24.風の使者

 風の強い日だった。海岸線に向かって伸びる道の途中、荷を運ぶ小さな馬車が脇に止まっていて、そのまわりには三人ほどの人間がいる。彼らはついさっきまで休憩をとっていたのだが、それも終わり、いよいよ出発しようと支度を整えていたところだった。

 そんな彼らのそばを、別の旅の一行が通りかかった。六人連れの彼らは、いずれも徒歩。年齢も性別もばらばらだが、やや子どもが多い。このご時世に二人以上子どもを連れて旅をしているという点で、奇特だった。一人が目をしばたたかせて彼らを見たとき――六人のうちの一人、どことなく「青い」空気を漂わせる少年が、三人へ話しかけた。

 見かけによらず丁寧な口調とやわらかな態度で、「竜を見なかったか」と尋ねてくる。これまた奇特な質問に、荷馬車のまわりの三人は、思わず顔を見合わせた。



     ※



「竜? それならつい昨日、南の空を飛んでるのを見たぜ」

 さらりと返ってきた答えに、ディランは目を瞬いた。後ろをうかがえば、仲間たちもぽかんとしている。その間にも、商人らしき三人の男は、めいめいに話し出した。

「そういや最近、急に竜が見られるようになったよな。行く先、行く先で目撃情報が聞けるぜ」

「ついこの間まで、ものすっごく珍しい生物みたいな感じだったのになあ」

「あれか。やっぱり、はやってる『例の話』に関係してるんだろうか」

 憶測を好き好きに語った彼らは、そこで一行の存在を思い出したらしく、ああ、と言ってディランを見る。

「とにかくまあ、そんな感じだよ。どこにでもいるってわけじゃ、ねえだろうけどさ。呼べば出てくるんじゃないか?」

「は、はあ」

 商人の、冗談めかした言葉に、ディランはそう返すしかなくなっていた。

 彼らはやがて支度を終える。にこやかに手を振りながら別れの挨拶をし、馬車とともに去っていった。みるみる小さくなる影を明るく見送った一行は、静寂が戻った道の上で、なんとも言えず顔を見合わせる。

「なんか、ずいぶん状況が変わったみたいですね」

 感心しきった様子で、レビが呟いた。その隣で、トランスが面白そうに目を細める。

「『呼べば出てくる』ってのは、案外間違ってないかもな? おまえが呼べば、眷族たちは喜々として飛んできそうだ」

「いや……あいつら今、世界中に散らばってるだろうし。一斉に呼びかけるのは、ちょっと」

 トランスのからかい言葉にディランは肩をすくめた。横からチトセが「いや、というかできるんだ」と鋭い指摘を飛ばしてくれたが、それに応じる前に話題は変わってしまう。

「むう。だが、特定の目撃情報が得られないとなると、どうしたものか。自分たちだけで最適の場所を探すのは、難しいしなあ……」

「ただ高いだけじゃだめだもの。竜の力がより発揮される場所じゃないとね」

 竜の研究者を名乗る女の言葉に、ゼフィアーが低くうなった。

 一行は今、ひとまず海の方を目指しながら、竜を探しているところである。その目的はひとつ、《魂還しの儀式》を効率よく行える場所を聞き出すこと。問題なのは竜がつかまらないことだけではない。たとえ竜が見つかったとしても、その竜が《儀式》にふさわしい場所を知っているかどうかはわからない。『伝の一族』の儀式に関わったことがある者は、少ないのだ。

「それを言うなら、あんたはどうなのよ。なんか知ってるんじゃないの、ディルネオ?」

 チトセはディランに剣呑なまなざしを注ぎ、竜の名で彼を呼ぶ。にらまれた彼は、申し訳なさに頭をかいた。

「今思い出してるところだよ」

 苦い顔でそれだけ言うと、誰もそれ以上の追及はしてこなかった。つい先日まで完全な記憶喪失――正確には、記憶をみずから閉ざしていた――だった彼にとって、特定の何かを思い出すというのは、骨の折れる作業である。それを仲間たちも承知していたのだった。

 さっそく、ディランは歩きながら、記憶の汲みだしに取りかかる。いつもやっているような漠然とした作業ではなく、思い出すべきことが定まっているから、迷いがない一方でより神経を尖らせなければならなかった。ちらちらと存在を主張してくる、潜んでいた記憶の断片。それらをひとつひとつのぞきみて、不要なら弾き出す、そんな感覚だった。やがて、小うるさい頭痛がしてくる。眉間を押さえた彼は、なんの気なしに、東の方を見た。

 連なる高い山々が、空の光によって青くかすんで見える。山頂はいまだ白く、そのくっきりとした色彩の違いが、山脈の雄大さを引き立てているようだった。東をじっと見つめたディランは、目を瞬いた。一瞬のことだったが、歩みも止まる。

