17.片隅の憩い
平原を抜けた六人は、
「ちょうどいいな、あそこで一泊するか」
ディランが茜色の空を仰いでいる横で、トランスはそう言い、足を止める。彼の見た通りの脇には、粗末だが大きな家が建っていた。戸口に、宿屋を示す看板がぶらさがっている。六人は、誰からともなくうなずいた。
宿屋はかなり粗末なところで、食料さえも自分たちで持ちこまなければならなかった。食堂のような場所はついていて、食事時になると宿泊者たちがそこに集まり、食料を持ち寄るらしい。一行の手持ちが干し肉と堅焼きパンだけだと確認したディランとトランスは、乾いた笑い声を上げたが、チトセの「旅人なんてだいたいそんなもんでしょ」という軽い言葉に、ひとまず励まされる。
一行が荷を解いている間に、太陽の下端が地平線に隠れた。闇に沈もうとしている宿屋の中で、人々の足はおのずと食堂に向く。大きな部屋にぱらぱらと集まった人々は、部屋の真ん中にある燭台を囲んで、それぞれの食事を広げはじめた。
ディランたち六人もまた、適当な場所に腰を下ろす。
「隣、いいですか?」
若い女性の声がする。拒む理由もない彼は「あ、どうぞ」とやや投げやりに応じた。なんの気もなしに隣を見たのだが……直後、見えた相手に驚いた。
「え?」
同じときにディランの方を見ていた女性が、呆けたような声を上げる。すぐに両手で口を押さえた彼女は、そのむこうにいた男性を興奮した様子で呼んだ。女性に呼ばわれた若者が、彼女の後ろからひょっこりと顔を出す。彼もやはり、驚愕に目を剥いた。
「あっ……ディランくんじゃないか!久しぶり!」
「あ、はい。まさかこんなところでお会いするとは……」
ようやく我に返り、ディランは頭を下げる。つくづく、人の縁とは不思議なものだと思った。
変わらず丁寧な態度の少年に、隣の男女――商人のロンとライサは、困ったようにほほ笑んだ。
「久しぶりだ。私のこと、覚えているか?」
「もちろんよ、ゼフィアー」
「こんなに印象の強い人、そういませんからね……」
「このスカーフな、前のと交互に使っているのだ」
ディランが挨拶を交わした後、ゼフィアーとレビもすぐに、二人の存在に気づいた。最初の驚きから立ち直れば、あとはもう再会を楽しむだけである。干し肉片手になごやかに会話をする女性と子どもたちは、周囲に明るい空気を振りまいていた。その様子を見ていたまわりの人々が、「知りあいかい?」と、ロンとライサに声をかけている。
「じゃあ、彼らと一緒に国境越えをしたのね」
一方、楽しそうな三人を横に置いたディランたちは、ロンにマリエットとチトセを紹介していた。彼女の問いに「そう」とうなずいたディランは、先ほどから竜狩人とにらみあっている商人に目を向け、苦笑する。
「大丈夫ですよ。いきなり手槍を向けてきたりはしない、はずですから」
「なんで断定しないのよ。あたしは毒蛇か何かか」
吐き捨てたチトセは、「似たようなもんじゃね?」というトランスの脇腹に拳を叩きこむ。本気の一撃ではなかったようで、トランスは拳を受けてもおどけたままだった。ロンは、彼らのやり取りを戸惑ったように見ている。盗賊たちをことごとく血にまみれさせ、追いたてた少女が、今また目の前にいるのだから、怖がるのも無理はない。
「お二人は、ずっと商売を続けていたんですか?」
ディランが水を向けてやると、若者はようやく、いつもの調子で話しだした。
「うん、そうだよ。今もライサと二人、大陸を巡ってる」
彼はそう前置きをした後、行った先での出来事をいくつか語ってくれた。商会『希望の風』の人々と仕事で一緒になったというくだりでは、商会と多少の関わりがあるレビが、懐かしそうに目を細めていた。彼らも周囲も話が盛り上がり、食堂が喧騒に包まれた頃になって、ライサがいそいそと身を乗り出してくる。
「そういえば、この間、街で面白い話を聞いたわ」
