19.竜魂の石

 密談部屋は、これ以上ないほどに静まりかえっていた。

 果てしない空虚の中で、ディランの頭は冷静に働いている。

 竜魂の石の話をしたのは、それこそ、以前届け物に来たとき以来だ。ラッド・ボールドウィンとの「石のことは口外しない」という約束を、彼も、ゼフィアーもレビも、守り続けていたのだから。話を聞いていないほかの三人は、それぞれ程度に差はあれど、戸惑った表情を浮かべてかたまっている。いや、話を知っている二人も、ひどく困惑している様子だった。ディランが約束を反故ほごにするとは、思っていなかったのかもしれない。


「どういうことかね?」

 決して大きくない声は、けれどおそろしくはっきりと響いた。静寂の中に、唐突に落としこまれた音に、誰もがはっと息をのむ。ディランでさえも一瞬ひるみ、けれど彼は、すぐにもとの冷静さを取り戻した。

「それは、これからお話します。ひとつめの用件と、関係の深いことですので」

 そう言って、ディランは隣の少女に視線を注ぐ。彼女は、しどろもどろになりながらも、「……実は」と話の口火を切った。

 そもそも、カルトノーアを出てから何があったのか。話はそこから始めなければならなかった。これまでの、旅の中の出来事を、一片の偽りもなく老人の前にさらけ出す。彼は見定めるかのような厳しい面持ちのままだった。が、来訪者の声が途切れると、低くうなる。

「なるほど。竜の魂を浄化する一族の村と、そこに眠っていた陣か。わしの探していたものが、遠い北の地にあろうとはな」

 そして、としわがれた声が呟く。ラッドとディランの視線がぶつかった。

「『烈火』の弟子が『北の大水竜』とはな。恐れ入ったわい」

 記憶喪失の手がかりをつかんだばかりのころ、ディランは「竜狩人の関係者ではないか」と疑われていたし、自分でも疑っていた。だが、いざ答えを見てみれば、それは人の予想を大きく飛び越えたものだった。老人は、建て前と本心がいりまじった、穏やかな笑い声をあげた。けれど、その声はすぐにやむ。

「それで、同胞の魂を返せ、というわけだ」

「今でなくてもかまいません。いえ、むしろ、今でない方がいいでしょう」

 重苦しい雰囲気をものともせず、水竜は微笑んだ。

「《魂還しの儀式》を行うときに、その場所に持っていった方が危険が少ない。そのときになったら、改めてうかがいます」

「……いや、手間は少ない方がよいだろう? 商会の者か、信頼できる知り合いに運ばせようか」

 ラッドはさらりとそう言った。言外に、先のディランの申し出を受け入れたというわけだ。彼は目を瞬いて、思わず「いいんですか?」と聞き返す。すると、大商人は悪戯っぽく言った。

「何。勝手に集めていたものが、あるべき場所に帰るというだけの話だ。わしとしては、願ったりかなったり、だな」

 ぽかんとするディランをよそに、ラッドは他の五人を順繰りに見る。

「例の『話を広める』件については、引き受けるまでもない。すでに、口の早い傘下の者どもがよそへ広めにかかっておるのでな」

 楽しそうな老人の声に、頬をひくつかせたのは、レビだ。

「そうなんですか……さすが商人、というか」

「ただし、懐疑的な者も多い。本部わしらが裏で動き出せば、表だって疑いを口にする者はいなくなるだろうが。あとはあの話にあるとおり、君たちが《儀式》とやらを行えばよい。そのときはじめて、虚実入り混じった事実は、真実となるだろう」

 そう言うと、ラッドは静かにディランへ向き直る。今までの品定めするような視線はどこかへ消え、一人の老人が彼を見つめていた。

「どうか、哀れな魂たちを解放してやってくれ。――水の主、ディルネオよ」

 ディランは一瞬、返答に詰まった。だがすぐに、口もとに笑みを刻む。主たる竜として、けれど心からの笑みを。

「ええ。必ず」

 短い誓いの言葉は、確かな力をまとっていた。

 

