのとき、前から剣が振りおろされて意識がそちらへ持っていかれる。サーベルを叩きつけるようにして敵の剣戟を受けとめ、強引に押し返すと、よろめいた相手に向かって突進した。くぐもったうめき声を聞きもせず振り返る。竜の名を叫びかけて、やめた。

 短剣を構えていたその者は、とっくに棒で後頭部を殴られて気絶していたからだ。

「大丈夫ですか?」

 そのほかにも三人ほどを殴り倒した少年が、ぱたぱた羽ばたくルルリエを振り仰いだ。彼の戦いぶりもだんだんと容赦がなくなってきている。だが、ルルリエはまったく気にしていないようで、嬉しそうに鳴いた。

『やるじゃない、レビ』

 竜語をほとんど聴き取れないレビも、褒められたことはわかったらしい。はにかみつつ、嬉しそうに頬をかいた。けれど、すぐに表情を引き締め、襲いかかってくる敵に棒を向ける。鮮やかな切り替えに感嘆したゼフィアーも、それに倣った。

 そのときだ。

 ひゅっ、と鋭い風切り音とともに、少女のすぐそばまで迫っていた数人が、急所を突かれ、あるいは殴られて昏倒する。目をみはったゼフィアーが、人の群のむこうに目を逸らせば、いつものように落ちつきはらって剣と拳を構える少年がいた。彼は、ゼフィアーに気づくと肩の力を抜く。

「二人とも、無事でよかった」

「ディラン!」

 こんなときでも焦りのない声がけに、少年と少女は胸をなでおろす。ディランが歩み寄ってくる間、もしかしてと思いゼフィアーが視線を巡らせると、少し離れたところでマリエットとチトセが背中合わせに立っていた。まわりの敵の何人かは、どこかしらに矢を受けて倒れている。戦の中でささくれた心が、つかのま凪いだ気がした。

「さて」

 ディランが、静かに切っ先を敵へ向ける。

「片付けるぞ」

 彼の号令に、二人と一羽は「おうっ!」と声を張って答えた。

 六人が合流してしまえば、竜狩人たちを蹴散らすのは、難しいことではなかった。もっとも、ディランやルルリエは正体を悟られないよう立ち回らなければいけなかったぶん、気苦労も多かったようだが。

 倒れて動かない、あるいは逃げ散ってゆく竜狩人を見ながら、地上の五人はふっと息を吐く。

「どうにか、切り抜けましたね」

 レビが言い、ほかの四人は無言でうなずいた。それから、マリエットが「じゃあ、竜のみなさんと合流しましょうか」と言った。はっと息をのんだゼフィアーは、ディランを見上げる。

「そうだディラン! シルフィエが、落ち着ける場所……《大森林》のあたりに降りたいと言っていたのだけども」

「ん? そうなのか。じゃあ、後でそのことも話し合おう」

 ディランは案の定、いっそ冷めているといってもいいくらいあっさりした態度で、少女の言葉を受け入れる。それから、四人のいない方へ手を振った。よく見ると、いつの間にか崖から下りてきたらしいトランスが、風竜を連れて歩いてきている。

「全員集合、だな」

 呟いたゼフィアーは、明るい笑顔で男を迎えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る