18.はじまりの場所

 潮の香りが漂ってくる。ふわり、ふわりと揺れる香に誘われたかのように、東から太陽が顔を出した。鮮烈な黄金色の光を地上にふりまき、夜の終わりを知らせている。

 土を踏み固めただけの荒々しい道にも、曙光しょこうはひとしく降り注いだ。道の端に止められた、荷車にもたれかかっていたディランは、目を開けて立ちあがる。瞑目していただけで眠っていたわけではないので、頭はよくさえていた。彼が剣を手にとったとき、ばさり、と布のひるがえる音がした。振り返ると、車のほろをめくって、男が顔を出している。

「ようディラン、おはようさん。どうだった?」

「おはようトランス。特に問題はなかった。――みんな、起こしておいて」

「了解」

 軽い口調でやりとりすると、トランスは一度幌の向こうにひっこんで、ディランはディランで旅のおともの鞄と布袋の口をゆるめる。そこへ、いつもと変わらず槍を携えたマリエットが、今日も優雅な足取りでやってきた。挨拶を交わしたあと、彼女はディランの隣にしゃがみこむ。

「朝食の準備なら手伝うわ」

「ありがとう」

 二人は穏やかに、旅の中でのいつもの朝食を、取り出しにかかった。すなわち、堅焼きパン。日持ちするので便利だが、飽きやすいのがやや難点。「今度、野菜でもまぜて作ってみようかしら」と、銀髪の彼女は呟いていた。二人が人数分の堅焼きパンを出し終えたころに、荷馬車の方から一人の若者がやってくる。彼は二人に気づくと、明るく手をあげた。彼の優しい挨拶に、二人も返す。


――三日ほど前、旅道の宿屋の朝。利用者たちがぱらぱらと散っていくなかで、ライサが一行に「みなさんは、どこへ行くの?」と尋ねた。何人かが揃って、答えたのである。

「カルトノーア」

 すると、商人二人は目を丸くした。彼ら二人もまた、取引があってカルトノーアへ向かっているところだったという。以前デアグレードへむかったときと同じ、奇妙な巡り合わせに、彼らは喜んだものである。そしてまた、ともに行くことをライサが提案して、六人は提案を受け入れた、というわけだった。


「もう、カルトノーアは目と鼻の先なんだけどね」

 起きだしてくる人々に挨拶をしながら、ロンが茶目っ気たっぷりにそう言った。そして、全員が朝食の席についたところで、六人全員に向かって問いかける。

「ところで、カルトノーアには何しにいくの?」

「うむ。『希望の風』に行くのだ」

 ゼフィアーが、堅焼きパンをかじるのを中断して言う。世界的に有名な商会の名前が出たことに、商人たちは驚いた。

「そうなの? でも、『希望の風』って……何か買いつけるわけじゃ、ないわよね」

「うむ」

 うなずいて、再びパンをかじりだしたゼフィアーに代わって、レビが口を開く。

「会長さんに会いに行くんです」

 にっこり微笑み、少年が世間話と同じ調子でそう言うと、ロンとライサは凍りついて――少し後、絶叫を朝の空に響かせた。叫びに反応したわけではなかろうが、木々から飛びたつ鳥の羽音を聞きながら、それは驚くだろうな、とディランはのんきに考えていた。

『世界中に影響力を持つ人に働きかけたら、どうかな?』

 北大陸で、フランツにそう言われたとき、ディランとゼフィアー、そしてレビがまっさきに思い浮かべたのが、『希望の風』会長、ラッド・ボールドウィンの姿だった。届け物をしただけの関係ではあったが、彼から竜にまつわるもろもろを教えてもらった身でもある。ちょうど、魂を自然に還す方法を調べていると言っていた彼に現状を伝えるのは、優先してすべきことなのではないか、と考えた。

「ほんと、こいつらなんなのって感じだよなあ。『暁の傭兵団』の次は『希望の風』と来た」

 いやあ、とんでもない、とんでもない。トランスがおどけたふうに言う。場をなごませるための気遣いだったのだろうが、あいにくロンとライサは緊張を解けなかったらしい。乾いた笑みを返している。彼らを横目に見ながら、レビが呟いた。