 ディランの言葉どおり、石は今しばらくラッドのもとへ預けておくことになった。けれど、念のため、ということで、今まで彼が集めた石を見せてもらうことになった。その石はなんと、密談部屋の奥にあった。部屋の奥には、唯一の装飾であるかのように長い布がたらされているのだが、なんとその裏に、隠し扉があったのだ。扉の向こうに更に小さな部屋があり、ラッドが集めた石はすべてそこに保管されていたのである。

 六人は、その量に圧倒された。

「……すごいな」

 ため息混じりの、声がもれる。感嘆の言葉にしてはそっけないが、今のディランはそうとしか言えなかった。

 小部屋の奥の壁に寄せるようにして、石をおさめている箱が、山のように、けれど整然と積まれているのだ。

「ここまでいくと、もう、何も言えなくなるわね」

 チトセが眉を寄せて呟く。旅人たちは彼女の言葉にうなずいた。ラッドは、ほっほっほ、と穏やかな老爺そのもののやわらかい笑声をあげている。人々は――正確には、人々と竜は――しばらく、声もなくその山に見入っていた。箱のうちのいくつかを、ラッドが開けて見せてくれる。すべてが、ややくすんだ色をまとった小石だ。路傍にあれば見逃してしまいそうな石ころ。だが、今は誰もがわかる。石から漂う気配は、異質だ。

「――これも、言ってしまえば、たびかさなる竜狩りの結果だ」

 ディランは無意識のうちに、竜として呟いていた。

「竜狩りが始まる以前から、死した竜の魂が別の無生物に固着することはあった。非常にまれな事例だがな。しかし、七百年ほど前から、その数が爆発的に増加した」

「あちこちで、竜が殺されたから?」

 チトセの声に、ディランはうなずく。

「《魂喰らい》の武具により、文字どおり喰らわれた魂は、自然に溶けることができずに飛び散った。行き場を失った魂の破片のいくらかが、無生物を己の『行き場』とした。その結果、これほど多くの竜魂の石が生まれてしまったのだよ」

 無感情な語りに、口をはさむ者はいなかった。自分の声が完全に消えたあと、ディランは表情をやわらげる。

「だから、ラッド会長には感謝している。何も知らされなかったにもかかわらず、同胞の魂を守り、還すための努力をしてくれた」

「結果的には、何もできなかったがの」

「そうでもない。あなたの言葉があったから、私たちも同じ目標に向かって動けたのだ」

 竜の魂を自然に還す、と今の時代になって真剣に考えたのは、ゼフィアーとラッド・ボールドウィンくらいのものだ。ディランが振り返り、うち一人に悪戯っぽい視線をやると、同じように悪童のような笑顔が返ってきた。


 その後に密談部屋から出た六人は、一度ラッドと別れた。彼はどうやら、「信頼できる」者の目星をすでにつけているらしく、彼らに連絡をとるべく部下たちに指示を飛ばしていた。去りゆく老人の後ろ姿を見送ってから、再びやってきたノルシの案内で、彼らは元来た道を戻る。人々があちこちで駆けまわり、部屋の隅では声をひそめて話しあう。さらに別の場所では、苛烈なほどの売りこみと商取引。下手な戦よりも熱のある光景を目に焼きつけた。

 ディランは、商館を出る前にノルシを呼びとめる。

「繋ぎをつけてくださって、ありがとうございます。前回も、今回も急だったのに」

 ノルシはからからと笑った。

「いいってことよ。仕事しただけだし。――内容は知らないけど、かなりおもしろい話をしてくれたんでしょう」

 えっ、と何人かが目を見開くと、ノルシは片目をつぶって見せた。

「だてに十何年も、あの人の下で働いちゃいないからね。部屋から出てきたあの人を見れば、わかるさ」

 もともと入口の番である彼は、ディランたちを外へ送り届けるなり、ダンに軽く声をかけ、入口のかたわら、自分の居場所へすまし顔で戻っていった。一行も、感謝と挨拶をのべて、その場から立ち去ろうとする。が、直前でダンに「おい」と呼びとめられた。

