第四章

23.追憶

 南と東は海に囲まれ、西と北には深い森が広がり、高い山がそびえる東の半島は、その地形ゆえか長らく大陸の国に攻め込まれることもなく、安寧の中でゆるやかに発展してきていた。けれどその代わり、内輪もめとでもいうのか、半島の中の小さな共同体どうしがあくなき争いを繰り広げ、やがては独特の武者精神をもった強靭な一族を生み出した。

 竜という、約束された平和を象徴する生き物をいとい、彼らに牙をむく者が多いのも、束縛をよしとしないその精神性のためなのだろう。

 もやのような雲の向こうから、太陽がぼんやりとした光を放っている。しぶとい高所の雪も、ようやく溶けはじめたようで、遠く広がる山並みは、白から緑へ装いを変えはじめていた。春の日の午後、穏やかな森のただ中に、乾いた音が響き渡る。

 森の、少しひらけた空間で、二人の少年が剣を打っていた。剣といっても木刀であり、当たったそばから、カン、と高い音が鳴る。少年たちはいずれも黒い髪に黒茶の目、くわえてこの半島ではよく見られる目鼻立ちをしていた。片や、ぼさぼさの髪を気にもとめない、体格のよい子。片や、それなりに身なりには気を遣っていると見える、細身の子だ。

 二人はしばらく、型にのっとった打ちあいを繰り返す。体格のよい少年が、刀身で相手の頭をぺしりと叩いたところで、それも終わった。木刀を下ろした細身の少年は、不満げに彼をにらみつける。

「おい、今のはやりすぎだろ」

「オボロがどんくさいからいけないんだろう」

 とても、十にも満たない子どものものとは思えない、無愛想きわまりない声を放って、少年は草の上に腰を下ろす。オボロと呼ばれた少年の方もまた、彼の隣に座って木刀を投げだした。

「ところでカロク、お父上はまた仕事なのか?」

 しばらく腕を伸ばしたり肩を回したりしていたオボロが、思い出したように問いかける。少年、カロクは、友人の方を見もせずにうなずいた。

「先週、仕事が終わったとふみが届いた。たぶん、そろそろ帰ってくる」

「ふうん。そうか、よかったな」

「……どうだろうな」

 目を輝かせるオボロとは対照的に、カロクは軽く鼻を鳴らした。悟られないよう、親友を見つめる。

 どうもこいつは、父上を慕っているみたいだが。おれは苦手なんだよな。

 無感情な父の双眸を思い出し、少年は小さく舌打ちする。そのとき、土と草を激しく踏んでいる誰かの足音が、近づいてきた。振り返ると、見覚えのある青年が走ってきているところだった。自分の家の使用人だと気づいて、眉間のしわを深くした。

「カロク様、カロク様!」

 騒ぎたてた青年は、二人の前で立ち止まって息を整えた後、勢いよく顔をあげた。

「――シグレ様が、お戻りになりました!」

 明るさをまとった報告に、少年二人は顔を見合わせる。

 カロクはにやりと笑い、「ほらな」とオボロに呼びかけると、はずみをつけて立ちあがった。

 

 二人がいた森を抜けると、そこには別世界のような風景が広がっている。瓦屋根の目立つ大きな建物が並ぶその向こうには、木を組んだだけの粗末な家の群。それはえんえんと、そびえる山々にむかってのびているようにも見えた。少年たちが住むこの町は、領主の町とは比べものにもならないが、旅人たちが交わる都市としてそれなりの発展を遂げている。それは、一人の男の影響があってこそなのだろう。

 町の裏、土を固めただけの道を歩きながら、カロクはまた渋い顔をした。が、オボロに頭を小突かれて、わずかに表情をゆるめる。

 道はすぐ、土から石畳へと変わった。整えられた地面は、身分の高い人々とお金持ちが住む地区であることの証だ。家並みの中で視線を巡らせれば、上質な衣服に身を包んだ者たちが優雅に談笑している姿が見られる。カロクたちの視界の端で、紅色の布がひらひら舞う。――ただ、カロクは、この町にあるのはそんな優雅さだけではないと知っている。証拠に、人の多い通りの端には、無骨な武器をたずさえたて、荒っぽい目であたりをにらむ男たちがいる。そんな彼らはカロクとオボロを見つけると、軽く目をみはった。