「会長、喜んでくれますかね」

「さあなー。先を越された、と悔しがるかもしれん」

 ゼフィアーがころころ笑う。そして彼女は、ディランを見上げた。

「協力してくれるといいけども」

「そこは大丈夫だろ。それよりも……俺の用事の方が、反感買わないか心配だ」

 彼が微笑むと、ゼフィアーは怪訝そうに「お主の用事?」と繰り返す。だが、ディランはあえて答えなかった。いつものように少女の頭をぽんぽん叩いて告げる。

「また、教えるよ」


 ごろごろと荷車はひかれ、馬蹄の音がそこに重なる。進みつづける荷馬車は太陽がようやくのぼりきった頃に、都市の影をとらえた。海のにおいは濃厚になり、吹く風にまざるその気配も強くなる。門前にたどり着いた商人と旅人たちは、早朝からの来訪者に目を丸くする門番に、いつかのように、通行証を見せた。招き入れられた彼らは、起きはじめた街のざわめきの中に身を投じる。

 馬を操るロンが、ディランを見おろした。

「ごめんね、こっちの都合で朝早くに来ることになっちゃって」

「いいよ。昼までは、適当に時間つぶしてる」

 彼の謝罪を、ディランは穏やかに受け入れた。ロンの言葉どおり、一行がこんな早朝にカルトノーア入りしたのは、彼らの取引の都合上だった。件の会長に会えれば細かいことは気にしない、という姿勢をとった一行が彼らにつきあう形となったのだ。別の荷馬車とすれ違いながら、彼らはひとつの宿屋を目指す。己を誇示する商店の並びに埋もれた、小さな宿屋だ。その前で、六人と商人たちは別れる約束をしていた。

 あちらこちらで閂を外す音が響くなか、ひとけのない宿屋の軒先で、ロンとライサが六人に別れを告げる。

「みんな、一緒に来てくれてありがとう」

「頑張ってね!」

 朗らかに手を振る二人へ、一行もこたえた。

「そちらも、頑張ってな!」

「取引がうまくいくよう、祈っとくよ」

 ゼフィアーとトランスの大声に返ったのは、軽やかな笑い声だった。

 やがて、馴染みある荷馬車の影が人混みに埋もれ、馬蹄の響きも遠ざかると、チトセが待ちかねたように息を吐いた。

「で、時間つぶすって言ってたけど、何すんの?」

 彼女はすがめた目で、おもにディランとゼフィアーを見上げた。二人は、当然のように答える。

「陣の解読」

――少女のため息が、また聞こえた。

 結局彼らは、それぞれに、時を過ごすことにした。ディランとゼフィアー、そしてマリエットは、陣の解読のため宿屋に入る。チトセがそれについてきた。ただし彼女は、解読に参加するつもりははなからない。外に出るのが面倒くさいだけ、と言っていた。宿帳に名前を記したあと、部屋に向かって階段をのぼる。だが、途中で、チトセがはたと足を止めた。手槍を強くにぎって、遠く見える窓をにらむ。

「チトセ、どうかした?」

 マリエットが問うと、チトセはとげとげしい声で「なんでもない」と返す。彼女は、穏やかに微笑む女性を、強くにらみつけた。

 彼らの無言のやり取りを、残された二人もまた、呆れながら見ていた。


 港湾都市はひとたび朝を迎えると、呆れるほどの活気に包まれる。ディランたちが解読に入って間もなく、外からは怒声に似た呼び声や波の音、荷車がひかれる音などがやかましく響いてきた。そして、太陽が天頂に達する少し前になって、六人は宿屋の前で落ちあった。

 かつてのように、複雑な道をくぐりぬけて大通りに出る。以前と違うのは、人数が三人から六人になったことだろうか。

「この感じはノルドパテラに似てるよな。あっちよりは陽気だけど」

 行き交う人々をながめながら、感心したように呟きをこぼすトランスに対し、チトセは「うるさいのは嫌いだわ」とぼやいた。そして、彼女の目は、人の群れではないどこかをとらえていた。

「みなさん、もうすぐですよー!」

 前を行く少年が、振り返って叫ぶ。いつの間にか、レビが一行を先導するかたちになっていた。いきいきしている彼に温かい視線をやった人々は、今にも走り出しそうな彼を追いかける。そのとき、後ろの方から声がかかった。