「面白い話、ですか?」
「あなたの話よ」
ライサは心底嬉しそうに、ディランを手で示す。示された当人は最初こそぽかんとしていたが――今、自分たちがやっていることを思い出して目をみはった。思わず仲間たちに視線を走らせると、彼らは揃って得意げな顔をしている。
「どんな話だったんだ?」
トランスが、悪戯をおもしろがるように尋ねた。すると、商人は二人とも首をひねる。
「それが……同じようで違う話をいくつも聞いたの。多分、人々に知れ渡るうちに、微妙に変化してしまったのね。だから、もし会うことがあったら、『元』がどんななのか知りたかったのよ」
そう言って、ライサは聞いた話を教えてくれる。
ノーグが広めたそのままの話もあったのだが、尾ひれがついたと思われる、やたら華々しい英雄譚のようなものまであった。ただ、それらに共通するのは――「世界を再生するため、今も彼らは奮闘している」と、およそ英雄譚らしからぬ終わり方をするところだ。脚色しはしたものの、過去のことだけをおとぎ話として広めているわけではないので、当然だった。
六人は顔を見合わせる。それから――ゼフィアーが力強くうなずくと、商人二人へ顔を寄せた。
「……ともに行動したのは短い間だったけども、私たちは二人を信用に足る人物だと思っている。だから、ありのままの話をさせてくれ」
そう言って、ゼフィアーは「作り話」をするに至った経緯を、必要最低限だけ話した。竜の現状と、《魂還しの儀式》の話。ひそめられた彼女の声は、喧騒にもみ消され、周囲には届かない。話を聞き終えた二人は、愕然としてお互いを見た。
「……なんだか、すごい話だな」
「信じてもらえないかもしれないけどもな……」
ゼフィアーがしおれた様子で呟くと、ライサは「そんなことないわよ。あなたが嘘をつくとは思えないし」と言い、顔の前で手を振った。
「今、広まっている話は、みんなに受け入れられやすいように脚色したりぼかしたりしてはあるが、だいたいは事実だ。人と竜の対立が今も続いていて、お互い殺されていることや、そのせいで世界が壊れかけていることも。私たちがようやく、それを止めるためのすべを見つけたことも」
今は陣の解読をしながら、色んな人に手伝いをお願いしている。『伝の一族』の少女は力強くしめくくり、己の胸を叩く。なるほど、とロンとライサはうなずきあった。
「そういうことなら、僕らも少し手伝おうか。『暁の傭兵団』ほど影響力は強くないけど、これでも商人として上手くやっている方だから」
「要は、みんなに竜のことと、あなたたちが《儀式》をすることを知ってもらえるように、はからえばいいのよね」
彼ら二人は、一片の揺らぎもない表情でそう言った。あっさりと信じてくれたことに安心し、また感謝して、六人は二人に手伝いをお願いした。それからは終始穏やかに食事が進む。宴会状態の夕食も終わろうかという頃になって、ふいにロンがディランを見た。
「そういえば、聞いた話の中で、実は君が『竜だった』なんていうのも聞いたけど……さすがに作り話だよね」
振られた話に、ディランはこともなげにほほ笑んだ。
「あれは本当」
「え?」
ロンとライサの声が重なる。もしまわりに聞こえていたら、たちまち蜂の巣をつついたような騒ぎになるような一言を前にして、彼らは初めて表情を凍りつかせた。
「じょ、冗談……よね?」
「さあ。商人の勘は、どう言ってる?」
少年の姿をした竜は、意地悪く問いかける。二人の商人は、そのまま硬直してしまった。平然と片づけを始めるディランの腕を、トランスがつつく。
「ディルが人をからかうなんて、珍しいこともあるもんだ」
「からかっているのではないぞ。二人に、自分で判断してほしいだけだ」
竜の名で呼ぶ男に、彼もまた、竜としてそう返す。二人だけのやり取りは、仲間たちにすら知られなかった。
※