 六人全員が振り返ると――男は、彼らではないどこかに目をやりながら、呟いた。

「おまえたちのことを信用していないわけではないが、揉め事を街に持ちこむのだけは、やめてくれよ」


『希望の風』支部の、壮麗な建物が後ろの彼方へ去ってゆく。人混みの中を歩きながら、ふいに竜狩人の少女が、微笑んだ。

「さっきの人、あたしらに近い人種だね」

 唐突にそんなことを言う。ディランが見おろしたとき、ちょうど、少女のつり目がちかりと光った。

「あれに気づくなんて、大したもんよ」

 誰も、何も答えない。ただ、彼らを取り囲む空気は、一瞬でひきしまった。

 行くか、と誰かが言い、全員そろって歩き出す。かたわらの、人の流れに逆らって、門へ向かって進んでゆく。


 街の門を守る甲冑姿の男に軽く会釈をし、その先へ踏み出した。わだちの走る街道をわざとそれて、草木のおいしげる場所へ分け入ってゆく。木の枝を払いのけながら彼らは進んでいたが、途中でチトセが、いきなり立ち止まった。それにならい、ほかの五人も歩みを止める。

 風が吹き抜け、草葉を揺らした。少女の視線が木立の先をにらみつける。

「このあたりなら、人もいないわね」

 誰にともなく呟いた彼女は、息を吸った。

「いい加減、出てきたら? あんたの気配は、ちょっと感じるだけでもいらいらするんだから」

 はっきりとしたいらえはなかった。

 少しの時間が経ったあと、どこかの草が乾いた音を立てて揺れる。そして唐突に、チトセの視線の向こうから、黒い影が現れた。彼は六人の姿を見つけると、あいかわらずの軽薄な表情で手を振る。

「やあみなさん、お久しぶり」

 語調や言葉まで、陽気さを装った挨拶に、多くの者は呆れて肩をすくめた。ただ一人、チトセだけは、眉間に深い縦じわを刻む。すると彼、センは、一気に気分が落ち込んだようだ。ふてくされた顔になった。

「変わらねえなあ、チトセは」

「変わってた方がよかった?」

 チトセが渋面のまま問いかける。センは明るい様子のままで「いんや、その方がおまえらしくていい」と言った。チトセが口の端をもちあげる。

「あたしも、次の相手がセンでよかった。――あんたなら、ためらいなくやれそうだし」

 無愛想な少女にしては珍しく、声が弾んでいる。センはおおげさな反応を見せた。おおこわ、と呟いて飛びのく。また呆れたような空気が流れ、その中でも特にトランスが、あからさまに眉をひそめた。

「……もしかしてあんた、ずっとつけてたとか、言わないよね? 俺たちが気配に気づいたの、カルトノーアからだけど」

「安心しなよ。その勘、正解。俺がカルトノーアにいたのは偶然だ。けど、なんと運のいいことか、街中で君らを見つけてしまったんだよ。で、思いついたわけだ。ここはいっそ、首領おかしらたちの言いつけを破って勝手に暴れちまおうかなーってな」

 センの言葉にディランは違和感を抱き、首をひねった。疑問に思ったのは彼だけではなかったようで、すぐにゼフィアーが目を細める。

「どういう意味だ」

 センは黙って、《魂喰らい》の剣を引き抜いた。一行に、すらり、と突きつける。

「上からもらった命令は、裏切り者の始末と、君らの情報の提供

けど俺は、命令にそむくことにするよ。水竜ディルネオがここにいたら――カロクとオボロは、今以上に狂っちまうからなあ」

 狂気を宿して輝く瞳。けれどその裏には、哀切の色がにじんでいた。

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