「おまえたち、久しぶりだな。どうした?」

 その声にディランは振り返り、あっと目を見開いた。

 声をかけてきたのは、彼らと同じ方向へ向かって歩いていた、一人の男だ。そしてディランたちは、この男を知っている。

「ダンさん!」

 レビが、嬉しそうに叫んだ。ダンは「ああ」とうなずいて、ディランを一瞥する。ディランは彼の変わらない寡黙さに苦笑しつつ、用件を伝えた。

「実は、ラッド会長に会いにきたんだよ。ちょっと話したいことがあって。だけど……今すぐ、は無理だよな」

「そうか。会長は確かにまだ、カルトノーア支部におられるが……ふむ」

 ダンは、結論を示さなかった。しばらく考え込んだ後、「とりあえず来い」と一行を招いた。

 それから間もなく、『希望の風』の商館が見えてくる。目に見えて尻ごみしている様子のチトセに、レビがなんともいえぬ笑みを向けた。

 ダンは、今日も門番をしているノルシにふた言三言、何事かを伝えた。ノルシは一行をちらりと見たあと、強くうなずいて商館の中へ駆けてゆく。男のいなくなった場所にダンが立って、「とりあえず中で待っていろ」と彼らに声を投げた。

――どれくらい待たされるだろうか、と全員が身構えていた。が、商館に入ってすぐ、奥の方からノルシが駆けてきた。届け物に来たときよりも迅速な対応に、ディランは驚きを通り越して戸惑いをおぼえる。だが、すぐ、理由に思い当った。他の五人も考えたことは同じようで、奥に通されてる最中、マリエットがぽつりと呟いた。

「きっと、話がここまで伝わっていたのね。あなたたちのことだって、気づいたんじゃないかしら」

 商館特有のざわめきが遠ざかり、細い廊下に静寂と緊張感が満ちる。やがて、ノルシは、ある扉の前で足を止めた。彼らを順繰りに見て、そして――

「会長は、ここでお待ちだよ」

 柔和な笑みを浮かべてそう言った。


 ディランたちの予想は確信に変わる。

 竜、とりわけ竜の魂にまつわる話だ。あのラッド・ボールドウィンが食いつかないわけがない。彼はすぐ、裏で糸を引く彼らの存在に気づいたのだろう。当然、事の真偽と彼らの思惑を確かめようとするはず。


 六人は視線を交差させた。ノルシに武器を預けたあと、ゼフィアーの小さな手が扉にかかる。扉は小さく軋んで、奥へ開いた。

 先にあるのは密談のための部屋。狭い空間に、机と数脚の椅子。そして、机の向こう側にたたずむ老人。かつての出会いを彷彿ほうふつとさせる光景に、ディランは身がひきしまるのを感じる。少女がうなずき、前へ出て、言葉を発した。

「お久しぶりだ、会長殿。突然お邪魔してしまって、申し訳ない」

 老人は黙ったままだった。流れる、わずかな無音の時間。その先で彼は笑った。老人の双眸はかつてと変わらぬ鋭さだ。衰えというものをまったく感じさせない。商会『希望の風』の会長ラッド・ボールドウィン――そのたたずまいに、竜であり少年である者は、感動をおぼえていた。

「久しいな」

 ラッドの口が、言葉をつむぐ。しわがれた声はけれど、聞く者の居住まいを正させる重みを秘めていた。

「そうかたくなるな。君たちがそろそろ来るであろうと、思っていたところだ」

「や、やっぱり……最近広まっている話のことですか?」

 知り合いであるはずのレビが、おっかなびっくり尋ねると、ラッドは一瞬だけ笑みを見せる。だが、すぐ鋭さの影に隠れた。

「うむ。突如として大々的に広まった、竜にまつわる話……いくらか種類はあったが、登場人物が知り合いにそっくりだったのでな。すぐ気づいた」

「そ、そうですか」

 ラッドの目はいつの間にかディランを見ている。彼はたじろいだ。けれど、すぐに気を取り直して、ゼフィアーの隣に並ぶ。彼女がびっくりして見上げてきたのには気づいていたが、構わなかった。

「今回の用件は、ふたつです。ひとつは、その広がっている話の真相をお伝えすること。そして、もうひとつは――」

 ディランはいったん言葉を切って、瞑目した。凍てつくような圧迫感が部屋に満ちる。

「もうひとつは?」

 ラッドの声は、静かに、厳しく、うながした。ディランは目を開く。すると、大商会の会長はわずかに目をみはった。

「もうひとつは、個人的な頼みごとです」

 言葉に、沈黙が返る。音のない催促に、ディランは気づかれない程度に微笑んだ。

 空気が変わる。今、ここにいるのは、人であり、人ならざる者。どちらにも寄らぬ存在。

「内容をお伝えする前に言っておきましょう。俺は今ここで、かつてあなたと交わした約束を破ります」

 彼は淡々と、告げた。言葉を訝る老人の視線を感じる。それでも彼は臆さない。臆する理由など、どこにもない。

 ただ、同族の誇りを守っているだけなのだから。

「竜の、我が同胞の魂が宿った石を、に譲っていただきたい」

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