季節はいつの間にか、冬から春へ移ろっている。それでもまだ、夜はぞっとするほど冷えこんだ。珍しく、夜中にふっと目を覚ましたマリエットは、六人が身を寄せ合って使っている部屋から出て、あたりを散歩してみることにした。砂漠で使った外套を忘れずに羽織る。もともと気ままな性質の彼女だが、今回外に出ようと思ったのにはきちんとした理由があった。――いるはずの人がいないことに気づいたからだ。
慎重に踏み出しても軋みを上げる階段を下り、夕べに集まった食堂の扉を横目に見る。そして正面を見すえれば、探し人の一人はすぐ見つかった。小さな机に燭台を置き、炎を頼りに紙とにらみあう少女へ、そっと声をかける。
「ゼフィー」
すると、少女は弾かれたように顔を上げる。長槍を携えた彼女を闇に認めると、頬を緩めた。
「む、マリエットか。どうした?」
「散歩よ。それと、あなたたちを探しに」
マリエットは槍を壁に立てかけて、机へ歩み寄った。陣の描かれた紙をのぞきこむ。
「わざわざここを借りたの?」
問うと、ゼフィアーはうなずいた。「宿屋のご主人に頼みこんだ」と言い、また紙に視線を下ろす。そう、とマリエットは、彼女から視線を逸らした。
「だったら、彼もあなたと解読をしているものだと思っていたけれど……」
「彼? ひょっとして、ディランか?」
ゼフィアーは、図と文字を追う目は止めないまま、問いかけた。
「私が出たときには寝ていたぞ。だから、起こすのも悪いと思ってひとりで頑張っていたんだけども」
「そうだったの」
マリエットは、再び槍を手に取った。「行くのか?」という少女の声にうなずく。
「寒いから気をつけてな」
「ええ。ゼフィーも、睡眠はとらなきゃだめよ」
うむ、という元気のいい返事を背に受けて、マリエットは扉に手をかけた。
ディランのことだ。また妙な無茶をしていないかと、マリエットはひそかに心配していた。が、彼女の憂いをよそに、ディランの姿はすぐに見つかった。宿屋のまわりだけは土と草がむきだしになっていて、岩もそのまま転がっていたりするのだが、彼はその岩のひとつに腰かけて、旅道の方を見つめていた。
ディランは、そのまましばらく動かずにいた。何をするでもなく、ただただ旅道へ視線を注ぐ。何か考え事でもしているのか、それとも何も考えていないのか。マリエットにはわからないが――その背中は、時々、ひどく悲しそうに映った。
ややあって。ディランはゆっくりと、両手を広げてまんじりと見つめた。何かを確かめるように五指をゆっくり折って、握りこんでゆく。はっ、と、息を吐く音がした。その瞬間、マリエットは目を細める。女の耳に、かすかで確かな音が届いた。
ぴしり、と。何かがひび割れるような音。
否、それは実際の音ではなく、感覚のようなものだったろうか。それが彼女の中では音になったのだろう。
「今の、まさか」
思わず呟く。それは、ずっと前に何度か感じたものに似ていた。
まだ、ひとりで竜の研究にいそしんでいた時代。警戒されない程度に、竜に近づいたこともあった。平和な暮らしを送る者、縄張りを警戒する者、死の危機に瀕した者。色んな竜を見てきた。よほど竜が危ないと思ったときだけは、自分から竜のもとへ飛びこみもした。ゼノン山脈での、あのときのように。
そしてそのときには決まって――音が、聞こえたのだ。
マリエットはもう一度ディランを見る。今度は、険しい光を湛えた瞳で。けれどディランは、彼女が音を聞く前と同じように、ぼんやりと旅道を見ているだけだ。変わらないということに不穏と憂いを感じつつ、マリエットは目を閉じて、それらを胸の奥へ押しこむ。――黙って踵を返し、また扉に手をかけた。
早春の夜に響くのは、扉が静かに閉まる音。それだけだった。
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