「山……?」

 口にしてみれば、言葉はすんなりと馴染む。頭の中に、映像のような、感覚のような、曖昧なものが閃いた。


 白い、黒い、高い、孤独で、それゆえに美しい――


「北の、山」

「……ディラン?」

 隣から誰かの声が聞こえた。だがそれは、今の彼には、ささやきよりもぼやけた音にしか聞こえない。

 記憶が揺らめく。あやふやな要素の数々は、少しずつ集まって、ひとつの像を結びはじめる。

 いつのことだったか、なんのときだったか。北風にはためくうす青い衣のすそ。そう、ディルネオは立ち会った。理由も経緯もはっきりしないが、彼らの儀式を見届けた。そのとき、人間たちに案内された、白に閉ざされた場所。黒々として佇む高い山。

 あの場所を、彼らは、なんと呼んでいただろうか。

 膨れてはしぼむ記憶の像は、風に弄ばれる細い糸のようだ。その糸をたぐろうと、意識をのばしかけたとき。

 強く吹きつけた風が、彼を現実に引き戻した。細かい砂塵が舞い、何人かが手や腕で顔を覆う。ディランも無意識に己の目をかばっていた。風がおさまった後、かざしていた手を恐る恐る外す。

「なんだ……」

 言いかけて、けれど言い終わる前に言葉をのみこむ。風がおさまると同時、覚えのある感覚が全身を包みこんだからだ。ディランの勘の的中を知らせるかのように、遠い空に黒い影が現れる。

「なんだ、あれ?」

 トランスが訝しげな声をこぼす。その間にも、黒い群は近づいてきて、黒はやがて、白になった。じっと空を見つめていたゼフィアーが、細めていた目を見開く。

「む、あれは、もしかして……!?」

 少女の声に応えるかのように。群は、速度を上げて彼らに近づいてきた。

 やがて見えたのは、美しい白翼を空に滑らす竜の群。鱗ではなくやわらかな毛に覆われた彼らの体躯は、薄曇りの空に映えている。

『みーんなー!』

 神々しく繊細な印象を、思いっきり裏返すような元気な声が、竜語ドラーゼを紡いだ。一行は、揃って顔をほころばせる。見れば、群の前列で、白い小竜が嬉しそうに体を動かしては、隣の先輩と思しき竜に翼ではたかれていた。相変わらずの様子に、誰からともなく小さく吹き出す。

「いつも元気ね、ルルリエは」

 マリエットの声が、嬉しそうに名を呼んだ。

 ――果たして、主竜シルフィエ率いる風竜の群は、一行の前で地に降りた。


『お久しぶりです』

 群の長であるシルフィエは、開口一番そう言って喉を鳴らす。竜語がわからない人々にも、同様の挨拶を彼らの言葉でした。元気よく返すゼフィアーの横で、ディランはなんとも言えず佇んでいた。だがやがて、風竜の緑の瞳がじっと見つめてくる。

『……こんな形で、あなたと再会することになろうとは、思っていませんでしたが』

『私もだ』

 ディランが竜としてそう返すと、シルフィエは小さく笑った。そして、頭を彼の方へ伸ばしてくる。少年の額に、みずからの鼻先をくっつけた。

『生きていてよかった。みな、心配していましたよ』

 くすぐったくて目を細めたディランは、それから、目の前にあるシルフィエの顔を軽くなでた。白毛はやはりやわらかく、けれどルルリエのそれと違って、強さもある。ひどく懐かしい感触だった。

『すまない、ありがとう』

 何度口にしても足らない、謝罪と、感謝を。このときまた、ディランは鮮やかな竜語ドラーゼに乗せた。

 ディルネオは比較的、他者との交流が多い竜だった。シルフィエとも、イグニシオと会っていたほどではないが、顔を合わせたものである。現在「主竜」と呼ばれる竜の中ではもっとも若い彼は、彼女に世話を焼かれることもしばしばだった。そのときの、なんとも照れくさい感じは、曖昧な記憶の中にも残っている。

 再会の余韻が、暖かみを増してきた風に流された頃。ルルリエが、軽く翼を打ってから、あるじを見上げた。

『あの、気になったのですが。シルフィエ様も、一度ディランと会っていらっしゃいますよね? そのとき正体には気づかれなかったんですか?』

 無邪気な眷族の問いに、シルフィエは、ぐっぐっ、と喉を二回鳴らして答えた。否定の音に、ルルリエは首をかしげる。

『ええ。不思議な感じのする少年だという印象でしたし、どことなくディルネオの変化へんげたいに似ているとも思いましたが……まさか、彼自身とは』

 それはそうだろう、と苦笑するディランのそばで、置いていかれそうになっていたレビとトランスに、ゼフィアーがこの会話を通訳して伝えている。話を聞いたレビが、ルルリエと同じようにきょとんとした表情で風竜を見た。

「あれ? でも、イグニシオは見抜いていたって」

「それは、彼が特別なのですよ」

 幼い少年の疑問に、風の主竜はほほ笑む。

「竜同士も、それなりに交流はあるものですけれどね。ディルネオとイグニシオほど、仲のよい竜は珍しいのです。彼らをよく知らない竜たちなどは、常々悪だくみでもしているのではないか、と勘ぐる者もいましたね」