 この町が持つひとつの側面。それを象徴する人こそ、カロクの父だ。早まる鼓動をおさえながら、少年は通りを抜けてゆく。

 人の波を越えると、彼らの前に一軒の大きな屋敷が現れた。黒光りする屋根瓦は、荘厳さと同時に、どこかまがまがしさをおぼえる気がする。父は苦手であっても嫌いではなく、自分の家である屋敷も安らげる場所であるはずが、このときのカロクはなぜかそう感じていた。端的にいえば、胸騒ぎというやつか。なぜ、こうも胸がもやもやするのかわからず、少年はかぶりを振った。

「さあ、行きましょう。シグレ様がお待ちです」

 使用人の声にうながされ、カロクはむっつりとうなずく。足早に家へ入ったカロクの後ろで、オボロが何事か騒ぎたてているのが聞こえた。おそらくは、自分もついていっていいかと言い、あの使用人にまとわりついているのだろう。別にどっちでもいい、と思いながら、草履ぞうりをぬいだ彼は、けれどそれから背後をうかがった。オボロが小走りでついてくる。どうも、使用人を言いくるめたらしい。カロクはため息をこらえて、短い廊下を進んだ。

 青年に導かれ、ひとつの部屋の前につく。彼がふすまを開けた後ろから、少年たちはついて入った。途端、空気がひきつったような気がして、カロクは自然と背を伸ばした。

 父が苦手なら、この部屋も苦手だ。

 狭い部屋には装飾どころか家具もほとんどなく、ただ壁際に武器のたぐいが置かれている。その武器を見ていると、いつも気分が悪くなった。そして今は、苦手な部屋の奥に、苦手な男がたたずんでいる。使用人の青年が、静かな声を上げると、その男は振り向いた。

 カロクと同じ色の髪と目。よく似た顔立ち。ただ、まとっているのは、カロクの背伸びしたそれとはまったく違う、本物の威圧感。家の中にいるというのに、戦装束を外しておらず、息子とその友達に送る視線も冷えたものだ。あのやたらと大きな槍を携えていないだけ、まだましか、と思った。

 その男――シグレは、しばらく二人を見つめていたが、使用人が声をかけ、恭しく頭を下げてからふすまの向こうに下がると、ようやく口を開いた。

「カロク、それにオボロか」

 声をかけられた二人は、慌てて正座をして、頭を下げた。

「お帰りなさいませ、父上」

 カロクは一応、父をうやまう息子としての態度をとっておく。実際、戦人として名高い彼のことを尊敬してはいるのだ。カロクに続いてオボロも挨拶をした。何を言っているのかわからなかったが、それはオボロの挨拶が下手だからというわけではなく、緊張のせいで彼の声が聞こえなかったからである。

 シグレは眉ひとつ動かさなかったが、ややあって、二人に向き直った。

「長らく留守にしていてすまなかった。カロク、オボロと仲良くやっていたか」

 波のひとつもない声音。けれど、それでも息子たちを案じる言葉だ。カロクはひそかに胸をなでおろしながら、はい、と答える。小さくうなずいたシグレに、カロクは思いきって問いかけた。

「あの、父上。今回の『仕事』は、いかがでしたか」

 そう口にした瞬間、シグレが露骨に眉をひそめたのを見た。しまった、と身を固めたカロクの耳に、平板な声が届く。

「――いつもどおりの『狩り』であったよ」

 ふだんと変わらない父の声音に、このときだけは、ぞっとした。

 

 狩り、と。シグレや彼の従える武者たちが口にしたとき、それを意味するものはただひとつ。『竜狩り』だ。

 大自然の守護者。その力により天候や自然環境の均衡を保ち、その魂によって世界にさらなる活力を吹き込む存在。それを狩る、つまりは殺すこと。神を冒涜し、世界を破壊しているにもひとしい行いだが、それはカロクが生まれるずっと前から、一部の人々によって続けられてきたことだという。そんな世界に生まれ落ちた少年は、あろうことか、竜狩りをする人々を代々輩出しつづける家の、跡取り息子なのだった。


 シグレは詳しいことを教えてはくれなかった。が、今回の竜狩りの詳細は、使用人や町人の噂話ですぐに知れた。いつものことである。

 いったん町に出て、すぐオボロとともに屋敷にとって返したカロクは、気心の知れた使用人にだけ告げて、書庫へともぐりこんでいた。古今東西の書物がつまるこの場所で、竜に関する記述をかたっぱしからあさる。そのさなか、オボロが口を開いた。