『昔は、な』と竜の一頭が茶化すように言い、群の笑いを誘う。その中に苦味が混ざっているのは、「勘ぐっていた」竜が、この中にいることのあかしだった。ディランとしては勘ぐられようがなんだろうが平気だったので、穏やかに聞き流すことにする。

 シルフィエが感じ入ったように呟いた。

『それにしても、これほど高度な変化へんげができるようになっているとは……恐れ入りました』

 おどけたような声に、小さな傷がのぞいている。ディランはあえて知らないふりをして、『それはどうも』と返した。

 また、強い風が吹く。ゼフィアーは風竜たちの方へ身を乗り出した。

『そういえば、おぬしらはどうしたのだ?』

『あちこちの人間たちと、今、話しあいをしている最中でね。途中であなたたちの姿を見かけたから、寄り道することにしたの』

 ゼフィアーの疑問に答えたルルリエが、ねえ、とばかりに竜たちを振り返る。ここへ来たとき、彼女の頭をはたいた雄竜が、ぐるる、と喉を鳴らした。

『ルルリエがどうしてもと言って、聞かなくてな』

『なんですか、それ! みんな嬉しそうだったくせに!』

 先輩のからかいに、ルルリエは不満そうな声を出す。ゼフィアーとマリエットが、同時に小さく笑った。すねたふりをしてそっぽを向いたルルリエに、主が温かい視線を向ける。それから、彼女は水の主竜をじっと見た。

『あなたたちの方は、どうですか? 陣の解読は進んでいますか?』

『そう、それなんだがな。ちょうど先日、終わったところだ』

 ディランはそう返し、重ねて、今は儀式の実行に最適な場所を探しているのだと伝えた。すると風竜たちは、かぶりを振りつつ思案する。

『《魂還しの儀式》に最適な場所、ですか。今回は特に大規模なものになりそうですから、場所選びも慎重にしなければいけませんものね』

『うん。そうだ、シルフィエはよい場所を知らないか?』

 ディランが身を乗り出して問うと、反対にシルフィエは、うつむいて考えこんだ。

 風が音をさらったかのように、しばしの沈黙が流れる。その終わりを告げたのは、ぽつりとこぼれた一声だった。

『最北の聖山せいざんは、どうでしょうか』


「最北の、聖山?」

 ゼフィアーが慎重に繰り返す。シルフィエは、一度喉を鳴らした。

『北大陸の、北東の端にある山です。聖なる山というのは、人間の間での呼称ですが……。高い山でもありますし、竜の力も働きやすい環境です。人の手が入っていない場所ですから、砕けた魂の破片もそれほど多くない。よい条件の揃った地かと思います』

 なめらかに解説したシルフィエは、それからディランに視線を向けた。

『あなたは、訪れたことがおありかと思いますが』

 ――そう言われた瞬間、ディランは頭の中で何かが噛み合ったような感覚を覚えた。

 不安定に漂う糸をようやくつかんだ気がする。

「ああ、そうか。……そうだ、あの山を、《神官》たちは『最北の聖山』と呼んでいた」

 深い雪にとざされ、高くそびえる孤独な山。その頂上では、よく竜にまつわる儀式が行われていたらしい。竜たちが改めて、教えてくれた。一行はしばらく視線を交差させる。じっと思考するゼフィアーに、チトセが声をかけた。

「で、どうすんの? 儀式の主役はあんたなんだから、あんたが決めなさいよ」

「うむ」

 真面目な声で返事をしたゼフィアーは、くっと顔を上げ、五人を順繰りに見た。

 そして、告げる。

「そうだな。『最北の聖山』……竜たちと《神官》殿らが信じるその地に、賭けてみよう」

 力強く言ったゼフィアーは、遅れてディランを一瞥する。反対する理由はない。彼もまた、ゆっくりと首を縦に振った。

 竜たちもそんなやり取りを見て、気分が高まったらしい。主の同意を得ないうちから、『なら、私たちが送ろうか』といきなり言いだす竜が現れるほどだ。意気揚々と話し合いはじめる竜たちに、旅人たちは苦笑する。

 しかしディランは、ふいに笑みを引っ込めた。

「北大陸、か」

 呟くと同時に、耳の奥にひとつの警告がよみがえった。

『カロクほか一部の幹部は、イスズがレッタから戻った後に、北大陸へ向けて出航した』

 青年の声は、しばらくこだまする。

 チトセたちとイスズが衝突してから、それなりに時は経っている。今の時期は、大陸周辺の海も穏やかなはずだ。順調に航海が進んでいれば、そろそろ『破邪の神槍』が北大陸に到達していてもおかしくない頃である。目的はわからないが、彼らがあの地を目指していることだけは、確実だった。

 これから、そこへ飛び込む。そう思うと、心が冷えた。怖いからではない。どうしようもなく、切ないから。

「やはり、おまえは私を殺しに来るのか? ――カロク」

 ディランは遠く北の空を仰ぎ見て、呟く。

 問いに答える声は、なかった。

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