「けど、カロク。おまえはどうして、いつも殺された竜のことを気にするんだ?」

 カロクは書をめくる手をとめないまま、面倒くさそうにしている少年を一瞥する。

「『人に害なす傲慢な竜を裁く』――これが、我が家の竜狩人たちの教えだ。おれも、それを父上や母上、使用人からも口うるさく言われてきている。そしていずれは、おれがこの家を継ぐんだ。どんな竜が人に害をなす竜なのか、知っておくべきだと思っているんだよ」

「へえ、まじめだな。おれにはまねできない」

 よくできた頭を持っているくせに、興味のないことはとことん無視する少年は、そううそぶいて書物を弄んだ。見るからに退屈そうな彼に、カロクは「破くなよ」とだけ言い置いて、文字の海に没頭しようとする。だが、途中でふっとあることを思いつき、手を止めた。書物を棚に戻した少年を振り返る。

「だが……オボロ、おまえも竜狩人になるつもりなんだろう?」

 確証はなかった。けれど、いざ問いかけてみれば、オボロはあっさりうなずいた。

「ああそうだ。俺もこの手で、おまえのお父上のように、竜を狩りたいと思ってるさ」

「なら、竜のことについて調べるのは必要なんじゃないか。それに、体を鍛えるのも」

「シグレ様やおまえがいるじゃないか。おれが竜について調べるのは、本当に知りたいと思ったときにする。体を鍛えるのは、今やってる最中だし」

 オボロはそう言い、にやりと笑った。瞬間、カロクは肩をすくめる。

――いつからだろうか。親友の目の奥に、恐ろしいものが垣間見えるようになったのは。ふだんは、冷静で頭の回転が早く、勉強がよくできる、そのかわりに細っこい奴、という印象だ。なのにときどき、獲物を狙う猛獣のような、獰猛どうもうな光がその瞳にちらつくことがあった。ちょうど、今のように。

 あれはなんだ。考えて、唾をのみこんだカロクはしかし、直後に「じろじろ見るなよ」と注意されてしまい、慌てて書に目を戻した。不吉なものを忘れようと、必死になって文字を追いかけた。

 だというのに、その先で、もっと恐ろしいものを目にすることになったのだ。

 噂の中で拾った単語や、竜の特徴を繋ぎ合わせて、今回父が狩った竜を探ってゆく。そのうち、ある書物に行きあたった。古びた頁に見つけた記述に、手をとめる。

「『北大陸を守護する、水の竜』……ここか?」

 カロクは注意深く、頁をながめまわした。そして、息をのむ。

「『“北の大水竜”とも呼ばれる竜、ディルネオ』」

 声に出して一文を読み上げ、それから少しして、彼は肩を震わせた。

「どういう意味だ」

 それは、この国の者の手記だった。大昔、北大陸を旅したという彼の言葉が記されている。まるで、人目を避けるかのように、本棚の奥にしまわれていたものだ。なぜ隠すようなしまい方がされていたのか、カロクは子どもながらに理解する。

――彼の竜、いと慈悲深き者なり。同胞を愛し、人間を慈しみ、いさかいを終わらせんとする。

 そんな文言を皮きりに、「彼の竜」にまつわる話が、事細かに書かれている。

 人の姿になって、人里をのぞきにゆく。人と竜の対立をなだめては両者の説得を繰り返す。時には、行き場を失った者を助けたりもする。ただ、ときどきその奔放さで、従えている竜たちを振りまわすこともある、などなど。

 読み進めていくうちに、カロクはめまいをおぼえた。こらえきれなくなって、途中で手記を閉じた。

「そんな竜が、人に害なすことをした、と?」

 誰にともなく、問いかける。

 父は冷酷だが、同時に公明正大な人だ。めったなことでは間違わない。だが、この手記にある水竜が、人に牙をむくことも、同じくらいあり得ないことだろうと、彼の中の別の部分がささやいている気がした。混乱しきったカロクは結局、そのあとすぐに、逃げるように書庫を後にして――それきり、その手記を手にすることはなかった。


 もしこのとき、深く疑念を追及していたら。

「あんなもの」を目にしていなかったら。

 親友の狂気にもっと敏感であったなら。

 少年は、父と同じ道を歩むことは選ばなかっただろうと、のちになって思うのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます